熱かった日々のおもひで

話の主題は藤原百川様の

あのぉ、小生は古い人間なんでしょうか
皆さんのやり取りについていけません

がんじがらめの利害関係でにっちもさっちもいかなくなっているというのはわかります
でぇ、崩壊させて奴隷解放をして、次に何が来るんですか?
破壊のあとに平和が来るのでしょうか
それとも皆さんの頭の中には築きあげるべき理想像があるのでしょうか
アンクルトムを救うような天使が現れるのでしょうか
あるいはリンカーンのような指導者が現れるのでしょうか

どうすればいいんだろう
今朝からなんども読み返していますがわかりません

流しても良かったのですが、ネタ枯れなのでちょっとだけ取り上げてみます。とりあえず懐かしい表を出しておきます。


段階
末期癌の段階説
医療崩壊への意識
第一段階
否認
医療崩壊の存在自体の否定
第二段階
怒り
トンデモ医療訴訟やお手盛り医療改革への怒り
第三段階
取引
こうすれば医療崩壊を防げるの提案の摸索
第四段階
抑鬱
何をしても無駄だのあきらめ
第五段階
受容
生温かく滅びを見つめる涅槃の境地


これは説明すまでもなくエリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間(On Death and Dying)」に書かれているキューブラー・ロスモデルをもじったものです。これから言うと藤原百川様は第三段階と言う事になります。誤解しないで欲しいのですが、藤原百川様が段階で遅れていると笑う意図はまったくありません。私だって、ここに集まる古手のレギュラーコメンテーターも第三段階で熱くなった時期はあります。

今日のお話は第三段階から何故に第四段階以降に移って行ってしまったのだろうです。私も第三段階の経験者ですから、この時期がどんなに熱かったかは今でも鮮明に覚えています。それこそ様々な提言、提案が百花撩乱の様に行われました。取り上げられた話題も、医療訴訟問題から始まって、僻地医療問題、救急医療問題、勤務医の労働環境からの労基法問題、厚労省及び政府の基本政策に対する問題、これらを取り上げる報道問題・・・

細かく分けるともっとあったと思いますし、それぞれについて半端じゃないぐらいの議論が積み重ねられています。手法論的な結論はある程度出尽くしたと思っていますし、今でも十分に通用するとも考えています。

では議論だけして何も成果が無かったかと言えば、そうとも言えません。議論が直接成果に結びついたかどうかは異論もあるかもしれませんが、そういううねりが産科医無過失補償制度の実現に結びついていると思いますし、頓挫しましたが医療事故調にも結びついています。医療訴訟に関しても、福島大野や奈良大淀にあれほどの力が集まったのもこういう動きの一つの成果だと思っています。労基法問題が医療現場に入り始めたのもそうかとも考えています。

あの時に第三段階の熱い動きがなければ、これらの動きがあったか無かったかは、仮定の話になりますが、おそらく無かった、もしくはもっと小さな動きで終始したと私は考えています。決して議論だけして、何も動きが無かったものとは思っていません。


ただし見ようによっては、あれだけ悲憤慷慨しても動いたのはこれだけに過ぎないの考え方も出来ます。成果としてあげた産科医無過失補償制度にしても、出来てみれば、あの程度の制度であるのが現実です。むしろ産科医無過失補償制度の無残さを教訓にして、医療事故調の時にはあえて頓座させる方向にベクトルが強力に動いたほどです。

それと成果と言っても、広い意味での枝葉レベルに留まったと言うのはあります。根幹については手も足も出し様が無かったのは実感です。根幹にタッチしようと思えば、匿名のネット活動では論外ですし、実名でも市井の町医者、単なる勤務医の個人レベルではどうしようもなかったのが現実です。医療行政の根幹にタッチするのに大きな壁が立ち塞がったとすれば良いでしょうか。

医療行政の根幹にタッチするには、個人の力では無理があります。どうしても個人の力を集めた組織の力が必要になります。この組織の力を利用しようとしても、既成組織を動かすのに途方も無い努力と時間が必要である事をあの時に痛感しています。

