流星の貴公子・TTG伝説

昨日も書きましたが、1973年に「怪物」ハイセイコーで盛り上がった競馬ブームは、1974年にキタノカチドキ、1975年にカブラヤオーテスコガビーによって受け継がれ、1976年はテンポイントトウショウボーイと続いたとしても良いと思います。そういうスターホースが覇を競うのが重賞レースになるのですが、当時はグレード制がまだ敷かれていませんでした。グレード制が導入されたのは1984年からで、その時にいわゆるGIとして指定されたのはwikipediaによると、

  1. 4歳(現3歳。以下同じ)クラシック




  2. 春・秋の天皇賞
  3. 有馬記念
  4. ジャパンカップ宝塚記念エリザベス女王杯
  5. 短距離の安田記念マイルチャンピオンシップ
  6. 東西の3歳ステークス
このうちジャパンカップは1981年からですからTTG時代には存在しません。マイルチャンピオンシップ1984年のグレード制導入で新設されたもので同じく存在しません。それと3歳ステークスは当時の4歳ステークスになります。TTG時代にグレード制はなかったのですが、当時も存在した12レースのうち1.〜3.の8レースを八大競走として格上のものとし、宝塚記念エリザベス女王杯安田記念をこれに準ずるものと見ていたされます。

5歳古馬となったTTGが目指すレースもこれらになるのですが、4歳クラシック・4歳(3歳)ステークスは当たり前ですが既に出場資格はありません。エリザベス女王杯牝馬のレースですから出場資格はありません。それとマイラーの祭典でもある安田記念はTTGは出場してません。そうなると残る重要レースは、

この4つになります。さらにがつきますが、当時の天皇賞は一度優勝すれば勝ち抜けで次は出場できない規定でした。今もそうかもしれませんが、当時はなおさらで古馬が活躍できる特級クラスの重賞レースは多くなかった思っています。


関西ファンの心情

東西対決がベースにあった当時の競馬界であり、対決と言いながら圧倒的に関東馬優位の時代でもあります。1976年にして桜花賞はテイタニヤ、皐月賞トウショウボーイオークスもテイタニヤ、ダービーはクライムカイザー、菊花賞グリーングラスです。5大クラシックはすべて関東馬です。

4歳当時のテンポイントに関西のファンが寄せた期待は「打倒、関東馬」でありました。それだけの資質はあったテンポイントですが、4歳クラシック三冠はどれも手が届いていません。アクシデントに見舞われたダービーは置いておいても、皐月賞トウショウボーイに完敗、菊花賞グリーングラスに差されて敗北です。有馬記念トウショウボーイに屈しています。

そういうテンポイントを関西のファンがどう見ていたか、5歳古馬になったテンポイントに何を期待していたかの空気を私はよく覚えていません。記憶しているのは、いつのまにや物語が紡がれ、トウショウボーイへのリベンジの期待を気付かないうちに抱かされていたぐらいでしょうか。そういう心理が何故に容易に形成されたかですが、あまりに俗っぽいですがテンポイントをタイガースになぞらえ、トウショウボーイジャイアンツになぞらえる置き換えが、関西人なら自動的に出来たためではないかと思っています。


トウショウボーイは5歳になると故障に悩まされる傾向が出てきます。トウショウボーイにとっても最初の目標は春の天皇賞だったのですが、右肩不安で回避となっています。そのため京都の春の天皇賞の覇を競ったのはテンポイントグリーングラスの2強対決になります。菊花賞以来の再戦ですが、トウショウボーイ抜きの2強対決はこのレースのみです。テンポイントグリーングラス有馬記念以降の前走戦ですが、

テンポイント グリーングラス
* 1977/1/23 東京 AJC 1
1977/2/13 京都 京都記念 1 *
* 1977/2/20 東京 目黒記念 2
1977/3/27 阪神 鳴尾記念 1 *


テンポイントは前走を連勝と快調、グリーングラスもAJCに勝ち、目黒記念も軽く2着と順調でトウショウボーイを欠くとは言え2強対決でしのぎを削ったかと言えばそうではなかったようです。テンポイントは快走してグリーングラス菊花賞のお返しを果たしていますが、グリーングラスは歯替わりと虫歯が重なり4着に終っています。テンポイントは勝ったとは言え、ライバルをついに打ち負かしたまでの結果に至らなかったぐらいの感じでしょうか。

