医学部への裁量労働制導入の現実

ネタをつかんだ時にはシンプルに話をまとめられると思ったのですが、調べてみると経緯が長くて深く、従ってエントリーも長大なものにならざるを得なくなりました。さらに鬼門とも言える労働法規の解釈になり、余程やめようかと思ったのですが、ここまで調べたのであえて上げます。


宮崎大救急部募集要項

これがモトネタなんですが、ネットでは公表されておらず、とある情報提供で入手したものです。

  1. 募集職種
  2. 応募人数
      若干名
  3. 応募資格
    • 医師免許を有すること
    • 5年以上程度の臨床経験(救急以外でも可)を有すること
  4. 業務範囲

ここでのポイントは「助教」の資格で募集している点です。それでもって、メインテーマは、

本医学部では、教員の勤務時間は原則として裁量労働制を適用することとなっています。

はぁ?、てな感じだったのですが、京大でも裁量労働制は採用されているのが確認できまして、その専門業務型裁量労働制に関する協定書の一部を引用しますが、

京都大学(以下「大学」という。)と過半数代表 ○○○○ は、国立大学法人京都大学教職員の勤務時間、休暇等に関する規程第19条に基づき、専門業務型裁量労働制に関し、次のとおり協定する。

(対象となる教員等)
第1条 本協定は、次の各号に掲げる教員及び研究員(以下「教員等」という。)に適用する。

一 人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事する助教、外国人研究員及び特定研究員
二 教授研究の業務に従事する教授、准教授、講師(以下「教授等」という。)及び外国人教師

京大が採用しているからお墨付であるとは言えないかもしれませんが、宮崎大だけの話でないぐらいは確認出来ます。


専門業務型裁量労働制

裁量労働制ですが大阪労務管理事務所からの引用です。

  • 専門業務型裁量労働制


      業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる必要がある業務として厚生労働省令及び厚生労働大臣告示によって定められた業務の中から、対象となる業務を労使で定め、労働者を実際の業務に就かせた場合、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度です。


  • 企画業務型裁量労働制


      事業運営上の重要な決定が行われる事業場において,事業の運営に関する企画・立案・調査・分析の業務であって,業務の性質上その遂行方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があるため,当該業務の遂行の手段,時間配分の決定等に関し使用者が具体的指示をしないこととする業務に対象業務を適切に遂行するための知識,経験等を有する労働者を就かせた場合に適用できる制度です。この場合、労使委員会であらかじめ決議した時間働いたものとみなすことが出来ます。

説明を端折りますが医学部に適用されているのは専門業務型です。専門業務型は「厚生労働省令及び厚生労働大臣告示」で定められた19の業務にのみ許可されています。東京労働局の専門業務型裁量労働制の適正な導入のためにに具体的な説明がなされていますが、医学部(つうか大学)が関係しそうな業務とその具体的な内容は、

  • 新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務


      「新商品若しくは新技術の研究開発」とは、材料、製品、生産・製造工程等の開発又は技術的改善等をいうものであること。


  • 学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)


      長いので後述にします

この二つです。この2つの業務の具体的な内容として、「新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務」はシンプルなのですが、「学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)」は結構煩雑でして、まず定義ですが、

当該業務は、学校教育法に規定する大学の教授、准教授又は講師の業務をいうものであること。

ほいじゃ「助教は?」は後で出てきます。次に「教授研究」ですが、

「教授研究」とは、大学の教授、准教授又は講師が学生を教授し、その研究を指導し、研究に従事することをいうものであること。

学生への教授も研究である事がわかります。さらに教授研究との他の業務とのかけもちも定義してあり、

「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり、具体的には、研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に、その時間が、1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること。

ほぉ、学生への教授とは研究への教授であって、学生への講義は該当しないようです。それもって教授研究の方が労働時間の5割以上であるのが原則となっています。臨床への定義がやや微妙な表現になっていますが、

