峰村健司氏の体験

峰村健司氏は眼科勤務医でありながら医療訴訟に強い関心を抱き、全国各地の問題があると思われる医療訴訟の判決文や訴訟記録の閲覧、また実際の傍聴に出席され、精力的に情報収集及び情報分析を行われているだけではなく、これをネットにて情報発信されています。当ブログにもコメントを頂いた事あります。至極簡単には信用できる人物と判断しています。

そんな峰村健司氏が間接の間接的ぐらいに関与していた民事訴訟があったようです。これを治っているというのはどこの医者だ!としてまとめられていますが、興味深かったので御紹介させて頂きます。訴訟の基本情報は、

東京地裁 平成20年(ワ)第24290号 和解平成22年2月18日

ちょうど1年前に和解に至った訴訟のようです。なぜに峰村氏がこの訴訟に関心を持ったかですが、

いつものように東京地裁に出かけて開廷表を眺めていたところ,ある小さな自治体が訴えられている事件が目に入り,気になりました。なぜ気になったかというと,私は以前にその自治体に,眼科専門診療班の担当として出かけたことがあったからなのでした。

ここの「眼科専門診療班」がどんなものかがわかり難いのですが、

眼科専門診療班がその自治体にやって来たため,その眼科専門診療を受診したのでした。

どうもなんですが、週1回の非常勤をチームで回しているというか、眼科の無い地域の巡回診療チームぐらいで理解してもそんなに間違いではないようです。そいでもってどんな訴えの内容だったかと言うと、

事件内容を要約します。砂が眼に入って痛がっていた原告が,自治体に唯一の医師(専門は小児科のようです)に受診したところ,痛さを止める点眼麻酔(ベノキシール)を処方され,それが原因で角膜の傷が残って視力も低下した,として訴えた事例でした。

被告となった自治体はかなり小規模のようで、そこの自治体にはどうも1人しか医師はいなかったようです。ここも本当に1人であったのか、自治体が経営する医療機関に1人であったのかは詳細は不明ですが、少なくとも眼科医はいなかったとしても良さそうです。イメージとしては前に取り上げた上小阿仁村みたいと考えても、そんなにハズレではないかもしれません。

原告の症状は「砂に目が入って」と書かれていますが、ここは砂が目に入ったままで痛がっていたのではなく、砂が目が入った後に痛みが続くので受診したと考えるのが妥当でしょう。そこで診察した医師はペノキシールと言う点眼薬を処方しています。私はペノキシールなる点眼薬を初めて耳にしましたが、塩酸オキシブプロカインが成分名で0.4%製剤がペノキシール、0.05%製剤がラクリミンとなっています。

ペノキシールは0.4%製剤にあたるはずなんですが、0.4%製剤の2006年版(それ以上、前のが手許にありませんでした)の適用上の注意として、こうあります。

  1. 頻回の使用禁止(角膜障害を起すことがある)
  2. 患者に渡さない

ちょっと微妙なんですが、峰村氏の「処方」と言う表現は、患者にペノキシールを渡したような印象もありますが、実際は患者が「痛みが取れない」と何回かに渡って受診した可能性もあります。いずれにしろ、

確かに,眼が痛いからといって点眼麻酔を繰り返し使用すると,かえって角膜の傷を悪化させる原因となりうるので問題

どうも複数回に渡ってペノキシール点眼を患者に行った事だけは間違い無さそうです。ちょっとだけ注釈を加えておくと、能書上の「注意」の解釈は実運用上で非常に複雑で、キッチリ守らなければならないものと、書いてあるが実態としての運用はかなり異なると言うのはしばしば遭遇します。眼科治療においてペノキシールの扱いがどうなっているかは私にはわかりませんので、これぐらいにしておきます。

ただペノキシールが角膜障害を起す事があるという知識は少々マニアックなもののようで、

それは眼科医だからこその常識であり,非専門家の先生による判断となれば責めるには忍びないところです。

結果として患者の角膜は痛んだようです。それでどうなったかですが、

点眼麻酔の処方を受けた後に旅行に出た原告が,痛みをこらえ切れずに旅行先の眼科を受診したところ,角膜がひどく傷んでいたため,その旅行先の眼科で入院までして治療を受けたようです。