それでも4歳クラシック戦線で苦杯を舐め続けていたテンポイントが復活の狼煙を確実にあげた一戦と評価されています。


天皇賞が4/29、宝塚記念が6/5のため、テンポイントグリーングラス天皇賞に引き続いての出走になります。トウショウボーイは右肩不安で天皇賞を回避した関係もあり、有馬記念以来の出走になります。この宝塚記念は上述した通り格の高いレースで、当時でも重んじられていたレースではありますが、伝統的に出場馬数が少ないと言うのがあります。季節的に梅雨のシーズンであり重馬場を嫌ったなんて説もありますがよくわかりません。

1977年の出走馬数も僅かに6頭。それでもTTGの3強の他に、昨年のダービー馬クライムカイザー、同じく昨年の秋の天皇賞アイフル、この年の秋の天皇賞を制する事になるホクトボーイと、当時の強豪が結集する事になります。1番人気は直前の天皇賞に勝ったテンポイントトウショウボーイは長い休養明けを不安視されたのか2番人気、グリーングラスは3番人気です。でもってやっとYouTubeが残されていました。

このレースも久しぶりに見たのですが、良く見ると秋の最終決戦の有馬記念と良く似た展開となっています。先行するトウショウボーイとこれを徹底マークするテンポイント、さらにこの2頭をさらに後方でマークするグリーングラスです。秋の有馬記念との違いは、グリーングラスが早めに仕掛けているのと、テンポイントが道中であんまり仕掛けていない点でしょうか。

結果は見ての通りで、最後の直線での勝負でテンポイントトウショウボーイを追いきれず、グリーングラスは置いてかれてしまったです。休養開けの不安視を吹き飛ばすトウショウボーイの快走に、やはりトウショウボーイは強いを改めて印象付けたレースとしても良いかと思います。そしてまたしてもテンポイントトウショウボーイの後塵を拝する事になります。


テンポイント春の天皇賞で勝ちぬけのために出場できず、新馬戦以来2度目のトウショウボーイグリーングラスの2強対決になります。春の天皇賞を回避したトウショウボーイにしても欲しいタイトルですし、もちろんグリーングラスだって欲しいと言うところです。秋の天皇賞までの両馬の動きですが、トウショウボーイ宝塚記念の後に6/26に高松宮杯に勝って夏休養、10/23にオープンに勝って11/27の天皇賞に備えます。グリーングラス宝塚記念の後に7/3に日本経済賞に勝った後に夏休養。グリーングラスはこのまま休養明けで天皇賞に臨みます。

これもYouTubeが残されていないので記録で見るしかないのですが、とりあえず1番人気はトウショウボーイ、2番人気はグリーングラスです。これも推測に過ぎないのですが、いつものようにトウショウボーイは先行したんじゃないかと思われます。テンポイントがいれば先行するトウショウボーイに絡むのはテンポイントですが、このレースは不在なのでグリーングラスがどうやらそれをやった「らしい」です。

このトウショウボーイグリーングラスの絡みはかなり凄かったらしく、結果として両者暴走みたいな展開になったようです。暴走してもトップでゴール板を駆け抜ければ良かったのですが、暴走の結果、最後の直線で両者消耗して末脚を欠き馬群に沈み、優勝はホクトボーイグリーングラスは5着、トウショウボーイに至っては生涯最悪の7着に沈む事になります。


TTG世代の最強馬はやはりトウショウボーイであったしても良く、他のライバルは対トウショウボーイ対策を考えたのだろうと思っています。5歳シーズンの2つのレース結果はTTGの残りの2強の作戦に微妙な影響を落としたと言えそうな気がします。つまりは先行するトウショウボーイをどうするかです。そのままラクに先行させると、トウショウボーイはただの逃げ馬ではありませんから、末脚を爆発させられて追いつけません。

テンポイント宝塚記念の反省は、道中をラクトウショウボーイに先行させすぎたではなかったかと考えます。相手が並みの馬なら、先行させておいて好位置に付け、最後の直線で差すのは有効な戦術です。しかしトウショウボーイ相手では単に好位置でマークしているだけでは追いつけないです。トウショウボーイを先行させるにしても、ラクに先行させずに道中で消耗させる必要があり、消耗が激しければトウショウボーイであっても天皇賞の惨敗はありえるです。

