EM激動史 後編

おさらい

EM開発はサン興産業が手がけ比嘉教授の協力の下に完成しています。しかし製造販売段階で世界救世教が濃厚に関与し、大雑把に分ければ

  • 種菌から一貫製造のサン
  • サンから種菌を供給してもらい製造しているEMグループ
こういう状況になっています。他にもサンから種菌供給を受けて製造しているところとして、砂漠研究所、熱帯資源植物研究所がありますが、どうも商標登録の問題でEMを名乗っているのはサンとEMグループのようです。EMがもしサンだけの製造販売であれば、おそらく地味な地場産業として知る人ぞ知るぐらいじゃなかったかと思っていますが、そうなっていないのは周知の通りです。


比嘉教授の役割分担

サン側の比嘉教授とEM製造の歴史では、比嘉教授の役割分担は、

  • EMの進化
  • 学術的裏付け
  • 技術指導

こうなっており販売会社であるEM研究所と別のEM研究機構を設立し

  • EM利用技術の確立
  • 普及整理

これに当たるとなっています。なるほど忠実に比嘉教授は役割を果たされています。現在の比嘉教授と世界救世教との関連については「新潮45」11月号のEM関連記事「トンデモ微生物“EM菌”が自治体を喰い荒す」についてにあり、

当初、EMは世界救世教が設立した(財)自然農法国際研究開発センターの協力で普及されましたが、教団の内部紛争に巻き込まれた経緯があります。EMを攻撃したのは、その一派のMOAグループで、土壌肥料学会のEMつぶしはこのグループが仕掛けたものです。今やEMは特定の宗教集団に属するものでなく、立正佼成会天理教、アナナイ教、創価学会、善隣教、各派キリスト教イスラム教、仏教等々、多数の宗教団体でも差別なく使われています。

だそうです。ただ面白い回答で、現在の世界救世教との関係と販売先の信仰宗教は別と思うのですが、無闇に強調されているのが微笑みを誘います。


比嘉教授の業績の寄り道

新潮には例のセラミックスについても回答があり、

 メカニズムは明らかではありませんが800℃以上で焼いたセラミックスから光合成細菌を取り出すことができます。この結果は学会(微生物生態学会)にも発表しています。もしもうまくいかないという人がおれば、検出方法を教えてあげますので、直接おいで下さい(琉球大学まで)。

微生物生態学会か・・・どうも論文にはなっていないようなので口述発表だけであったようです。どう考えても世界的大発見としか思いようがないのですが、理由は不明です。まさか論文審査で落ちたのでしょうか。ただこの分野の研究はさらに進み、EM菌の耐熱温度が800度から1200度にさらに上ったのは先日お伝えした通りです。

調べれば色々出てくるのが面白いし、かなわないところなんですが、EM菌が北朝鮮の食糧不足を解決してしまったの話がありましたが、EM研究機構の海外展開に、

特に1996年に導入が始まった朝鮮民主主義人民共和国では、全国128ヶ所にEM工場が建設され、約90万ヘクタールの農地でEM技術が活用されていま す。また、2000年10月には、首都平壌で「EM技術と自然農法に関する国際会議」が開催され、世界20カ国からEM関係者が集い、EM技術の国家的普及モデルとなっています。

ごく素直に種菌の輸出はどうやってクリアしたかは非常に興味があります。だってEM研究所は種菌が作れないみたいですからね。


比嘉教授の学術的裏付け
昨日メインソースとしながら、直接にはあんまり触れなかった杜の里からで興味を引いたところをご紹介していきます。でもってソースは

この解説自体「EMフェスタ2001」からの引用

このEMフェスタ2001の記録なんですがかつてはEM研究機構にデーターベースとしてリンクされていたのはキャッシュ確認できますし、2009年10月31日に杜の里様が書いたときには存在していたのも確認できます。しかし現在は魚拓にもないようです。もう少し探せるキーワードがないかと確認したら、

「EMフェスタ2001 自然水系浄化分科会」→こいづ!

