論説主幹の特別講義

4/26付山陽新聞より、

構成や記事の読み方学ぶ 川崎医科大
本紙論説主幹が特別講義

 川崎医科大(倉敷市松島)は25日、2年生を対象とした「良医の礎・日本語」コースの一環として新聞を活用する特別講義を開き、約120人が山陽新聞社論説委員会の木山博雅主幹から新聞の構成や記事の読み方などを学んだ。

 木山主幹は、この日の山陽新聞朝刊の全32ページを教室に張り出し、新聞の構成や一般記事、社説、1面のコラム「滴一滴」について解説。「新聞には信頼できる多くの情報が詰まっている。見出しやリード(最初の段落)だけでも内容を把握でき、社会の動きや問題を理解し客観的に判断する力が養える」と強調した。

 また、地元紙として医療福祉分野の報道に力を入れてきた歴史を紹介しながら「日々、命と向き合う医師にはトータルな人間力が求められる。良い医師になるためにも新聞を活用してほしい」と話した。

 山口正樹さん(33)は「新聞を読めば他人の考えや生き方が分かる。毎日読んで人間力を高めたい」と話した。

この記事の解説についてはssd様の見解と同じで、

いや、なにも申しますまい。
素材そのものの味わいを損ねるだけです(w

それぐらい完成度の高い記事であると私も思います。とはいえ著作権の引用問題だけはクリアしておきたいのであえて愚を冒します。

    本紙論説主幹が特別講義
講義したのがなんとなんと論説委員のしかも主幹だそうです。論説委員がどんなものかの説明は不要かもしれませんが、山陽新聞よりメジャーとされるかもしれない朝日新聞論説委員に対し、同じ朝日新聞社記者である団藤保晴氏の評価を紹介しておきます。

さらに言えば、論説は密室で議論して勝手に書いていらっしゃるので、一線記者からすると不思議な社説がしばしば現れます。

もちろん山陽新聞論説委員朝日新聞とは全く違う質とレベルがあるかもしれませんが、少なくとも朝日を始めとする5大全国紙の論説委員のレベルは団藤氏の見解を裏付けるものであると見ています。



さてとオードブルはこれぐらいにしてメインディッシュに取りかかります。

    新聞には信頼できる多くの情報が詰まっている。見出しやリード(最初の段落)だけでも内容を把握でき、社会の動きや問題を理解し客観的に判断する力が養える。
ここをあえて2つに分割します。
    前半部:新聞には信頼できる多くの情報が詰まっている。
    後半部:見出しやリード(最初の段落)だけでも内容を把握でき、社会の動きや問題を理解し客観的に判断する力が養える。
ここは間違っていないと思います。とくに後半部だけなら実に「正しい」ものと感じます。見出しやリードだけで記事の内容を把握できるのは間違いありません。ただなんですが把握できるのは記事の内容だけです。リードと見出しで把握できる記事の内容とは、
    新聞社(記者)が情報から読者に伝えたい高度の創作によるもの
記者が理解し主観でもって判断できた範囲のものです。力むほどのものではありませんが、それが正しい事もあり、歪んでいる事もあり、さらに間違っている事も多々あると考えるのが健全な新聞の読み方です。正しいか、歪んでいるか、間違っているかをまず見抜けないと「社会の動きや問題を理解し客観的に判断」など到底出来ません。

つまり見出しやリードから記者ないし新聞社が高度の創作性に基づいて発信した記事内容を把握し、これへの情報分析が不可欠であると言う事です。新聞はそういう判断力を養うのに非常に優れた素材だといつも感心しています。


判断材料はネットでググるのも一法ですが、とりあえずは記事から読み取るのが最初の作業になります。記事の読み取り方としては、記事内容を細かく分析する必要があります。記事内容は二つの部分に分けられるとしてよく、

  1. 客観的な事実部分
  2. 主観的な高度の創作性部分
客観的な事実部分としては、挙げられている数値、日時はある程度信用を置いても良いかもしれません。ただ数値については「統計はうそをつく」式の用いられ方がしばしばされており、ここには常に注意が必要です。また数値も少し専門的な領域になると、記者自身の理解が生煮えの時が多くあり、本当に数値が事実を裏付けるに足る使われ方をしているかを疑っておくのは最早常識でしょう。

高度の創作性部分の読み方ですが、ここにも事実に近いものが混じっている事があります。とりあえずは情緒的、感情的な表現部分は削除してなんの問題もありません。そこを排除した上で、高度の創作により膨らんでいるモトダネを見つけ出すです。これはかなり大変な作業になります。