グリーングラスはこの戦術を天皇賞で行なった感じがしますが、グリーングラスが考えたのは少し違うと見ます。道中での消耗戦は対トウショウボーイ戦術として有効でしたが、グリーングラスがそれをやれば天皇賞同様に共倒れになってしまうです。最後の有馬記念はTTGがそろうので、放っておいてもトウショウボーイテンポイントは消耗戦をやるだろうから、グリーングラスとしては後方に付けて一気に差す戦術が有効だろうです。つまりは菊花賞の再現です。

私の勝手な推測ですが、あまりにも劇的な最終決戦の有馬記念の伏線がこの辺に実はあるんじゃなかろうかです。


運命の有馬記念

トウショウボーイは、この12/18の有馬記念で引退すると宣言しています。自然に苦杯を舐め続けたテンポイントの最後のリベンジの舞台と言う物語が作り上げられる事になります。馬自身にとってはあんまり関係ないと思うのですが、周囲、とくにテンポイント周辺及びそのファンは多いに盛り上がったと言うところで良いかもしれません。

1977年の出場頭数は8頭で記録的に少なく、これはテンポイントトウショウボーイの2強の強さに怖れをなしたためとよく書かれています。座興ですが本当にそうだったかだけを検証しておきます。1977年の有馬記念は第22回ですから、それまでの出場頭数は、

出場頭数 取り消し・中止 出場頭数 取り消し・中止
1 12 0 11 14 0
2 9 1 12 14 0
3 10 0 13 11 0
4 12 0 14 15 0
5 12 1 15 11 0
6 12 1 16 6 3
7 13 0 17 14 0
8 10 1 18 11 0
9 8 0 19 9 0
10 8 0 20 13 0
21 14 0


一番少なかったのは9頭のうち3頭が取り消し・中止となって6頭でレースを行った16回になります。これが6年前のお話で、3年前にも9頭立てのレースが行われています。最初から8頭立てのレースも過去2回あり、1桁頭数のレースは21回までで5回ある事になります。第22回までの有馬記念の歴史を見る限り、少ないのは間違いないですが異例はチョット言い過ぎの気もします。ただ第23回以降の出走頭数が10頭未満になる事はなく、最後の1桁頭数のレースであったとは言えます。この辺もTTG伝説としてある程度は後世に脚色されているのかもしれません。

もう一つ、この年の有馬記念の出場馬数が少なかった原因になっていそうなものとして、マルゼンスキーの参加の噂です。噂と言うより出場するつもりで準備を重ねていたのは事実として良いはずです。もしマルゼンスキー有馬記念に出走できていたら様相は全く違ったものになったであろう事は想像できます。これも「もし」ですが、マルゼンスキーがある程度「普通」に走ったらTTG伝説は成立しなかった可能性はかなり高かったんじゃないかとも考えています。


ではレースです。

個人的に宝塚記念の再生を見る様な思いなのですが、まずはトウショウボーイが先行します。これも事前の予想ではスプリットワプスがとりあえず先行するだろうと見られていましたが、スタート直後からトウショウボーイが先行します。テンポイントも2番手に付けてレースは始まるのですが、この2頭は結局最後まで3番手に下がる事無く、稀に見る一騎打ち勝負としてこれだけで伝説となっています。

宝塚記念と展開は似てはいるのですが、おそらくテンポイントの作戦としてトウショウボーイに楽に先行させないがテーマとしてあった気がします。そのためか最初の正面を通るまでは2番手に付けているだけの感じですが、2コーナーからインにつけて並びかけて先頭を取ろうと言う姿勢を見せます。何回か見直しながらの感想ですが、テンポイントの騎手の鹿戸明は一度は先頭に立つつもりで仕掛けたんじゃないかと思っています。

よくある駆け引きで、上手くインを突けたのでそんなに無理せず3コーナーの出口ぐらいで一度トウショウボーイの前に出ようです。前に出てもトウショウボーイはきっとバックストレッチで抜き返すだろうから、その後に真後ろにつけて最後の直線で差そうぐらいです。揺さぶり戦術ぐらいとすれば良いでしょうか。長い事、競馬を見ていないので怪しいところが満載ですが、そういう駆け引きは良く見られた気がします。

馬は騎手が操るのですが、この時のトウショウボーイの鞍上は「ターフの魔術師」「名人」とまで呼ばれた武邦彦です。今では息子の方が実績も名声も上になってしまいしたが、当時を代表する名騎手の1人です。騎手は自分の考えだけではなく、馬の性格も読み取って作戦を考えるとされます。この有馬記念の武の判断はテンポイントに先行させないであったのだけは結果としてわかります。

