神戸オリエンタルホテル

日曜日は従兄弟の結婚式があり、他にも週末はバタバタする用事が多く昨日は休載にさせて頂きました。実は一晩してもあんまり余裕が無いのが実情なんですが、結婚式の話からオリエンタルホテルの話を雑談風に広げてみます。

結婚式自体は、とある事情(出来ちゃったとは聞いてませんので否定しておきます)でバタバタと日取りが決まっています。そのせいでも無いのですが、新婦の話はまったく聞いておらず、それこそ式場に行って初めて新婦側の苗字を聞いた体たらくです。いちおう親族ですから、相手方の親族にも挨拶をしないといけないのですが、とりあえず誰だ?ってところです。

ただ新婦側の苗字は故郷に多いややクセのあるものであり、きっと地元の方であろうぐらいはアタリをつけました。ただ新郎の両親も挨拶で忙しくてユックリ話をする間もなく、とりあえず「従兄弟です、よろしく」で誤魔化してました。披露宴になり少し落ち着いた状態の時に確かめると、新郎の近所も近所のお相手です。でもって、新婦の実家も知っています。

田舎の事ですから私が知っていると言う事は相手も知っている(もっとも知っているのは亡父ですが・・・)事になり、途中から挨拶がラクになりました。新婦も年齢からして亡父の患者だった可能性も十分あるぐらいの関係です。だから、どうしたの話ではありませんが、世間は狭いと言うぐらいのところです。

恙無く挙式も披露宴も終わったのですが、気になったのは新郎新婦のご年齢。今時なら珍しくも無い年齢なのですが、私が結婚した頃には晩婚と言われる年齢です。知識としては理解していたのですが、実際に見ると「やっぱり、そうなんだ」みたいな感じです。私にも娘がおり、もし次に結婚式に出席するとすれば娘のものになるはずですが、こりゃ15年から20年ぐらいは待つ必要がありそうです。元気で生きていたいものだと改めて思いました。

とにもかくにも美しい新婦ですから、そのうちユックリ会いに行きたいとは思っています。まあ、嫌がられるかも知れませんけどね。


さて式場なんですが、上記したようにオリエンタルホテルです。だからどうしたとこれも言われそうですが、神戸、いや関西で私ぐらいから上の世代の人間には憧れのホテルであったとしてよいかと思っています。戦前からの名門ホテルであり、源流は明治初期まで遡る歴史を誇っています。いや、これは正確には誇っていたです。オリエンタルホテルもまた阪神大震災の犠牲になっています。披露宴会場なりでひとしきり話題になったのは、

    いつ再建されたんだ?
これについては誰もが曖昧で、結構早く再建されたはずだから、ごく最近のはずだまで飛び交う始末です。そんなに前でなかったはずですが、ともかく神戸の象徴的な名門ホテルの再建を嬉しく思いました。でもってオリエンタルホテルが名門の地位を確保したのは戦前どころか明治まで遡るようで、とくに料理で名を馳せたようです。まずwikipediaによると、

1887年(明治20年)に122番地のフランス料理店「レストラン・フランセーズ」(Restaurant Francaise、1886年開業)のオーナーであったフランス人のルイ・べギュー(Louis Begeux)の所有となって、81番地に移転した。

このルイ・べギューと言うオーナーが凄腕であったらしく、OLD PHOTOS of JAPAN様の1910年代の神戸・オリエンタルホテルには、

当時の新聞「The Pioneer.」の次の記事にあるように、べギューは確かに料理場の魔術師だった。これを書いたのは、現在はディズニー映画で有名になっている「ジャングルブック」で間もなく世界的に知られることになる、ラドヤード・キップリングに他ならない。キップリングは1889年(明治22年)にこのホテルに泊まった。

このラドヤード・キップリングの感想が少々長いのですが一部だけ引用させて頂きます。

私は、ペナンのオリエンタルホテルの他に類のないカレー、今でも未練がましく記憶に残っているシンガポールラッフルズのタートルステーキ、それに今でも激賞したい香港のビクトリアホテルのチキンレバーと子豚などを食べたことがある。しかし、神戸のオリエンタルは、これら三つのホテルに勝る。このことは覚えていて欲しい。

これもどこで読んだか忘れましたが、日本のホテル料理の源流一つでもあるそうで、幾多の名料理人がオリエンタルホテルの系譜を引くとも聞いた事があります。草創期のオリエンタルホテルに関与した人物としてアーサー・ヘスケス・グルーム(六甲山に日本最初のゴルフ場を作ったことで名を残す)、エドワード・ハズレット・ハンター(ハンター坂の地名を今も残しています)らも名を連ねています。


さて私が知っているはずのオリエンタルホテルは戦後に再建されたものになるはずです。頑張って歴代の画像を探すと

明治12年頃の二代目
名ホテルと謳われた三代目(1907年築)
阪神大震災で消滅した四代目(1949年築)
五代目(2010年3月開業)


私が見たことがあるのは当然戦後に再建された四代目になるはずです。つうか、よくよく考えてみると震災前のオリエンタルホテルの記憶が全く無いのです。食事にぐらい行った事がありそうなものですが、とにかく何も覚えていないです。叔母によると玄関の回転ドアは昔の面影があると言っていましたが、悲しいかな私の記憶には残っていませんでした。

そのために全く新しいホテルを見る様な思いでしたが、実にシックな内装でした。かなり旧オリエンタルホテル(四代目)を意識したのだろうと勝手に思っていますが、きっとこういう重厚な造りで年季が沁みこんでいたのだろうと言うところです。御存知の方がおられたら情報下さい。


披露宴が終って、帰りにバーに寄ってみました。つうのも行きつけのバーのマスターが

    あそこにはオレより旨いマティーニを作ると言っている男がいる
てな紹介を受けていたからです。そりゃ行かにゃならんだろうってところです。マスターの名誉のために言っておくと、マスターのマティーニも美味しいですが、18番はモヒートとかダイキリであり、マティーニは冗談ぐらいなら譲れると言うところです。でもって、「期待してます」とお話ししたら、バーテンダー氏は頭を抱えていました。「そんな事は一言も話していないのに・・・」てなところです。それでもマティーニ美味しかったです。どっちが美味しいかは好みにしておきます。

バーは最上階にあるのですが、バー続きと言うか横並びにメインダイニングがあります。見てただけなんですが、ここがまた古きよき時代の風情ある造りで感心しました。これは昼間の画像ですが、

訪れたのは日も暮れたからだったので、さらにシックな感じです。一度ぐらいは着飾って食べに行っても良さそうな感じです。さすがに市内なので泊って食べるのはやりすぎですが、食事だけでも来る価値はありそうと言うところでしょうか。

ともあれ従兄弟夫婦に幸多からん事を祈った1日でした。