日野原先生、提案は日本語で是非お願いします

8/27付朝日新聞デジタル「緩和」「末期」 暗い響きを見直すより、

 がんの患者さんで、がんが進行し、心身ともに痛みを感じている人たちが入院する「緩和ケア施設(PCU)」(英語でpalliative care unit)がいま、日本には244施設(4836床)あると言われます。PCUのある病院に入院すれば、身体的な痛みやその他の症状はモルヒネで取り去ることができ、精神面では、不安を軽減する薬を処方したり、音楽療法などで心を静めたり、といった対策が取られます。

 とはいえ、このような「緩和ケア」を受けている患者さんで、たとえ痛みが和らいだとしても、やはり死が近づく足音を心に感じて、思い悩みながら生活しているケースがあります。「自分は『緩和ケア』を受けている」ということが常に気になり、「死が近いのではないか」と心の中でおびえる患者さんが、決して少なくないのです。

 そんな問題がある中、2007年に米国テキサス州ヒューストンにある、がん専門病院「MDアンダーソンがんセンター」が、「これまでの『緩和ケア』という言葉は、がん患者に何となく暗い感じを与える」として、新たなシステムと名称を考案しました。がんに関する外来、入院、コンサルテーションを統合して、これを「サポーティブケア」と呼ぶことにし、PCUについても、「サポーティブケアセンター(SCC)」という名称に変えた、というのです。

 私は1993年、日本における独立型ホスピス「ピースハウス病院」を財団法人ライフ・プランニング・センターの一施設として、神奈川県中井町に開設しました。この財団法人で今年7月半ば、国際フォーラムを開き、その講師に、前述のMDアンダーソンがんセンターのサポーティブケアセンターから、スリラム・イェニウー博士を招いて、導入の経緯や成果についてお話しして頂きました。そして、日本各地から集まったフォーラム参加者の間でも、「末期ケア」「緩和ケア」といった呼び名は改め、「サポーティブケア」か、それにふさわしい日本語を考えてはどうか、という意見でまとまりました。

これはコラムのようで、

こうなっています。今回日野原氏が槍玉に挙げたのは
    緩和ケア
この言葉の語感が良くないみたいです。理由としては、アメリカでさえ「palliative」の言葉が嫌がられるので「supportive」にしている例を挙げらています。だから「palliative」を翻訳している「緩和」は語感として宜しくないです。もちろんある事象を表現するのに相応しくない表現があるならば、これを別の表現で置き換えようと提案する事自体は問題ありません。ただこのケースはどうなんだろうと感じています。


まずですが、私はそんなに英語が得意ではありませんから、英語nativeの方が「palliative」にどんな語感を持つのか判りません。もう少し言えば「palliative = 緩和」なのかもわかりません。言葉、とくに語感はなかなかストレートに置き換えられないからです。私が感じる限りでは「緩和」自体は、とくに酷い表現とは思いにくいところがあります。

それと言葉は結び付けられる事象によって語感は確実に変化します。たとえば「友愛」。前々首相がフレーズに用いられたお蔭で結構な色が付きました。「美しい国」なんてのも当時使われただけで嘲笑の言葉に変化してました。また医療関係者が「効率化」なんて言葉を医療政策で聞いたら反吐が出そうになります。でもって今回結び付けられる事象は、相手は死の足音を心に感じている終末期患者です。

    そして、日本各地から集まったフォーラム参加者の間でも、「末期ケア」「緩和ケア」といった呼び名は改め、「サポーティブケア」か、それにふさわしい日本語を考えてはどうか、という意見でまとまりました。
大真面目にやっておられますが、ほいでは御提案の「サポーティブケア」なら死の影に怯えないかです。到底そうは思いにくいところがあります。「ふさわしい日本語」として「幸福ケア」にしようが「喜びケア」にしようが、結び付けられる事象の重さには無力で、すぐに手垢が付くと考えます。個人的にはどんな言葉に置き換えても、
    「自分は『○○ケア』を受けている」ということが常に気になり、「死が近いのではないか」と心の中でおびえる
こうなりそうな気がしてなりません。何が言いたいかですが、患者が本当に怯えるのは死の影であり、緩和ケアの言葉自体ではないです。死の影が付いて回る「緩和ケア」が怖いです。よほど緩和ケアの言葉に差別的、侮蔑的な意味があるのならともかく、単なる言い換えで死の影の怯えがどうにかなるとは到底思えないです。

それと、そこまで用語が気になるのなら「死」の言葉がそもそも問題にさえなってきます。これが終末期患者ではかなり怯える言葉です。「痛み」とかましてや「苦痛」も良くありません。ではそれらの言葉を置き換えたら、死とも、痛みとか、苦痛から解放されるのでしょうか。これと同じ事を言っている様な気がしてなりません。


事象には言語表現が必要です。事象には好ましいものと、好ましからざるものがあります。好ましからざるものは、どんなネーミングを行おうが当該事象のイメージの色が濃厚に付きます。終末期医療の現場では「老病死苦」に関連する事象が数多くあり、それに対するネーミングは必要です。そして付けられたネーミングには悉く色が付きます。

色が付くからこそ、ある程度無難なものであれば、それ以上は触れないのも一つの知恵だと思っています。まあ、それでも「100歳・私の証」の記念事業みたいですから、「老病死苦」を吹き飛ばすような凄いネーミングが出るかもしれません。前例は無い事もなく、かつて人員整理と言えばひたすら暗いイメージがありましたが、これがリストラに変わると「やっていない企業が怠慢」みたいになっています。(ちょっと違うかな?)

なんと言ってもあの日野原先生ですから出てこないとは言えません。ただなんですが、

    サポーティブケア
これだけは止めて欲しいところです。こんなもの使われたら医療での「サポート」の言葉の語感が一遍に悪くなって使いにくくなります。是非是非日本語でヨロシク。「転生療法」でも「極楽療法」でも「歓喜昇天療法」でも「輪廻巡回支援療法」でも「地獄八景亡者戯御案内療法」でも、提案だけなら聞いときますから・・・。