地方公共交通機関

交友期間の長さだけは2番目の旧友が苦節ン十年、ようやくブレークしかけて本業で食べられるかもしれない状態になりつつあります。チョット挨拶に行く義理がどうしてもあり、日頃の出不精を抑えつけて行ってきました。往路もちとトラブルがあったのですが、それはとりあえず置いておきます。問題は帰路です。故郷とは言えあそこから一体どうやって帰るかです。季節さえ良ければ駅まで歩いても構わないのですが、今は酷暑。正直なところあんまり歩きたくありません。熱中症になりかねないと言うぐらいのところです。

バス停の時刻表を確認すると、なんと1時間に4本ぐらい便があるじゃないですか。これは助かったと最寄の駅まで乗っていきました(往路はトラブルで神鉄利用してないので・・・)。さて駅に着くと、なんと数分前に電車は出ており、赤字の神鉄粟生線は噂どおり1時間に1本しかありません。つまりいきなり1時間待ちです。正直なところ「参ったな」ってところです。旧友の言うとおり電車の時間に無頓着にバスは動いているようです。

どうしようかと思ってふと見回すと「三宮行」と書いてあるバスがあります。これも話に聞く高速バスかってところです。シートも観光バスのように豪華そうでしたから「しめた」と思って乗り込んだわけです。駅で1時間も待つのはチト堪忍と言うところです。バスは結構快適で、料金も時間もたぶん電車より安く、早く着いたと思います。こりゃ、なかなか便利だと思った次第です。


帰ってからあれこれ思ったのですが、バスと電車の連絡が悪いのはバス会社サイドが「わざと」やってるんじゃないかと邪推しました。と言うのも高速バスの客数も目分量で1/4からせいぜい1/3ぐらいです。タダでも薄い客層を連絡を良くして電車に取られたくないぐらいの経営戦略です。そうやって一度乗ってもらえれば高くて、遅くて、乗り心地のさして良くない電車からバスにシフトしてくれるです。そういう意味で見事に私は嵌ったわけです。損はしてないですけどね。

短期的にはそれでも良いかもしれませんが、中長期的にはどうなんだろうです。故郷としては最終的にどちらに残って欲しいのだろうかです。機能としてはどちらも一長一短がありますが、バスが現在の電車の輸送力を担えるかは少々疑問です。赤字線とは言え、ガラスキとは言え、相当の輸送量が今でも残っています。それと現在はなんのかんのと言っても競合していますが、独占となれば料金もどうなるのだろうと言うところです。最悪は中途半端に競合しての共倒れなんてのもありえます。


ちなみに高速バスは神姫バス、路線バスは神姫バスに委託されているコミュニティ・バスです。神姫バスもローカル線が多くて経営はラクじゃないと聞きますから、いつまで走っているかは神のみぞ知るってところでしょうか。一方の神鉄粟生線廃線となれば二度と復活しないのは火を見るよりも明らかです。とは言うものの、田舎になるほど公共交通機関に依存しない輸送体系が成立しているわけで、住民としては究極的に「無ければしゃ〜ない」ぐらいのところでしょうか。地元住民の公共交通機関への認識ですが、私がバスと電車で帰ると旧友に言うと、

  • バスなんて滅多に来いへんよ
  • バスと電車なんて全然連絡してへんし

要は地元住民でさえ利用しようと言うか、その存在感さえ薄いといったところでしょうか。現実にはバスは1時間に4本程度は来るみたいでしたが、「そんな来てるん???」てな感じです。あっても意識してないぐらいですから、なくなっても「そんなんあったん」ぐらいなのかもしれません。


神戸に住んでいると良くわかるのですが、都市部では公共交通機関は便利です。市内はもちろんの事、大阪や京都方面などに出かけるにしても、慣れてしまえば電車やバスのメリットは高くなります。つうか無理して自家用車を維持する経費が重くなると言ったところでしょうか。これは路線網の充実もそうですが、便数の多さが大きいところです。路線にもよりますが、駅やバス停で10分から長くとも15分も待てば必ず便があります。5分おきかそれ以下だって路線によっては十分ありえます。

