親学のムック

親学について書こうと思い、情報を集めだしたのですが、どうにも見えてこないです。それなりに情報は転がっているのですが、もう一つよく判らないのが親学です。批判をするにも評価をするにしても概略ぐらいをつかまないと如何ともしがたいのですが、非常に手強い感じです。ボツボツと情報を集めながら考えて見たいと思います。


たぶんですが親学推進協会が親学の主要団体の一つであると見ています。親学関係の重要人物として各所に名前が挙がる、高橋史朗氏が理事長として名を連ねられています。ちなみにプロフィールには、

明星大学教授、玉川大学大学院講師
元埼玉県教育委員長
感性・脳科学教育研究会会長、師範塾理事長、日本家庭教育学会常任理事

著書に『親学対談』『親が育てば子供は育つ』『これで子供は本当に育つのか』(MOKU出版)など多数。

もう少し補足しておきたいのですがwikipediaより、

高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の教育学者。明星大学教授・大学院教育学専攻主任。前埼玉県教育委員会委員長。

本来の専攻は占領下の日本教育史だったが、その後感性教育、臨床教育学、ホリスティック教育学、「親学」を推進している。トレードマークは鼻の下と口元と頬に轟々とのばした髭。

wikipediaの親学についての項目の編集が大変ユニークで、これだけ一般化してきている用語ですから独立した項目があっても良さそうなものですが、wikipediaでの扱いは、

こうなっています。そういう点からすると親学は高橋氏が提唱普及させたものと受け取っても良い気がします。この点についてもこれぐらいしか判らないのが隔靴掻痒の思いです。


親学の歴史

ではでは親学がいつ頃から出来たかについてもハッキリしません。親学推進協会にはプロモーションビデオ(PV)があるのですが、そこで理事長である高橋氏は親学の始まりを政府の方針であるとしています。PVにある高橋氏の言葉を起してみます。

え〜、親学がですね、どういう背景で生まれたかについてなんですね。親学と言うのは決して個人が考え出したものではなくてですね、政府やあるいは文部科学省の審議会などでずうっと議論が重ねられてきたもんなんですね。

PVで高橋氏が用いたのと同じ年表が歴史的背景 としてあるので補足事項を加えて引用してみます。

時の首相 事柄
1987 4 中曽根康弘 臨教審最終答申「親となるための学習」
1998 4 小渕恵三 次代を担う青少年について考える有識者会議「親としての学習」「親になるための学習」
1999 7 青少年問題審議会答申「若い親やこれから親になろうとする人たちに対し、子どもの精神的、身体的発達について指導するような教室を設ける」
2000 2 教育改革国民会議「親が人生最初の教師」「国及び地方公共団体は・・・すべての親に対する子育ての講座・・・など、家庭教育支援のための機能を充実する」
2001 3 森善朗 「スポーツ活動等を通じた青少年の健全育成に関する調査研究委員会」報告書(自治省
2001 6 小泉純一郎 経済財政諮問会議子育て支援策を推進する」
2001 7 社会教育法の一部改正「家庭教育に関する学習の機会を提供するための講座の開設及び集会の開催並びにこれらの奨励に関すること」を教育委員会の事務として規定
2003 3 中教審答申「教育行政の役割としては、家庭における教育の充実を図ることが重要である」
2004 3 中教審生涯学習分科会・審議経過報告「親になるための学習」「親が親として育ち、力をつけるような学習」
2006 5 政務官会議(あったかハッピープロジェクト)中間とりまとめ
2006 6 少子化社会対策会議「新しい少子化対策
2007 1 安倍晋三 教育再生会議第一次報告「教育委員会自治体および関係機関は、これから親になる全ての人たちや乳幼児期の子どもを持つ保護者に、親として必要な『親学』を学ぶ機会を提供する」
2007 6 教育再生会議第二次報告「親の学びと子育てを応援する社会へ」「子育てにかかわる科学的知見の例」「骨太の方針」・「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議中間報告
2007 11 福田康夫 少子化社会白書』・・・「親としての学び」「親育ちの子育て支援」「家庭教育に関する学習機会や情報の提供」
2007 12 教育再生会議第三次報告「親の学びを地域で支援する」
2008 5 教育再生懇談会第一次報告「親学など家庭教育について学ぶ」