これも魚拓にも存在しないのですが、探してみたら残ってました。WebBackMachine恐るべしです。

できるだけ原文に近い形で引用してみます。


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 私は、今回検証方法にものすごい力を入れさせていただきました。臭いが消える、聞き取り調査をする、透視度がどう、そういうことを主にしまして波動の江本さんのところの研究所と共同で、「華山さんがやっていることは非常に立派なもんだから、私たちもお手伝いさせて下さい」ということで、誰が見ても汚れている水が浄化されている状態の変化を水質以外にと思ってこういうことをやりました。見ていただいてわかるように、これは原水の結晶です。

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これは1ヵ月後には結晶がこうして出来つつあります。

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そして3か月後にはこんなにきれいな結晶。比嘉先生にお見せしたところ、EMで水のクラスターが小さくなって小花のように水がどんどん結晶化されていく状態ですね、ということで、誰が見てもわかるようにということで、検証方法を非常に多くさせていただきました。一応そういうところで、四倉と小名浜カントリーの報告を終わらせていただきます。

さてここでの注目点は

    私は、今回検証方法にものすごい力を入れさせていただきました
ここの部分の発言は

華山義夫 NPO地球・環境共生ネットワーク

この方がされています。ここのポイントは手法はともかく華山氏が検証を行なったと言う点であり、これを受け入れているです。でもって検証方法が日本波動学の導入者と言って良い「水伝」の江本勝氏です。江本氏の波動理論が結局のところアルバート・エイブラハムスのラジオニクス理論に過ぎない事は、重複するのでこのぐらいにしておきます。

でもって波動理論による検証が華山氏の思い付きであるのか、それとも比嘉教授の意向もあるのかですが、2007.10.1付Wenecopure「新・夢に生きる」比嘉照夫にあります。

  • 昨年の12月、江本勝さんが設立した(株)IHMの20周年記念セミナーに船井幸雄さんと私がゲストスピーカーとして招待され、波動についていろいろとお話しする機会がありました。私はEMの本質的な効果は、関英雄先生が確認した重力波と想定される縦波の波動によるものと考えています。


  • (株)IHM20周年に、このような蘇生的な現象を引き起こす波動技術に対し、江本・船井・比嘉の三者の基本的な考えが一致し、すでに実績のある各種の波動技術を「地球と人類の向上のために」実践する研究会を立ち上げることになりました。その後、(株)IHMが幹事役を務めることになり、今回の記念フォーラムが開催されたのです。


  • 今年に入ってから江本勝さんの「水からの伝言」に対し、エセ科学として検証なきひどいバッシングが行われました。ついでに、江本さんを高く評価している私に対してもかなり批判的な意見もあり、とうとうEMもエセ科学ブラックリストに載ってしまいました。

とりあえずこれぐらいで比嘉教授が江本勝氏、「波動のジャーナリスト」船井幸雄氏と密接と言うより同志的な結びつきがある事が確認できます。さらに波動理論についての比嘉教授の見解として、

科学の基本は再現性と普遍性であり、理論は後からついて来るものです。江本さんの研究成果やEMは、再現性と普遍性を具備しており、特定な人にしかできないオカルトやマジカルではありません。

ま、絶賛ですね。ここまで来ればわかりやすくなるのですが、

原子はもとよりあらゆる物質は固有の波動を持っていることは、かなりのレベルで確認されており、このような波動の応用を従来の常識で理解できないからと言って、エセ科学と断じるのはあまりにも軽率と言わねばなりません。

さて少なくとも2001年時点で比嘉教授が既に波動理論に傾倒され、現在もさらに深く傾倒されている事が確認できます。では始まりはいつかになりますが、2004.9.25付Masaru Emoto's Website「比嘉照夫先生とのベルリン・フランクフルト・ジョイントセミナー」にこうあります。

僕と比嘉先生との関係は船井幸雄先生のご著書「本物の発見」で二人が同時に紹介されたことから始まりますから、

でもって船井幸雄.com船井幸雄の「この人いいよ」には、船井幸雄氏の言葉として、

  • 船井幸雄も93年発刊の著書「これから10年 本物の発見」(サンマーク出版刊)をはじめ多数の著書でEMを取りあげています。
  • 第3者としてEMを大々的に取りあげ、PRしたのは多分私が最初の人間だと思う。90年代はじめのころのことである。

これから考えると船井氏が90年代の初めから、まず比嘉教授(ちなみに比嘉氏は1982年に琉球大教授になられ2007年に名誉教授になっています)に接触してPRを行い、さらに1993年の「これから10年 本物の発見」の出版を契機にして江本氏とも親交を深めたで良さそうです。2001年時点では江本氏で8年程度、船井氏なら10年程度のの既に交遊があり、EMに波動理論が組み込まれていても不思議ないかと考えられます。


年表

昨日もEM菌の出来た頃の話をしましたが、もうちょっと経緯は複雑のようです。2010月2月21日付「EM菌をめぐる人々」と言うサイトがあります。リンク先を読めば判るように必ずしもEM菌を批判していない内容ですから「そういう意味」で内容は信用します。ここで引用されているのは「カルト資本主義」と言う本らしいのですが、