ヒョットして武もテンポイントに先行させても良いと思ったかもしれません。つうのも、どうもトウショウボーイは先行するのが好きなタイプの馬のようで、自分を抜いて先行しようとする馬がいると、これをさせまいと頑張ってしまう感じです。色んな思惑はあったにしろ、テンポイントトウショウボーイに並びかけた事により両馬のピッチが急速にあがり、バックストレッチで3番手以下を引き離す展開になります。実況アナウンサーが

    「さあ、この2頭が競り合う展開となりました。果たしてこういった展開になって、最後までこの2頭の対決になるかどうか。あるいはあまり競り合いすぎますと、漁夫の利をさらわれる事もあります」
この時のアナウンサーの脳裡、いや当時の競馬ファンの脳裡に浮かんでいたのは、まず秋の天皇賞じゃなかったかと思っています。この時は「どうやら」トウショウボーイグリーングラスが競り合いすぎて両者自滅です。それだけでなく前年の菊花賞さえ思い浮かべていたかもしれません。菊花賞の時はトウショウボーイテンポイントが競り合いすぎてグリーングラスがかっさらっています。そしてこの有馬記念にはそのグリーングラスがいるです。

菊花賞の再現とすれば、グリーングラスにとっても思う壺の展開だったかもしれません。トウショウボーイに快調に先行されたら誰も追いつけません。だから天皇賞では猛烈に絡む戦術を取ったと思いますが、この有馬記念はこれも予想通りにテンポイントトウショウボーイのマーク消耗役を進んでやってくれています。グリーングラス、いや鞍上の嶋田功にしてみれば、3番手につけ、激しく競り合うトウショウボーイテンポイントが落ちてくるのを待つみたいな感じでしょうか。

この3頭の思惑が最後の直線で炸裂します。テンポイントトウショウボーイを残り200mで差して先頭に立ちます。トウショウボーイも残り100mから巻き返しを図りますが、逃げるテンポイントを差し返せない状況になります。ただ2頭とも道中でかなり消耗しているはずですから、そこに満を持してグリーングラスが突っ込んでくるです。三者の激走の結果はテンポイントトウショウボーイグリーングラスの結果になります。テンポイントトウショウボーイが3/4馬身、トウショウボーイグリーングラスが1/2馬身となっています。

テンポイント、最後の大舞台で宿敵トウショウボーイをついに破るです。


TTG対決の戦績

このレースでトウショウボーイは引退し最後のTTG対決になっています。ではこの3強の直接対決の結果はどうなったのでしょうか。ちょっとまとめてみます。

Date レース名 テンポイント トウショウボーイ グリーングラス レースの勝ち馬
1976/1/31 新馬 1 4 トウショウボーイ
1976/4/25 皐月賞 2 1 トウショウボーイ
1976/5/30 ダービー 7 2 クライムカイザー
1976/11/14 菊花賞 2 3 1 グリーングラス
1976/12/19 有馬記念 2 1 トウショウボーイ
1977/4/29 天皇賞 1 4 テンポイント
1977/6/5 宝塚記念 2 1 3 トウショウボーイ
1977/11/27 天皇賞 7 4 ホクトボーイ
1977/12/18 有馬記念 1 2 3 テンポイント


テンポイントトウショウボーイの直接対決が6度あった事は有名ですが、TTG3強対決はグリーングラスが遅咲きだった事もありわずかに3度です。この3度の対決に限ると3強が1回づつ勝っている事になります。ただどう書こうとトウショウボーイが強かったのは間違いあいません。表を書き直すと、

* テンポイント トウショウボーイ グリーングラス 備考
テンポイント 2-4 2-1 トウショウボーイ戦の1勝は2着
トウショウボーイ 4-2 2-2

グリーングラス 1-2 2-2 トウショウボーイ戦の1勝は4着


トウショウボーイは対テンポイント戦で2敗をしていますが、菊花賞での勝者はグリーングラスであり、あれをテンポイントに負けたとするのは、テンポイントにしてもプライドが許さない気がします。実質的にトウショウボーイテンポイントに負けたのは最後の有馬記念だけとする方が妥当です。対グリーングラスも同様で秋の天皇賞で先着を許したのが負けとは言えない気がします。つまり負けたのは菊花賞のみとするのが良いと思います。