高橋氏の言葉を素直に信じれば、その淵源は中曽根内閣の1987年4月の臨教審の答申になります。ここで審議会でいきなり浮上したのか、それとも親学推進グループが運動の末に盛り込んだのかは確かめようがありません。ただなんですが、1987年から1998年までの11年間はさしたる動きがなかったとして良さそうです。次に動き出すのは小渕内閣になってからです。そこからは年表でも明らかなように、
    森 → 小泉 → 安倍 → 福田
ほぼ連続して親学関係の政治的動きが続いています。この経緯から考えると、中曽根内閣時代に言葉だけは盛り込まれたものの、しばらくは店晒し状態となり、小渕内閣時代からなんらかのキッカケで親学勢力が活発化したとしても良さそうです。ただなんですが、麻生内閣から民主に政権が変わってからの4年間ほどは再び動きが途絶えています。これも公式のアクションがなかっただけの事か、親学運動が停滞期に入っていたかは確証はありませんが、停滞期のような気がしています。

表に掲げた歴代首相ですが、間もなく安倍氏が返り咲きます。安倍氏は前回首相時代にも親学に熱心であったとしても良さそうで、今回の返り咲きにより親学勢力が再び動きを活発化させているぐらいの観測は可能かもしれません。親学とは政治、とくに自民の小渕内閣以降の教育政策に着々と食い込んでいたのは確認できそうです。

民主時代はよく分からないのですが、親学推進議員連盟てなものがあり、会長は安倍氏なんですが顧問に鳩山元総理も名を連ねられておられます。そうなると鳩山氏も親学推進政策を行いそうなものですが、鳩山政権は発足直後よりトラブル続きで9ヵ月の短命政権です。親学まで手を出す余裕が乏しかったのかもしれません。私の知見も狭いのですが、その後の民主政権でも親学の言葉はあんまり出てこなかった気がします。


親学の「伝統的子育て」とはいつの時代を指すのか?

これがまた難題なのですが、とりあえず親学推進協会の親学についてから引用して見ます。

 わたしたちの親や祖父母の時代と現代をくらべると、少子化核家族化や価値観の多様化、女性の社会進出などにともなって、子育てや親と子を取り巻く状況は大きく変化しています。

 近年は、不登校や非行といった子どもをめぐる問題が深刻化する一方で、学校に対して理不尽な要求をする「モンスター・ペアレント」が話題になるなど、家庭の教育力の低下が指摘され、親と子の在り方という問題が大きくクローズアップされてきています。

 そうしたなかで、「親のすべきことは何だろう」「親は子どもとどうかかわっていけばいいの」ということをまとめなおし、伝えていく必要が出てきたのです。

これは親学の公式のお話ですから、ここからあえて拾ってみます。親学は少し前に大阪維新の会が大々的に取り上げ、条例に取り込もうとしていたのは記憶に新しいところです。この時に話題になったのが

    伝統的子育て
これは現在の子育てを否定的に捉え、「どこかの時代」の子育てに理想を見ているのであろうは推測できます。ただこの「伝統」がいつの時代を指すのかがハッキリしませんでした。これが「いつか」について親学推進協会に書かれているのが確認できます。
    わたしたちの親や祖父母の時代と現代をくらべると
ここでも問題がありまして、漠然と「わたしたち」としていますが、親学の言う「わたしたち」は一体どの世代を指すかです。ここが特定できれば親学が理想とする子育て時代が特定できる事になります。たとえば高橋氏は現在62歳です。高橋氏の親の世代となると80歳代の半ばから90歳代ぐらいになります。祖父母の時代となると100歳を余裕で越え、110歳以上になるかと存じます。この辺をもう少しハッキリさせたいのですが、高橋氏のwikipediaより、