勤務医ならまず組織自体がありません。当時(今でもあんまり変わらないかもしれませんが)の勤務医で組織らしいものといえば、大学医局か学会ぐらいになります。どちらも年功序列がしっかりあり、今必要だからこの組織力をただちに動員できるかと言えば、とてもとてもになります。開業医もそうで、全国組織として医師会がありますが、これを動かすには10年単位で地道な医師会活動をした末のものになります。

それと既存組織を動かすのも、独りではできません。これは今すらそういう面がありますが、必ずしも第三段階どころか第一段階にも達していない方が多く、多いだけではなく実力者でもあるというのがあります。既存組織を効率的に動かす手法論はついに出てこず、それこそ医師全般にもっと危機意識が広がらない事にはニッチもサッチも行かないぐらいが結論になってしまったと記憶しています。

既存組織が駄目なら新組織はどうだと言うのがあります。これも出来ました。私もかなりの期待をかけていた全医連ですが、ここもまた組織作りの段階で悪戦苦闘を余儀なくされます。全医連の事はあまり触れたくないのですが、理想は高かったですが、現実に組織を運用する段階になれば、やはり時間がしっかり必要である事を学習する事になったと思っています。


第三段階の熱い盛り上がりが第四段階に向かって急速に冷えていったのは、第三段階のエネルギーをどこにも向けられなくなったためではないかと考えています。運動を進めていくと、ある程度の段階で厚くて高い壁にぶち当たり、これを乗り越えようと四苦八苦した末に「今は無理だ」を繰り返し、エネルギーが消耗していったは言いすぎでしょうか。

もう一つ、当時の第三段階の運動方向は「一挙」でした。これはグズグズしていたら間に合わないから一挙に方向転換を図らなければならないの共通認識があったためだと思っています。一挙を行うためには、大きな力と流れが必要なんですが、それは確実に来ていると当時は感じていました。ただこれはかなりの幻想であったとしてよく、世論はもちろん、医師ですらまだ一部の認識に過ぎなかったと言う事です。

一部の医師だけで一挙をやるのは基本的に無理があり、無理を何とか通そうとひたすら足掻いていただけとしても良いんじゃないでしょうか。事を起こすには昔から「天の時、地の利、人の和」と言いますが、あの時は「天の時」だけがあった幻想を抱き、実は天の時さえ不十分であったと私は回想しています。


後あえて付け加えれば、医療崩壊に対する認識と言うか、対処法もある段階までは多くの医師が同じ戦列に立てますが、ある段階以上は必然的に利害関係が生じます。言ってみれば、根本改革が必要と考える勢力と、現状の一部手直し程度で十分であるの考え方の対立です。もう少し単純に分ければ、過激派と穏健派です。

さらに過激派と穏健派の間にもグラデーションのように様々な考え方が存在します。ある程度第三段階の動きが盛りがった時点で、利害対立としての路線対立が出たのも確実にあると考えています。これも現実的にリアルでは穏健派が強く、ネットでは過激派が多い関係ですし、病院経営者になるほど穏健派が多く、勤務医末端に向うほど過激派が多い関係としても良いかもしれません。

そうなると過激派の行き場がなくなり、焼野原論に傾いてしまい動きが出てしまいます。ただ過激派の焼野原論も、焼野原後にグランド・デザインを描いているわけではありません。言ってみれば、自民政権末期に「とにかく政権交代してみる」の捨て鉢な考えに通じるところがあります。これは焼野原の状態にもよりますが、それでも主導権を握るのは誰かの問題で明るい展望を持てないためと考えています。

そうそうグランド・デザインではなく夢ならあります。これは簡単で、

  • 言いがかりのようなトンデモ訴訟を心配しなくて良い診療環境
  • 交替制によりQOMLが確保できる労働環境
これがグランド・デザインでなく夢である理由は、夢を実現させる具体的な手法を誰も思いつかないからです。焼け野原の後にどういう手順を行えば実現可能であるかが誰にも描けないとも言えます。逆に実現しない理由ならワンサカ出てきます。


で現状はどうなっているかですが、情報量だけは蓄積されましたから、これを活用できる医師は活用して、せめて自分の身の回りの防衛整備に努めているとすれば良いでしょうか。格好良く言えば雌伏の時を過ごしていると無理やり美化する事はできます。もっともその時が来ても、どれだけ起きてくるかは、その時が来ないと誰にも分からないとはさせて頂く方が適切だと思っています。