悲劇は明後日の方向に動いているような

悲劇

これは読売記事です。元記事は消えているので孫引きです。

「救急車出動せず死亡」と山形市相手取り提訴

 山形大2年の大久保祐映さん(当時19歳)が昨年10月、体調を崩して山形市の 自宅から119番通報したが、救急車が出動されずに死亡したとして、埼玉県在住の 大久保さんの母親が市を相手取り、1000万円の損害賠償を求める民事訴訟さいたま地裁熊谷支部に起こした。提訴は6月15日付。

 訴状などによると、大久保さんは昨年10月31日、自宅で強い吐き気を感じるなど したため、午前5時頃に119番。通報を受けた市消防本部通信指令課の職員は 「タクシーで行けますか」などと応対、救急車を出さなかった。大久保さんの家族の 依頼で自宅を訪ねた大家が11月9日、死亡している大久保さんを発見した。

 大久保さんは通報後、教えられた病院やタクシー会社に電話せず、そのまま 自宅で死亡したとされる。死亡推定時刻は11月1日で、病死の疑いが強いという。 当時の電話のやり取りは録音されており、大久保さんは声が弱々しく、息苦しそうな 状況で、冷静な判断力がなかったとみられる。

 同課職員は救急業務が発生した際、救急隊を出動させることが不可能でない限り、 直ちに出動させる職務上の注意義務がある。このため原告側は、救急車を 派遣しなかった同課の判断は、誤りだと主張している。

 同課の小山康永課長は「訴状の内容を確認していないのでコメントできない」としている。

亡くなられた大学生の御冥福をお祈りします。事件は大学生が119番通報を行ったが救急車は出動せず、結果として学生はお亡くなりになられたと言う事件です。論点はいくつかあるのですが、消防署側の対応を記事からピックアップしておくと、

  1. 職員は 「タクシーで行けますか」などと応対
  2. 教えられた病院やタクシー会社に電話せず

19歳の若さもあったとは思います。自力でタクシーを利用できるかどうかを聞き、タクシー会社の連絡先や病院(その日の二次救急病院かな?)を告げている訳ですから、消防署員も一通りの対応をしているとは言えます。悲劇であったのは、自力でタクシーを利用できるとした大学生が利用できず、結果として死亡となってしまった点です。

遺族にすれば「四の五の言わずに救急車が出動していれば・・・」の思いは出てくるのは致し方ないにしろ、最近批判が高まっている軽症者の救急車利用の問題も絡む難しいお話と感じました。ですから報道時にはあえて取り上げていません。自分の考えがまとまらなかったからです。


訴訟的焦点

話は訴訟になっているのは読売記事が伝える通りです。訴訟は勝つか負けるかの勝負の場なんですが、訴訟として考えると、外形上の応対は消防署に分があります。上記した通り、本人の意思確認も行っていますし、必要な連絡先も伝えています。付け加えるなら、「それでも」があればもう一度改めて119番に救急出動要請を行う事も可能です。

そうなると訴訟的に原告側は、

  1. 本人が「タクシーで行ける」と言っても、消防署はそれを押しきって救急車出動を行うべきであった
  2. そもそもタクシー利用の可否を問う前に救急車を出動させるべきであった
2.の論点については微妙で、これを正面から争えば119番での問答無用出動につながるので、これを持ち出して争うのは時勢的に有利とは言えないと思います。だから1.も2.も含めて、
    電話の声だけで救急車出動が判断できたはずだ!
こういう展開にならざるを得ないと言うところです。さすがは消防署(当たり前なんですが)で、この時の応答記録の録音が残されています。これを遺族入手し公開された様です。早速と言うか、その電話音声による診断が行われているようです。7/26付河北新報に掲載されている2つの意見を紹介します。まず仙台市の内科医です。

 「大久保さんの声はとても息苦しそうだ。風邪が悪化するなどして肺炎を患い呼吸困難に陥ったのではないか。すぐに病院で処置すべき状態だ」と指摘した。

 大久保さんの声は途切れがちで、消防職員に名前を聞かれているのに年齢を答えるなど、かみ合っていない受け答えも多い。内科医は「呼吸困難のため声を出す力が乏しく、息を吐く力を借りて話している。だから長文は話せない。呼吸することに必死で、質問に意識が向いていない印象だ」と語った。

 「全身がだるくて仕方ないという感じだ。風邪か何かで発熱し、熱のせいでもうろうとしていると考えられる」と話すのは山形市内の内科医。「本人は『動けます』と言っているが、(自分の部屋があるアパートの)4階から階段を下りて病院に行くのは簡単ではないと声の様子から分かる」と分析した。

もう一つは救急医療に詳しい山形市内の医師です。

 「もうろうとした話し方から、脳疾患によるステロイドホルモンの分泌低下が考えられる。その場合、全身がだるくなって動けない、ゆっくりとしか話せないなどの症状が現れる」と解説する。

 大久保さんの声はろれつが回っていないようにも聞こえる。医師は「職員は『酔っぱらっている』か『薬を飲んで眠くなっている』と判断したかもしれないが、声の印象は、放っておくと深刻なことになる状態だ」と明言した。

