大元は琴子の母様の日本小児科学会の資料をあらためて災害時に必要な知識として伝えてくださいで、shy1221様の助産師を目指す人たち経由で拾ったお話です。そもそもが釣りかどうかのレベルから問題になるお話ですが、釣りであれば釣られて楽しめるぐらいの面白さはあります。話の舞台が3ヶ所に分かれているので、順に追っていきます。
申し訳ありませんが琴子の母様の元のエントリー(これはこれで重要な情報です)とは全然関係ない展開で出てきたのが、自称「助産師学校の学生」です。
昨日、初めてこのブログに来ました。
私は助産師を目指して大学生をしています。人間が本来持っている機能を最大限に発揮できるようなケアができる助産師になりたいと思っています。いずれは助産院や自宅での出産介助の仕事をしたいとも考えています。
琴子の母さんのお考えにすべて同感できるという訳ではありませんが、このようなブログはこれからもあってほしいと思っています。そして、これから私がどのような助産師になるにしろ、たまには覗いて、このような考え、現実もあるということを認識しながら、自然なお産というものを大切にしていきたいと思っています。
どこにコメントを書いても自由なんですが、琴子の母様のところにわざわざ書き込むとは、空気が読めないか、喧嘩を売っているか、それこそ「釣り」ぐらいしか考えられない内容です。後の展開を素直に読むと空気を読めないと言うより、ココロからそう信じられているようには見えます。うちよりは紳士淑女のコメンテーターがレギュラーで豊富におられますから、幾つか良心的なレスが出た後に
ゆきうさぎさん、ふぃっしゅさん、琴子の母さん、コメントありがとうございます。スレ違いですみませんでした。
まず、私は助産院、自宅出産の仕事をしたいと入学前から思っていました。また、独り立ちしたい、という意味で目指しているわけではないので、開業ということは特に意識していません。助産院で勤務助産師として働くほうが今の私の希望には合っています。病院で経験を積み、その後助産院で経験を積みたいです。
なぜ助産院、自宅出産なのかというところですが、人間が本来持っている機能を最大限に発揮できるようケアをしたい、ということと、一人一人とじっくり関わってみたい、というところです。また、私自身もし出産を経験するとしたら、自宅出産をしたいと思っているというのも理由の一つになっていると思います。
私の憧れの原点は、昔のムラの助産婦さんにあります。ムラで子どもを取り上げ、そのムラで自分が関わったお母さんや子ども達の成長をずっと見守っていく。お母さんたちの交流の場や、相談の場にもなれるような、地域の保健室みたいな場所に助産院がなれたら、とも考えています。
現代では助産院で産む人は少数派なので、地域に何人もいないと思います。病院で産んだ人も含めて気軽に集える場にできないかな、とか、分からないことだらけですが、ごちゃごちゃと考えています。
あんまりレスが効果的であったとも思えませんが、やはり琴子の母様のレギュラー陣は優しくて、さらにレスを重ねられています。具体的かつ、実経験に溢れた貴重なレスだとは思うのですが、さらなる反応は、
助産院や自宅出産の仕事をしたいと思っていますが、病院でのお産を否定する気持ちはありません。病院のお産の良さ、とても伝わってきました。
病院のほうがいいと思われる方には病院を選んでほしいですし、その選択の幅があり、しっかりとした情報提供の下で選べるということが大切だと思っています。だから、このブログも大切だと思っていますし、助産院も大切だと思っています。
自分が目指しているものを否定され、悲しい気持ちになりますが、助産院で働くということは、お母さんたちのこのような気持ちも受け止めなきゃいけないということなのだと実感しています。
ここでちょっと絡んでみたいと思うのですが、
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自分が目指しているものを否定され、悲しい気持ちになります
しつこいようですがレギュラーコメンテーターはなおも優しくレスを重ねられます。読みながら「なんと心優しい」と感歎するばかりですが、ブログの気風と言うか、ブログ主のキャラの差と言うか、まさしくブログ主の人格の違いと言わざるを得ません。それでもってレスの成果は、
>「自分が目指しているものを否定され」と書いていますが
自分が何をめざしているのか、
その結果何がおきるのか、知るのも大事と思います。
その気持ちがあるから読んでいます。それ以外にここに来る理由はありません。
>琴母さんにしろhaccaさんにしろ、
「助産院での分娩で赤ちゃんを失った」人なのです。
少数派でそんなことはめったに起きない、と思いますか?
