教科書レベル考

    そんなものは教科書レベルだ!
しばしば使われる表現ですが、少し定義付けを考えてみます。とりあえず身近な医学を例に取って考えると、教科書の内容とは十分に検証され再検証が不要な事柄のイメージで使われます。「教科書レベル」と評する事柄は基礎中の基礎で、この事柄に対してそもそも疑問を唱える方がおかしいぐらいの意味合いでしょうか。問答無用の前提事実ぐらいでも良いかも知れません。

ここで注意なのは実際に教科書に書かれている事柄が、すべてそうであると言っているのとは少々違います。教科書の内容も医学の進歩に従って書き換えられる事柄は多々あります。かつての常識が今の非常識になっている事も珍しいとは言えません。ですから教科書の知識であっても、アップデートを怠り古い知識にしがみついている医師は冷笑されるわけです。教科書レベルもまた固定されたものではなく、変動があるわけです。

医学で「教科書レベル」と評する時は、現時点では鉄板の医学常識ぐらいの意味合いと思ってもらえば宜しいでしょうか。現時点の但し書きがあるからには、将来では変わる可能性の指摘がしばしば行われます。それは間違ってはいないのですが、だから「教科書レベル」の事柄でも信用出来ないにつながるかと言えばニュアンスがかなり異なります。鉄板の医学常識を覆すには、それだけの論拠が必要になります。

「教科書も間違っている事があるから」なんて希薄すぎる理由で安易には否定できる代物では無いと言う事です。教科書レベルを覆す事が出来たらそれだけで偉大な医学業績として称えられる事さえ珍しくありません。この辺を整理すると、

  1. 「教科書レベル」とは教科書に掲載されている内容すべての事ではない
  2. 「教科書レベル」とは教科書記載の有無とは別の、既に現時点では再検証を必要としない鉄板の前提事実の集合体である
  3. 「教科書レベル」も変わる事はありうるが、それを行うだけで大きな業績となる
大雑把に言えば医学だけではなく自然科学系ではこんな感じで「教科書レベル」を用いる事が多いと考えています。


人文科学系も基本は似ているとは思いますが、ジャンルが違うので少し様相は違うのかもしれません。たとえば私も好きなので歴史で考えて見ます。歴史は過去を検証する学問ですが、事実関係が曖昧なものは多々あります。とくに古い時代になるほど文献に頼らざるを得ない部分が多くなりますが、その文献も解釈により見解が分かれる事も多々あります。「こう読めば、こう解釈できる」の異論が多い事も少なくありません。基本資料が同じ文献で見解が異なった時には、どちらが本当に正しいか決着がつかない事も多々あります。たとえば邪馬台国論争みたいなものです。

そういう状態でも教科書は生徒に教えるための知識が必要となりますが、入門レベルになるほど最大公約数的な、玉虫色の記述に留まります。それ以上書くと果てしない大論争が起こり収拾がつかなくなるからです。自然科学系が一つの結論に収束させる事が比較的可能であるのに対し、人文科学系はなかなか難しい面があるぐらいに理解しています。


日本史で武家政権による幕府体制は誰でも「教科書レベル」として知っているとは思います。そして幕府が始まったのは鎌倉幕府であるのも「教科書レベル」で知っておられるかと思います。幕府は鎌倉、室町、江戸と続きますが、ここで鎌倉幕府室町幕府を「幕府」と呼ぶ事さえ論争があるのはご存知でしょうか。お手軽にwikipediaより、

吾妻鏡』に征夷大将軍の館を「幕府」と称している例が見られるが、当時、武家政権を「幕府」と呼んでいたわけではない。朝廷・公家は関東と呼び、武士からは鎌倉殿と、一般からは武家と称されることが多かった。幕府とは、そもそも将軍の陣所を指す概念であり、源頼朝が右近衛大将に任官したことで、その居館 大倉御所を幕府と称されたことがあるが、それは私邸を指す言葉であり頼朝の開いた武家政権としての鎌倉幕府を指す概念ではなかった。即ち、当時の源頼朝武家政権鎌倉幕府の称を用いていない。武家政権を幕府と称したのは江戸時代になってからのことである。さらに、鎌倉幕府という概念が登場したのは、明治20年以降とされる[1]。以上の理由から、鎌倉幕府統治機構としての性格、あるいは成立時期というのもあくまで後世の、特に近代歴史学上のとらえ方の問題であり、今日一応の通説があるとはいえ、鎌倉幕府とは何か、その成立時期等についても必ずしも統一された見解がないのが現状である。それは、京都大学教授の林屋辰三郎が指摘するように、そもそも幕府というものの本質をいずれに置くのか、歴史学上未確定であるところによるとされる