戦後教育の研究から、日本教職員組合が中心となった学校教育に憂慮を抱くようになり、日教組が否定的に捉えていた戦前や祖父母世代の教育や文化を再評価している。

ここから考えると話はシンプルに

    戦後教育の否定、戦前教育の礼賛
こう受け取っても良い気がします。つまりは親学が「伝統的」として理想としている時代の子育ては戦前を指し、せいぜい明治期ぐらいまでが範囲と出来そうな気がします。そう考えると時の首相と親学の関りの疎密がある程度連動しているような気はします。


脳科学と親学

前にも2人ほど脳科学者を紹介したことがありますが、そのそも脳科学とはwikipediaより、

脳科学(のうかがく、英: brain science)は、ヒトを含む動物の脳と、それが生み出す機能について研究する学問分野である。神経科学の俗名であり、専門的な文献ではあまり使わない。特に「脳科学」及び脳科学者と呼ばれる物にはこれに当てはまらない疑似科学に類するものも多く含まれる。そもそもは、認知神経科学と呼ばれる分野の一般向けの呼称の仕方であったが、最近は脳と心を結びつけて議論する研究全般がこう呼ばれるようになった。

とりあえず脳科学の中でも正統派は認知神経科学のようですが、これもwikipediaより、

認知神経科学は、心理/認知的機能が神経回路によってどのように生み出されるかという疑問に答えようとする学問でもある。

とりあえずそれぐらいの知識で良いかと存じます。さて、私があんまりテレビだとか週刊誌を見ないので断言は出来ませんが、脳科学なる言葉が日本で一般化したのはそんなに前の気はしません。正直なところここ数年ってところじゃないでしょうか。政治で言えば麻生内閣以後みたいなところです。ちょうどこの頃は親学の活動が停滞期に入っていたとも推測される時期です。

活動が停滞期に入ると新しいアイテムを摸索するのはよくある話です。親学はここまでの情報で戦前の子育てを理想とするものらしいは浮かび上がってきています。しかし売り物がそれだけであれば、どこにメリットがあるか曖昧になります。戦前への郷愁がある高齢世代にとっては魅力的であっても、現在の親世代にアピールするには魅力が乏しすぎるです。そりゃ、戦前に成人しているつう事は、若くても70歳を越えるからです。

現在の親世代にアピールするには、戦前式の子育てに目に見える具体的なメリットを提示する必要があります。メリットして取り入れたのが脳科学ではなかろうかです。具体的には戦前式の子育てを行えば、発達障害が予防できるです。高橋氏も親学推進協会のPVで脳科学の知見が裏づけになっていると主張されています。高橋氏のPVの該当部分を文字起ししておけば、

伝統的な知恵を脳科学と言う最新の知見でもう一度再発見しようと思っているのですが、それは今日申し上げてきたような、子供の発達段階と言うのものは、脳科学によっても検証されています。たとえば共感性とか、恥とか、罪悪感とかです。そういうものは2歳の終わりに育ってくる。あるいは善悪を獲得するのは、3歳の始めだと。こういうことは文部科学省の道徳教育に関する懇談会で明らかになってるんですが、そういう脳科学によって裏付けられた発達段階に応じて、どう関ったら良いのか、そういうものを科学的知見に基づいてお伝えするのが、この第2講座の狙いであります。

ごく簡単に解釈すれば親学の戦前式子育て法は脳科学の裏付けが行われているです。


親学が尊重する脳科学

これを特定できるソースがありました。togetterの「脳科学から見た日本の伝統的子育て-発達障害は予防、改善できる 高橋史朗:著 出版:モラロジー研究所」感想です。このtogetterの有り難い点は、高橋氏が2010年12月に発行している著書の中身をかなり詳細に紹介してくれている点です。

p.7で脳生理学者の澤口俊之氏の名前を出して、「これまで先天的な脳の障害と考えられてきた発達障害は、環境要因や子育てによる影響も大きいと述べています。」としている。そして、「「生後二歳ごろまでの乳児脳の段階なら」予防可能、改善は八歳ごろまでと指摘している。」とある。