天馬とまで言われたトウショウボーイがいてこそのテンポイントの劇的勝利がより引き立っているとすれば・・・テンポイントファンに怒られそうです。


TTG時代のグリーングラスの戦績は菊花賞の一発を除けば劣ります。それでも3強と今でも言われるのはその後の活躍にあると考えています。伝説の有馬記念トウショウボーイは引退し、テンポイントは次のレースで生命を失います。そしてグリーングラスのみが6歳馬、7歳馬としてターフに残る事になります。以後の活躍を表にします。

馬齢 Date 競馬場 レース名 着順
6歳 1978/1/22 東京 アメリカジョッキークラブカップ 2
1978/4/9 中山 オープン 3
1978/4/29 京都 天皇賞・春 1
1978/6/4 阪神 宝塚記念 2
1978/12/17 中山 有馬記念 6
7歳 1979/1/21 東京 アメリカジョッキークラブカップ 2
1979/6/3 阪神 宝塚記念 3
1979/11/10 東京 オープン 2
1979/12/16 中山 有馬記念 1


9戦2勝ですが、常に古馬重賞戦線の中心にあり、1978年の有馬記念を除き上位に食い込んでいます。そして2勝が重要で天皇賞有馬記念を制しています。テンポイントトウショウボーイもいないターフと言う人もいるかもしれませんが、遅咲きの名馬はしっかりと足跡を残したと言うところでしょうか。八大競走だけで言えば、

馬名 レース名
テンポイント 天皇賞有馬記念
トウショウボーイ 皐月賞有馬記念宝塚記念
グリーングラス 菊花賞天皇賞有馬記念


テンポイントを抜きトウショウボーイに肩を並べる成績を残しています。26戦8勝、渋い脇役でしたが「緑の刺客」の異名は伊達ではなく、間違い無くTTG3強の一角を占める名馬だったと思っています。引退後は種牡馬としての生活を送りましたが、種牡馬としても地味な成績だったようです。しかしTTGの3強の一頭である名声は最後まで残り、大事にされたと伝えられています。2000年6月に放牧中柵に激突した時の怪我が原因で死亡となっていますが、一番の長寿にも恵まれています。


最後の対決でテンポイントに敗れたとは言え、素直に見てトウショウボーイの時代であったとして良いと思っています。それぐらい強かったのがトウショウボーイです。あえての”if”ですが最後の有馬記念に勝っていたら完全にトウショウボーイの時代と言われていたかと思います。ただなんですが、最後の有馬記念に勝っていたら、これだけの歳月が過ぎても鮮烈な記憶として覚えている人間がどれほどいたかはこれまた疑問です。

トウショウボーイが強かったのは異論はありませんが、たとえばこの後に登場したシンボリルドルフなんかと較べると残された成績、活躍のインパクトは確実に劣ります。単に「あの年に強かった馬」以上の記憶を競馬ファンに植えつけるのは難しそうに思います。あえて言えばスピードシンボリ以来の有馬記念連覇を果たした馬ぐらいの評価です。それだけでも偉大とは言えますが、それでは伝説に達しない感じです。

トウショウボーイが伝説の馬になったのは、最後にテンポイントに負けた事だった気がします。負けた事でトウショウボーイの存在が逆に非常に重くなったとすれば言い過ぎでしょうか。負けた事がここまで大きな評価になる事は非常に珍しい気がします。トウショウボーイ種牡馬になってからも華やかな成績を残します。最高の産駒はミスターシービーミスターシービーシンザン以来の三冠を制する名馬です。トウショウボーイグリーングラスより8年早く、1992年9月に蹄葉炎で世を去ります。


そしてテンポイント

あの時代の人間なら誰もが知っている結末ですが、どうしても筆が鈍ります。宿敵トウショウボーイを下したテンポイントは海外遠征が企画されます。とりあえずはイギリスの予定であったと伝えられます。ただファンへの顔見世と言うか、国内のサヨナラ・レースとして日経新春杯に出走します。この日経新春杯はハンディ・キャップレースであり、国内最強のテンポイントには66.5kgの斤量が課せられ、レース中の悲劇とあわせ「重すぎた」と伝えられています。

これが実際に重すぎたかどうかは私にはわからないのですが、日本のレースでは60kg以上の斤量がかけられる事は、テンポイントの悲劇と合わせて稀となっているとされます。ただ海外、とくに欧州では60kg以上の斤量も一般的とされ、ひょっとしたらテンポイントもそれを見越して66.5kgを背負ったのかもしれません。さてテンポイントの幻の海外遠征ですが、当時は海外勝利は夢とされていました。テンポイント時代の海外遠征の実態ははwikipediaより、

