ガイドワイヤーとインシデント

昨日の話で、2つほど拾い上げておいた方が良いポイントが出てきましたので補充編とします。


ガイドワイヤー

山形大の事件はCV確保に用いられたガイドワイヤーが心臓を突き破ったらしいの結論となっています。この結論自体は現時点では大きな異論はないのですが、なぜ突き刺さったかの原因が不明となっています。ガイドワイヤーは突き刺さらないように、これは報告書からですが、

ガイドワイヤーは柔らかくかつ先端がJ字型をしており

ガイドワイヤーはカテーテル中を通っている時には真っ直ぐですが、カテの先端から頭を出した時に「J」字型に屈曲するようになっており、結果として先端が丸くなって突き刺さらない仕組みとなっています。これぐらいは私でも知っています。ところがガイドワイヤーの性能もピンキリのようです。まず当薬竜胆様から、

このケースでのことではなく一般的な話として、セルジンガー法によるCVカテーテルのキットに入っているJワイヤーの性能は色々で、中には、数回出し入れしただけで、Jが「く」になるものもあったりします。扱い方によっては、簡単に「く」にもなります。従ってJワイヤーだから心筋を傷つけたとは考えにくいとは。。。

続いて、tadano-ry様から、

うちの病院でも1年ほど前にCVキットを安価なものに変えようとしたら、サンプル品のワイヤーの腰が弱くて簡単に「く」になってしまい、これは危ない、安物買いの銭失いだといって変更を諦めたことがあります。山形大がどのメーカーのものを使っていたかちょっとだけ興味津々です。

つまり製品の中には「J」にならずに「く」の字型にすぐに変形してしまうガイドワイヤーがあると言う事です。「J」でなく「く」になれば突き刺さる危険性は高くなります。そうなればそういう製品を選択して使用した医療機関にも責任は生じますが、当然の事ですが製造したメーカー、さらには医療器具ですから、そういう製品を認可した厚労省にも責任は広がります。

山形大の調査でもなぜに突き刺さったかの原因は不明としていますが、不明の前提は「J」字型であるとしているからで、この前提が崩れると原因の考え方が変わってきます。何より「く」の字型ガイドワイヤーの危険性が認識され、次の事故予防に結びつける事が出来ます。事故を起したと考えられるガイドワイヤーが「J」字型の性能を保持できているかの検証は重要だった事になります。もう一つ放置医様のコメントも紹介しておきたいのですが、

10年近く前には他科の患者さんにまで中心静脈カテーテルを入れまくった(もちろん頼まれてです)時期もあり、何例か合併症も経験しましたが、ガイドワイヤーが変形などということは一度もありませんでした。(複数回出し入れというのは記憶になく、最後に中心静脈カテーテル留置をやったのはもう5年以上前ですが。)最近はそんな質の悪いまがい物が出回っているとは驚きです。感じている以上に医療は追い詰められていまる様です。

ま、「J」であってもやはり事故が起こっていたとなると、さらに謎が深まるのですが、これ以上は情報も無いのでこれぐらいにしておきます。


インシデントの定義

インシデントを分かりやすく定義しているものに平成14(2002)年4月17日付医療安全対策検討会議「医療安全推進総合対策〜医療事故を未然に防止するために〜」があります。

アクシデントとインシデント

     「アクシデント」は通常、医療事故に相当する用語として用いる。本検討会議では今後、同義として「事故」を用いる。
     「インシデント」は、日常診療の場で、誤った医療行為などが患者に実施される前に発見されたもの、あるいは、誤った医療行為などが実施されたが、結果として患者に影響を及ぼすに至らなかったものをいう。
     本検討会議では、同義として「ヒヤリ・ハット」を用いる。

なかなか明快な定義で、

    アクシデント・・・患者に有害事象が発生したもの
    インシデント・・・有害事象につながるおそれのある行為で、患者に影響がでなかったもの
言い換えると
    アクシデント・・・医療事故
    インシデント・・・ヒヤリハット事例
これは2000年11月2日付国立病院等へのリスクマネージメントマニュアル作成指針からの流れも組んでおり、インシデントについてはそう解釈している医療人が多いように考えています。つうか私はそう解釈していました。ところが国立大学病院医療安全管理協議会のインシデントの定義は少し違うような気配があります。お憑かれ内科医様からのコメントなんですが、

言葉の定義に関してはだいたい医療安全対策会議のそれと同一でしたが、「インシデント」に関しては
「患者に障害が発生した事態 ならびに 発生する可能性があった事態」というふうに定義されており
「インシデント」=「ヒヤリ・ハット」+「医療事故」というような位置づけでした。
つまりウチのマニュアル上は「死亡してもインシデントである」は正しく、「ヒヤリ・ハットの事『も』含む」とすればこちらも正しくなるわけです。

医療安全対策検討会議では「アクシデント」と「インシデント」を明瞭に分けていましたが、国立大学病院医療安全管理協議会では「どうやら」インシデントはヒヤリハットだけではなく、「アクシデント」もすべて含有する定義であると考えられます。頭が混乱しそうになる方もおられると思いますから、頑張って整理してみます。

医療安全対策検討会議 国立大学病院医療安全管理協議会
インシデント ヒヤリハット インシデント ヒヤリハット
アクシデント
(医療事故)
過失が無い医療事故 アクシデント
(医療事故)
過失が無い医療事故
医療過誤 医療過誤


こう考えないと話の筋が通りません。では国立大学病院医療安全管理協議会がインシデントの中でヒヤリハットと医療事故を分けている境目はガイドラインの作成で事故防止〜国立大学附属病院の安全管理対策にヒントがあります。

