横浜球団身売り

横浜ベイスターズがついに身売りだそうです。去年も半分決まったかのような話が出ていましたが、1年遅れで規定路線通りの理解で宜しいでしょうか。横浜の成績を栄光の1998年から振り返っておくと、


年度 試合 勝率 順位 監督 オーナー
1998 136 79 56 1 .585 優勝 権藤博 マルハ
1999 135 71 64 0 .526 3 権藤博 マルハ
2000 136 69 66 1 .511 3 権藤博 マルハ
2001 140 69 67 4 .507 3 森祇晶 マルハ
2002 140 49 86 5 .363 6 森祇晶 TBS
2003 140 45 94 1 .324 6 山下大輔 TBS
2004 138 59 76 3 .427 6 山下大輔 TBS
2005 146 69 70 7 .496 3 牛島和彦 TBS
2006 146 58 84 4 .408 6 牛島和彦 TBS
2007 144 71 72 4 .529 4 大矢明彦 TBS
5008 144 48 94 2 .338 6 大矢明彦 TBS
2009 144 51 93 0 .354 6 大矢明彦 TBS
2010 144 48 95 1 .336 6 尾花高夫 TBS
2011 144 47 86 11 .353 6 尾花高夫 TBS


こうやって見るとTBSがオーナーになってちょうど10年ですが、その間の成績は3位が1回、4位が1回、最下位8回となっています。3位の年でも負け越していますから、勝ち越しなしの10年間であった事がわかります。横浜ファンの皆様御苦労様です。まあ低迷期と言うのはあるもので、阪神だって1985年の優勝から、その次の2003年の優勝までの成績は、

年度 試合 勝率 順位 監督
1986 130 60 60 10 .500 3 吉田義男
1987 130 41 83 6 .331 6 吉田義男
1988 130 51 77 2 .398 6 村山実
1989 130 54 75 1 .419 5 村山実
1990 130 52 78 0 .400 6 中村勝広
1991 130 48 82 0 .369 6 中村勝広
1992 132 67 63 2 .515 2 中村勝広
1993 132 63 67 2 .485 4 中村勝広
1994 130 62 68 0 .477 4 中村勝広
1995 130 46 84 0 .354 6 中村勝広
1996 130 54 76 0 .415 6 藤田平
1997 136 62 73 1 .459 5 吉田義男
1998 135 52 83 0 .385 6 吉田義男
1999 135 55 80 0 .407 6 野村克也
2000 136 57 78 1 .422 6 野村克也
2001 140 57 80 3 .416 6 野村克也
2002 140 66 70 4 .485 4 星野仙一


とくに1993年から2002年の10年間は4位が3回。5位が1回、最下位6回で、勝ち越しどころかAクラスもない低迷期を経験しています。1992年以前も最下位4回ですから、優勝までの17年間に10回の最下位を経験しています。当時を知るファンとして今年の4位も頑張った方に思ってしまうぐらいのものです。さらに1984年以前は・・・やめときます。

この低迷期を、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ末に優勝の味を知るのもプロ野球ファンの醍醐味(単なるマゾとも言えそうですが・・・)の一つなんですが、横浜との違いは身売りされなかった事に尽きるかもしれません。球団身売りもファンにとって寂しいものですが、悪い面ばかりではありません。身売り後に見違える様に強くなった球団もあります。

たとえば西武。西武の前身はクラウンライターであり、その前は太平洋クラブであり、さらにその前は西鉄です。黒い霧事件以来、どうあがいても再生できなかったライオンズは西武の買収によって甦っています。ソフトバンクもそうで、前々身の南海は名門ではありましたが、末期は手もつけられないぐらいガタガタになっており、これをダイエー、さらにはソフトバンクが肩入れして強豪として復活しています。

もっとも西武もソフトバンクも成功例とは言え、本拠地を遠くに移転してしまっていますから、そういう意味では古くからのファンは複雑かもしれません。そういう意味では北海道に移転してしまった日本ハムも微妙なところです。