「入院治療までして」の表現に引っかかるところもありますが、それなりに障害は大きかったと素直に受け取る事にします。入院してどうなったかですが、

傷が完治して退院し,旅行から帰って間もなくして眼科専門診療班がその自治体にやって来たため,その眼科専門診療を受診したのでした。

実はこの辺からの事実関係が微妙なのですが、旅行先の入院治療の結果について峰村氏は「完治」と表現されています。峰村氏が読まれたのは訴訟記録ですから、そこに「完治」の表現があったものと考えられます。その完治状態から間もなくの患者を峰村氏が眼科専門診療班の一員として診察される事になります。

その診察時のカルテが私の筆跡と思われるカルテであり,その日は確かに私がその自治体で眼科専門診療を行った日でした。

峰村氏の診察記録には、

角膜表面に傷がないこと,角膜の混濁はわずかであること,眼底検査の記録なども含めて細大漏らさず書かれていました。涙が多いことや逆さまつげなどの,患者の他の訴えにも適切に対処していると思われました。

読める字でよかったなぁ、としょうもない感想を抱きましたが、峰村氏はその時の診察の様子自体は記憶にないらしく、患者側は峰村氏にこう言われたとなっています。

しかしながら,旅行先の眼科で治療が完了したときの矯正視力が両眼とも1.0であったにも関わらず,この日の視力検査の結果が両眼とも芳しいものではなかったため,私が「東京の病院へのできるだけ早くの受診を強く勧め」たようです(原告陳述より)。

問題になっていた角膜に障害を認めなかったにも関らず、視力低下を来たしていたので精密検査を勧めたぐらいのニュアンスでしょうか。それでどうなったかですが、

すると原告はその3日後に上京し,東京都立川市にある,医療訴訟のアドバイザーとしても有名な医師の眼科医院に受診しました。

さすがに東京と言うか、峰村氏の知識の広さと言うかで、「東京都立川市にある,医療訴訟のアドバイザーとしても有名な医師」てなものがわかるんですね。そこでのご託宣が、

 その立川の眼科を受診した日には,どうやら角膜の状態が再び悪化していたようで,原告陳述によれば,その立川の医師は「これをきれいになっている,治っているというのはどこの医者だ」と怒ったそうです。

 いやぁ,私なんですけど・・・

 「そんな出鱈目なことばかりやっている診療班の言うことをまともに聞いてはいけない」とも言われたそうです。

 うーん,私に言わせると,前の医師に受診した時の状態をなんら把握することもなく,その医師の診療を「出鱈目」などと断定することのほうが,よっぽど出鱈目だと思うんですけどね・・・ ましてやその医師は,医療訴訟のアドバイザー的な活動をしているのですから,そのような診療態度は,なおさら問題なのではないかと思います。

峰村氏が怒るのは無理もありませんが、とにかく角膜の状態が悪化していたようなので、

原告はその後2年半くらいにわたり,1ヶ月に1回近い割合で,往復数万円をかけて立川に通院し,毎回診断書を書いてもらっていたようです。通院の交通費だけでも合計100万円は超えていたと思われます。

患者の住んでいた自治体は立川からかなり遠いようで、「往復数万円」が必要であったようです。2年半と言いますからおよそ30回程度の通院を行ったと考えられますから、1回の交通費は3万円ぐらい必要であったと言う事でしょうか。


さてこの経過から推測される事です。発端は砂が目に入ったことです。そこから角膜障害が悪化して入院治療を行っています。ところが完治して退院後の短期間の間に再び角膜障害が増悪したと考えるのが妥当のようです。これならすべての話に辻褄が合います。辻褄は合うのですが、そんな経過に合うような病気があるかどうかですが、峰村氏は、

あとから考えると,角膜の傷を繰り返していたことから,その病気は再発性角膜びらん(再発性角膜上皮剥離)だったのではないかと思います

「そうか!」と言いたいところですが、眼科もそんなに詳しくないもので峰村氏が示したリンク先の情報を確認して見ます。この病気の訴えとしては

  • 朝、目が覚めたとき、突然眼が痛くなった
  • 以前にも同じ症状(突然の激痛)があった
  • 眼のけがをしたことがある(例えば、葉先が目に入り、くろめにキズができた事がある)
等がこの疾患の共通項です。

原因と診断については、

原因

    くろ目の表面(角膜上皮)が角膜実質に接着する部分での接着不良が原因です。
診断
    症状の再発時には、角膜の上皮が一部めくれているので、その診断は比較的容易です。痛みが止まっている時には、眼の検査用薬液を点眼して調べると、角膜の上皮の一部に接着不良の所見が観察されることがあります。

