走れよメロス

走れよメロス

ちょっと話題の中学生の研究で、

実に素晴らしい研究と感じました。私のような凡百の人間は文学作品としか読みませんが、本当にメロスが走っていたかどうかをマジで検証してみようと言う発想に驚嘆します。こういう着眼点を思いつく事に素直に賛辞を贈ります。それとこういう研究は時にイロモノと見なされる懸念があります。そのためには大真面目にやり、なおかつ細部を可能な限り詰める事がポイントです。ユニークな発想を実のあるものにするには、ユニークだけで安住してはならない事をよく知っておられます。そうでないと感想の

そして「走れメロス」というタイトルは、「走れよメロス」のほうが合っているなと思いました。

これが活きて来ません。ユニークであるほど大真面目かつ真剣に検証することが一番重要なんです。それこそ神は細部に宿るです。中学2年生のようですが将来を大いに期待しています。


モトネタの走れメロス太宰治の作品です。ただ代表作かと言われると今なお多い太宰ファンから顰蹙を買いそうな気がします。太宰の代表作ならせめて人間失格ぐらいを挙げろと言われそうな気がします。しかし周知度では走れメロスは突出しています。この大きな理由は教科書に長年に渡って採用されているからで良いと思っています。一説には50年とも言われていますから、考えようによっては日本国民の殆どが「読んだことがある」作品になります。太宰にしても走れメロスがそんな扱いを受けるとは夢にも思わなかったと考えています。

私は国語の教科書で採用されるような話は「おもしろい」と感じたと言うか、印象に残っているものはごく少ないのですが、走れメロスはよく覚えています。これは私だけでなく、走れメロスを教科書で読んだだけの人間は多いはずですが、今なお走れメロスはパロディのネタに頻用されます。パロディは原作が周知されていないと成立しないのですが、メロスと言うだけで多くの人間はストーリーまでありありと思い出し、パロディを楽しめる事になります。さすがは太宰、恐るべしです。

もっともそれほど周知されている走れメロスですが、一方で太宰の作品をこれしか読んだ事がない人間もまた数多いとしてよく、太宰作品とは「こういうもの」と思い込んでおられる方も少なくないと考えています。私も例外ではなく、教科書で走れメロスを知り、ついでに太宰治の名も覚えたのですが、はるか後年に他の作品を目にした時に「なんじゃ、これ!」のギャップに苦しんだのは白状しておきます。


10里考

走れメロスギリシャ神話とシラーの詩からの翻案とされています。この話のポイントはいろいろありますが、今日は中学生レポートの話が枕なので、距離の話に絞ります。妹の婚礼のために、3日間の往復劇は作中で重要な部分です。この距離が

    10里
これは換算すると「1里 = 3.92727273km」と現在は計算しますから約40kmになります。私も教科書で読んだときには途轍もない距離と感じたものです。太宰の考えは知りようもありませんが、果たして太宰はこの距離を走破が困難な長距離として設定したんだろうかの疑問があります。もちろん現代人なら40kmはマラソンの距離に匹敵し、常人では走るのはもちろん、歩くだけでもちょっと無理な距離です。走れメロスが発表されたのは1940年なっていますから、当時も同じだったかどうかです。

と言うのも、近代以前の人間にとってはさほどの距離とは言えない気がします。前に少し調べた事があるのですが、江戸時代の旅人の標準的な1日の歩行距離は10里とされています。標準的ですから毎日10里ぐらいは歩きながら旅をしていたと言うことです。それでも江戸時代は街道はそれなりに整備されています。それ以前ならどうだったかです。これも前に一の谷を調べた時のオマケですが、義経が京都から三草山を襲った時の平家物語の記述が参考になります。延慶本平家物語より、

九郎義経は、あかぢのにしきのひたたれに、きにかへしたるよろひきて、さびつきげなる馬の、ふとく尾がみあくまでたくましきが、名をばあまぐもといふにぞのりたりける。とうごくだいいちのめいばなり。ふつかぢをひとひにぞうちたりける。

京都から三草山の距離の表現は「ふつかぢ」つまり二日路と表現しています。二日路とは普通に歩けば2日かかるの解釈で宜しいかと思います。でもって京都から三草山までは約80km、つまり1日に40km(10里)は源平時代でも標準だったわけです。


もう一つ傍証があります。一の谷の後に範頼は主力を率いて関東にいったん帰国しています。再び西に向かって出陣したのが寿永3年8月8日、京都到着が8月27日となっています。鎌倉〜京都間は約450kmぐらい。20日かかったのなら1日当たり22.5kmぐらい、つまり4里半ぐらいになります。義経の三草山に較べるとえらい遅いですが、

  1. 途中に箱根や鈴鹿などの難所がある
  2. 軍勢は鎌倉にいきなり集合したのではなく順次集結方式だったはず
  3. 1万ぐらいはいたはずですから、少人数、ましてや単独行とは条件が違う
  4. 長期間移動のために大量の兵糧を持参する必要もあったはず
これらを勘案すると、半分ぐらいのペースに落ちても不思議ないと思います。大軍となると宿営するだけでも大変ですからね。


