誤審と落球と失言

阪神巨人戦での誤審が話題になっているようです。プロ野球の審判は人が行うものであり、人が行う限り誤審はありえます。また誤審によって試合の流れが決まったり、試合だけでなく優勝の行方が左右されたりもあります。不利益を蒙ったチームのファンであれば激昂するのは当然ですし、激昂するのもまたプロ野球の楽しみ方だと思っています。

私が覚えてる限り(書物による知識も含めてです)で一番古い誤審は、1961年の日本シリーズです。これはWikipediaからですが、

1961年の日本シリーズ第4戦で、1点リードの9回裏に杉浦忠をリリーフして登板。2死までこぎ着けたが、その後一塁の寺田陽介がフライを落球、三塁の小池兼司がゴロをファンブルするというエラーが重なり、満塁となる。ここで打席に入った宮本敏雄をカウント2ストライク1ボールと追いつめ、自信を持って投げ込んだ投球を円城寺満球審は「ボール」と判定。受けていた野村克也によると、セ・リーグの審判である円城寺がスタンカの投球を見慣れていなかったことと、自分が「終わった」と思って少し早めに腰を浮かせたことがその原因ではないかという。スタンカは円城寺に詰め寄って抗議したが判定は変わらず、次の投球を宮本に痛打されてサヨナラ負けを喫する。このとき、スタンカはバックアップに入ると見せかけて円城寺に体当たりを食らわせた。

南海のスタンカは助っ人史上に残る名投手で、1964年の日本シリーズでは第1・6・7戦で先発し3完封を記録し阪神を破っています。性格的には瞬間湯沸かし器の異名もあったぐらいでしたが、一方でここ一番には連投も当然の様にこなした古きよき時代のエースであったと伝えられています。このエピソードには続きがあって、プロ野球フリークには有名ですが、

やがてその試合を見ていた商社マンが「円城寺 あれがボールか 秋の空」という川柳を色紙に認め、実業家に転身していたスタンカに贈った。その色紙は後年になってもスタンカの事務所に飾られていたという。

じつはもうチョット古いのもあって、天覧試合の長嶋のサヨナラ本塁打です。これは誤審とは言えないかもしれませんが、打たれた村山実は死ぬまで「あれはファールであった」と言い続けたのも有名です。


実際に見た誤審では1978年の阪急−ヤクルトの日本シリーズがあります。3勝3敗で第7戦までもつれ込んだシリーズの舞台は後楽園(神宮は改修中で、ヤクルトはホームに後楽園を使っていました)です。第7戦も接戦で、ヤクルト1点リードで迎えた6回裏に大杉の本塁打が飛び出します。これが日本シリーズ史上、最大の騒動に発展したのも有名です。

大杉のライトへの一撃はポールを巻くようにスタンドに吸い込まれます。打球が良く見えるヤクルトベンチは一瞬立ち上がった後、落胆したように座り込みました。それを見た阪急ベンチはファールを確信したのですが、なんと線審富沢は本塁打をコールします。監督の上田は激怒して抗議に向かいます。日本シリーズ史上最長の1時間19分の抗議です。途中選手をすべて引き上げさせた上田は、この時点で放棄試合はもちろん、自らの引責辞任の腹を固めていたと言われています。

長引く中断に業を煮やしたコミッショナーは説得に赴きます。

金子コミッショナー 「この僕が頭を下げて頼んでいるんだ。それでもダメか」
上田阪急監督 「それがどうしたっていうんですか」


結局のところ阪急本社首脳陣の説得に上田は折れることになりますが、折れなければ日本シリーズの決着が放棄試合でつくみたいな椿事さえあったかもしれません。そうならないように周囲が必死に上田を説得したから、そうならなかったのですが、有名なお話です。


これは誤審ではありませんが、10.19で有藤の抗議も逆に有名です。10.19のエピソードは前に紹介した事がありますが、当時圧倒的な強さを翳り無く誇っていた西武に近鉄が執拗に食い下がった1988年のパ・リーグでのお話です。シーズン展開の綾で最後の最後に13日間で15連戦(ダブルヘッダー2回を含む)を戦い、その最後のダブルヘッダーに連勝すれば近鉄の逆転優勝と言うシチュエーションが展開します。