なお、大学病院等において行われる診療の業務については、専ら診療行為を行う教授等が従事するものは、教授研究の業務に含まれないものであるが、医学研究を行う教授等がその一環として従事する診療の業務であって、チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を担当するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制をいう。)により行われるものは、教授研究の業務として扱って差し支えないこと。

診療に関しては原則として教授研究には含まれないとされています。しかし診療が医学研究であり、さらにチーム制である時には教授研究に含まれるとしています。ここの解釈は微妙なので後で検討します。さて問題の助教です。

また、大学の助教は、専ら人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事すると判断できる場合は、前記1.の業務として取り扱うこと。この場合において、助教は、教授の業務を行うことができることになっていることから、その時間が1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものの1割程度以下であり、他の時間においては人文科学又は白然科学に関する研究の業務に従事する場合には、専ら人文科学又は、自然科学に関する研究の業務に従事するものとして取り扱って差し支えないこと。

助教が専門業務型に該当する原則は、「前記1.」となっており、「前記1.」とは「新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務」の事です。そういう状態でも助教は「教授の業務を行うことができる」とはなっていますが、その時間は労働時間の1割程度以下となっています。


なかなか煩雑なんですができるだけまとめてみます。助教として採用された救急医が専門業務型裁量労働制が適用されるには、

  1. 人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務を行う事
  2. 教授の業務のうち医療は、労働時間の1割程度以下でなければならない
さて問題は教授の医療の考え方で、教授の医療のうちで「教授研究」の部分の扱いです。原則は教授の医療は教授研究には入りません。入らないものは、助教は1割程度以下しか従事できません。教授の医療が教授研究に入る条件は、
  1. 医学研究を行う教授等がその一環として従事する診療の業務である
  2. チーム制により行なわれるものである
  3. チーム制は、複数の医師が共同で診療の業務を担当するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制
こういう条件であれば教授研究になり、助教が共同研究者として扱われる事はアリかもしれません。そうなると問題は、
    医学研究を行う教授等がその一環として従事する診療の業務
これとはなんぞやになります。


歴史的経緯

東京労働局のパンフを読んでも、なぜに医学部の教員全員が裁量労働制の適用になるのか理解が難しいのですが、現実には医学部の教員が裁量労働制になっているところが確実にあります。表向きに書いてある以外の何かの要因があるはずです。なんと言っても通達行政の世界で、誰も知らないうちに「えっ」と言う通達がシレッと出ている医療業界ですが、参考になりそうなのがRIETI Discussion Paper Series 10-J-017「現場からみた労働時間制度改革−国立大学法人の例を中心に−」です。

これがどれほどの信憑性があるのか判断が難しいのですが、悩んでも仕方が無いのである程度の信用を置いて考えてみます。大学や医学部への裁量労働制の動きの発端は、

2004年1月に「大学における教授研究の業務」を専門業務型裁量労働制労基法38条の3)の対象業務に加える改正告示(平成15年厚生労働省告示第354号)が施行されたときも、これに同調してアクションを起こした私立大学はほとんどなかった。

2004年1月に公式に動き出したと考えて良さそうです。もちろん公式に動く以前に水面下の動きはあったはずです。こういう動きが出てきた最大の背景は国立大学の法人化であったとしてあり、法人化に伴って旧国立大学に裁量労働制を是非導入するの政治的な動きがあったようです。それでもこれだけでは現実のアクションにつながらなかったのは引用の通りです。問題になったのは、

  1. 教授の研究以外の労働時間の解釈
  2. とくに医学部教授の大学病院での診療の取扱い
これが現行の条文になって解消したとなっていますが、これも理解が難しいのですが、まず労働時間の解釈です。

講義等の授業時間が週20時間以上となることは、まず考えにくかったので、通達のこの文言は、ひとまず関係者を安堵させるものとなった。しかし、入試等の業務に従事した時間については、労働時間のみなしが許されないといった誤解が全国の大学に拡がったため、その誤解を解くため、当時の規制改革・民間開放推進会議が動く。そうしたエピソードも、一方ではみられた。

