このシリーズも回を重ねていまして、
色んな事があったのですが本線だけを無理やり簡略に追えば、CCU当直がオンコールに切り替わった時に、様々な事情で当直料(金額的には当直料 > オンコール料)のままで支払われ、その過払い分の返還が求められた問題です。金額にして1500万円ぐらいだったようで、当初は医師から返還してもらうとの意気込みであったのが、これも様々な経緯の末に事務方と現在循環器に所属している医師が折半と言う決着に至っています。細かい事情はテンコモリあるのですが、興味のある方はこれまでの備忘録シリーズをお読み下さい。
モトネタは
ここに院長のコラムがあります。院長はいつから小田原市立病院長であったかですが、7年前院長就任に当たり
こうなっていますし、また「平成22年度病院収支の途中経過が来た」ともなっていますから、平成15年(2003年)頃に就任したとして良さそうです。就任当時の小田原市立病院の経営も芳しくなかったようで、
前市長から「先生の院長就任の条件は市立病院の黒字化です」と言われ「がんばりますが病院経営は私のやりたいようにやらせてください」と答え「わかりました。約束します」と言っていただいた。
この院長は前市長から頼りにされたように、年功序列だけで就任したわけでなく、かなり経営手腕も見込まれてのものだったようです。7年間の成果として、
平成22年度病院収支の途中経過が来た。すごい経常収支の黒字で累積赤字をほとんど帳消できる額であった。私が注目したのは市からの繰入金から経常収支黒字額を引いた額が総務省から当院への地方交付税に近いことだった。これは当院が市から財政的に自立したことだった。「黒字体質への構造改革」を進めてきたが骨格は完成しているので今後も医業収支レベルで利益を出し続けるだろう。
どうやって黒字化したかは興味のある方はネタモトのリンク先をお読み下さい。個人的に注目したいのは、
- 色々な名目の診療手当てを作り可能な範囲の営利企業従事許可も出し一生懸命働く医師は年収3000万も可能なシステムを作った。医師からの要求は認め病院側は全く干渉しない状況にした。
- 医師の給料が開業医の半分ではだめです。私は当院医師の給料が汗を流し血を見れば年給3000万稼げる体系を作った
結果を評価すれば実に感動的なもので、経営再建のためとして医師も含めた人件費を削減するのがよくある手法ですが、むしろ厚遇して医師を呼び集め、病院のアクティビティを高める施策を行なったようです。それだけの事をしても黒字体質に病院を転換させたのは凄い手腕だと素直に思います。
これだけの実績を積み上げれば誰からの文句は出ないと思いたいところですが、市長が交代して風向きが変わっていたようです。前市長は4期16年の長期政権だったのですが、2008年には現市長に交替しています。4期もやれば交替の必要性はあるのですが、前市長の時のような友好信頼関係は続かなかったようです。
しかし市長が現市長に変わってからいろいろな不都合が生じてきた。まず市立病院の政策は市民、職員のポトムアップにより決定、実行されるものであり院長が今までやってきたトップダウン方式を改めるべきであると言われ、突然私の政策が全て止められてしまった。もう少しで年間数億の純益を作り出せるプロジェクトが始まる直前だったのに。
経営が傾き沈滞ムードが支配してる病院を改革するには、やはり強大な権限が必要です。前市長時代は市長の信頼と言うバックアップを得て、トップダウンで改革を進めていたようですが、これを
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市立病院の政策は市民、職員のポトムアップにより決定、実行されるもの
労働強化といえば言葉が悪いのですが、赤字が何もせずに黒字に変わるはずもなく、赤字時代より働く事が黒字への必須の条件になります。そうなった時に問題なのは職員の意識です。病院職員は大きく分けて2グループに分かれると考えます。
- 流れ者中心の医師集団
- 地元出身者で固める、医師以外の職員
そういう状況はとくに公務員職員はかなりの苦痛であると考えます。簡単に言えば、院長のトップダウン改革に対する反院長感情が渦巻いた可能性は強いと考えます。小田原市立病院問題の直接の端緒となったCCU問題でも、CCUが施設基準を満たしていないと神奈川社会保険事務局に告発したのも病院職員と考えられますし、過払い問題が存在すると指摘したのも病院職員で無いとやりようがありません。
行った事は間違い無く正義ですが、これらの行為は単純な正義感に基いた言うより、院長の足を引っ張りたいの感情が混じっていたとするのは考えすぎでしょうか。院長の改革は、医師にとっては必ずしも悪くないものであったようですが、医師以外の職員にとっては「疫病神よ去れ」状態であったとも憶測されます。ま、こういう事は急激な改革には付き物と言えばそれまでです。