具体的なインシデントの内容については、図表1のように「レベル0」から「レベル5」までの8つに分類しました。さらにその中から、1:医療側に過失があり、2:患者に一定程度以上の傷害(図表1の「レベル3b」以上)があり、3:前記1と2に因果関係があるものを、医療事故としました。

「図表1」を再掲しますが、

影響レベル
(報告時点)
傷害の継続性 傷害の程度 内容
レベル0 エラーや医薬品・医療用具の不具合が見られたが、患者には実施されなかった
レベル1 なし 患者への実害はなかった(何らかの影響を与えた可能性は否定できない)
レベル2 一過性 軽度 処置や治療は行わなかった(患者観察の強化、バイタルサインの軽度変化、安全確認のための検査などの必要性は生じた)
レベル3a 一過性 中等度 簡単な処置や治療を要した(消毒、湿布、皮膚の縫合、鎮痛剤の投与など)
レベル3b 一過性 高度 濃厚な処置や治療を要した(バイタルサインの高度変化、人工呼吸器の装着、手術、入院日数の延長、外来患者の入院、骨折など)
レベル4a 永続的 軽度〜中等度 永続的な障害や後遺症が残ったが、有意な機能障害や美容上の問題は伴わない
レベル4b 永続的 中等度〜高度 永続的な障害や後遺症が残り、有意な機能障害や美容上の問題を伴う
レベル5 死亡 死亡(原疾患の自然経過によるものを除く)
その他
この中には、不可抗力によるもの、過失によるもの、予期せぬ事態などが含まれる。


赤の背景にしたところが医療事故(医療安全対策検討会議が定義するところの「医療事故」ないし「アクシデント」)であり、緑の背景のところをヒヤリハットと解釈できそうです。さてそうなると問題の定義はヒヤリハットになってくるかと考えられます。国立大学病院医療安全管理協議会の「レベル3a」の定義ですが、
    簡単な処置や治療を要した(消毒、湿布、皮膚の縫合、鎮痛剤の投与など)
これは国立大学病院医療安全管理協議会では「ヒヤリハット」に分類される事になります。これが医療安全対策検討会議の、
    結果として患者に影響を及ぼすに至らなかったものをいう

二つが同じ内容を指しているかどうかです。同じような気もしますが、同じでないような気もします。もし、ここが同じであるならば、国立大学病院医療安全管理協議会もインシデントの定義は違っても、ヒヤリハット、(過失の無い)医療事故、医療過誤の分類は同じになります。


ただ最終分類は同じでも、インシデントの定義をわざわざ別に定義する必要性が果たしてあったのだろうかの疑問だけは残ります。医療安全対策検討会議が2002年4月に先行してますから、2002年10月に設立された国立大学病院医療安全管理協議会はこれを知りながら、わざわざインシデントの定義を独自に定めた事になります。

定義が違えば統計も変わり、医療安全問題を討議する時にも用語で混乱を招きます。「インシデント」と言葉を用いた時に浮かぶイメージが変われば、話の食い違いが必ず出ます。定義が変わった原因は、やはり国立大学病院医療安全管理協議会のホームーページにある設立までの経緯改革でしょうか、

これを受けて文部科学省主催で開催された医療安全対策に関する連絡協議会(平成14年6月6日〜7日)で、協議会の目的・構成等についてその方向性を取り纏め、病院長会議常置委員会および医療安全管理体制問題小委員会(平成14年7月4日)において医療安全対策連絡協議会(仮称)を設置し、その事務局を大阪大学医学部附属病院に置くことが決定された。

読めばわかるように、国立大学病院医療安全管理協議会は文部科学省主導で設置されています。厚労省の「インシデント = ヒヤリハット」の定義に対抗して、文部科学省主催として独自性をだすために「インシデント = ヒヤリハット+医療事故(アクシデント)」を打ち出したように感じてなりません。

ま、インシデントの言葉さえ使わなければ、残りのヒヤリハット、(過失の無い)医療事故、医療過誤の定義は同じと考えても良さそうですから混乱部分は小さいとも言えますが、迂闊にインシデントの言葉を使えば、議論に混乱が起こる可能性があるぐらいは覚えておいても良さそうです。そのあたりの事もあったのか、2005年3月3日付国立大学附属病院長会議常置委員会医療安全管理体制問題小委員会「国立大学附属病院における医療上の事故等の公表に関する指針」、これは文部科学省主催ですが、

  1. 医療上の事故等
      疾病そのものではなく,医療機関で発生した患者の有害な事象を言い,医療行為や管理上の過失の有無を問わない。合併症,医薬品による副作用や医療材料・機器による不具合を含む。
  2. ヒヤリ・ハット
      患者に被害が発生することはなかったが,日常診療の現場で,“ヒヤリ”としたり,“ハッ”とした出来事を言う。具体的には,ある医療行為が,(1)患者には実施されなかったが,仮に実施されたとすれば,何らかの被害が予測される場合,(2)患者には実施されたが,結果的に被害がなく,またその後の観察も不要であった場合等を指す。
  3. 医療過誤
      医療上の事故等のうち,医療従事者・医療機関の過失により起こったものを言う。

ここにインシデントの言葉を出さなかったと見れないこともなさそうです。いずれにしてもインシデントの定義を巡る実情はどうなっているのでしょうか、なんとなく文部科学省厚労省の対抗意識でインシデント自体が死語と言うか禁句になってしまっているように思えなくもありません。