第1戦は劇的な逆転勝ちで勝った近鉄ですが、第2戦も苦戦模様になります。同点の9回裏に無死一二塁のピンチを迎えた近鉄の阿波野は、二塁に牽制球を投げます。これがアウトになったのですが、これがやや高いボールで、タッチの時にセカンドの大石がランナーを押したから走塁妨害ではないかの有藤(ロッテ監督)の抗議です。これが9分間続けられ、結果として延長11回が行われなかったと言うものです。

11回の近鉄の攻撃があっても、近鉄が勝ったかどうかは誰にもわかりませんが、日本中の野球ファンが息を凝らして見つめていた白熱の攻防戦の最大の汚点として、今も語り継がれています。


誤審でなく落球も野球史を飾るものがあります。今日は古い話ばかりで申し訳ないのですが、1973年のセ・リーグは稀に見る団子レースとなりました。古い阪神ファンなら「池田の落球」とも「世紀の落球」とも言い伝えられていますが、私が検証した限りの状況を紹介しておくと、

このシーズンを象徴するプレーとして長く語り伝えられた伝説のプレーに「池田の落球」があります。あまりに象徴的であったため「世紀の落球」としてこのプレーひとつで優勝を逃したとも曲解して伝えられ、さらにこのプレーにより池田の選手寿命が縮んだとも言われています。落球があったことは事実ですし、落球のためにゲームを落としたことも事実ですし、シーズン終了後の巨人とのゲーム差が0.5であったことも事実です。でもそれほど深刻な落球だったのでしょうか、私もどうしてもS.48と言えばこの落球を思い出してしまうのですが、好漢池田純一の名誉を守るためにもう一度振り返ってみます。

事件が起こったのは8月5日の甲子園での阪神巨人18回戦。先発は阪神山本和行、巨人が新浦寿夫、試合は2-1で阪神リードで終盤に入り必勝体制の阪神はリリーフに江夏を送ります。9回表に2死一、三塁のチャンスをようやくつかんだ巨人でしたが、7番黒江がセンターに平凡な飛球を打ち上げてしまいました。

勝利を確信した江夏はマウンドを降り始め、球場内の誰もが阪神の勝利を確信しました。その時センターの池田は芝が流されて段差ができたところに左足を踏み込んで、無情の転倒、ボールは懸命に差し出す池田のグラブをあざ笑うかのようにセンター120Mの最深部に点々とすることになります。走者一掃の三塁打、巨人逆転勝ちです。

試合後の江夏は

    「勝負ちゅうのはこんなもんや、誰も責めんし文句も言わんよ。」
と語っただけですし、よく注意して欲しいのですが、公式記録員も「エラー」ではなく「三塁打」として記録しています。当時の甲子園は雨が降ると芝生が剥がれている所の土が流れあちこちに段差ができ、これがプレーに影響することを公式記録員もよく知っていたようです。さらに「落球」として伝えられていますが、池田はボールに触ったわけではなく、池田のさらに奥に落下しています。

伝説ではこのプレーを気に病む余り、池田はプレーが萎縮しノイローゼ状態となり選手寿命を縮めたとなっていますが、決してそんな事はありません。数試合後には江夏を助ける決勝のホームランも放ち、またシーズン成績は落球前と落球後では落球後のほうが成績がよくなっています。池田は「落球」のため萎縮したのではなくむしろそれを糧にして奮起し、より多くの勝利を阪神にもたらしているのです。

ただし池田の選手としてのピークは前年のS.47であったらしく、この年の打率2割8分3厘をピークとして徐々に成績を下げています。S.51にラインバックや東田が加入し外野のポジション争いに敗れた池田は、今度こそ本当にノイローゼ気味になりS.53に引退しています。

