プロ野球ファンのつぶやき

重い話題は休載しても負担なので、ごく軽い話題にさせて頂きます。

それどころでない事態だったので、そんなに熱心に情報を収集していませんでしたが、プロ野球の開催が迷走しているようです。プロ野球界が迷走しているというより、セ・リーグが迷走しており、ぶっちゃけた話、あの球団が迷走していると言ってもよさそうです。

もともとの予定は3月25日にセ・パ同時開幕でした。もちろんこれは震災前に計画されていたもので、震災があってどう対応したかになります。対応の第一は目前に迫った開幕を予定通りに行うかどうかです。パ・リーグの対応は非常に現実的であったと思っています。ある程度早い時期に開幕を4月12日に遅らすことを決めています。

パ・リーグの対応が現実的であった理由としては、直接の被災球団があったからだと思っています。仙台の楽天がどうなってしまうのかがリーグとしての大きな課題であり、宮城球場の損傷具合もそれなりの時期に入手できれば、とにもかくにも時間が必要です。時間を稼ぐ間に楽天の今シーズンのリーグ参加の問題や、リーグに参加するにしてもどういう対策が必要かを検討し実行しなければどうしようもないからです。

さらに事態は流動的であり、4月12日までとりあえず開幕を遅らせて、プロ野球開催への世論の反応も見ようと言う考え方は悪くありません。こういう非常時の娯楽系イベントの開催は必ず是非の問題が起こります。開催するだけで「不謹慎である」の非難は必ず出ます。一方で、こういう時こそ娯楽が必要である側面があり、必要派の動向を見極めておくのは主催者として大きな判断になります。

どうやっても批判や非難が出るのは避け難いですが、「あえて娯楽を提供する」と言う意義さえ心に強く持てば、この批判や非難に耐えることが出来ます。私の意見の基本は、批判や非難があってもあえて開幕すべしです。ただし批判や非難に対する対応は十分に行っておくのは絶対条件です。プロ野球開催のために問題になるのは、

  1. 開催時期
  2. 開催場所
  3. 日程
開催する事は必要としても、開催する以外の条件は可能な限り柔軟かつ臨機応変の対応を求められると考えます。条件に可能な限りの配慮を行っても批判や非難は出ますが、それらを行うことで「娯楽も必要」の理解が少しでも広がるからです。


プロ野球人気については様々に言われてはいますが、それでも日本では桁違いの人気を誇り、観客動員数一つを取っても、他のスポーツの追随をまだまだ許さないところがあります。サッカーも大きくなりましたが、肩を並べたかと言うと、距離は相当あります。そこまでのメジャープロスポーツですから、その動向、影響力は巨大です。

だからこういう時こそ率先して範を垂れる事が求められると思っています。細かな事情はわかりませんが、プロ野球のうち5球団(楽天は別格とします)が本拠を置く首都圏は厳しい電力事情がかなり続きそうな状況です。電力も時間帯によって様々に変わるので、昼間電力と夜間電力の需要の差などの議論もあるかもしれませんが、大筋として「とにかく節電」の状況になっているのは関西からでもわかります。

細かい分析では、この時間帯の電力利用は大きな問題が無いとか、この時間帯の節電は可能な限り必要とかもあるとは思いますが、大勢としては「それでも節電」です。こういう時には影響力の大きなものがパフォーマンスでも積極的な姿勢を示す事が重要と考えます。シンボル的な行動を見せると言う考え方です。

今の時期にナイター開催はごく素直に感情的反感を呼びます。そりゃそうで、各家庭で「節電、節電」と励んでいる中で煌々と照明をつけてのプロ野球興行は「ありゃ、なんだ」と思われて当然かと感じます。平穏な関西にいてもそう感じるのですから、首都圏ではなおさらのように想像しています。プロ野球を娯楽のために必要とまでは理解しても、ナイターの照明は「いらんじゃろ」の素朴な感じ方です。

野球は夜に照明をつけて行わなければならない競技ではありません。本来は屋外の太陽の下で行う競技です。興行的には夜間に行う方が有利である事はわかりますが、これほどの事態の時にナイター開催を絶対条件にする姿勢はよろしくありません。


首都圏であえてプロ野球を開催する意義は認めます。批判や非難を覚悟の上で、娯楽を提供するという意義はあると思っています。しかし制限は甘受しないとならず、むしろ甘受するというより積極的に受け止めるのが一番重要ではないでしょうか。平時ではなく非常時ですから、プロ野球開催を優先するのは良いとしても、開催するための条件に関しては、可能な限り対応するのが必要と考えています。

そのために日程調整や、球場の手配、チケット販売など、短時間で対応するのは大変なのはわかりますが、それを大車輪で行うのが今であり、そうする事に大きな価値があるのが今であると思っています。試合数もそうです。年間144試合、CS、日本シリーズを予定通りに行うことを絶対の前提にしているようですが、たとえば5月以降開催にして、CS中止、レギュラーシーズンが100試合以下になっても仕方が無いぐらいの柔軟性が何故に出ないのか不思議です。



