志木市民病院の話の裏舞台を推理してみる

志木市民病院の話は続いているようですの続編です。


これまでの経過

志木市民病院を巡る騒動を大雑把にまとめておくと、

  1. 小児科医(含む院長)と市長の関係が険悪となる(背景としては経営不振もあり)
  2. 小児科医が総撤退を表明し、市長もそれに応じて小児科無しの病院にしていくと表明
  3. このあたりで報道され、小児科がなくなると困るの声が多数上る
  4. 経緯は複雑(結局小児科医は戻ったんだっけ?)だが有識者会議(病院改革委員会)が作られる
  5. 再建委員会の最終報告は日大誘致となる
日大誘致の方針は正直なところビックリしました。実現すれば医師数の問題は一挙に解消するのは間違いありませんが、一般病床が100床だけの小病院に日大が果たして来るかの疑問です。それも医師を数名派遣してぐらいのお話ではなく、事実上の附属病院化の構想だったと記憶しています。


日大誘致の結果

世の中「瓢箪から駒」なんて事はないとは言い切れませんから、どうなるかを注目していたのですが、4/26付東京新聞より、

 長沼市長が設けた有識者の病院改革委員会は二月の最終報告で、短期施策として「大学病院の重点関連病院としての指定を要請する」よう提言した。これを受け、市長は日大医学部を訪問。同病院について、日大が主導的に各診療科に医師を派遣する関連病院に指定するよう要請した。特に、人員確保が難しい小児科入院・救急の医師の充実を求めた。

 日大は内部で検討を進めていたが、市民病院の設備が「若い医師が卒業後、研修の場とするには機能が十分ではない」(同大広報課)と判断。今月に入って、指定を見送る回答を志木市側に示したという。

期待されていた方には申し訳ないのですが、日大はお断りをしています。病院改革委員会の委員長を務められた方は、病院再建分野で名の通った有名人でしたから、まさかまさかの瓢箪から駒みたいな事も起こるんじゃないのかの憶測も一部に出ていましたが、大方の予想通りに「お断り」の結論になっています。


病院改革委員会

病院改革委員会の最終報告は2/24に行われています。焦点である日大誘致についてですが「短期的な課題に対する意見」に、

現状の診療科を維持し地域医療を守るため、医師の確保は最重要課題である。地域の小児救急を崩壊させないためにも、適切な診療体制(病床数)が必要であり、小児科医師を派遣できる大学病院に対して早急に重点関連病院としての指定や講座派遣を要請すること。

ここには日大の文字はありませんが、2/21付第2回志木市立市民病院改革委員会の会議録

4月1日以降は重点関連病院として、Aランクとして日大医学部に要請する。附属病院化は非常に難しいが。万一だめな場合は、半年ないしは1年以内に独法(非公務員型)にして、基準内繰り出しの範囲内で経営をしていただきたいと、こういうことです。

日大要請の話が具体的に出ています。さらに委員長と日大の関係として、

私がなぜ日大と接触できるかということですが、光が丘病院の前身である練馬医師会立病院が二十四、五年前、90億の負債で破綻したときの練馬区医師会の顧問公認会計士でした。日大から50億円融資をいただいて日大に引き受けていただいた。日大のどなたと会ってどういうということは言えません。当時の50億円の保証金問題についての鑑定書を書いたり、住民代表訴訟を練馬区民から受けたりしたときの練馬区側の鑑定人をやっております。かなり深い関係にありました。その当時の光が丘病院に関与した日大の方々がもうみんな偉くなっております。林委員がおっしゃったように、可能性はあるんじゃないかというふうに考えております。

へぇ、例の光が丘病院50億円問題にも関係してたんだ。ここについては今日は置いておいて、最終報告書にある大学病院は字として書かれていないが日大であると判断して宜しいようです。さて2/24は金曜日です。報告書を受け取った市長が日大に申し入れをしたのは、これは3/15付47ニュースから、

志木市の長沼明市長が二月末、日本大学医学部を訪れ、経営難の志木市立市民病院を日大の重点関連病院に指定するよう要請していたことが十四日、市や日大を含む複数の関係者への取材で分かった。

そうなると2/27〜2/29の間ぐらいに市長は日大に申し入れを行った事になります。えらい素早い動きです。この手のものの行政手続きに疎いのですが、最終報告には日大への要請のほかにも独立行政法人化などの運用形態を含む案であり、個人的には最終報告を志木市として受け入れるかどうかをまず決定し、それから動くものと思いましたが、どうも最終報告を受け取った時点で即日承認された気配が窺えます。

もちろん最終報告の志木市としての承認とは別に、市長判断で日大誘致の件だけ即決したのかもしれませんが、市長決裁にしてもこれだけ早く動いた点は注目しておいて良さそうな気がします。