池田の落球を責めるならその一つ前のプレーであるセカンドの野田のプレーも責められるべきだと考えます。1死一塁、二塁の場面で六番末次の平凡なセカンドゴロを緩慢なプレーでダブルプレーをしくじって一塁、三塁にしています。これがなければ池田の落球も無く、単なる阪神勝利の1戦として誰の記憶にも残らない試合になっていたと考えます。

誤審、落球とも野球の試合を楽しむだけなら、不要なエッセンスです。とくにプロとなれば「あってはならない」とする事もできます。しかし人の行うことですから、「あってはならないこと」が起こるのもプロ野球だと思っています。そういう、あってはならないアクシデントを楽しむのもまたプロ野球の楽しみだと思っています。


今回の誤審事件で一つ要望をあへておくなら、誤審と言うアクシデントに、どういうリアクションを行うかもプロ野球選手として求められるものだと思っています。当事者、チーム、監督がアクシデントをプロ野球選手としてどう対応するかです。もちろん大人の対応をするもよし、ヒールに徹するもよしです。プロならそこまでの計算というか、パフォーマンスを求めたいところです。

誤審や落球がらみではありませんが、気の利いたコメントとして記憶に残っているものを最後に3つ紹介しておきます。まず江夏のものですが、延長戦でノーヒット・ノーランを達成しただけではなく、自らサヨナラ・ホームランで勝った後です。

    野球は一人でも勝てる
「一匹狼」江夏のキャラクターと合わせて「江夏ならきっとそう話す」と江夏伝説を彩っています。真相は今となっては江夏しか知らないと思いますが(記者は生きてるかな?)、どうやらこんな感じであったとの説もあります。江夏は非難を受けても一切の釈明をせず、現在では「そう話した」となっています。

もう一つ江夏です。ソースが確認できなかったのですが、ある年の江夏は不調で、そういう状態でマジックが1まで迫った巨人(だったと思う)を甲子園で迎え撃ちます。ここでシーズンの不調を吹き飛ばすような快投を行い、シャット・アウト勝ちで胴上げを阻止した後インタビューで、

    ここは甲子園やで!
最後は少々下品なんですが、清原のものです。ちょうどブレークする寸前の阪神の藤川と対戦した清原は、藤川のフォーク(だったと思います)に三振を喫したのですが、試合後のインタビュー(じゃなく、バッターボックスから怒鳴った様な気もするのですが・・・)で、
    おんどれはチ○ポついとんのんか!
ここもよく確認してみるとwikipediaより、清原の全発言は、

「8点リードで2アウト満塁、カウント2-3からフォークボール? 信じられんわ。ケツの穴小さいな。チ○コついとんのかアイツ!」

これは後の取材によるものだと思われますが、清原は泉州の出身だったはずですから、三振直後にはもう少し感情が過多になったストレートなものであったと考えています。


今回の巨人の選手も、そういう意味で気の利いたセリフを残すチャンスであったのに、ちょっと残念なところでした。もちろん今回の発言も、これからの活躍により逆に伝説化する可能性があるのも上記に示した通りです。たとえ発言直後には「失言」と取り扱われても、その後の活躍により微笑ましいエピソードであるとか、偉大な選手の人柄を忍ばせるエピソードに変わりうると言う事です。

蛇足のようですが、もう一つだけ紹介しておきます。日本で唯一の3000本安打(日米通算は除く)を記録した大打者に張本がいます。安打製造機の異名もあったのですが、イチローとは違い守備は少々、いやかなり危なっかしいものでした。そのため陰で「守っても安打製造機」の異名もあったとされます。晩年は巨人に移籍したのですが、やはり「守っても安打製造機」状態が変わるものではありませんでした。

ある試合で平凡な飛球を捕球し損ない、さすがに困った張本は、

    あれは空中エラーです
これは迷言ですが、こんな釈明でさえ大打者張本なら微笑ましいエピソードになります。失言を微笑ましいエピソードに変えるのは、その選手のその後の活躍如何でいくらでもありえます。今回の巨人選手の今後の精進を期待します。