やっと脳科学者・澤口俊之氏が出てきました。もう一つ重要な個所を引用しますが、

同じ段に、さいたま市教育センターの金子保所長の名前も出して、「二歳までに発見すれば治り、三歳までなら五分五分の確立で治るの述べている」として、「大事なのは発達障害の予防と早期発見」だといっている。虐待云々じゃなく、「発達障害が予防可能」としているんだな。

この金子保氏も親学関連では重要人物で、

こういう著書があります。実はこの本は共著でして2010年4月に出版されています。共著の並び方は、

澤口 俊之 (著), 金子 保 (著), 片岡 直樹 (著)

このうち片岡直樹氏は、

川崎医科大学名誉教授(小児科学)/ Kids21 子育て研究所 所長  片岡 直樹

こういう肩書きの人物で、自閉症についての持論をリンク先に展開していますが、細かい理屈は興味がある方は読まれたら良いと思います。今日は一つだけ引用しておきます。

    私は自閉症環境発症論を展開しており、すべて後天的に発症すると考えている。
片岡氏と高橋氏の関りについての傍証として、

59分30秒辺りから自閉症の話題となり、高橋氏が片岡氏の研究を敬意を持って引用されています。片岡氏を脳科学者とするかどうかは自信がありませんが、とりあえず澤口俊之氏が権威と敬意をもって扱われているらしい事は確認できそうです。澤口俊之氏については御存知の方も多いと思いますので簡単にしますが、あまり御存じない方は2011.2.15付エントリーを参考にしてください。


現時点の感想

親学的な思想は戦前郷愁論者から出てきたとして良さそうです。ごく単純には「今どきの若い者は」式ないし「昔は良かった」式の思考法です。「今どきの若い者は」式は古代エジプトの記録にもあると言われるぐらい「伝統」のある思考法ですから、私でさえ時に出かけるのは白状しておきます。「今どきの若い者は」式も「昔は良かった」式も高齢者同士の愚痴程度であれば伝統芸能みたいなものですから許容範囲となります。

しかしこれが政治権力を有する者が使えばタダの愚痴では済まなくなります。「今どきの若い者は」式ないし「昔は良かった」式の最大の欠点は、過去を異常に美化している点です。極論すれば嫌な事、間違っている事、辛い事をすべからく忘れるか、セピア色の思い出として「楽しかった」「良かった」にしてしまってます。そういう風に過去の思い出を美化するのは人間の精神防衛の働きによるとする説が大昔から定着しています。

だから愚痴のうちは良いですが、政治権力を持つ者が強行すれば発想として、

    昔式に戻せば過去の思い出の中の美点が鮮やかに甦る
ここでもう一つ注意ですが、そういう権力者は結果的にある種の人生の成功者です。成功者は「人生経験 = 成功体験」になっているわけであり、当然ですが美化された過去は黄金色の時代であると言う事です。昔式に戻せば、過去の自分の美化された記憶の成功例だけが再現されると疑いもなく信じ込まれている事になります。そんな黄金時代が日本の歴史上になかったと説明しても無駄かもしれません。


親学推進派はそういう権力者のノスタルジアへの迎合者ぐらいに理解すれば、少し話が見えてきそうな気がします。いや当人自体が過去の美化された記憶に陶酔されているのかもしれません。ただ政治的にストレートに進んでいないのは、やはり「世の中にそんな旨い話はない」のリアリストが少なからず存在しているからだと考えています。だから適当にブレーキがかかるです。

そういうブレーキがかかった時代に取り入れたのが脳科学による理論武装ではなかったかです。つまり単なるノスタルジアではなく、高橋氏が幾度も強調されていた「最新の科学的知見に基づき云々」です。ノスタルジアには現代科学の裏付けがあるぐらいの展開です。しかし高橋氏はあくまでも教育畑の人間であり、発達障害についての知識は非常に薄かったとしても良さそうです。澤口氏や片岡氏の主張を検証する能力も知識もありませんから、発達障害は「教育 = 親学」で治るの主張になったです。

