ネット論戦のプロレス式必勝法

ネット論議と言っても様々な形態があり、「必勝」もなにも勝ち負けなんて関係が無い議論もあります。一方で大紛糾して血みどろの争いになる議論もあります。個人的には勝敗の無い議論は大雑把に積み重ねができる「議論」と考え、一方で勝敗を争うのは対立型の議論を「論戦」と考えています。今日の必勝法は対立型のネット論戦のもので、なおかつ基本的に2人が争うスタイルでお考え下さい。

ネットとリアルの相違

ネットでもリアルでも言論をもって行うという点では同じです。ただまったく同じかと言えばそうとは思えません。共通するところもあれば、違うところもあります。一番大きく違うと考えるのは、

  1. すべて文字(場合によっては画像)でもって行われる
  2. 論戦時間に制限が無い
他にも言い出したらたくさんあるのですが、この2点は大きく違うところと考えています。この2つの相違点は次のような展開の違いをもたらすと見ます。
  1. 音声と違い発言が文字なので、発言内容がすべて完全に記録され、いつでも読み返し確認することが出来る。リアルのように記憶に頼る必要がない。
  2. 相手の発言に即答する必要は無く、さらにその気になれば何時間でも、何日でも議論を続けることが出来る。
相手の発言を何度も吟味してこちらの発言を練る事が出来るのですから、ネット議論は積み重ね型の方向に傾きそうなものですが、現実は必ずしもそうならないのは皆様御存知の通りです。議論が水掛け論から泥仕合の罵倒合戦に行き着くなんて事はさして珍しいものではありません。


論戦が泥沼化する要因

これは論者の質にもよるでしょうが、根本的には対立している見解について、論戦が始まる前も、論戦が始まってからも双方一歩も譲る気が無い事に多くが起因していると見ます。歩み寄りの余地が乏しければ乏しいほど、論戦は相手の発言の全否定に終始します。全否定の議論は本当は長くは続けられません。お互いの論拠を否定しあって本来は終わってしまうものだからです。

ここで歩み寄りの余地が無い事がわかれば、さっさとリングから下りればもめないのですが、なんとか相手の否定の論拠を叩き潰し、相手に自分の論拠を飲み込ませようとする人は少なくありません。一歩引いてみれば不毛なんですが、自分の意見が絶対に正しいと、双方が確信し、相手の間違いを正さなければならないと思い込むとそうなるかと思っています。

得てしてこういう問題は、いわゆる「正解」がないので、その気になればいくらでも理屈は並べられます。もちろん相手が並べる理屈に対する反論も同様です。ただ根本的に歩み寄る余地が乏しいので、理をもって論破する事は難しく、「オレはAだから正しい」「私はBだから間違いない」水掛け論状態に陥るわけです。

この水掛け論状態でドローになればまだしもなんですが、時間に制限が無いので、水掛け論の表現の強化が展開します。「これぐらいの事もわからないお前は○○」みたいな感じとすればよいでしょうか。どちらもその時点に至るまで相当ヒートアップしていますから、強い表現にはより強い表現で応酬することになります。ついには殺伐とした罵倒合戦に至るみたいな感じです。

最終段階になれば、罵倒合戦だけではなく、論点ずらし、感情のみのヒステリー的発言、誹謗中傷まで乱舞し、さすがに疲れ果てて議論がいつとはなしに終息するみたいな展開はよく起こります。


勝ち負けの判定はなんだろう

対立型論戦ですから、相手の論拠を粉砕して黙らせる、さらには白旗を揚げさせれば完勝ではありますが、そうなる事は結構珍しいと思っています。つうか、そうなるものはそもそも論戦になり難いところがあります。それでも劣勢と思われる方が、早々に泥仕合の罵倒合戦に持ち込んで、スコアレス・ドローを目指すなんて展開もあったりしますから、なかなか大変なところです。

もう一つの勝ち負け基準にラストコメントがあります。ボクシングみたいなもので、壮絶な打ち合いの末に最後までリングに立っている方が勝ちみたいな判断基準とすれば良いでしょうか。これもこだわる人はこだわるようで、これが「最後」と宣言したコメントから何十回もさらに応酬が続くみたいな展開もしばしばお目にかかれます。

ま、最後に罵倒されて終ると気分が良くないので、執念深く続ける気持ちはどことなくわかりますが、読んでると本当によく頑張るものだと感心する事もしばしばあります。


私が考える勝ち負け基準は少し違います。ネットであっても論争している当人同士の意識として、敵は相手だけのタイマン勝負と思い込みがちになります。ネットですから、論戦に誰が割り込んでも構わないのですが、ネットであっても議論が白熱状態ならともかく、水掛け論から泥仕合の展開の様相が窺えれば、無理に手を突っ込む人間は少なくなります。また割り込む人間がいても、タイマン気分の論敵同士は無視して二人の世界をヒートアップさせます。

しかしネット論戦は、タイマン勝負でないと考えます。論敵同士の直接対決のように見ても、実はそうではないと言う事です。本当の勝敗判定者は、その論戦を読んでいる第三者です。つまり双方の主張に賛同し、共鳴する人数がどれほど多いかが真の勝敗基準と考えています。ですから論敵相手にラストコメント合戦で勝利するなんて事は小さすぎる事と考えます。

