プロの生保

周期的に話題に出てくる生活保護(生保)問題ですが、小児科に関してはと言うか、私が扱う範囲では後で書類を書くのが面倒ぐらいのものです。小児医療では相手が生保であろうと、なんであろうと「早く治したい」が共通認識項目であり、少なくとも医療を行なう上ではさしたる問題を感じた事は殆んどありません。

私は小児科医なんですが、ある時期に内科をやる羽目になったことがあります。病院の事情で本職の内科を病棟付きで1人で任せられた状態です。内科の後継を見つけ出すまでの「つなぎ」と言う約束のはずでしたが、内科医の後継を見つけるのは難航し、思わぬ期間をやらされたと言うところです。小児科と内科は重なる部分もありますが、重ならない部分も少なくなく、長期化に連れ勉強が必要になったのは間違いありません。

当時は開業なんて考えていなかったのですが、今となってはあの時に泥縄式でも内科知識の裾野を広げておいたのは結果的には良かったとは思っていますが、やっている間は大変でした。教科書的な知識だけで相談相手もなしに手探りで診療するのは冷や汗モノと言うところです。そんなにレベルの高い医療でなくて良かったと思っています。


その内科をやっていた病院ですが、土地柄ですが生保患者の比率が高いところでした。ひょいと並んでいるカルテ(紙カルテです)を見ると、ほとんど生保みたいな状態が珍しくもないと言えば良いでしょうか。もちろん全体数から言えば生保でない患者の方が多いはずなのですが、やたらと目に付くぐらいはおられたのは間違いありません。

内科と小児科の医療は様々な相違点があるのですが、町医者レベルで言えば慢性疾患の比率が全然違うのは挙げても良いかと思います。小児科なら慢性と言っても、アトピーとか喘息のようなアレルギー疾患が中心になります。もちろんもっと手強い慢性疾患もありますが、小児科の場合はそのクラスは病院フォローになるか、開業医でもとくにサブスペを掲げるところの患者になります。一方で内科はいわゆる成人病が中心になってきます。糖尿病とか、高血圧とかです。


話を生保に戻さないといけないのですが、生保患者でも糖尿病や高血圧ももちろんおられますが、非常に目に付いたのは精神系の疾患です。私は前任の内科医が急遽退職した後任でしたから、既についている診断名を眺めるばかりでしたが、心身症とか、自律神経失調症鬱病とかの類がとにかく多かったのを覚えています。何が言いたいかですが、見た目はどうみても元気な者がどうにも多いです。

もちろん心の病ですから見た目で判断してはならないのですが、根が小児科医ですから「なんとか治したい」と素朴に思ったりしていました。とは言え、「なんちゃって内科医」に過ぎない程度の技量では、前任(いや前々任、いやいや前々々任から)の本職内科医でも治せなかった病気は手強いのは間違いありません。

内科担当が長期化しそうな情勢になった時点で、拙いなりになんとかしようとした頃に気が付いた事があります。心の病系の患者でも非生保の患者は「なんとかしたい」の要求が確実にありました。少しでも状態の良い時には仕事にもつき、仕事に付いたら受診が遠のき、また病気が悪化して受診するみたいな繰り返しです。こちらもやる気はあっても知識も経験も乏しい分野だけにまさに切歯扼腕状態です。

一方で生保患者のある一群は治る気が非常に乏しいと言う事です。治る気が乏しい代わりに受診は非常に熱心です。定期的に確実に受診し、ちゃんと症状を説明してくれます。しかし症状に関しては全く変わりません。変わりませんと言うか、ある一定以上は絶対に良くならないです。どうしてだろうと悩んでいたら、ベテラン看護師がサラッと説明してくれました。

    彼らは病気である事、定期的にキチンと受診する事が仕事のすべてである
つまり病気で仕事に就けない証明を病院に求めに来るだけで、病気でもなんでもないと言う事です。すべては生保資格の維持のためのお仕事であると言う事です。聞いた瞬間にすべてを理解したと同時に大きな落胆を味わいました。


今から思い出してもプロとはああなのかと感心するぐらいの方々でした。心の病は本人以外は証明しようがありません。本人がそう主張する限り延々と心の病です。普通はそういう状態のままでは仕事が出来ない、食って行けないから治そうと努力する関係にあるのですが、心の病である事で生活できるとなれば状況が一変します。

彼らがプロであると痛感するのは医師には非常に対応が丁重である事です。しばしば生保患者は診察室で横暴になる事もよく聞きますが、プロとなると医師との関係を良好に保つ事がいかに重要であるか熟知していると言えば良いのでしょうか。医師の機嫌を損ねても彼らには何のメリットも無く、むしろ良好にする事によりメリットを引き出す事に努力を傾注させます。

おおよそ1ヶ月に1回程度の定期受診になる事が多かったと記憶していますが、その時には1ヶ月間の症状の変化についてキチンと説明されます。それだけでなく、定期受診以外にも「調子が悪い」との受診を挟みます。さらには、これも重要なポイントですが、入院治療も要求されます。調子が悪くてとても家ではいられないの強烈な訴えです。


この入院治療も見事なプロの技が展開されます。決して29日を超えての入院は行いません。29日目が来ると「良くなった」と何があっても退院されます。そうしておいて、数日すれば「やはりダメだった」として入院してきます。

何故にこんなに面倒な事をするのだろうと不思議だったのですが、これもベテラン看護師が解説してくれました。生保の入院は1ヶ月未満なら短期入院で生活費と入院費用が支給されるが、1ヶ月を超えると長期入院と見なされ生活費の支給が打ち切られるそうです。だから29日目には絶対に退院するとの事です。

入院する事により病気で働けないの証拠の補強になりますし、入院中は食事代モロモロが浮きますから小遣いも残ります。一石二鳥なんですが、実はこれが一石三鳥であり、三鳥目は途轍もなく大きなものがあります。退院すると何通もの入院保険の証明書が回ってきます。3通、4通はザラです。


入院保険のカラクリもベテラン看護師から聞いて納得したのですが、プロは生保が家業ですから一族生保状態です。そこでプロのプロたる所以は一族の中に生保じゃない人を作っておくのだそうです。生保状態では入院保険は掛けられませんが、生保でない人が生保の人に保険を掛けるのは問題ないそうです。病気で生保になっているので保険料は上がると思いますが、いくら高い掛け金でも確実に大きなリターンがあると言う事です。

もっとも15年ぐらい前の手法なので現在でも使われているかどうかは不明ですが、断続的であっても延べ3ヶ月ぐらい入院となれば相当な金額を手に入れることが可能です。どれぐらいか試算してみれば宜しいかと思います。


考えてみれば私は良いカモであったように思っています。本職の内科、とくに精神関係の専門家ではありませんから、赤子の手を捻るようなものだったのでしょう。ですから幾ら言っても専門科への受診はやんわり断られました。「ここが私に合っている」は偽らざる本音だった様に思います。もっとも私の歴代の前任者でもどうしようもなかったのですから、致し方なかったと慰めています。相手は筋金入りのプロだからです。

もちろん生保の方の全員がプロではありません。本当に困って生活保護を受けられている人が多数であると信じています。たまたまかもしれませんが、なんちゃって内科医時代はプロの方が「多いなぁ」と感じた次第です。きっと彼らはどんなに生保の制度を厳格化しても生き残ると思っています。そりゃ家業としての生保ですから、情報収集は熱心ですしネットワークもあるようです。プロとして迅速かつ的確に対応される事でしょう。