河北新報はおそらく遺族サイドに立つスタンスでこの記事を掲載したと見ています。その事の是非は今日は置いておきますが、どう読んでも消防署サイドに立った記事とは思えないです。おそらく記事の意図としては、2人の医師が録音を聞いても「重症」と診断できた点を強調したかったのだと思います。おそらく記事の主張部分としては、

    具体的な疾患については所見が分かれたが、「重篤な状態だった」との点で各医師の見解は一致した。
結論として重症そうに聞こえるから救急車は出動すべきであったです。ただなんですが河北新報が軽視している「具体的な疾患」の見方が分かれている点は小さくないと思います。つまりですが
    仙台の医師・・・診断は肺炎である(呼吸器系である)
    山形の医師・・・診断は脳疾患である
診断が容易に分かれると言う事です。具体的な診断名より重症度の判定の方がこの場合重要ではないかの指摘もあるでしょうが、問題は訴訟になっている点です。訴訟の焦点は私が考えるところでは、電話音声だけで重症度が判断できるかであり、診断さえ割れる状況で重症度だけ正確に把握できるかの心証が裁判官にどう響くかです。それこそ3人目の医師が登場して、
    重症ではあるが、この音声では自力でタクシーで病院に行けない程のものとは考え難い
さらに別の診断名を上げた上に、重症度をこうすれば意見はマチマチになります。言ったら悪いですが河北新報の依頼に応えて電話音声のみの診断に当たった医師は、
  1. 事件の顛末を知っている
  2. 診断名を知らない
こういう前提下でなかなか「重症とは思えない」とは出来難いです。実際の音声は知る由もありませんが、19歳の大学生が救急要請するぐらいですから「かなりしんどそう」な声であったろうぐらいは想像できます。そこに結末を知っているバイアスが加われば思考方向は、
    電話の直後に人事不省になる病態は何か?
これしか考えないです。どうしても音声だけの客観性の限界を露呈してしまうと言う事です。だいたい直接診ても難しいものを、音声のやり取りだけで正確に判断するのは難しいになります。「さらに」の問題はあって、この判断を行なったのは医師でなく消防署員であると言うのも小さくないポイントです。そこまで求めるかの問題は当然出てきます。


かつて奈良救急不搬送事件と言うのがありました。このケースは泥酔者が転倒して頭部に打撃を受け、フラグラ警察署の前を歩いているところを保護され、救急隊が呼ばれたが、駆けつけた救急隊員は「実際に見た上」救急搬送は不要と判断したものです。このケースと少し近い気はしますが、それでもかなり違います。

奈良の場合はとにもかくにも救急隊が患者を実際に見ています。見た上での結果的な判断ミスの責任を問われたわけです。今回の山形のケースは、さらにそれ以前の電話要請の段階です。この段階でも同様の責任を問えるかです。問えるか問えないかは裁判所が判断することですが、もし責任を認めれば、奈良と並んでJBMならぬJBQが一つ出来てしまう気がしないでもありません。

もちろん今回の悲劇の「次」は避けれるものなら避けたいとの思いは私にもあります。ただ訴訟での責任問題の有無の話になれば、電話を取った消防署員の判断にすべての比重が圧し掛からざるを得なくなります。訴訟とはそんなものだと思っています。電話音声だけで無謬の判断を求めるのは難しい問題になりそうだと思わざるを得ません。


こっちは迷走

河北新報記事には付け加えがありまして、

◎安否確認できず/改善策づくり 山形大が着手へ

 山形大は25日、教職員らでつくる定例の教育・学生委員会を開き、同大2年大久保祐映さん=当時(19)=が死亡した問題を受け、大学として改善策づくりに着手することを決めた。

 大久保さんは昨年10月31日、山形市内の自宅アパートから119番に電話して救急車を要請したが、翌日、死亡したとみられる。遺体は11月9日に自宅で発見された。

 同委員会は、学生の安否を何日間も大学側が確認できなかった事態を重視。委員からは「授業を欠席したら、すぐに把握できるシステムが必要では」などの声が上がった。9月末に開かれる次回委員会で、具体的な対策案を協議する。

はええオッサンになっていますし、「今どきの若い者は・・・」を言っても相応しい年齢になっています。ですから現在の大学や学生生活を理解できていないのかもしれません。記事に麗々しくい書いてある山形大の対策つうか意見とされる、

  • 学生の安否を何日間も大学側が確認できなかった事態を重視
  • 授業を欠席したら、すぐに把握できるシステムが必要では

これが何を意図しているのかサッパリわかりません。今どきの学生は授業は皆勤が原則と理解して良いのでしょうか。それこそ小中高の様に、すべての授業に欠かさず出席するのが当たり前で、欠席すれば「どうしたのだろう」と噂される状態です。そういう状況が前提であるなら、打ち出している対策の理解も可能です。

私の時のように、タマに出席義務付け系の授業があれば教室が狭くなって困るという状況ではないと考えて良いのでしょうか。私もお世辞にも熱心な学生とは言えませんでしたから、まさに隔世の感を味わっています。世の中変われば変わるものです。