この問題にようやく決着をみたのは、法人化後約1年が経過した2005年3月23日。同日、小泉首相に提出された「規制改革・民間開放の推進に関する第1次答申(追加答申)」が、次のように述べたのがそれである。

「大学教員の行う入試業務等の教育関連業務については、授業等の時間と合算した時間が1週の法定労働時間または所定労働時間のうち短いほうの時間の概ね5割程度に満たない場合には、専門業務型裁量労働制の対象業務となる(入試業務等に従事した日についても労働時間のみなしが可能である)ことの周知徹底を速やかに図るべきである」。

入試当日の勤務時間が仮に8時間を超えるようなことがあったとしても、そうした実労働時間とは無関係に、労使協定でみなした時間労働したものとみなす。そのような取扱いが可能であることが解釈上明確になったのである。

これを読んでも正直なところサッパリわからんと言うのが本音ですが、

    実労働時間とは無関係に、労使協定でみなした時間労働したものとみなす
もしお時間があれば法務業の末席様なりにレクチャーお願いしたいところです。あえて言えば専門業務型裁量労働制の定義にある、
    労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度
レポートの引用例は試験監督時間が8時間もある話ですが、この8時間ももっと短く、ないしは場合によっては「無かった事にする」とみなす制度と言う事でしょうか、とにかく良くわかりませんが、なんらかのタガが外されたのだけは間違いありません。とにもかくにも労働時間の解釈は2005年5月に解消されたとしています。


教授の診療なんですが、

他方、通達は、「患者との関係のために、一定の時間帯を設定して行う診療の業務は[教授研究の業務に――注]含まれない」こと、したがって「当該業務を行う大学の教授、助教授又は講師は専門業務型裁量労働制の対象とはならない」ことを当初明示したことから、医学部等の附属病院をかかえる大学は、その対応に頭を悩ませることになった。

確かにそうなっているのは上述した通りです。

この問題が一定の解決をみたのは、入試問題の解決からさらに1 年近い月日が経過した2006年2月15日。「大学病院等において行われる診療の業務については、専ら診療行為を行う教授等が従事するものは、教授研究の業務に含まれないものであるが、医学研究を行う教授等がその一環として従事する業務であって、チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を分担するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制をいう。)により行われるものは、教授研究の業務として取り扱って差し支えない」。こう改正通達(基発第0215002号)は述べ、従来の硬直的ともいえる通達の定義がある程度緩和されたことにより、落着をみたのである。

焦点なる教授の医学研究の範囲がこれで飛躍的に拡大されたと言う事のようです。ここも難解なんですが、さらに解説はあり、

それまでは、教授等が診療に従事した日については、裁量労働制を適用しないとの措置を講じていた大学も、その必要がなくなった。診療の業務ではなく、臨床研究。常識的に考えれば、そうした見方も十分できたであろうし、この程度の定義の見直しに2年もかかるのは、そもそも異常というほかない。

解説と言うより結果を書いているだけなのですが、規制緩和により「どうやら」ですが、教授の診療はほぼすべて教授研究に含まれると見なされるだけでなく、これを手助けと言うか、教授の指導の下で臨床に当たっている医学部の教員すべてをチーム制の共同研究者としても良いと拡大解釈が為されたと見れます。全員が教授研究のチームの一員であるので、めでたく専門業務型裁量労働制が適用されたと言えば良いのでしょうか。

ごく簡単に経緯をまとめておくと、

年月 事柄
2004年1月 独法化される国立大学での裁量労働制導入のために労働基本法労基法38条の3)の対象業務に加える改正告示(平成15年厚生労働省告示第354号)が施行
2005年3月 教授の労働時間については、小泉首相に提出された「規制改革・民間開放の推進に関する第1次答申(追加答申)」で解消
2006年2月 教授の研究範囲についての解釈拡大が基発第0215002号で行われる


