AEDを持つ事の責任

10/14付産経記事より、

市教委などによると、事故があったのは9月29日。午後4時5分ごろ、駅伝大会に向けた長距離走の練習中に女児が倒れ、養護教諭が同8分に119番通報。同13分に救急隊が到着したが、既に呼吸がなく心肺停止状態だった。救急隊は持参したAEDを使用し、同28分に病院に向け出発した。女児は病院に搬送された後も意識不明の状態が続き、翌30日夜に死亡した。死因は不明。

遺憾ながら10/15付タブ(Yahoo !版)より、

 市教委によると、女児は9月29日午後4時5分ごろ、グラウンドで1000メートルを走り終えた後に倒れた。教諭が駆けつけたところ、意識はもうろうとしていたが目を動かすなどの反応があったという。

 学校によると、同8分に119番し、同10分ごろに女児を保健室に運び込んだ。学校によると、女児は大きく息を吸っているように見えたが、呼びかけても反応は無く、指先は冷たかったという。

 市消防局によると、到着した救急隊員が同15分に確認した際、女児は心肺停止状態で瞳孔が開いていたという。女児は病院に搬送されたが翌日死亡。死因は判明していない。

もう一つ10/14付Asahi.comより、

教育委員会や同校の説明によると、女児は9月29日、駅伝大会の選手選考を兼ねた練習に参加。持病はなく、事前に体調不良も訴えずに走り終え、15メートルほど歩いてから倒れ込んだ。午後4時5分ごろで、意識はもうろうとしていた。

 学校側は、女児を担架で保健室に運んだ後の同8分に119番通報し、救急車を要請。女児は大きく息を吸う動作はしたが、声を掛けても反応がなく、指先は冷たかったという。

 市消防局によると、到着した救急隊員が同15分に確認したところ、心肺停止状態だった。人工呼吸や胸の圧迫などの心肺蘇生処置はされておらず、瞳孔も開いていた。重篤だったため認定救急救命士が追加派遣された。薬剤を投与しつつ、女児を市内の病院に搬送したが、翌30日に死亡した。死因は分かっていない。

亡くなられた女児の御冥福を謹んでお祈りします。まず時刻関係を整理します。

時刻 経緯 経過時間
16:05 女児が倒れる 0分
16:08 女児を保健室に担架で運び119番通報 3分
16:13 救急隊到着 8分
16:15 救急隊員が心肺停止状態を確認 10分
* 認定救急救命士が追加派遣
16:28 病院へ向け出発 23分
* 翌日夜に死亡


タブは先に16時8分に119番通報した後に16時10分に女児を保健室に運んだとしていますが、順序は不明です。倒れた時の女児の状況は、

  • 意識はもうろうとしていた(Asahi.com
  • 女児が倒れた直後は脈があり呼吸も確認(産経)

そうそう女児は「持病はなく、事前に体調不良も訴えず」(Asahi.com)であったそうです。保健室での容体についても、タブですが、

同小は「保健室でも息を吸っていて、脈もあったため」と説明

どの情報がどれだけ信用できるか(ソースは同じはずですが・・・)が大変難しいのですが、意識は早くから無くなっていたのは確かですが、呼吸と脈がいつまであったかは微妙です。タブ説を信じれば、16時10分に保健室に運んだ時点でも脈はあったとなります。倒れた直後にまだ脈も呼吸もあったのは確かなようですが、どこまであったかは何とも言えない様です。

救急隊到着時は心肺停止状態であったとしてよさそうですが、蘇生は容易ではなかったのは認定救急救命士が追加派遣された事でも明らかですが、最初から乗って来なかったのは119番通報の内容による判断かどうかは不明です。認定救命救急士の存在が生死を分けたかどうかについての情報はありません。なんとなく認定救命救急士を呼び寄せるより、心マしながら病院に向う選択もあったと思うのですが、搬送先がすぐには見つからなかったのでしょうか。

女児は、Asahi.comより、

遺族の意向で、遺体は解剖されず、火葬された。

解剖しても死因が特定できたかどうかも何とも言えないところですが、医療関係者ならとりあえず念頭に浮かぶのは突然の致死性不整脈でしょうし、他には、う〜ん、脳出血の類(こんなに早く呼吸が止まるかな?)はどうであろうぐらいは連想される方もおられるかもしれません。ただ情報では原因不明となっており、憶測推測の域を超えない事になります。


おおよそですが事件の全貌はこんな感じです。学校側の対応として時間はベストタイムに近いように思います。かなり状況が違いますが、前に介護者施設でのアメ玉窒息の判決結果があります。

時間 認定された事実 時間 裁判所の救命ストーリー
0分 窒息発生 0分 窒息発生
除去処置 除去処置
10〜15分 119番通報 0〜5分 119番通報
20〜25分 救急隊異物除去 10〜15分 救急隊異物除去


