血液型人間学とBPOと司法判断

BPO青少年委員会2004年12月8日付「血液型を扱う番組」に対する要望と言う勧告があります。ここにはまず最初に、

「血液型を扱う番組」が相次ぎ放送されている。それらの番組はいずれも、血液型と本人の性格や病気などとの関係があたかも実証済みであるかのごとく取り上げている。放送と青少年に関する委員会(以下、青少年委員会)にも、この種の番組に対する批判的意見および番組がもたらす深刻な状況が多数寄せられている。

結構辛い見解で、

放送局が血液型をテーマとした番組を作る背景には、血液型に対する一種の固定観念とでもいうべき考え方や見方が広く流布していることがあげられる。

ま、流行すればこれぐらいは朝飯前の放送局ですが、とくに問題視されたのは、

しかし、血液型をめぐるこれらの「考え方や見方」を支える根拠は証明されておらず、本人の意思ではどうしようもない血液型で人を分類、価値づけするような考え方は社会的差別に通じる危険がある。血液型判断に対し、大人は“遊び”と一笑に付すこともできるが、判断能力に長けていない子どもたちの間では必ずしもそういうわけにはいかない。こうした番組に接した子どもたちが、血液型は性格を規定するという固定観念を持ってしまうおそれがある。

また、番組内で血液型実験と称して、児童が被験者として駆り出されるケースが多く、この種の“実験”には人道的に問題があると考えざるを得ない。

実験内で、子どもたちは、ある血液型の保有者の一人として出演、顔もはっきり映し出され、見せ物にされるような作り方になっている。中には子どもたちをだますような実験も含まれており、社会的にみて好ましいとは考えられない。

子供をダシに使った点を問題視したとみれます。青少年委員会ですから指摘しても不思議ありません。次のところも勧告とは言えよく踏み込んだものとは思いますが、

青少年委員会では、本年6月以降、番組内での“非科学的事柄の扱い”全般について検討してきたが、ことに夏以降、血液型による性格分類などを扱った番組に対する視聴者意見が多く寄せられるようになった。そこで委員会では集中的に「血液型を扱う番組」を取り上げ、いくつかの番組については放送局の見解を求め、公表してきた。その過程で、放送局は「○○と言われています」「個人差があります」「血液型ですべてが決まるわけではありません」「血液型による偏見や相性の決めつけはやめましょう」など、注意を喚起するテロップを流すようになった。しかし、これは弁解の域を出ず、血液型が個々人の特徴を規定するメッセージとして理解されやすい実態は否定できない。

テロップで注意を流した程度では、

    これは弁解の域を出ず、血液型が個々人の特徴を規定するメッセージとして理解されやすい実態は否定できない。
具体的な放送基準違反根拠として、「第8章 表現上の配慮」54条なるものがあるそうで、

54条

占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。

さらにこれの解説があり、

現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない

なんかこの54条違反に該当しそうな番組はテンコモリありそうですが、「あえて」BPOが取り上げて指摘するぐらいですから、相当目に余ったぐらいにしておきます。ただBPO勧告を読む限り、誤解を招かない大人の遊び程度の取扱いなら許容範囲としているようにも読めます。でもって結論ですが、

これらを踏まえ、青少年委員会としては、「血液型を扱う番組」の現状は、この放送基準に抵触するおそれがあると判断する。

青少年委員会は、放送各局に対し、自局の番組基準を遵守し、血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長することのないよう要望する。

同時に、放送各局は、視聴者から寄せられた意見に真摯に対応し、占い番組や霊感・霊能番組などの非科学的内容の取り扱いについて、青少年への配慮を一段と強められるよう要請したい。

これも読みようですが、血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長しなければOKとも読めてしまうのは僻目でしょうか。まあ細かい点はともかく、そういうBPO勧告が7年ほど前に出されているのが確認できます。ほんまに改善しているのかと思うのですが、どうも改善していてそうな裏付け記事があります。8/8付産経より、

「血液型番組は差別」に反発、血液型人間学研究家がBPOを提訴

 血液型をテーマにしたテレビ番組をめぐり、放送倫理・番組向上機構BPO)の青少年委員会が各放送局に行った「配慮」を求める要望で名誉を傷つけられたとして、血液型人間学研究家の岡野誠氏(52)が8日、同委員会を相手取り、要望の取り下げと慰謝料20万円などを求める訴えを東京地裁に起こした。

 訴状などによると、同委員会は平成16年、各放送局に向けた「『血液型を扱う番組』に対する要望」を発表。科学的な根拠が証明されていない血液型に対する「考え方や見方」で人を分類するのは、社会的差別に通じる危険があると指摘。血液型で性格が決まるといった見方を助長しないよう求めた。