う〜ん、てなところですが、こういう経緯により大学はもちろん事、医学部であっても裁量労働制が導入可能となったとしています。お願いです、この辺の経緯について詳しい方は是非レクチャーお願いします。どうも引用したレポートは、裁量制導入に諸手を挙げての賛成の姿勢ですから、別の面からの経緯の説明があれば嬉しいところです。


導入先にありきの強い違和感

専門業務型裁量労働制の定義は、

    業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる必要がある業務
大学病院勤務で「時間配分等を大幅に労働者の裁量」が果たしてあるかどうかです。診療科にもよるでしょうが、病院勤務では非裁量労働者と協同で働きます。看護師、薬剤師、検査技師、事務員等です。こういう非裁量労働者の協力無しでは医療は遂行できません。非裁量労働者は定刻で働きます。つまり非裁量労働者が働く時間は、裁量労働者には左右できません。

たとえば裁量労働者が「○○時からの外来に今日は裁量で変更する」としたところで、非裁量労働者は絶対に合わせてくれません。これは外来診察時間だけではなく、病棟業務、それに伴う処置、検査等も同様です。医療以外の△△会議の類も裁量できる余地はほぼありません。

多くの協力者が必要な病院医療では、非裁量労働者の時間スケジュールが既に定められており、裁量労働者が裁量できる時間は、あくまでもそれ以外の時間になり、そんな時間は「大幅」なんて単位で存在しているとは到底思えません。あえて裁量できる時間といえば、まともに取り難い事が多い「昼休み」を各自の裁量でなんとか取っているぐらいです。

どう考えても「時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる」と言われても「それ、食えるの?」ぐらいにしかなりません。


裁量労働制は、そういう制度の方が業務の効率があがる、もしくは定時定刻の労働制度の下では、その労働成果を評価しにくいときに適用され、導入されるもののはずです。しかし医学部への導入はそうでなく、裁量労働制を導入するのが先にあり、業務実態としての必要性を評価したとはとても思えないところがあります。診療科によっては導入可能なところもあるかもしれませんが、一律に導入できる性質のものとは到底思えないからです。

「導入先にありき」の理屈もかなり強引と見ています。教授の臨床医療を研究と見なすのは、まだしも理があるとは思います。これも診療科によって温度差があるとは言え、臨床研究は実地医療からの研究発表が多いからです。たまたま診察した症例から研究発表のモトダネが出る事は良くあることです。そういう点を拡大解釈するのはまだしもとは思います。

しかしこの教授研究の「共同研究者」であるから、残りの教員もすべて裁量労働者であると言うのはかなり強引です。外形的には、教授がその診療科の医療の総指揮を取っているとは言えますし、残りの所属医局員が教授の指揮の下でチームとして協力していると言えるのは言えます。宮崎大救急の募集要項の業務の範囲である。

救急部教授の教授研究が救急医療であれば、そこで救急医療を行なうことが教授研究への共同研究者になり、助教として裁量労働制で働いても理屈は通ることになります。

研究発表も連名の事が少なくありませんから、そういう意味でも共同研究者と外形的には言えます。しかし共同研究者であるからと言って、裁量労働者である必要がどこにあるかと言う事です。裁量部分が無い裁量労働制としか評価のしようがありません。必要性も必然性も無い部分に一律で無理繰りに導入されたものとしか見えません。


ま、導入の目的は見えやすくて、裁量労働制のメリットと謳われる「時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる」事による業務効率向上とか、成果評価の改善ではありません。だって肝心の「大幅に裁量できる時間」そのものが存在するとは思えないからです。「時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる」は労働者側のメリット言えますが、裁量労働制には経営者側のメリットもあります。

    労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度
裁量労働制は、
    労働者側メリット・・・時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる
    経営者側メリット・・・労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度
この二つが釣りあいが取れてこそ価値があると考えますが、医学部への一律導入では、どう考えても労働者側(医師側)のメリットが一方的に乏しい制度であると言えそうです。その端的な現われが宮崎大の救急医募集に出ているような気がしています。