治療としては保存療法と手術があるようですが、適用の境界については知見がありませんからわかりません。断っておきますが、本当にそうであったかどうかは訴訟記録にはないようです。ただ、それならば患者が立川の眼科医院に2年半も通院していた理由が推測できます。要するに再発するたびに保存療法を延々と繰り返していたと言う事です。


さてさて訴訟の方です。あくまでも「どうやら」レベルですが、原告となった患者側の訴えとして、最初に砂に目が入ったときの不適切な治療が長期の治療を行なう原因となったとしているようです。たぶんペノキシールの点眼が諸悪の根源であるみたいな訴えであったと推測されます。その結果として、

この事件は最終的に100万円で和解となっていました

峰村氏はアッサリと書かれているので推測を重ねないといけませんが、原告側が100万円でも和解金を受け取ったと言う事は、原因と因果関係として、最初に砂に目が入った時の初期治療の不良による角膜障害が、3年近い治療を要したになります。もう一つの問題は原告患者が現在治癒しているかどうかですが、

後遺障害14級などとして提訴

えらい数が多い級数ですが、後遺障害別等級表で確認してみると、第14級1号に眼の障害についての定義があり、

1眼のまぶたの一部に欠損を残し又はまつげはげを残すもの

これからすると視力は回復した模様で、「まつげはげ」は一体どこで出来たものなのかはこれだけでは良くわかりません。峰村氏の、

その100万円は,被告自治体よりも,立川の医師が支払うほうが妥当ではないかという気がしないでもありません。

ここの解釈ですが、峰村氏が推測した再発性角膜びらん(再発性角膜上皮剥離)に基いたものと考えられます。立川の医師の診断と治療は、原告患者側の訴えの根幹を成すものであったと考えて良いでしょう。そうであるなら、立川の医師は再発性角膜びらん(再発性角膜上皮剥離)の診断に至っていなかったと言う事になります。

もちろん峰村氏の推測が外れている事もあるのですが、それなら2年半も延々と角膜障害の治療に時間がかかった事になります。もちろん角膜障害の治療に時間がかかる事もあるでしょうが、最大のポイントは一度は治っている事が複数の医師により確認されている事です。

  1. 旅行先の入院病院
  2. 峰村健司氏
ところが立川の医師はこの二つのポイントを完全否定しての診断となっています。つまり最初の時点から角膜障害は続いており、自分のところに来て「やっとまもとも」な治療は始まった的ストーリーであり、だから最初の医師が悪いです。

ただそうであるなら、旅行先の入院病院も、峰村氏も杜撰な治療・診療を行っていた事になります。訴訟全体の構図から言えば、初期治療の不良の原因のみの角膜障害であるのか、それとも新たな角膜障害が発生しているのかは重要な点であるはずです。原告側は立川の医師の診断の最初から続いていた説で訴えているから、最初の担当医(自治体)の責任を問うています。

しかし一旦治っている事が2ヶ所で確認されているならば、その確認の妥当性を検討する余地があったはずです。一旦治っているならば、最初の医師の責任を最初からの経過から問うのは確かに無理があります。どうもなんですが、結果として立川の医師を受診した時に角膜障害があったので、2ヶ所での治癒確認は「取るに足らないもの」として扱われたのかもしれません。それとも、

上記経過からは,自治体の責任を判断する上で,私の診察内容が大きなポイントとなるように思われるのですが,裁判が行われている間には,私のところには一度も相談が来ませんでした。これは,私の診察時のカルテ記載が十分に理解可能であり、わざわざ相談する必要がないと判断されたためなのか,あるいは,私に相談すると余計にこじれそうだからやめておこうと判断されたためなのか,どちらであったのかは気になるところです。

訴訟記録を読まれているのは関係者と峰村氏ぐらいですから、どうなっているのだろうぐらいに思います。


この話を読みながら一番気になったのは、訴訟に巻き込まれた「自治体唯一の医師」です。自治体規模はきっと小さいだろうとは上記しましたが、そういうところの訴訟騒ぎですから、今でも当地で御活躍なのでしょうか。それとも転任されたのでしょうか。どちらかと言うとそちらの方が気になります。これについても自治体を特定しようが無いので不明です。