 この要望で各局が放送を自粛し、岡野氏はメディアへの出演機会を失ったほか、「血液型人間学はいいかげんなもの」というレッテルを張られ、精神的苦痛を受けたとしている。

 岡野氏は「血液型人間学は占いまがいのものではなく、学術的なものだ」と話した。

これを読めばわかるのですが、どうもBPO勧告後に血液型人間学研究家の岡野誠氏のテレビ局でのお仕事が減ったようです。この辺はBPO勧告で減ったのか、それとも血液型ブームが谷間に落ちる時期(あれは周期がありますから・・・)になったのか判断はつき難いのですが、岡野氏の主観としてはBPO勧告によりテレビ出演が減ってしまったとしているようです。主観はともかく減ったのは間違いない事実として良さそうです。

それにしてもどこかの団体と同じですが、BPO勧告をわざわざ掘り起こしてくるのは面白い感覚です。正直なところこんなBPO勧告があったなんて知っている人間はごく少数派だと思っています。私もまったく知りませんでした。これが訴訟を起して記事になったお蔭でBPOが、

    科学的な根拠が証明されていない血液型に対する「考え方や見方」
こう判断した事をより周知させてしまった様な気がします。ま、訴訟を起すのは認められた権利ですから構いませんが、訴訟となると、
    岡野氏は「血液型人間学は占いまがいのものではなく、学術的なものだ」と話した。
学術とは大辞泉より、

専門的な研究として行われる学問。原理と応用・技術を含めていう

これは言葉の遊びに近いかもしれませんが、血液型人間学が「学術」かと言われれば学術だと思います。ある研究が学術かどうかは極論すれば研究者の主観となります。これも極端な喩えかもしれませんが、血液型人間学に実は根拠が無い事が証明できても立派な学術です。何が言いたいかですが、学術だから必ずしも根拠があるというわけでは無いと言う事です。

根拠の有無を探るだけで立派に学術的行為になりますし、未だに決定的な根拠が得られていない問題に研究が続けられている専門分野もあります。研究の末に根拠がなかった事が立証される事もあり、また長年の努力の末についに証明されることもあります。

岡野氏の主張する「血液型人間学が学術であるか」の命題に対しては私はイエスと思っています。イエスとは血液型人間学が学術であるのと同様に、岡野氏が否定的な喩えに出した「占い」もまた学術であると言う事です。易学や占星術だけでも膨大な学問体系を有している立派な学術であると言う事であり、根拠は科学的に証明できていなくとも、根拠を証明しようと延々たる努力は続けられています。

しかしBPOの判断基準は学術か否かではないように感じます。あくまでも現代人の良識として根拠があるかないかです。つまり学術の有無とは基本的に関係ない判断と読めます。BPO勧告にあるように血液型は人間にとって不可避のものであり、人類をたった4分類で分別しようとする方法論は、現時点で肯定的に扱うのは弊害が多すぎるの判断です。

もちろん岡野氏を始めとする血液型人間学の研究者が、これを覆す根拠を明瞭に示せば現代人の良識は変わります。BPOは血液型人間学を排除したわけではなく、これを肯定的に扱うことに「配慮」を求めただけです。血液型人間学を完全否定したのではなく、あたかも確実な根拠がある学術のように扱うのに注意が必要としているだけです。肯定的に扱って欲しいなら、それだけの根拠を示せとしているように思います。

いつぞやのジャーナリストの戦術と同じですが、根拠があると言うのなら、学術的根拠で反論すべきではないかと個人的には思います。ま、そうは言うものの、訴訟でも起さないと自らの学説を発表する場がないと考えたのかもしれません。それにしても学説のレフリーとして裁判官を選ぶ感覚は最近の流行でしょうか。いつぞやのジャーナリストは「訴え捨て」による露出効果を狙ったんじゃないかの推測もありましたが、今回はどうでしょうか。


戦術の狙いは知る由もありませんが、やはり訴訟で勝つ方が主眼の様な気がします。だってこの程度のマスコミ効果では、血液型人間学が根拠あるものとして公認されたとは言えない様な気がすからです。ただ裁判官にすれば嫌な訴訟だと思います。上述したように学術か否かの判断については裁判官はサラサラとスルーしそうな気がします。

そりゃ学術であると判断しても、しなくとも司法判断としては違和感アリアリで、下手すると学問・思想の自由を侵害してしまう危険性があるからです。根拠についても、これを否定しても、肯定しても問題が残ります。正直なところ、そういう判断もまた司法には馴染まない性質と考えるからです。出てくる判断は、そうですね、

    BPO勧告は血液型人間学を否定しているものではなく、単に取扱いに注意を喚起しているものに過ぎない
このあたりに落ち着くと予想しておきます。それとなんですが、
    要望の取り下げと慰謝料20万円
これだけで判断するのは危険かもしれませんが、本人訴訟かな? 本人訴訟の方が思う存分根拠を主張しやすいのは確かと言えば確かですが・・・裁判官も御苦労様です。