話は前半部の評価になるのですが、ここの正しい表現は

    (誤)新聞には信頼できる多くの情報が詰まっている
    (正)新聞には信頼できるかもしれない情報が詰まっている事もある
こうなっていれば完璧かと思います。記事にする時に字数制限のためか端折った分だけ表現が不正確になってしまっているようなのが「とても」残念です。

そうそうちゃんと付け加えておかないと誤解されます。記事を読むのは悪い事ではありません。個人の情報収集力など小さなものですから、たとえ新聞社バイアスを潜った記事であっても、記事なったような出来事がある事を知るのは非常に有用です。つまりは「社会の動きを知る」です。ただですが、記事になった出来事だけが社会の動きのすべてではなく、また記事内容は十二分に吟味して読み取る事が必要だと言う事です。

新聞記事の有用性とは様々な出来事がある事を知る点であり、決して出来事の価値判断をそこに丸投げしてはならないです。これこそが「客観的に判断する力」になります。医学生へのアドバイスとしては、新聞はもちろんですが、たとえ医学書・論文に書いてあっても鵜呑みしない「客観的に判断する力」を養う事です。医学的判断に求められるものはそういうものです。具体的に何かは将来実地に出てから叩き込まれてください。



あとはデザート部分ですが、

    また、地元紙として医療福祉分野の報道に力を入れてきた歴史を紹介しながら「日々、命と向き合う医師にはトータルな人間力が求められる。良い医師になるためにも新聞を活用してほしい」と話した。
山陽新聞はよく存じませんが新聞が「医療福祉分野の報道に力を入れてきた歴史」はあるのは実に「正しい」と思います。医療訴訟関係の報道なんて実に力を入れられておられます。こういう新聞を読むことによって、「トータルな人間力」みたいな陳腐な意味不明なパワーではなく、マスコミ報道と戦う力はつくのは間違いありません。

個人の情報発信としてはネットがお手軽ですが、お手軽なネットによる情報発信力は、新聞の持つ垂れ流し力にしばしば対抗できる程に育ってきていると感じています。まだまだ「しばしば」ですが、力関係は

    沈む垂れ流し力 vs 伸びるネット発信力
この関係は垂れ流し力によってネットを押さえ込もうとすればするほど、ネット発信力が伸びる関係にあるのが興味深いところです。とくに医療系のネット発信力の拡大はそうであった歴史を医学生の皆様には知っておいてもらいたいところです。ある種の反面教師みたいなものですが「良い医師になるためにも新聞を活用してほしい」は同感です。


あとはオマケみたいなものですが、

    山口正樹さん(33)は「新聞を読めば他人の考えや生き方が分かる。毎日読んで人間力を高めたい」と話した。
記事になった講義は2年生が対象とあり、33歳男性は医学生である可能性が高いと存じます。もちろん年齢からして講義の手伝い(スライド係とか)に来ていた助手の可能性も否定できませんが、さすがに医学生以外のインタビュー記事を掲載しても意味が乏しいからです。これは傍証に過ぎませんが、医籍検索では33歳男性の名前では該当者ゼロです。

そんな事はともかく、この33歳の男性も講義の意味を非常に正確に読み取られています。つまり、

    記事:新聞を読めば他人の考えや生き方が分かる
    男性:新聞を読めば記者の考えや生き方が分かる
原則は「」付きの引用部分は編集してはならないはずですが、あくまでも原則であって実際はかなりの編集が入ります。それこそ古典的な脅迫状である、新聞文字の切り貼りによる文章作成さえ編集権の名の下では可能です。ですから「記者 → 他人」ぐらいの置き換えは朝飯前だと言う事です。



エントリーを書きながら思ったのですが、新聞記事を読んで情報を収集するのは実に大変な作業が必要です。だからこそ医学生(大学生)であっても読み取り方の「講義」なんてもの必要が出てくる時代になっているのかもしれません。たとえば広告スポンサー(とくに大口)と記事内容の関連性なんてものになると、高校生でも理解がチト難しいかもしれません。

応用問題として「医療福祉分野の報道に力を入れてきた歴史」と医療訴訟報道と医療の広告制限の関連性なんてレベルになると、せめて医学生にならないと難しすぎるテーマにも思えます。

そういう新聞報道の本質を見極め、そこから自分にとって有用な情報を得ると言うのは社会を生きていくために必要ではあります。しかし一方でお手軽に手を出さない方が安全そうに見えて仕方ありません。一種の有害規制文書みたいなもので、利用法によっては有用だが、知らずに近づけば被害も大きいみたいな扱いです。気のせいかなぁ。