ここでなんですが、市民病院改革委員会の設置についてには、

改革会議開催予定

 第1回会議は、2月8日水曜日夕方に開催する予定で、2月22日水曜日に開会される市議会の開会日を目途に、答申をもらい、市民病院の今後の進むべき方向のビジョンとして議会に示す予定です。

会議の討議期間は2/8に第1回の会議が行われ、2/22の市議会までに答申を行うとなっています。期間としては2週間ほどになります。ほいじゃどれほどの頻度で行われたかですが、第1回会議の終わりごろに、

松永 仁経営改革課長

次回の会議につきましては、事前にご通知してございますとおり、2月21日となっております。時間も今回と同様、19時からでございまして、会場もここの会場でございますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 第3回目は、次回の会議21日のときに、もし結論が出ない場合には開催するということで、次回のときに委員長に決定していただきますので、よろしくお願いいたします。

な〜るほど、もともと会議は2回の予定で3回目は予備だった事になります。2/8の第1回会議の時点のスケジュールは、

  • 2/8に第1回会議
  • 2/21に第2回会議を行い答申を出す
  • 2/21に会議がまとまらなければ2/24に第3回会議を行う
かなりスピーディな展開なのですが、実際はどうなったかです。とりあえず予備であった第3回は、

平成24年2月24日(金曜日)午後7時より開催予定でした第3回志木市立市民病院改革委員会につきましては、中止となりました。

そうなると第2回会議で答申が出された事になります。実際はどうであったかは実は微妙で、報告書は2/24付けとなっており、設置要綱で謳われた2/22の市議会に間に合っていない事になりそうに思います。

この審議スケジュールなのですが2/22の市議会に間に合わせる事が目標なのに、最終会議(第2回会議)はその前日の2/21になっています。こういう日程で間に合わせるためには、

  • 第1回会議であらかた原案のアイデアを出してしまう。
  • 第2回会議までに事務方が成案を作ってしまう。
  • 第2回会議では「てにをは」程度の修正で翌日の市議会に提出する。
よくあるスタイルですが、そうでもないと間に合いません。ほいじゃ第2回会議がシャンシャン状態であったかと言えばチト疑問です。まず委員長の冒頭のセリフが、

きょうは中間報告を取りまとめさせていただきます。市民の皆さんも多数ご参集いただきまして、まことにありがとうございます。議員の皆さんにも多数ご出席をいただきまして、ありがとうございます。

中間報告???。ここだけ読むと、中間報告を出した後も最終報告に向けて会議が続くような印象を受けるのですが、出たのはどうやら最終報告であるような感じです。報告書のタイトルも、

志木市立市民病院改革委員会
報告書

通常なら中間であれば「中間」と書かれそうなものです。さらに第2回会議の最後の委員長のセリフですが、

まだご意見があるかもしれませんが、とりあえずは一たん閉めさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

言葉の綾だけかもしれませんが、素直に読むと「後は次回の会議で改めて」みたいなニュアンスです。


裏舞台の推理遊戯

改革委員会の経過をまとめておくと、


Date 事柄
2/8 第1回会議
2/21 第2回会議・・・中間報告のとりまとめと委員長は言っている
2/24 第3回会議・・・中止となり同日に最終報告が提出される
2月末 市長が日大に誘致の申し入れ




笑ったのは2回しかない会議に2回とも欠席者がおられた事です。こういう経緯の会議の流れで読み取れそうな事は、
    日大誘致は会議前に市長と委員長の間で決まっていた
その事には今さら驚きません。決まっていたからこそ、2/24(金)に最終報告書が出た途端に市長の日大訪問が行われたです。問題は日大誘致は誰の決定であったかです。考え方は2つで、
  1. 市長が決定し委員長がとりまとめた
  2. 委員長が市長に提案し、委員長が会議でとりまとめた
a.は一般的な御用会議形式です。ただ今回がそうであったかと言われると疑問はテンコモリです。市長に日大を誘致するほどのコネがあるのなら、こんな会議をチンタラ行なう前に自分で動けば済む話です。会議を行うにしても運用形態の変更ぐらいのレベルで十分で、さらになら日大誘致を前提にした、これからの病院をどうするかをダイレクトに議論すればよい事になります。

素直に考えて委員長が市長に提案し、市長がそれを了解したと取るのが自然です。だからこそ最終報告を受け取った途端に動いたです。ここまで考えると委員長にはかなりの成算があったとしか思えません。だって何の成算もなく日大誘致を提案していたのなら市長は哀れなピエロにしかならないからです。志木市民病院はかなりの注目度を集めているところですから、そんな無責任な詐欺まがいの事をあの委員長がするとは思えません。