本人の体調管理が、もしくは立ち会った助産師がたまたまひどい人だった、と思いますか?
助産院のせいだったと言いたいのだと思いますが、個人のケースについて、当時の状況をよく知りませんし、知ったとしても、学生の私には判断できないと思います。そのへんは私が今知りたいと思っているところです。ここでの話と助産院の方の話も聞いて、自分なりに考えたいところです。
ムラの助産師さんにあこがれて、というのは、地域に根ざした継続的な繋がりが持てていたという面で、です。雑誌は探してみます。
これはもうこの「助産師学校の生徒」がと言うより、そういう助産師学校ワールドの中で染め上がった思想信条ぐらいと思わざるを得ません。つまり、
- こう教えられたから絶対正しい
- こう思い考えたら、周囲は誰もが褒めそやす
半分以上の記事は読んだと思います。やはり、私の考えは甘かったのだと感じています。
地域に根ざした医療や看護を目指すのなら、ゆきうさぎさんが言われていたように病院でもできますし、産科ではなく、他の分野なら訪問看護という選択もできるので助産院や自宅出産、また産科にこだわる気持ちがなくなってきました。実際に現場で働かなければ分からないことも多いのだと思いますが、今分かる範囲で、一から考え直していきます。みなさん、コメントを熱心にいただき、ありがとうございます。
ムラと村の違いは、村は市町村の村を表すのに対して、ムラは村に限らないムラ(地域コミュニティ)を指すものだと思って私は使い分けています。
本当にどれだけ理解したのか疑問を感じないでもありませんが、レギュラーコメンテーターの努力が報われたぐらいに解釈しておきます。ここまで心優しいコメンテーター集うブログはそうそうありませんから、個人的には感謝して欲しいところですが、そこまで望んでもしようがないので、とりあえずはメデタシ、メデタシぐらいにしておこうと思います。
ここまでは琴子の母様のコメ欄で展開した心優しい議論でしたが、別のコメントにshy1221様が反応して取り上げられています。
私の通った助産師学校では、どちらかというと医学的知識とか根拠というよりは(勿論それらもしっかり学びましたが)、代替医療や自然なお産などを大切にする?ような授業が多かった気がします。
きっと講師に開業助産師が多かったからかなぁ、と感じています。ある開業助産師は、私達学生に、助産師は神に選ばれた人間がなるんだと言いました。
私は、ア然となりましたが、陶酔する様な目をする学生もいました。
母乳育児にこだわり、ミルクを足すなんて助産師のすることじゃないと言う学生がいました。
学校で、母乳が唯一の栄養だと習うからです。
助産師の教育、見直す必要があると私は感じています。因みに、縫合の授業ありました。さらっとですけど、実技もありました。
「助産師は神に選ばれた人間がなるんだ」はなかなか面白くて、そう思っていても公衆の面前で言い出しにくいものですが、なかなか粒よりの講師陣に囲まれての助産師学校ライフだったようです。このコメントも面白いのですが、あくまでもどうやらですが「当の若者」のHNでshy1221様のところに、上で紹介した「助産師学校の学生」らしき人間がコメントしています。
2人目の学生さんに出てくる開業助産師さんの考え方はどうかと思いますし、琴子の母さんのブログ内容についても助産学生は一度は考えてほしいところであります。もし大きく偏りのある教育内容の助産師学校があるなら考え直す必要があると思いますが、「イタイ助産師学校マップ」って手段は悪趣味な方法ですね。
助産師の魅力が感じられなくなる一方だと思います。助産師がいないほうが産科医にとっていいならいい方法かもしれませんが、医学も知ってて妊婦さんに寄り添える助産師が増えてほしいと思われているなら、いい結果にはならないと思います。
同一人物かどうかの判定はかなり微妙(むしろ別人の方が自然かも)なんですが、いずれにしても助産師ないし助産師学校の学生らしき人物であろうぐらいは言っても良さそうです。私が注目したのは、