こういう主張は単純で受け入れられやすく、また権力者のノスタルジアにも相性が非常に良いです。そういう内輪の盛り上がりが一つのピークに達したのが大阪維新の会の教育条例騒動です。ここで叩かれまくって高橋氏はようやく一つ学習します。「家庭教育支援条例案に対する緊急声明」と言うのが「親学」高橋史朗が「家庭教育条例案」で反論に残されています。必要部分だけ引用しておくと、

 発達障害の原因は先天的な基礎障害(impairment)ですから予防はできませんが、斎藤万比古総編集『発達障害とその周辺の問題』(中山書店)によれば、乳幼児期の早期に出現するとされる能力障害(disability)、さらに、学童期から思春期にかけて出現するとされる二次障害は「個体と環境の相互作用の結果の産物」として理解する必要があり、一つの側面として「発達障害は関係障害である」とも指摘されています。

したがって、子供たちに大きな影響を与える環境を整えることは、症状の予防や改善につながると考えることができます。脳科学者の澤口俊之氏は「環境や育て方が発達障害の要因ではない」という見解は誤りだと明言しています。

要は大阪維新の会が「誤解」しているとの主張ですが、私はそうは受け取れません。批判を受けた高橋氏が後出しジャンケンで「大阪維新の会が誤解した」としているように考えます。一次障害、二次障害の理解が怪しい傍証として、togetterの「脳科学から見た日本の伝統的子育て-発達障害は予防、改善できる 高橋史朗:著 出版:モラロジー研究所」感想での指摘があります。

高橋氏が発達障害概念について理解できていないと断じることができる表現がp.22にある。杉山先生の調査を引いて、「虐待受けた子供の54%が発達障害」と書いているが、カッコにその発達障害の病名を出してるのだけど、行為障害を含めている。行為障害は二次障害の代表ですがな

大阪の件で強い批判を受けて泥縄で修正した傍証に十分になりうると思います。


それでも親学は推進されるだろう

親学と言うか戦前教育ノスタルジア派はその時の政治権力者の意向によって存在感は変わります。高橋氏が発達障害に対する主張を

    すべて治る → 二次障害には有効
こう変化させたのは高橋氏自身と言うよりも、ノスタルジア推進派の意向があったとも見ています。二次障害に関するものであれば、今度は簡単には論破出来ません。でもってノスタルジア派は首相の地位だけではなく、文部科学大臣の地位も占めます。政治状況は思い切り追い風が吹いているです。この状況で親学の存在位置が大きくなるのはある種の必然です。

ノスタルジア推進派にとっては発達障害云々は単なるオマケの飾りです。適当な根拠らしきものとして欲しいだけの事で、昔は良かった式を現代に甦らせるのが目標です。言い切れば発達障害を予防するために昔は良かった式を導入したいのではなく、昔は良かった式を導入する事のみが本来の目標であると言う事です。


後は安倍氏にどれだけ政治的判断力があるかでしょう。安倍氏は前回の失敗の教訓を詳細にメモにして残し、常にそれを参照しているとも聞きます。どういうメモか知る由もありませんが、マスコミはどういうものかについて学習されたかどうかは少し関心があります。マスコミによる政治報道とは芸能人の熱愛・結婚報道と同じ代物であるです。

交際があれば熱愛結婚まで煽りに煽り、結婚した瞬間から離婚の火種を探して煽りまくり離婚まで追いかけていくです。政権も同じで、現在の内閣は一刻も早く潰れて欲しく、総選挙は少しでも早く行って欲しいです。現政権に対しては失言一つで煽りまくり、政権が倒れるまで批判を執拗に続け、総選挙になれば政権交代をひたすら盛り上げます。

マスコミにとって安定政権は商売の敵と言うわけです。親学なんて政治のサイドメニューに深入りしただけでどうなるかは興味深いところです。家庭内にノスタルジアを無遠慮に手を突っ込めば、どう考えても反発は小さくありません。この反発を政権の命運がかかる一大事に育てるのがマスコミです。どれだけの一大事かと言えば景気振興より1万倍重要なものとして取り扱われます。

首相の椅子に少しでも長く座っていたいのなら、余計なサイドメニューに手を出さないのが賢明と私は思うのですが、実績としてやりたがるのも政治家ですから、はてさてどうなる事やらです。