戦後最初の日本国外への遠征は、1958年から1959年に掛けてハクチカラアメリカ遠征である。1959年、ワシントンバースデーハンデキャップで初勝利。なおこの遠征には保田隆芳騎手も一時期帯同した。

その後、ワシントン国際招待ステークスに多くの馬が招待された、1962年のタカマガハラをはじめに多くの馬が挑戦したが、敗退の山を築いていった。

1966年から1967年にかけて、フジノオーが英国のグランドナショナルを含む障害競走に出走した。その後フランスへ移籍、2勝を収めた。

ハクチカラは1957年の有馬記念を1番人気、100円元返しで制した強豪馬で6歳になってアメリカ遠征を行なっています。勝利の様子はwikipediaより

そして11戦目、レイモンド・ヨーク(Raymond York)が騎乗したワシントンバースデーハンデキャップ(現在のサンルイスオビスポハンデキャップ、San Luis Obispo Handicap)では、16頭立て15番人気という評価ながら、前半800メートルを過ぎる辺りで先頭に立つと、そのままゴールまで逃げきって日本競馬史上初となるアメリカ競馬での勝利を挙げた。11.5kgもの負担重量差や、相手に故障のアクシデントがあったとはいえ、当時の世界賞金記録を持っていたラウンドテーブルを破ってのものであり、日本の新聞社は写真入りの記事でハクチカラの勝利を伝えた。2着はアルゼンチンの馬で、その後アメリカでサンマルコハンデキャップなどに勝ったアニサド。3着はイギリスのオータムブリーダーズ2歳ステークスを勝ったアオランギ、4着もイギリスのカナスタであった。この勝利について、尾形藤吉は著書の中で「ハンデも軽かったが、遠征するからには、少なくとも半年前に行って育成調教する必要があるということだろう」と感想を述べている

それとwikipediaにはなぜか書いてありませんが、個人的に聞いたことがあるのはスピードシンボリの海外遠征です。スピードシンボリは1969・1970年と有馬記念を連覇した名馬ですが、7歳時になってようやく遠征しています。その結果はwikipediaより、

スピードシンボリはまずイギリスに渡り、サフォーク州ニューマーケットのジョン・ウィンター厩舎に入った。目標のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスには前哨戦を一度走ってから臨む予定となっていたが、当年イギリスで流行していた流感に罹ったため調整が狂い、直接の出走となった。レースでは2番手から後半で押し出されるように先頭に立ったが、直後に後続に交わされ牝馬パークトップの5着となった[。フランスに移動してのドーヴィル大賞では逃げを打ったがジャカオの10着、最大目標としていた凱旋門賞では初めて後方待機策を取り、直線で10頭ほどを交わしたが、24頭中11着以下の成績と、優勝はならなかった。

まったく刃が立たなかった様子が窺えますが、このスピードシンボリはこの年の暮れに有馬記念を制し、さらにその翌年も制しています。でも刃が立たなかったです。そういう時代ですが、果たしてテンポイントハクチカラスピードシンボリを越える事が出来たのでしょうか。ファンは間違い無く「出来る」と無邪気に信じていましたし、海外勝利の夢が日経新春杯で消えたのを今なお悔やんでいる気がします。私だってそうです。

あれから36年の歳月が過ぎ、日本産のサラブレッドが海外一流レースでも活躍するニュースが伝えられるようになっています。あの時のあのテンポイントが行っていたらの夢は、当時の時間を共有した競馬ファンなら誰しも抱き続けている気がしています。それでも行けなかったからこそテンポイントは伝説になり、TTGの対決も伝説になったと今は思うようにしています。



今もってTTG時代が語り継がれるのは、単に三強鼎立状態だけではないと思い返しています。どう言えば良いかの表現が難しいのですが、「時代がTTG伝説を作った」ぐらいの感じです。TTGとくにテンポイントトウショウボーイが織りなしたドラマは、マンガや小説でも書きにくいと言うか、あざと過ぎて返って書きにくいストーリーです。事実であるからこそ共鳴できるほど出来すぎたストーリーです。

ドラマと考えると配役も豪華で、他の世代であれば余裕で主役であるトウショウボーイが準主役に回り、同じく時代によっては主役も務められるグリーングラスが存在感のあり過ぎる脇役にいます。この豪華版の準主役と脇役を相手にしながら、テンポイントはさらに凄い主役を演じ切ってしまったとすれば言い過ぎでしょうか。