こういう知識は歴史を研究する者にとっては「教科書レベル」でしょうが、こんな事まで教科書では教えません。誰かが鎌倉幕府の始まりが1192年から1185年に変わった事を取り上げて鬼の首を取ったように「教科書レベル」の事柄の否定の材料にされていましたが、これもまあ、お浅い知識で、鎌倉幕府の学説上の開始時期さえ、これもwikipediaより、

鎌倉幕府の成立時期をめぐっても諸説あり、源頼朝征夷大将軍に任命された建久3年(1192年)説、日本国総守護地頭に任命された建久元年(1190年)説、公文所及び問注所を開設した元暦元年(1184年)説、守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された文治元年(1185年)説、事実上、東国の支配権を承認する寿永二年の宣旨が下された寿永2年(1183年)説、頼朝が東国支配権を樹立した治承4年(1180年)説がある[2]。

従来は頼朝の征夷大将軍宣下の年をもって教科書上の鎌倉幕府成立としていたのを、守護地頭を置き全国支配体制を固めた1185年にしたというだけです。別に1192年説が否定されたわけではなく、学会的に「あえて」見解を出すのなら1185年の方が「マシ」であろうぐらいと解釈するのが宜しいかと思います。高校以下の歴史教科書レベルでは○○○○年に暫定的でも決めておかないと教科の学習に不便なので答えらしきものを出していますが、歴史のもう少し上級レベルの「教科書レベル」では諸説とその見解の知識が「教科書レベル」になるぐらいで宜しいかと思います。

ほいでは歴史の教科書レベルがすべからく曖昧かと言うとそうとは言えません。ここのところ熱中した一の谷の合戦が寿永3年2月7日(1184年3月20日)に行われた事は、日付まではやり過ぎとして年は鉄板の教科書レベルです。これが実は全然別の年であったなんて説を立てれば袋叩きに遭います。説を立てても良いのですが、平家物語吾妻鏡玉葉を始めとする文献資料を悉く覆すだけの大論証が必要になるわけです。別に関が原の合戦でも構いません。


そういう意味で歴史(人文科学系)であっても自然科学系と同様に教科書に書いてある「教科書レベル」でも鉄板の前提事実部分と、未だ確定していない論議のある部分があり、「教科書レベル」とする時には教科書の内容の中でも鉄板系の事柄を指しているとして良いかと思います。ただこれはあくまでも私の感触ですが、人文科学系の入門教科書レベルでは鉄板系事実と論議がある事実を並列にならべて「どちらも同じぐらい確か」と初心者に教える傾向が強そうに考えています。

これはそうでもしないと確定していない枝葉の議論が繁りすぎて、とても初心者が理解したり習得したり出来る代物にならないからだと思っています。教養レベルではその程度を知っておれば社会人として必要にして十分であり、議論が続いている事まで興味があれば専門的に腰をすえて知識をつければそれで良いぐらいであると思っています。


ここで医学の話に戻しますが、歴史と違って医学では教科書レベルと言っても最初から専門レベルで始まります。そういう学習者の集団に対する授業であるからです。小学校からある歴史のように入門編から段階に応じたステップがあるわけでなく、いきなり専門レベルで、教科書レベルの上は現場の最新研究レベルになります。そういう医学の教科書の「教科書レベル」とは現代医学にそのまま使える鉄板の前提事実であるわけです。

鎌倉時代に喩えると、初級者では政権成立が1192年であるか1185年であるかはビックリするほどの違いになりますが、医学で言うと幕府と言う概念の考え方から学習が始まり、成立年の諸説と見解をそれぞれ覚えていくのが教科書レベルです。


成人女性が妊娠時に風疹に罹患する事があり、その結果として生れた子供が先天性風疹症候群になり、先天性風疹症候群の症状の中に難聴があるのは鉄板の教科書レベルの前提事実です。また風疹が発症時のみならず、発症の1日前、もしくは2日前であっても他者に感染させる可能性が生じるのもまた鉄板の「教科書レベル」の事実です。

そういう感染は「気をつける」と言うレベルで予防できるものではなく、とくに感染がある程度以上蔓延した時には、街ですれ違った見た目上の健康人から感染する危険性は常に生じます。風疹に対する治療薬はもちろん予防薬も存在しませんから、個人での風疹予防及び集団での蔓延阻止のためにワクチン接種を勧奨するのも教科書レベルの鉄板の前提事実と言うわけです。


先日、ツイッターで「風疹被害妄想論」の方が産科医に議論を吹っかけているのを見て感じた事への感想です。ああいうタイプの人は一定確率で存在しますから、ネット作法として私はスルーですが、歴史を教科書レベルを喩えとして持ち出されていましたから徒然に書いてみました。なんとなく教科書レベルの捉え方の認識にチト差があるように感じた次第です。