ここにもネットとリアルの違いが一つあります。リアルの論戦も様々なシチュエーションがありますが、たとえ公開討論であっても、討論内容の詳細を知りえるのは、その会場に参加したものだけです。その他の人間は、知りたくとも知り様がなく、下手するとそういう討論があった事さえ知りません。

ネットの場合は、常に公開討論です。全世界とまで言いませんが、誰でも論戦が行われているサイトにアクセスは可能であり、アクセス時間の制限もありません。注目度の高いサイトで論戦を行えば、何千、何万、何十万のギャラリーが論戦を注目することになるだけでなく、そこでいつでも誰でも論戦を仕掛ける事は可能です(ただし相手にしてもらえるかどうかは別の問題)。

論者が意識すべきなのは論敵ではなくギャラリーであり、論戦の真の勝者はギャラリーの支持をより広く集めたものだと考えています。


必勝法

勝敗判定がギャラリーの支持ですから、必勝法と言っても、当たり前すぎるものになります。

  1. ギャラリーにわかりやすい文章での主張を行う
  2. 相手の主張も聞けるところはキチンと聞く姿勢を示す
  3. 相手の挑発に乗らず、常に冷静に意見を展開する
水掛け論から泥仕合に持ち込まれようとする時に上記のような発言は場の「空気」として「勢い」で負けていると、どうしても感じてしまうのですが、そう感じているのはタイマン気分の当事者だけで、ギャラリーはそうではありません。「議論は感情的になった方が負け」はやはり鉄則だと考えます。もちろん水掛け論から泥仕合に踏み込みそうになったら撤退するのも重要な選択枝ですが、あえて続けるなら上記3条件は守る方が有利です。

とくに罵倒合戦は禁物です。罵倒用語は禁忌とまで言いませんが、扱い難い劇薬のようなもので、相手にダメージを与えたつもりでいたら、実は自分に大きなダメージを負わされていたなんて事の方が多いものです。よほど周到に準備した上で使わないと、効果は望めません。

また罵倒用語が入っているだけで、ギャラリーとしての評価はそれだけで著しく低下します。他の内容がどれだけ秀逸であっても、罵倒用語一つで価値を下落させてしまう効果があります。もう少し言えば、内容そのものでは相手を上回っていても、罵倒用語が入っているだけで評価が逆転するだけでなく、まともに読んでさえくれなくなる事も十分にありえます。

そうそう罵倒用語と辛辣な表現は似て非なるものと思っています。どちらも相手を貶める効果を狙っていますが、安易に使える罵倒用語と違い、辛辣な表現は工夫が必要です。また上質の辛辣な表現には、ユーモア、ウィット、エスプリが盛り込まれており、頭に血が昇っている論敵はともかくとして、ギャラリーに「うまいこと言う」と引き込ませる効果が期待できます。もっとも使い方は要注意で、下手に使うと向こう傷を負います。


プロレス式勝敗判定法

ほいじゃギャラリーによる勝敗判定はどこでわかるかです。ここがある意味重要な点ですが、明瞭に出ません。それでは勝ったか、負けたかわからないじゃないかと言われそうですが、ここは考えようです。

個人的にはプロレス華やかなりし頃の勝敗判定に近いイメージを持っています。プロレスもリングの上でレスラーが勝敗を競いますが、本当のプロレスファンは試合そのものの勝敗よりも、リングの上でのパフォーマンス、強さの示しあいで優劣を判定します。ちょっと判り難いですが、レフリーによる勝敗判定ではなく、「どっちが強いか」の優劣で判定するとすれば良いでしょうか。

リング上の二人の勝敗の決着は、様々なシナリオの上で決まっている事をよく知っており、それ自体は必ずしも重視しないと言えばわかってもらえるでしょうか。重視するのは過程で、相手に浴びせる技の切れ味、ダメージ度、相手の技を受けた時の耐え方、受け方。さらには試合をいかにコントロールするかの技量とかです。いかにシナリオを感じさせないかの技量もまた評価されます。

負ける事がシナリオ上でわかっていても、負けるまでの過程で相手を凌ぐパフォーマンスをどれだけ観衆に印象付けたかが評価の基準で、十分に印象付けられるパフォーマンスが出来ていれば、「試合で勝ったのは○○だが、強いのは△△だ」みたいな判定がなされていました。


ただなんですが、観衆により判定は当然のように分かれます。「やはり○○」「いや△△」みたいなものです。だから良いと思っています。ネット論戦も明瞭に勝敗を分けなければならない理由はありません。双方の支持者から「あんたの勝ちだ」と言われれば、当人的にはそれなりに勝った気分になるわけですから、それ以上の決着は不要だと思っています。

それでもなんですが実は勝敗は分かれます。プロレスも目に見える勝敗を付けにくくする興行ではありますが、闘ううちに明らかに格の上下が付けられます。それこそギャラから待遇まで見事に序列化されます。さらにその差は観衆も十分に納得すると言う不思議さがあります。曖昧であるが、実はハッキリしているのがプロレス式の勝敗基準と考えています。



少しは参考になりましたか? 「これのどこが必勝法だ」のブーイングを聞き流しながら、今日はこの辺にさせて頂きます。