騙された時のプロの矜持

iPS心筋移植報道は構図を単純化すれば、詐欺事件の構図に似ていると思っています。こういう時は前提として、

    悪:騙した詐欺師
    善:騙された被害者
被害者は今回であれば報道機関になります。今回は少し捻った構図になっていると見ます。オレオレ詐欺に引っかかった一般の善良な市民とは少し違うエッセンスがあるです。喩えてみれば、
  1. 金融機関が融資詐欺にかかる
  2. 証券屋が未公開株詐欺にかかる
  3. 不動産屋が原野商法に引っかかる
こういうケースでも被害者は金融機関であり、証券屋であり、不動産屋ですが、単純な詐欺被害者とは違った目で見られるのは致し方ないところです。どうしたって出てくる批判は、
    専門家ともあろう者が・・・
それだけ詐欺師が巧妙であったとも言えますが、「それでもプロか!」の陰口がどうしても出てきます。被害者であるのに批判されるのは同情を禁じ得ませんが、世の中にはそんなところがあります。被害が大きく表沙汰になれば対外的に釈明が必要になります。この辺は被害が直接の騙された相手だけではなく、二次被害も起こったりしますからやらざるを得なくなるところです。あくまでも私の印象に過ぎませんが、
  1. 事実関係を冷静に説明する
  2. 巧妙な手口であった事は認めても、これをプロとして見抜けなかった事を反省する
これ以上の釈明は控えると思っています。これはプロとしての矜持だと見ています。これは一概には言えませんが、むしろ騙した相手の手口の巧妙さをある意味感心するぐらいの態度も見せる事さえあると思っています。悔しいが相手の方が一枚上手であったです。相手を持ち上げるのはプロとしてプライドをズタズタされるような辛い行為かもしれませんが、ここで相手の悪辣さをまくし立てたところで、かえって自分がミジメになる事を良く知ってるからだと見ます。

逆が成立するかは微妙なところはありますが、私はある程度まで成立する可能性はあると考えています。ここでカサにかかって追及する存在の問題はあえて置いておきます。

ここまでの説明は誇り高い専門家とかプロが騙されてしまったケースに、今回の件は「ひょっとしたら」近い可能性があるのではないかの仮説です。かなり大胆な仮説であるの声が「なぜか」聞こえる気がするのですが、この無謀な仮説をちょっと検証してみます。



さて新聞社が世間に求められる役割はなんでしょうか。新聞社は全国だけでなく海外にもネットワークを張り巡らして情報を集めます。集まった情報の質はそれこそ千差万別、玉石混交かと存じます。貴重な情報からガセネタまで、ピンキリの情報が集められているはずです。集めた情報の中から、これは広く周知させる価値があるものと判断したら報道すると私は考えています。結果として「必ずしもそうなっていない」の批判も今日は置いておきます。

そういう新聞社が期待されている社会的な役割は、

  1. 情報の収集
  2. 情報の価値判断
この2つであろうです。情報の価値判断には価値の軽重だけではなく、真贋の判定も当然期待されています。これは10/14付読売社説ですが、

新聞が果たすべき役割は大きい。読者の期待に応えて、正確な報道と責任ある論説を提供できているのか。日々、自問しながら、最善の紙面をお届けしたい。

社説には種々の問題を含む事がある問題も今日は置いときます。この社説にある「正確な報道」の意味の中には、ガセネタを鑑別する意味も当然含んでいると考えるのが妥当かと思います。そういう事を商売でやっているので、そういう意味で新聞社は情報の真贋鑑別のプロであるとはできます。しかし本当のプロであっても騙される事があるのは上述した通りで、誤報自体はゼロにするのは不可能と考えています。歓迎すべき事ではありませんが、生じてしまうのは避けられないと思います。


さてさてなんですが、仮に読売を始めとする新聞社が誤報を起した時の態度はちょっと注目しても良さそうな気がします。情報の真贋選別のプロではありますが、プロのプライドがあるかどうかです。今回は1面トップの大誤報を行った読売を材料として見てみます。

とりあえず何か一生懸命になって、騙されたた相手の研究業績を貶めようと頑張っておられるようです。一方で釈明・弁明手法のためか誤爆被害が拡大しています。たとえば「簡易論文」だとか、「ポスター発表は程度が低い」とかです。そういう用語・常識は日本マス・コミュニケーション学会(旧日本新聞学会)ではポピュラーなものかもしれませんが、他の学会関係者にとっては迷惑至極であり、侮辱その物です。

それより深刻に感じるのは、騙された相手を貶すほど、そんな相手に2006年から延々と騙され続けてきた読売が、いかに愚かであったかを喧伝しているようなものと思います。そりゃ、

    オレ様を騙しやがったあんちくしょうは、こんな低脳のグズのカス野郎だ!
そう強調されても「だから仕方がない」と感じるより、「そんな野郎に騙されて恥しくないのか」にしかならないからです。騙された相手の紹介は良いとしても、そこに悪意を込めるほど、その悪意は自らの失態の上塗りになる関係です。プロのプライドがある者ならそんな手法は避けるんじゃないかと判断しています。騙された事にプライドは傷つけられのは仕方がないとしても、それ以上の墓穴を掘るのはプライドがあれば許さないだろうです。


今回の一連の騒動からの観察として、どうも読売は情報の真贋鑑別のプロであっても、プロとしてのプライドは乏しそうに感じました。プライドが乏しいプロが成立するかどうかの命題は・・・これは成立すると思います。プロと言ってもこれまたピンキリだからです。ではではプライドの乏しいプロが有能かどうかの命題はどうかです。

絶対にありえないとは言えませんが、どちらかと言うと少なそうな気がしています。ここもプライドばかりが高くて無能なプロも存在しますから、プライドの高さと能力は比例しない場合の指摘もあるかと存じます。しかし、こういう場合のプライドは矜持とは少しニュアンスが異なるように考えています。そういう場合は矜持ではなく「見栄」とか「虚栄」です。本当のプロのプライドは高いほど謙虚に見える事が多いと思っています。

乏しいと謙虚は似て非なるものですから、矜持の高さからの謙虚さでないプライドの乏しい状態のプロが、実は非常に有能であるケースは、そうそうは無さそうに思っています。もちろん「必ずしも」ではないので断定はできませんが、読売はどうなんでしょうねぇ。。。


気になること

少し辛口でしたが、まだ大誤報の検証の途中であり、まだ最終判断を下すには早い時期ではあります。それより気になるのは読売だけではありませんが、iPS細胞心筋移植報道では少なからぬ報道機関が騙されているのは事実です。当然ですが騙された相手に関する過去記事の検証は一生懸命やられています。それは必要なことですが、連動して湧いてくる疑念は、

    他は大丈夫?
つまり今回の件が「ありえないような例外」か「氷山の一角」かです。「ありえないような例外」であれば関連報道だけのチェックだけで必要にして十分ですが、「氷山の一角」の可能性があれば、その疑念を払うために「総点検」が求められるんじゃないでしょうか。いわゆる「信頼回復」のためにです。

「氷山の一角」「総点検」「信頼回復」はこれまで不祥事系の事件が起こるたびに新聞社を始めとする報道機関が繰り返し強調されてきたことです。その主張は誠に以って正しいと考えますから、自らに起こった場合には見本となるような姿勢を示して頂けると確信しています。「自分に甘く、他人には厳しい」ってのも激しい批判を行なっておられましたので、まさか「ありえないような例外」でお茶を濁される事はそれこそ「ありえない」とさせて頂きます。