もう少しスノブなツッコミになると、里と言う距離単位の問題が出てきます。1里が約4kmである事は多くの人は知っていますが、必ずしも1里は4kmでなかった話はご存知でしょうか。もともと1里とは一定時間に歩ける距離の事を示していたとされます。これが平地なら約4kmになるわけです。ここをもう少し考えると、大本は人間が1日に歩ける距離を10分割したんじゃなかろうかと考えています。時間測定が古代になるほど困難だったのは説明の必要もないと存じますから、昼間に歩ける距離の10分割が1里だったの考え方です。

江戸時代に1里は約4kmに定められたはずですが、実際には条件の良い平地なら1里が4km以上のところも存在しているそうです。一方で山道は時間がかかるので1里は短くなります。判りにくいかもしれませんが「ここから何里」と言う指標は距離と言うより時間的な感覚が大きかった気がします。5里と聞けば半日ぐらいで、10里となれば1日かかるぐらいの感じです。これは標準ですから、健脚の人ならもう少し短く計算するでしょうし、逆にそうでない人はもう少し大目に見積もるぐらいです。


走れメロスに戻りますが、太宰が10里をどう考えていたかです。距離ととらえていたか、時間ととらえていたかです。現代の私たちなら言うまでもなく距離でとらえます。40kmの間に峠道も含んでいるのなら、相当条件が厳しいと素直に感じるわけです。一方で古代人なら地形条件も含んだ時間としての10里ですから、若い羊飼いの足なら余裕で歩ける距離と見なしたんじゃなかろうかです。作中の人物であるメロスもセリヌンチウスも

    あそこまでなら10里だから余裕やな♪
普通に歩けば到着する距離ですから、3日間もあれば途中で婚礼を行ったとしても余裕で往復可能と言うわけです。それを知っていたからメロスもセリヌンチウスも王の条件を受け入れたぐらいでしょうか。いや王だって当時の人間ですから、10里はそれぐらいの距離と知っていたわけであり、体力的・時間的に往復が可能かどうかより、殺されるのを知っていて戻って来るかどうかの方に重点を置いた気がします。普通に歩けば往復できる距離を戻って来ず、親友を犠牲にしたならば王の人間不信は証拠づけられるぐらいです。

走れメロスでも往路は余裕で踏破します。しかし小説ですから、復路も余裕で歩きながら「やっぱり逃げちゃおうか?」をイジイジと延々と悩みぬく話にするのはツマランと考えたのかもしれません。そこで脚色を考えます、これも有名ですから書くほどの事はないのですが、

  1. 豪雨で橋が流され、濁流渦巻く川を渡る
  2. 山賊が現れる
アクシデントにより時間と体力を浪費する設定を盛り込んだのだと思います。どうも太宰は10里を時間としてとらえていたんじゃなかろうかと見ます。往路は余裕で到着していますから、復路もアクシデントさえなければ余裕で戻れたはずです。メロスと言う人物設定として、純真かつ真っ直ぐな性格を設定していますから、そういうメロスの心に魔が差す設定の必要性です。本来は余裕で戻れはずの復路がアクシデントにより時間を浪費させられ、さらに体力も極限まで消費させられ、セリヌンチウスを諦めようとさせる条件作りです。そんなメロスに「立ち上がれメロス、後は走って間に合わせるしかなんいんだ!」の気持ちぐらいでしょうか。そうですねぇ、段平おっさんの、こんなイメージで「走れメロス」がタイトルになった気がしています。


教科書での解釈のおぼろげな記憶

私が教科書で走れメロスを習ったのなんて大昔も良いところで、どういう風に教えられたかは曖昧模糊としています(つか、授業を真面目に聞いていたかどうか自体が疑問です)。非常に漠然とした記憶に過ぎませんが、10里の道程はどうも相当な長距離として解釈されていた気がします。それこそ題名通り、走らないと間に合わない無茶苦茶な距離のイメージです。メロスは超人的な体力で往路を駆け抜け、復路はただでも困難な距離であるのに、数々のアクシデントに阻まれ、それを乗り越えたぐらいの記憶です。

困難な距離の解釈になったのは、時代が下るほど10里が歩くのにも途轍もない距離に変わったのがあると思っています。私も他人の事は言えませんが、40kmを歩けと言われれば途方に暮れます。当然ですが教える教師側も10里とはそういう距離の先入観が濃厚に抱いたと考えています。聞く方の生徒にしても、40km(= 10里)なんて想像もできない距離で、題名が「走れ」になっているぐらいですから、1日かけて走り抜かないとと到達できない距離と素直に信じ込んだと思っています。もちろん私も例外ではありません。つまり片道10里の往復が、作品が出来た頃には普通に歩けるぐらいの設定であったはずが、距離自体が達成困難な条件に昇格してしまったぐらいでしょうか。

ただそうなっても作品の主題は損なわれなかった気はしています。往復の困難さが条件として加わった方が、話に深みが出ます。今日の考察ではアクシデントによって達成困難になってしまった復路ですが、これがそもそもが単に往復するだけでも困難な道程であり、そこにさらなるアクシデントが加わり、絶望的な状況に追い込まれると解釈しても作品全体として問題は殆どないからです。

それにしても冒頭の中学生の着想は柔軟です。私がウダウダと書いた内容は、中学生がメロスは本当に走ったかを検証しなければ絶対出て来ないものです。もう一度、賛辞を贈って今日は終わりにさせて頂きます。