では本拠地も変えず(都市を変えるの意味でお受け取り下さい)に買収されて強くなった球団があるかです。北海道移転前の日本ハムはそれなりに該当するかもしれません。日本ハムの前身は日拓ホーム、さらに前身は東映なんですが、東映時代の1962年に優勝しています。この時の本拠地が神宮ですから、日本ハム時代の1981年に後楽園で優勝していますから条件はなんとかクリアします。

他となるとさらに古い話になるのですが、あえて言えば二リーグ分裂の1950年に優勝した毎日オリオンズが、1960年に大毎オリオンズで優勝したケースぐらいでしょうか。毎日オリオンズ毎日新聞がオーナーでしたが、1958年に大映と合併して大毎になり、実質のオーナーは大映になったと考えて良いかと思います。ただなんですが、1960年の根拠地は後楽園で良いとは思うのですが、1950年となるとどうかですが、wikipediaより、

かくして1950年のパ・リーグ公式戦開始より参戦。本拠地は後楽園球場。

まあ、当時は球場が少なかったので、後楽園もこれはwikipediaから、

1952年にプロ野球では正式にフランチャイズ制度が導入されたが、後楽園は巨人、国鉄、東急、毎日、大映の5球団が本拠地として構える

今の本拠地感覚とかなり違う様には思います。さらに1970年の優勝時(この時は複雑で球団名は冠スポンサーがロッテでオーナーが大映永田雅一)は東京スタジアムでしたが、なんかギリギリ違う様な気がします。ただロッテも東京スタジアムを追い出され、ジプシーから川崎、千葉マリンと変わっていってますから、日本ハムに近い感じのようにも思います。


ほいじゃ、かつてそれなりの黄金時代を築いた球団(単発の優勝でもヨシとします)が今も本拠地も変わらずに買収により復活した例があるかと言えば、これがありそうで思いつきません。ウンウン考えていたのですが、私が調べる限りないように思います。

あえて言えばヤクルトが近いとは言えます。ここは最初は国鉄で、次がサンケイ、その次がヤクルトになるのですが、しかし再生復活ではありません。

国鉄もサンケイも弱小球団であり、ヤクルトになってからも長い弱小期間がありました。今はスワローズとなっていますが、かつてのヤクルト・アトムズ(変えといて良かったと思います)時代は、某テレニアニメに登場した時に「マケルト・アトナイズ」と皮肉られたものです。これはこれで感動のストーリーだったのですが、それぐらい弱い球団の代名詞時代があったと言う事です。

横浜も低迷期になってから横浜(大洋)銀行と皮肉られましたが、ヤクルトも低迷時代は「ヤクルト飲んで元気になろう」でしたからね。


もっとも前例は覆されるためにありますから、横浜がこれから新たな前例になる可能性は十分あります。TBSはテレビ局と言う性質から短期の成果を追い求めすぎて経営に失敗したと私は思っていますから、腰を据えて球団強化に本気で取り組むオーナーがいれば、横浜再生は不可能ではないはずです。あの阪神だって復活しています。

古風ですが名は体を表すと言って、球団名もやはり重要です。名前だけでは強くなれないとは言え、まず名前だけでも響きの良いものにするのが再生の第一歩とは言えます。阪急を買収したオリックスは好きではありませんし、伝統あるブレーブスを名を捨て去ったのも気に入りませんが、港町神戸にちなんでブルー・ウェーブとしたセンスはなかなかのものだと思っています。

でもって、新生横浜の球団名は、

趣味と好みと慣れの問題ですが、名前段階では前途多難と思ってしまいました。少しでも負けが込むと、なんか凄い略称が出来上がりそうな悪寒さえしています。さらなる苦境低迷時代から、早々に次の身売り先を探すような顛末にならない様にだけ、プロ野球ファンとして祈っておきます。