かつてプロ野球は今回よりはるかに深刻な事態に直面した事があります。第二次大戦です。今回の震災の被害と較べても、もっと酷い状態であったとしても良いでしょう。そんな中でプロ野球は敗戦前年の昭和19年まで執念深くリーグを続けています。戦時下のリーグ維持は大変を通り越したものがあり、試合場の確保や試合の許可をもらうだけでも一苦労であり、それより何より、選手たちが召集されてしまい、チームを組むことさえ四苦八苦状態になります。

昭和19年のリーグなんて34試合しか組まれていません。これは組まれていたのではなく、連盟や球団が悪戦苦闘の末に34試合を辛うじて行ったとした方が正しいと思います。昭和19年はたぶんですが、春季リーグを行い、夏季リーグを行った時点で完全にどうしようもなくなり、その時点の成績で優勝を決め、そしてプロ野球は解散したとしても良いでしょう。


昭和20年は8月15日に玉音放送が流れ、戦争が終結しています。この年にもプロ野球は執念を見せています。なんと3ヵ月後の11月23日に東西対抗を開催しています。終戦直後の大混乱の中、生き残った選手に連絡を取り、食糧難、交通難の中で東京に集まり、神宮球場で試合を行っています。ユニフォームどころかボールの調達さえ苦労した末の執念の開催です。

この年の東西対抗は、

日付 球場
11.23 神宮
11.24 桐生
12.1 西宮
12.2 西宮


神宮での試合の様子が断片的に残っています。前日まで雨が残っていたそうで、開催にやきもき(神宮は米軍管理下で、その日だけ許可をもらっていた)したそうですが、当日は天気が持ち直し開催に漕ぎ着けられたとなっています。選手はなんとかユニフォームと道具はそろえましたが、スコアボードの掲示も球場のアナウンスもなく、ザザッと集まって「プレイボール」となったと伝えられます。ボールも白球と言うより黒球に近かったともされますが、それでも開催されています。

ここら辺は詳しくないのですが、昭和20年の東西対抗はプロ野球連盟(職業野球連盟)主催とも言い難いところがあります。ちょっとだけ調べてみると昭和11年に日本職業野球連盟が結成されており、この年から今に続くプロ野球が続いています。日本職業野球連盟は昭和14年日本野球連盟と改称し、さらに昭和19年に日本野球報国会と改称しています。

昭和19年は敗戦前年ですから、混迷を極めており、wikipediaより、

1944年は太平洋戦争の更なる戦局悪化から日本野球報国会(にほんやきゅう・ほうこくかい)と改め、平日は軍事高揚の労働に当て、試合は週末中心に開催された。しかし同年夏季リーグ戦を最後に公式戦を中止。同年秋季は総進軍大会と称し、夏季連盟戦の成績を参考にして東京巨人軍朝日軍阪神軍と産業軍、阪急軍と近畿日本軍の連合3チームによって開催されたが、公式記録には残されていない。また、阪神軍・産業軍・阪急軍朝日軍は1945年1月1日から5日まで、「正月野球大会」を自主的に開催したが、こちらも公式記録の対象外となっている。

もう関係者も少なくなっているので微妙なんですが、秋季に行われたとされる「総進軍大会」で日本野球報国会は解散したともされます。解散と言っても、正式に云々ではなく、当時後楽園にあったとされる本部で、生き残っていた関係者が集まってささやかな解散会が行われたとされます。

正式もクソもなく、もうどうしようもないと言うのが集まった関係者の実感であり、二度とプロ野球が行われる日など夢にも信じられない状態であったとされます。本部にあった連盟旗を誰かが持ち帰ったそうですが、これも保存しようなどと思ったわけではなく、風呂敷にでも活用できないかと思って持って帰ったと伝えられます。

結局のところ事実上の解散(と言うより消滅)でしたが、正式に解散したわけでなかったので、形式上は存在する形になり、戦後に幽霊会社を復活させる様に日本野球連盟としてゾンビの様に復活したと考えて良さそうです。昭和20年の東西対抗の開催も日本野球連盟が関与と言うか、事務局として動いていますが、組織と言うほど大層なものはなく、焼け残っていた後楽園の事務局に野球キチガイが何人か集まり、走り回ったのが実情とされます。


極限状態で強引にプロ野球の火を燈し続けた先人たちの故実を某新聞社の主筆は当然知っているかと思います。想像ですが、今の事態をその時にある程度なぞらえさせているとも考えています。先人達は無謀とも思える努力でプロ野球を存続させましたが、そのために計り知れない妥協と努力を積み重ねています。それに較べて、今繰り広げられている努力との落差があまりにも大きいと感じてしまいます。

第二次大戦時に較べれば、笑うほど現在の条件は良好です。首都圏でのナイター開催の是非を天王山として争うのが、非常時のプロ野球界の姿勢とすれば、先人たちに鼻で哂われそうと思うのは私だけでしょうか。最終的にどうなるかわかりませんが、少なくとも首都圏でのナイター開催に異常に拘った事実だけはプロ野球史に永遠に刻まれると思っています。