市長と院長の関係に注目して簡単な年表を作っておくと。
年 | 経緯 |
1992 | 前市長就任 |
1999 | CCU施設基準取得(CCU当直始まる) |
2003 | 院長就任 |
2004 | 前市長と現市長が争い前市長が勝つ |
2006 | CCU施設基準返上(当直 → オンコール) |
2008 | 前市長の後継指名者を破り、現市長就任 |
2010 | 過払い問題報道 |
2011 | 過払い問題決着 |
医師以外の職員の不満も前市長時代にはゲリラ的な抵抗に留まったとしても良さそうです。前市長の院長への信頼は、その成果もあり絶大であり、手の出し様がなかったと見ます。ここで問題の市長選が起こりますが、前市長の4期目の時(2004年)に現市長と争い、前市長が勝っています。
2008年の時は前市長は勇退し、現市長はその後継指名者と争いこれを破って市長に就任しています。そういう状況の市長選が展開すれば、現市長は前市長に勝つために、反前市長派の勢力をかき集めたのは想像に難くありません。そうなれば、前市長カラーの払拭となるのは政治の必然です。そのターゲットに小田原市立病院になったとして良さそうです。なんと言っても現市長から見れば、折り紙付の前市長派だろうからです。
前市長の政治的功績は存じませんが、市立病院の経営改善については数字として目に見える功績を残したと思います。しかし政治はそういう事をしばしば乗り越えます。新市長就任後に院長と市長の関係がはっきり変質したと受け取るべきでしょう。
前市長時代に較べて権限が弱らされた院長は、この事件では非常に影の薄いものになっています。私も余りの影の薄さから、年功序列院長が右往左往しているだけの構図を想像していましたが、そうではなく実力派院長が力を封じ込められていた状態であると言うのが正しいようです。院長コラムです。
オンコール料が当直料として過払いされたことについての管理責任を理由に市長から処分を受けた。この対象とされた科は救命救急センターの60%の患者を治療しており実労働賃金は返却を要求されている過払い額よりはるかに大きい。市長は過払い額の返済を求めるので無く実労働に対し未払い額を支払う法的義務がある。少なくても過払いが市立病院の不正であり市長はそれを正しているという市民向けのポーズは決して取れないはずであり、市立病院医師の労働に対し未払いがあったことを市民に説明し当該医師に謝罪すべきである。
ここまで言える公立病院長が存在する事に密かな驚きを覚えています。問題の本質を的確に捉えています。このブログの読者なら常識ですが、当直料やオンコール料の名前の下に隠されている労働実態を極めて正確に把握しています。小田原市立病院問題の本当の問題は、1500万円の過払い問題ではなく、実労働(時間外労働)をオンコール料や当直料で済ませてしまっている事です。
事務上の過払いがあるのなら返還するのは当然にしろ、それならば労働実態が時間外勤務であるのだから、今度は時間外手当との差額を医師に支払うのが本筋だと言う事です。つうか、そういう問題が噴出する危険性があるのに、時間外手当の代わりに当直料で文句を言わなかった医師を起こしてしまう行為を大々的にやらかした小田原市のセンスです。
上で院長は医師以外の職員の待遇は置き去りにしたとしましたが、必ずしもそうではなかっととも書かれています。
看護師も私の感覚では悲惨です、人件費削減のしわ寄せを看護部に向けてはだめです。人事院勧告によるカットから医師は外されるが看護師も外すべきです。人件費問題は額でなく率です。額を減らすのは無能な幹部の発想で、医業収入を増やす研究をし、率を減らすのが幹部の義務です。看護師の労働は過酷です。腰痛がこんなに多いのは労働環境に問題があるからで少なくても腰痛催患率を普通の職場並みにする義務がある。
これは後出しジャンケンに思われる面もあるとは思います。人事院勧告の問題もありますが、就任当時はそこまで経営的に余裕が無かった面もあるとも思っています。とりあえず医師を集めないと病院再建は不可能であり、それに目途が付いて、次の待遇改善として看護師も視野の中にあったとは考えています。ただ目途が付きかけた頃に市長交代があり、経営改善が思うように進まなかった無念さの現われの一つかとも思います。
病院ホームページを見る限り、今でも院長職におられるようです。院長は1971年の医師登録のようですから、もう今年か来年ぐらいには定年かと考えられます。実力派院長が去った後の小田原市立病院がどうなるかは・・・・そのうち嫌でもわかると思います。貴重な人材を追い出した後に廃墟と化した先例は幾らでもありますから、その轍を踏まないようにだけ祈っておきます。