ムラの選挙

4/16付神戸新聞

これを読んで思い出したのがムラの選挙です。自治体の首長を決める選挙は全国どこでもあるのですが、小さな自治体ほど選挙での決着は避けたがるところがあります。泡沫候補が出るぐらいはあっても、有力候補の一騎打ちみたいな事態はなるべく避けるです。これをムラレベルでやらかすと、それこそ何年も何十年も尾を引くシコリどころか怨念が残るからです。

そりゃ票数が限られていますから、地縁血縁をガチガチに固める選挙戦が自然に展開されるからです。地縁・血縁だけではなく職縁つうか、商売上でも対立がもたらされます。激戦になるほど票固めのために支持者優遇の密約が乱舞し、逆に相手方についているところは完全に敵と見なして、選挙後の報復が既定事実になってしまうです。まあ、関が原みたいなものです。

関が原と違うのはタダの選挙ですから、冷遇・冷飯が起こると今度は冷飯組が結束し、4年後の次期首長選に向けて対立がエスカレートするみたいな感じでしょうか。秋田のどっかの村が典型的な事をやっていたかと記憶しています。そういう事態を避けるために、多選禅譲パターンで波風を起さないようにする事が割りと多く見られると思っています。狭い世界で争うほどそうなりやすく、大きくなると中立派が維持できるようになって様相が変わるぐらいの感じとも思っています。


それとこれはムラだから笑える話ではないと思っています。一流とされる企業でもごく普通に起こるかと存じます。会社員にとってポストは重要です。年齢相応のポストを登るのが会社員の一つの目標だと思っていますが、ポストもある程度以上になると重役の引き立てが大きな要素になるとは良く聞く話です。非常に見込まれれば姻戚関係を結ぶ(娘と結婚する)なんて話も定番です。自然に有力重役に閥が形成されると言うところでしょうか。

重役クラスの最終目標はやはり社長でしょう。下っ端も出来れば社長なるような重役、いや重役になって社長を狙えるような人物になるべく早い時期にコネを付けたいと思うのは会社処世術の一つかもしれません。私は会社勤めはした事がないので、かなりステレオタイプにみていますが、当たらずとも遠からずぐらいはあると思っています。


勤務医だって一皮剥けば会社員みたいなところはあり、医師だって人脈は複雑に絡んでいます。とある私の上司は若き日に結婚式の仲人を教授に頼んだそうです。ここまではありがちなんですが、たまたま教授の御都合が悪く(長めの海外出張だったかな?)、助教授(そういう時代です)に仲人役を振られたそうです。都合だから別に不自然でないはずですが、助教授に仲人を頼んだ時点で医局内では助教授派のレッテルがベッタリ貼られたそうです。

レッテルが貼られてからが大変で、そこからは冷遇が始まったそうです。当直バイトの割り振りもえらく遠方かつ安く、なおかつ一睡も出来ないほどの激務のところが「優先的」に与えられ、冷遇とはこんなものかと痛感したそうです。ところが、ところが当時は到底次期教授の芽はないと思われていた助教授が、なんの拍子か教授に御昇進されたそうです。世の中にはそんな事がタマにおこります。

その日を境にして、旧教授派と旧助教授派は立場が完全に入れ替わり、「あん時は凄かった」状態を経験されたそうです。ちょうどバブルの頃で、聞いただけでヨダレが出そうなお話をたくさん聞かせて頂きました。ある上司が当時借りていたマンションの家賃だけで、未だにその家賃分の給与を、私は税込みどころか丸々込みでも貰った事はないぐらいのお話です。でもってその家賃を払うのが全然苦にならなかったとかです。

いわゆる白い巨塔的な世界ですが、白い巨塔は別に医療界独特のものではありません。私のある知人は神戸市役所のエリート(だと言っていた気がする)でしたが、故宮崎元市長の後継選挙でスカタンを喰らいます。あの時は助役が2人立候補して後継を争いましたが、負けた方に属していたのです。以後は配所で不遇をぼやきつつ定年を迎えられています。

狭い世界で一つの椅子を禅譲ではなく競争で争うには、有力候補になるための支持者グループが必要です。これが閥となり人脈になるです。さらに自然の成り行きとして他の有力候補との対立が起こります。勝ち組に属せば論功褒賞があり、負け組に属せば冷遇・冷飯が待っているのは世の常です。そう言えば会社合併でも同じようなもので、旧会社系は定年まで旧会社系で、対等合併ならまだしも吸収合併ならそれだけで肩身が非常に狭くなるとも聞いた事があります。