これが地方になれば路線網がそもそも不十分の上に、便数がガタ減りします。簡単に言えば不便だってなところです。不便なので自前の交通手段である自家用車所有が一家に一台ではなく、1人に1台になって行くわけです。そういう状態になると誰でも自家用車の有効活用を考えます。実際のところプアな地方公共交通機関を頑張って使うより、田舎では自家用車の方が何かと便利です。

交通機関がシフトしてしまうと田舎なりの商業施設も自家用車利用にシフトしてしまいます。いわゆるロードサイド店が栄えるわけです。それだけでなく自家用車では利用し難い旧市内の商店街には誰も近寄らなくなります。自家用車利用は交通半径も同時に広げますから、欲しいものがあったら自家用車で買いに行きやすいところが優先になります。近所とか市内での買い物へのこだわりは薄くなり、自家用車の利用を中心においた交通体系と商圏が出来てしまいます。


ほいじゃ、田舎でも路線網を充実させて便数を増やせば公共交通機関が栄えるかと言えば難しそうな気はしています。田舎は利用客が薄いが故に路線網の充実も、便数増も経営的にペイしません。それで我慢するには地元住民にとっても不便すぎるので自前の交通手段(自家用車の普及)の充実が自然に起こります。こちらにシフトが進むほど公共交通機関の利用がさらに落ち込む関係が自然に成立しそうな気がします。都市部であっても公共交通機関を利用するには慣れが必要ですが、田舎では慣れても不便ですからそもそも利用しない状況に陥っていくです。

自家用車が普及する前は、公共交通機関しか長距離移動を行うには他に手段がなかったので「これでも便利」として利用していましたが、自家用車所有が贅沢でなく当たり前に転じれば、ドンドン不便な公共交通機関から自家用車による交通体系にシフトしてしまったと言うところでしょうか。都市部なら天秤にかけられ、併用も余裕で成立する公共交通機関ですが、田舎では「あれは不便」みたいな位置付けになり日常の足にはならない感じです。


では無くなっても構わないかと言えば定番の問題が出てきます。高齢化問題です。高齢者ほど自家用車の利用が難しくなる率が上り、無くなったら死活問題ぐらいでしょうか。交通シフトにより歩いていける範囲の店は壊滅状態ですから「これでは困る」ぐらいとも言えます。ほいじゃ、そういう高齢者の需要が増えれば今度こそ公共交通機関の復活の引き金になるかと言えば・・・どうでしょう。その程度の需要ではやはり経営的にはお話にならない気がします。

ありきたりの提案をすれば、それでも地方公共交通機関を存続させたいのなら、せめて地方公共交通機関同士の連絡を密にする(都市部では便数の多さから勝手にそうなっています)のが定石でしょうが、それよりもそれぞれの生き残りをかけて乗客の争奪戦になっているぐらいのところです。共存共栄路線を取れるほどマーケットが大きくなく、さらに自家用車普及が既に完成・定着している状況で、新たな乗客を掘り起こせる期待も非常に薄いぐらいのところです。むしろジリ貧の乗客の奪い合いにしかならないぐらいです。

そういう状況でのあえての対策は自治体が補助金を出す(現在も出しているはずですが・・・)がありますが、赤字の電車やバスを丸抱えするような財政的余力はあるはずもなく、まるで死なない程度に姑息療法をホソボソと行うのが精一杯と思われます。煮詰まってますなぁ。そもそも地元住民が「不便で役に立たない」と見なしている面が多いですから先行きは暗そうです。だって路線バスの乗客は同じバス停から乗り込んだ私ともう1人しかいなかった訳ですから。


なんだかんだと言っても故郷を離れて都会に住んでいる人間があれこれ考えたところで仕方がないわけで、真剣に考えなければならないのは今住んでいる住民になります。何年か後に故郷をまた訪ねる必要が出た時に果たして公共交通機関は何か残っているのでしょうか。そういうレベルで心配する時代になっている気がしました。