 そうした中、世界救世教は82年3月重要な教義の一つである自然農法の探求を目的とした任意団体『自然国際総合開発センター』を設立した。比嘉照夫は同じ年の暮れ、琉球大での教え子との縁でセンター指導を頼まれたのだが、当初は研究レベルの低さに唖然としたという。

「まるで実体が伴ってない。これでは詐欺じゃないか」
『そうならないために研究しているんです。先生、ぜひ協力して下さい」

 教え子との間にこんなやり取りがあり、岡田茂吉の思想に共鳴したこともあって、比嘉は依頼を引き受けた。石垣島の農場で、彼は微生物資材を使った農法の指導に情熱を傾ける。85年秋、同センターが『自然農法国際研究開発センター」と名称を改め財団法人化された際には設立発起人となり役員としても名を連ねた。

確認したい事実は、

  1. 1982年の暮れに世界救世教系列の自然国際総合開発センターの指導に参加している
  2. 1985年秋に自然農法国際研究開発センターの設立発起人になっている
もう一つ確認して驚いたのはサン興産業(サン)の設立です。これには4つの情報の分析が必要です。
  1. 会社概要には昭和58年(1983年)となっている
  2. トップページのメッセージ(魚拓)に「サン興産業30周年記念9月セールが始まります!!」とあり、これはサンの始まりが1982年9月であると受け取れる
  3. EMって何?に「1983年、サン興産業が初めて商品化し、農業用に「サイオンEM」として販売を開始しました。」とある
  4. サン興産業のメッセージに「当初はバイオスター、バイオスター2号、バイオライフ、バイオクリーン、バイオガーデンの名で販売されておりました。」とある
ここから合わせて考えると、1982年9月にEMの原型商品の販売がサンによって開始されたと考えます。比嘉教授の関与は販売後として良さそうですが、どうも関与して1年足らず(えらい早いな!)でEMとして完成しサイオンになったと事になります。現在のサンは有限会社ですが、販売開始時は個人商店ぐらいの規模で、世界救世教の資金援助で1983年に有限会社になったとするのが妥当でしょう。

そこまで考えるとサン興産業のメッセージにある、

しかし、その数年後にEMの良さを知った自然農法研究所が比嘉教授の後ろ盾によりEMを独自に製造する事になり弊社は大きな打撃を受けました

これが理解できるようになります。サンはサイオン(EM)の専業メーカーであり、他社に製造販売を許すのは不自然です。世界救世教の資金援助の時に製造販売権を担保にしたのか、それとも資金援助の返済を盾にされたぐらいが一番ありえそうな話です。とにかく巨額の資金援助の前に他社による製造販売を認めざるを得ない状況があったです。

ここでサンとは別に「数年後」に世界救世教系の自然農法研究所が独自に製造販売するとなっていますが、これは1985年の「自然農法国際研究開発センター」じゃないかと見れます。世界救世教は内紛を起すのですが、これについてはEM菌をめぐる人々に、

この後、教団は86年に『再建派』と「新生派」に大分裂、84年には少数派の「護持派」も決成されていたから3分派に分かれる。

1986年から内紛が起こったわけです。比嘉教授は新生派であったとされます。ここで自然農法国際研究開発センターからER研究所がいつ分離したかですがEM研究所の企業情報に、

    1991年:(財)自然農法国際研究開発センター事業部としてEM研究所設立
    1999年:株式会社イーエム研究所設立(資本金1000万円)
こうあります。煩雑なので年表にします。

事柄
1970 琉球大講師
1972 琉球助教
1982 琉球大教授
世界救世教系列の自然国際総合開発センターの指導に参加
9月にサン興産業がEMの原型商品販売開始
1983 比嘉教授が参加し現在のEMにあたるサイオン完成
サン興産業が世界救世教の資金援助により有限会社となる
1985 自然農法国際研究開発センターの設立発起人になる
どうやらこの時期にサン興産業とは別に「比嘉教授+世界救世教」でEM製造販売
1986 世界救世教の内紛始まる。比嘉教授は新生派に属す
1991 (財)自然農法国際研究開発センター事業部としてEM研究所設立
1993 これ以前より船井幸雄氏と交友あり
船井氏の著書が縁で江本勝氏とも交友を持つ
1994 タイの土壌改良試験にEMが参加
株式会社EM研究機構設立(現在の資本金9000万円)
1996 土壌肥料学会のタイのEM無効の報告書
比嘉教授は報告書を世界救世教対立派の陰謀と明言
1999 株式会社イーエム研究所設立(資本金1000万円)
2001 EMフェスタにて水伝手法による検証報告
2004 江本氏とフランクフルトでジョイントセミナーを行う
2007 琉球大名誉教授。名桜大教授になる
EM雑誌にて江本氏、船井氏絶賛
2012 YouTubeにて損害賠償発言