さらに時代は舞台設定にも力を貸していたと思わざるを得ません。前世代のカブラヤオー、さらにはテスコガビーも5歳からの古馬戦線に実質的に参加できていません。後世代の怪物言うより化物、ジョーカーのようなマルゼンスキーもちょうど持ち込み馬の規制時代で参加が制限され、さらにマルゼンスキー以外の後世代の馬は正直なところ不作だったようです。TTGのライバルになるような前後世代の強豪馬がなぜかそろって消え、TTG対決が純化されている気がします。


エピローグ・ライバルがいる幸せ

勝負の世界が盛り上がるのは互角のライバルがしのぎを削る時です。言ったら悪いですが不敗の帝王が君臨する時代は盛り下がりやすくなります。不敗の帝王時代で人気が盛り上がるのは、帝王の全盛期よりも、皮肉な事にその晩年の王者交代期にあったりします。もっとも例外も多々あるのでそこのところは宜しく。

このライバルが存在する時代と言うのは案外少ないような気がしています。頂点に登りつめるまではライバルと見なされても、一方が頂点に付くと片方は明らかな下位に甘んじてしまう事がパターンとして多いように思っています。この辺は時代に生まれる才能が限られてしまうのかもしれません。今回、取り上げた競馬に限らず時代を飾る互角の実力を持ったスターがそう何人もポンポンと輩出しないというところです。

そういう稀なライバルが存在する時代ですが、同じ時代に並立しても微妙にかみ合わない事もあります。競技のピーク時に負傷があったり、調子を崩して勝負が一方的になったりです。それと真のライバル対決とは頂上対決である必要もあります。どっちが勝っても、勝った方がチャンピオンないし優勝を飾る力関係です。下位争いで勝った負けたではライバル伝説は出来上がりません。そういう時代がなかなか出現しないのは御存知の通りです。

2強であっても稀なのに、これが3強となればそれこそ生涯で何度も見れるものではないと思っています。TTGであっても真の3強かどうかは実は微妙で、実態的にはトウショウボーイが頭ぐらいは抜けており、続いてテンポイント、さらにはグリーングラスだったのかもしれません。それでもライバルと出来るぐらいの実力差しかなかったのだけは間違いないと思っています。

こういうライバルがしのぎを削る時代は無敗の帝王時代と異なり、通算成績では他の時代の王者に及ばないところがあります。そりゃそうで、勝ったり負けたりがあるからライバル関係であり、無敗の帝王のようにタイトル独占の○冠王は無理だからです。その代わり、見る方には忘れられない強烈な思い入れを抱かせる事になると勝手に思っています。

今回はテンポイントにかなり肩入れした主題で書きましたが、トウショウボーイに思い入れが残るファンもいれば、グリーングラスが忘れられないファンもいるはずです。そういう胸をかき立てられる思い出を永遠に残すのがライバル対決と思っています。


今回の主役は馬なので馬自身はどう感じ、どう思っているかは誰も知る由がありませんが、人間同士の強烈なライバル関係のその後だけは聞いたことがあります。現役中は相手を殺してやりたいぐらいの敵愾心を時に燃やすとされます。また勝負事ですから、痛烈に勝つこともあれば、無残な惨敗もあります。もっと言えば、ライバルになりえず敗者の地位に甘んじる事もあります。

それでも引退し、時が経てば多くは変わるようです。たとえ敗者の位置に甘んじようとも、あの偉大な選手に肩を並べる時があったことが誇りになると言えば良いでしょうか。互角のライバルであればなおさらの感じです。そういう熱く燃える時代を過ごせた事、そういう時間を共有できた人物こそ真の友(強敵)であるとすれば綺麗事すぎますかねぇ。

そういう当事者に遥かに遠く、この先もなれそうにない者にとっては、同じ時代の傍観者であっただけでも人生の財産と思っています。ああいう時代を挙げての熱気は、その時にいないと最後のところはわからない気もしています。それでも気が付けばTTGをリアルタイムで知っている世代は私の同世代以上か、ほんの少し下までになっています。10歳年下なら、既に聞いたことがあるぐらいになりそうです。歳も取るわけです。

それでも私にとってテンポイントは永遠です。もちろんトウショウボーイグリーングラスも・・・