委員長の証言から考える

委員長はツイッターをやっておられて、志木市民病院関係のこの件に関連するツイートを拾ってみました。

Date 委員長のツイート
4/26 13:51 日大に断られて当然、市長はまるで解っていない!さらば志木市民病院!
4/26 20:06 志木市は 断られるに至った理由を開示すべきだ・・
4/26 20:54 志木市民病院に、日大教授会は関連病院審査会に諮るなど真摯に対応してくれた。日大は医師派遣業ではない、教育と研修の一環として医師を出しているのだと、繰り返し市長に話したが、唯我独尊だったなー
4/26 21:30 志木市長が自ら何回も日大医学部を訪問し関連病院に指定要請したことを、隠す必要はない。日大側の示した条件は何であったか? 何故断られたか?改革委員に一言も経過説明しない。幼児のような独裁者だ。
4/27 6:46 志木市民病院NHkは、日大が正式に断ったのは、老朽化が理由と報道した。事実に反する。病院長に全権限与えて関連病院にふさわしい組織にすることを求めていた。
4/27 7:27 事実です。志木市が日大の条件を議会にも全く報告せず交渉していた。議会の協力無ければ何もできないことを市長は分かっていなかった。
4/27 7:30 少なくとも朝霞地区は、国立埼玉、医師会の連携が素晴らしく崩壊はあり得ない。志木市民病院が廃止されても影響は殆ど無いでしょう。 あった方が良いという程度でしょうね。
4/27 7:32 現実的な話だったのですが、市長がおめでたかったということです!


ここから判る事は委員長は早起きであることです。ここで拾っているツイートで一番早いのは4/27の6:46ですが、その前の6:37にもツイートがあります。一方で夜は早いようで、4/26の最終ツイートは21:30です。4/27はたまたま早くツイッターを終えた可能性もありますが、翌朝のツイッター開始時刻も合わせると、早寝早起きである可能性はあります。実に健康的です。

別に委員長の生活習慣を探るのが目的でないのでこれぐらいにして、委員長のツイートから幾つかの事実が拾えます。

  1. 市長が日大を訪れたのは複数回である
  2. 日大誘致にあたり、日大から何らかの条件提示があったらしい
  3. 市長は議会の了承無しに交渉に当たっていたらしい
まあ日大も条件ぐらい出すでしょう。光が丘での練馬区との交渉の教訓が生々しいですし、申し訳ありませんがバブル期と違い関連病院が増える事が嬉しい時代でもありません。そのうえ志木市民病院はたった100床の小病院です。もし提示していたとすればかなりシビアな条件であったと考えられます。

ただなんですが委員長ツイートを信用すれば、誘致応諾のための具体的な条件提示まで日大は行っていた事になります。つまり形式だけ理事会にかけて「御希望には添えません」の門前払い状態ではなかったです。そうなると日大が提示した条件を志木市が呑めば日大誘致が成功していた可能性もあったです。委員長のツイートは志木市が呑めなかったから、せっかくお膳立てした誘致話がオジャンになったの文脈に読めます。


委員長のツイートだけを読むと後一歩まで漕ぎ着けていた日大誘致が、市長の判断ミスによりパーになったですが、本当はどうなんでしょうか。委員長が日大に対して根回ししていたのはあるとして良いでしょう。しかし日大からの求められた条件についてはどうであったかです。これだけのツイートしか推理材料がないのですが、市長は日大の提示した条件に難色を示したと考えられます。

難色を示した理由として考えられるのは、

  1. 交渉に行って提示された条件が高すぎた
  2. 交渉が日大提示条件を値切る事に終始した
a.なら市長は委員長から日大の提示する条件を聞いてなかったことになります。交渉に赴いて顔色が蒼ざめた世界ですが、ちょっと考え難いところです。委員長の根回しはかなり自信がありそうでしたから、交渉の要である誘致を受ける条件についてノータッチはありえないです。そこまで詰めてこその根回しです。

そうなると市長は委員長から聞かされていた誘致条件を丸呑みするのは無理と判断し、ひたすら妥協点を見つけ出すために交渉を行ったです。委員長ツイートを信用すれば市長が提示した妥協案は、日大の要求とかなりの乖離があり、交渉は決裂してしまったのストーリーが妥当になります。


私はもっと違う可能性を考えています。日大は何らかの理由により委員長の顔を立てる義理があったとまず考えます。要請に対し無碍には断れない理由があったです。とりあえず誘致は条件によっては受けると返事しておかないと何かと拙いです。しかし本音としては断りたかったです。そういう状況で角を立てずに断るには、

  1. 提示した条件の中に志木市が容易には受け入れられないものがあった
  2. 委員長に提示していた条件以外に市長にはもっとシビアな条件を追加して示していた
要するに交渉が決裂する様に誘導したです。条件交渉を実質的に決裂させておけば、誘致を断っても志木市側が不満表明する事はありませんし、委員長に対しても「条件がどうしても折り合わず」で弁明できます。さて本当にそんな舞台裏があったかどうかは・・・真相は表には出ないでしょうね。