私が調べうる限りの比嘉教授とEMの関連です。


個人的な疑問

EMは1983年に商品化されています。前編でも御紹介しましたが、その後は比嘉教授が世界救世教の自然農法研究所と組んでEM生産販売を始めたりしています。話題のYouTubeでも出てきた土壌肥料学会のエピソード(オリジナルは急遽削除されようなのでwaybackmachineよりサルベージ)は1994年のタイの実験の1996年報告を巡るものですから1996年から1997年ぐらいになるかと思われます。その頃には船井氏、江本氏との親交は既に始まっていたです。

1994年のタイでの実験の検証は現代科学による検証です。現在の比嘉教授は科学的検証について否定的な発言を行っておられますが、1994年の時点では行おうと試みたのではないかとも見えます。ところが1996年に否定される報告書が出された以降は方針が変わった可能性はあります。これは状況証拠に過ぎませんが、例の問題になったYouTubeでもこの件を持ち出されているからです。

それとこの土壌肥料学会の報告書に対して、世界救世教の内輪もめの影響を明言されています。よほど大変だった様で自然農法研究所からEM研究所を別離したのもそのためだとされています。そこからの足跡は年表で確認できる程度です。はっきり確認できたのは2001年にはEMの検証手法として水伝が公認されているぐらいです。考えてみれば、波動理論による科学体系の検証を現代科学で行うと確実に「効果無し」とされます。波動は波動で検証しないと有効性は出てこないです。


ここで実はよく判らないのはEM促進に何故に比嘉教授がEMの機序説明に波動理論を導入したかです。昨日のエントリーでオリジナルの開発者であるサン興産業のEM菌が働く原理を紹介しました。あれならそれほど無理なく理解可能です。そこに波動理論を組み込む必然性が感じられません。それをわざわざラジオニクス系統の波動理論まで導入しなければならなかったかです。別に不要じゃないかと言う事です。

ここは推理推測になりますが、サンの説明では使用用途は基本的に農業に留まります。またサンの原理ではEM菌で土壌を改良するために、

  • サン興産業は過去にEMに取り組んでいたが、効果が無くやめてしまった人々の話しを聞き原因を追求しました。失敗の原因は悪い活性液を失敗するまで使ったからです。サン興産業は原液を使う事が基本です。原液の費用でそれ以上の効果を得られるのであれば原液を使うべきです。その方が安全で確実な効果を得る事が出来ます。家庭や少量で十分な所です。次に農家や畜産業者等です。ある一定の量を必要としますが予算が少ない所です。原液を使った場合は費用的に厳しい所です。


  • ある一定のボーダーラインを越えるところまでEM側の微生物を優位に立たせることが必要です。

土壌改良のために一定の面積に必要なEM菌投与が必要と言う事です。これが河川や湖沼、さらには海洋相手となると「一定のボーダーライン」に達するまでに天文学的な量のEM菌が必要になります。農家や畜産業者クラスでもサンの説明ではコスト・パフォーマンスは時に厳しくなるとしています。つまりは量の壁です。

そうなると河川や海洋投与にコスト的に「買える量」で効果を示す理論構築が求められる事になります。簡単に言うとそこそこの量で効果が上る理論構築です。なにせ比嘉教授はそういう役割をEM菌業界で担っています。それを可能にするために導入されたのが波動理論ではないかです。波動理論ならこの壁を越えられます。セラミックスにするのも、放射能を消去するのも出来るようになるです。

ここは順序が逆の可能性の方が高いかもしれません。船井氏、江本氏により波動理論を知った比嘉教授がEM菌の効果を拡大したです。サンの原理はある程度シンプルですが、ここに波動思想を導入すれば単なる微生物による土壌改良に留まらず、微生物自体に波動の能力が付与され、1200度にも耐え、放射能でもダイオキシンでも分解消去してしまうです。


とりあえず元祖のサン興産業は比嘉教授の波動理論を積極的に受け入れている様子は窺い難いところです。でもって一番ハラハラしているのはサン興産業の様に思えて仕方ありません。あくまでも私の感触に過ぎませんが、共同開発者としての比嘉教授への敬意とは別に、現在の波動理論でのEM菌普及拡大路線とは一線を引きたいように見えます。

とは言うものの開発功労者であるのは間違いありませんし、比嘉教授の波動理論によるEM効果拡大により業績が向上した部分もまたありそうです。とくに今となっては比嘉教授とEMは一心同体状態です。世の中何が起こるかわかりませんから、もし「万が一」でも比嘉教授が転べばサン興産業とて共倒れの懸念はあります。まさにどこに行くのやらEM菌です。