冠婚葬祭プラス病になって欲しい

医師ならほぼ全員経験のあること、

    はよ来いよ
ココロは「何故にこの時刻なんだ!」てなところです。これは診療体制の問題があったり、もちろん病状の進行具合もありますが、とくに2つ重なると心の中でそう呟いた事がない医師は少なそうな気がします。下手すりゃほぼ連日呟いている人もいそうな気がします。そうなってしまった釈明も聞くことがあるのですが、これも割りと多いのは、
    仕事があるから・・・
「人はパンのみに生くるにあらず」と言っても一方で「衣食足りて礼節を知る」もまた真実てなところです。パンがそれなりに不自由なく手に入って、その次にパン以外のための生きる目的を初めて探せると思っています。人生でいかに「喰う」かは大命題で、喰うためには働かなきゃならないです。これもまた「働かざるもの喰うべからず」なんて言葉であります。なんだかんだと言っても仕事は社会人の重要案件でこれを最優先する事自体は理解しないといけません。

そんだけ仕事は大事なのですが、古来よりその大事な仕事よりさらに優先すべき物として冠婚葬祭があります。「冠」はもともと元服、すなわち成人になる日を指しますが、現在ではせいぜい成人の日の儀式に出席ぐらいです。それでも現在ですら全国でこの行事が祝日として存在するあたりにかつての重みが残っているのかもしれません。

残りは今でもほぼ通じ、「婚」は結婚式、「葬」は葬式、「祭」は法事として仕事より優先されます。「婚」や「祭」はそれでも予定行事ですが、「葬」は近しい人ほど仕事より優先して出席するのはそんなに違和感はないと存じます。さすがに親の葬儀より仕事を優先する人は多くないと思いますし、そういう姿勢を手放しで褒める人も多くないと思っています。


これに対し「病」はかなり低い気がしています。病も軽重の幅が広いのですが、一般に病を理由に仕事を休むと言うのはあまり良い事とされていない気がします。この辺は自己管理が悪いの認識があるせいでしょうか。自己管理さえしっかりしていれば、そもそも病なんかになったりせず、病になるのは本人の責任と言うか、怠慢みたいに思われるところがありそうな気がしています。そのため

    病 < 仕事
こんな感じの図式が出来上がっている気がします。そのためか、「病を押して」の枕詞は称賛とほぼ似た使い方がされている気がします。この点は医師も他人の事を言えず、今は変わっている部分はあるかもしれませんが、私の頃は「発熱如きで休むなんて信じられない」が業界常識でした。医師だって風邪をひきますし、インフルエンザだって罹患しますが「解熱剤でも飲んどけ」で休まないのが当然とされていたと言うところです。休めば「軟弱者」のレッテルを速やかに貼られるってなところです。


私は小児科開業医ですからとくに思うのですが、健康成人はまだ良いとします。良くはないのですが、頻度が少ないと言う意味でまだ影響が少ないだろうぐらいのところです。でも子供の病気を健康成人並に扱うのはチト無理があるだろうです。子供の病気が頻発するのは、ちょうど保育園なり、幼稚園なりの集団生活に入って数年の間です。俗に言う集団生活の洗礼です。

この時期は、下手すりゃ毎週のように病気になります。言ったら悪いですが、一通りすべて引いてしまってやっと落ち着く感じと言えば良いでしょうか。これを回避する有効な方法は殆んどありません。集団生活への参加を遅らせても結果は殆んど変わりません。私は時代なので、今で言う年長組から集団生活に入りましたが、そりゃ風邪を引き倒した記憶が残っています。

昨今は晩婚化、高齢初産が進んでいると言っても、子供を持つ親は広義の若年層であり、親は社会人として「風邪如きで休めない」の価値観の中にいると思っています。これは私の頃とそれほど変わりは少ないと思っています。これがどうも

    子供の風邪如きで休めない
こういう感じになっている部分は少なからずありそうに思っています。外来の定番ですが、
    昨晩40℃ありましたが、解熱剤を使ったら朝は下がっていたので保育所に行かせました
「無茶やろ」と素直に思うのですが、事情を知ると複雑なもので、夜からの子供の熱で朝から仕事を休むのは非常な渋面をされ、仕事の途中で保育所から呼び出しがある方がスムーズに休みを取りやすいだそうです。これが社会の現実と言えばそれまでですが、小児科医として考え込んでしまうような状況です。仕事を休むのに「子供の病気」は理由としてかなり軽い扱いであると言うところです。

これは風潮と言うか、社会慣行みたいなものですから、できたら変えて欲しいと願っています。「子供の病気如きで休む」のではなく「子供の病気だから休む」です。子供が集中的に病気になる期間はそんなに長い間でありません。せいぜい小学校に上る頃には落ち着きます。その間さえ乗り切れば、様相はかなり変わり、病気の頻度がガタ減りします。だから子供の病気をもう少し特別扱いしても悪くなかろうと考えています。

それとこれは異論もあるかもしれませんが、さすがに子供の病気の時には両親のどちらかは付いていて欲しいです。病児保育の利用が悪いとは言いませんが、子供だって病で弱っているのですから、もっとも信頼できる親がいたってエエじゃないかです。病がピークを越えて「もうチョット」段階で病後児保育を利用するのは仕方が無いと思いますが、ピークの時には子供にしてもいて欲しい気が私はします。

社会慣行として冠婚葬祭プラス病(子供の病気も含む)になってくれたら嬉しいのですが、なかなか遠そうな気はしています。