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医学も知ってて妊婦さんに寄り添える助産師が増えてほしいと思われているなら
私は現在は開業医で、周産期の現場とは縁が遠くなりましたが、助産師と言うか助産師学もてっきり現代医学の知識に基いてというか、現代医学の体系の一端としてあるものと固く信じていましたが、そうでもないようです。現代医学の体系も一部取り入れているが、「やや」ないし「かなり」または「まったく」別体系の助産師学がどうやらあるようです。またそれこそが正統の助産師学であると頑張っておられる助産師学校が確実に存在するようです。
そういう薫陶を助産師学校でしっかり受けられていたら、そりゃあんなコメントを琴子の母様に臆面なく出来るわけですし、心優しいとはいえ、レギュラー陣の猛反論を受ければ「心外」みたいな反応が出てくるわけです。
世の中広いと痛感しました。日頃リテラリシーが重要だと言っていたにもかかわらず、トンデモ系助産師はあくまでも助産師なってからトンデモに転じた少数派と無邪気に信じていた自分を恥じます。現実はそんな甘いものではなく、助産師学校の教育時点でそういう進路がある事をキチンと教育誘導されているケースもあると学習させて頂きました。
でもって、話はなおも続きます。このエピソードを再び琴子の母様が取り上げられ即、助産師教育の見直しを!を書いておられますが、そこに興味深いコメントがあったので要点だけ引用させて頂きます。そのコメントが引用しているのは、
日本母性衛生学会誌の最新号は昨年の学術集会の特集ですが、青木康子氏(帝京大学医療技術学部看護学科特任教授)の「助産師教育のあるべき姿を考える」という文から始まっています
これはさらに「あとがき」だそうですが、どういう部分が引用されているかと言えば、
日本における助産師教育は、戦争の影響で多少の廻り道はしたものの、明治時代から着実なあゆみをしてきている。平成22年の保健師助産師看護師法の一部改正によって、廻り道や多様化という迷い道から解放され、日本の助産師教育は本道にもどりつつある。(以下省略)
業界隠語的な表現が散りばめてあって、これだけではよくわからないのですが、ちゃんと用語の補足説明(もちろん青木氏の説明)をしてくれています。
- 本道
- 産婆は、明治、大正、昭和と増加の一途をたどり、開業産婆として、妊産婦やその家族はもちろん地域社会の保健や福祉にかかわり、発展的に活動してきた。
- 廻り道
- 日本は敗戦、アメリカ、イギリスなどの連合国総司令部(GHQ)の支配下となり、その政策はすべてデモクラシー民主主義の方向で推し進められ、看護教育も大きく変わった。
- 昭和23年に保健師助産師看護師法が制定され、その根本は、保健師、助産師、看護師の三者を看護師として括る考え方であった。つまり資格の一本化ということであった。これに対して助産師は終始反対し、その結果として保健師助産師看護師法とおのおのの名称を付して制定され、一本化はまぬかれた経緯がある。
- 保健師助産師看護師法の制定で助産師にとってのメリットは看護師の勉強を経てから助産師の勉強ということで、産婆学のなかに含まれていた看護学を充実させ、母子の保健指導を法的に明記した点にある。
- しかしながら、開業産婆の実践を支える基盤となっていた、明治、大正、昭和にわたる産婆学校のカリキュラムの内容に加えて、より学問的な発展を飛躍させたとは言い難い。
これは助産師学ワールドの思考なので正確に解釈するのが難しいのですが、私なりに解釈すればやはり助産師学と現代医学は基本的に別体系の医療であるとの思想があるように感じられます。青木康子氏(帝京大学医療技術学部看護学科特任教授)が助産師界の中でどれほどの地位を占め、どれほどの有力者であるかは知る由もありませんので、この程度の紹介に留めさせて頂きます。
全部が巧妙な釣りだったら凄い仕込みなんですが、真相は・・・確認不能です。