即座に119番通報を行わなかった事が安全配慮義務違反に問われましたが、今回の3分は119番通報タイムとしては安全配慮義務範囲ではないでしょうか。倒れたのは運動場ですから、そこから119番通報に至るまで3分は長いか短いかです。もっとも携帯がこれだけ普及している時代ですから、「もっと即座」の判断が出ないかと言われれば、私はなんとも言えません。


ただ現在のところは訴訟になっているわけではなく、マスコミ各社が焦点にしているのはAEDの使用問題です。そのためか有識者のコメントもそれにそって集められているようです。

  • 日本救急医学会評議員、指導医を務める鹿野恒・札幌市立札幌病院救命救急センター医長(救急医学)は「一般人が呼吸の有無を判断するのは難しいが、呼吸しているようでも心臓が止まっていることもある。原則的にはAEDを試みた方が良かったのでは」と指摘している。(タブ)

  • 日本救急医学会員の鈴木崇儀歯科医師=愛知県岡崎市=によると、「自発呼吸」は「あえぎ呼吸」だった可能性がある。呼吸の中枢機能が失われ、口を開けて努力するように呼吸する状態を指し、すぐに心肺蘇生処置が必要となる。(Asahi.com

結果論的な指摘としては必ずしも誤っていないでしょうし、同様の事を医療機関が行なったら宜しくないとは思います。ただ学校であってもここまで求めるの論旨が含ませていると感じてしまいます。


AEDの位置付けですが、元もとは致死性不整脈が起こったときに「たまたま近くにあり」「たまたまそれを使える人間がいる」時に「ラッキーにも使われる」事があれば命を救える可能性が高まると言うものだったように思います。言ったら悪いですが僥倖の期待です。どこにでもあるわけではなく、操作は簡単と言っても、機械の性格的に誰もが習熟している事を必ずしも期待できないからです。

医療関係者でさえ、AEDを誰でもラクラクと操作できるかと言えば必ずしもそうとは言い切れないところがあり、私も実戦で一度も使ったことがありません。AEDは愚か、DCでさえ横で見ていた経験があるぐらいです。使われるのは急場ですから、居合わせた人間が冷静にAED使用の判断を下す事は、期待であって義務ではなかったと思っています。

ところがAEDの普及に伴い、AEDの位置付けが変わってきています。2008年に高校野球の練習試合にAEDを持参していなかった事を訴える記事がありました。AEDが使われる可能性がある場に持参していなかったことを注意義務違反とするものです。この訴訟がどうなったかは存じませんが、AEDはいつでもあって当然に意識は明らかに変わっています。

あって当然ですから、あって使わなければ責任問題と言うわけです。今回の記事の各紙の論調は毎度の金太郎飴で見事にそろっています。AED普及に当たり、AEDをわざわざ購入して設置する事は、どちらかと言えばボランティアに近かったと考えています。そんなに安い機械ではありませんから、設置する事で利用者なり、利用客へのサービス向上と設置する事への社会貢献と言うかイメージアップの部分は少なからずあったはずです。

これがある程度普及した現在では、AEDを設置した機関なり施設は、これを急場の時に常に的確に使う事の義務が求め始められているとすれば良いでしょうか。使えたらラッキーではなく、使えなければアホンダラです。ごく近い将来に賠償付のアホンダラにならないとは誰も言えないと思います。

これは10/15付読売新聞ですが、

メーカーなどが交換時期を記載しているが、目視による装置の確認も必要という。大阪市では昨年4月、救急隊が使用したAEDが故障で作動せず、心肺停止状態の男性が死亡する事例があった。同課は「少なくとも1か月に1度点検してほしい」と施設や各市町村に呼びかけるとともに、「日常点検」を担当する管理責任者の配置を求めている。

この記事の「同課」とは埼玉県薬務課です。管理責任者が任じられますと、もしAEDが動かなかったら日常点検をどれだけやっていたかの問題は当然起こり、とにもかくにも動かなかったら責任問題は当然の様に問われる事になります。

ではではそんなに厄介ならばAEDは設置しないみたいな考え方も必然的に出てきますが、今度は「これだけ人が集まる施設に設置していないのは怠慢である」の責任問題が問われだすような気がしてなりません。現実にも散見される様な気がします。大変な時代になったものだとつくづく思います。あえてまとめておくと、AEDを持つ事への現在の責任は、

  1. 必ず動作する様にしておく管理責任義務
  2. 急場で常に的確に使える使用責任義務
これが問われる事になり、ほぼ同時進行で、
  1. ある程度の施設では設置責任義務
こうなるのは必然的な流れのようです。