ただなんですが、今どきの医局事情でも起こるんだと言う事だけは感心しました。教授選と言っても、かつての白い巨塔時代のように、外部から教授として部下を多数引き連れて乗り込み、前からいた医局員を駆逐して「まっさら」の新体制を築き上げるなんて話は伝説になっているかと思っていました。理由は単純で送り出すにもどこもタマ不足てなところでしょうか。今どき、そんな芸当が出来る大学医局なんてどれだけ残っている事やらです。

一方で伝説になってしまっている部分も確実にあり、対立候補の系統人脈に逃げられても自力で補充できなかったみたいです。いったいどんな選挙戦が展開されたのか、また教授を選んだ教授会はどういう思惑で新教授を選んだのか興味深いところです。これも記事情報に一応あり、

3月の教授選は、これまでの救急診療体制を大幅に変更する方針をもとに公募で実施しており、辞意を固めている医師の中には、これに同調しない医師もいるという。

これの続報もあって救急体制の変更とは北米ER型にするとの事のようです。大学病院と言うか、日本の経営優良病院で北米型ERを行う事による実務上の問題点は前に少し触れたので今日は置いておきます。推測できるのは方針変更はトップダウンで決定された事、救急部では異論が強かったぐらいでしょうか。トップダウンで大幅な方針変更があり、これに従うのがどうしても嫌だと言う場合に取れる方針は2つで、

  1. 耐え難きを耐えて新体制に順応する
  2. 辞める
ここで「辞める」を考えた時に次の問題は仕事です。食っていかなくちゃなりませんから、次の職場を求めた時の容易さで1.と2.を天秤にかけるぐらいかと思います。医師は現在の状況では次の職場を求めるのはかなり容易です。とくに救急医となれば引く手数多の気がします。いずれにしてもトップダウン決定はそういう異論を持つ者をある程度ドライに切り捨てる計算も含んだものと考えています。強固な異論者を切り捨てる事によって新体制にスムーズに移行させるの意味合いもあります。

ここでもう一つ確認できる事実として、異論者の辞職が計算より多く救急部が数ヶ月の間、大幅な機能低下を来たした事です。当然起こりうる影響として、機能低下中に他の病院の救急に大幅な負担がかかるです。神戸も救急戦力に余力は乏しく、大学救急部の機能低下の皺寄せは他の医療機関にボディーブローの様に応えるだろうは言っても良いかと考えます。

新体制が良いのか従来の体制が良いのかの机上の理想論はともかくです。どっちにしても外部の人間には関与できない大学病院内部のお話ですが、外部が関係するのは大学病院救急部が機能しているか機能していないかです。つまりトップダウンを行った者には救急機能を低下させる事のないようにスムーズに体制移行を行う責任ぐらいはあるだろうです。

内幕の事情は全然知りませんが、とにもかくにもドタバタ騒ぎを起してマスコミ発表でも数ヶ月の機能低下を起こすと言わざるを得なくなったのは、トップダウンを行った大学首脳部の不手際も含まれているとするのが妥当です。至極簡単には救急部内の合意形成を図り、辞職者を機能低下を起こさない範疇に留める作業を軽視した点です。


面白かったのはトップダウン決定に関与したと考えられる教授会参加者の御意見です。たしかに機能低下を来たす結果をもたらした辞職者が無責とは言いませんが、そういう騒動の要因を作り出したのもまた無責とは言い難いかと存じます。大幅な方針変更がボトムアップにより行われ、にも関らず大量辞職者が発生し機能低下を起したのなら辞職者批判はアリとも思います。

トップダウンで大幅な方針変更を行い、それに不満があっても耐え忍ばない奴は医師の風上にも置けないとするのは非常な違和感を覚えます。そうさせないようにする責任は無かったのかと言うところです。個人的にはまさに「余計な一言」です。後付け批判を行ったところで辞職者が復帰するわけでもありませんから、シンプルに機能回復に尽力する姿勢を示すぐらいが良いんじゃなかろうかです。なにか責任回避の予防線を一生懸命張っているようにしか見えませんでした。

いずれにしろ中の人の問題であり、外部者としては速やかな機能回復を願うばかりです。