1.17 あれから16年

当ブログの数少ない定期エントリー日です。お忘れの方もおられるでしょうから、念のために補足しておきますと、阪神大震災の起こった日です。間違いを承知で言えば、関東大震災以来の大都市型震災でしたから、被災者の端くれとしては忘れられない日になっています。

そういう事で、この日は震災関連の話題を毎年書いているのですが、今年もそうさせて頂きます。今日の取っ掛かりはツイッターで見つけた発言です。HenachokoD様のものですが、

災害派遣で配った食料を「不味くて食えない」と言った被災民wがどれほどいたことか
それからゴミの処理も手伝わない被災民ども…弱者を自らなのり何もしようとしないグズばかりだったなぁ

あの残飯の量みて災害派遣なんかやってられるかよ
「乾パンが硬いし味もないから食べれない」中にぎっしり詰まった捨てられた乾パンみて悲しくなるよ

口の中でふやけるまでまてば渇きも治まり僅かな量で空腹感を満たしてくれる為に
少量の接種に押さえられ1日の接種量は少なくとも結果長期的に確保出来る食糧である完璧な非常食なのに

演習の状況時は三食まともに食べれないの当たり前だから塩を包んだ袋に乾パン入れてフリフリして
状況の隙をみて食べたもんだよ

HenachokoD様のお話が、訓練(演習)のものであるか、それとも実地のものであるかは文面から微妙なところもあるのですが、今日は実地のものと解釈して話を進めます。

読まれて様々な感想を抱かれたとは思いますが、私が正直に感じたのは災害援助の充実ぶりです。阪神大震災の時にも食糧の配布はありましたが、こんな充実したものとは縁遠いものでした。震災から1週間ぐらい経っても

    「次の食糧配給は未定です」
    「食器の配給も未定のため、今晩の紙皿、割り箸は捨てないで下さい」
このレベルの状況のところが確実にありました。紙皿や割り箸と言っても、水道も通じない状況ですから、洗うわけにも行かず、体力の残っているものは焚き火で、せめてもの乾熱消毒をやっている風景もありました。当時の水は「飲むもの」であり、洗濯等に使うなんて誰も考えなかったからです。食糧もこれだけ不足すると、配給されたものは大事に扱いました。うまいまずいのレベルの話ではなく、生きるために食うみたいな感じでしょうが。次の配給の不安定さは誰もが知っており、なおかつそういう状況に文句を言えない状況であるのも判っていたとすれば良いでしょうか。

それに較べると乾パンとは言え、平気で捨てられると言う事は、次の配給が確実に保障されている事を意味しますし、捨てて食べなくとも「食うこと」に不安が無かった状態である事を示唆しています。神戸がそういう状況にまで改善するのに、どれぐらい必要であったかと考えると、災害派遣・災害援助の充実振りは本当に目を見張る程のものと思います。


当時勤務していた病院は建物は無事でしたが、水道と電気が途絶しました。電気が無ければ患者は死亡するのですが、それは辛うじて自家発電装置が稼動していました。これが能力も小さい上に、かなり旧式のものだったので大変だったのですが、最低限の電力供給は為されていました。もちろん暖房はありません。ただ物資の不足、とくに食料の不足は深刻で、震災数日目に職員の給食が出ないと言う噂が広がりました。

出ないと言うのは正確ではなく、ご飯は炊けるがおかずが出し様が無い状態と言う事です。それでも職員は「こういう状況だから・・・」とさして不満も無く、ご飯が出るだけでも幸せみたいな感想であったのを覚えています。実際は、土壇場で食糧供給に成功し、カレーが出たのですが、当時を知る職員は「世界一おいしいカレーであった」と語り伝えています。

勤務していた病院は恵まれていた方ですが、本当に足りないとは、せめてそういう状況を指します。食糧だって好き嫌いで食べるものではなく、命をつなぐために食べるものになります。不味いから食べない、捨てるという状況は、食べなくても良い、捨てても代わりは供給されるの安心感が無い限り起こりません。


足りない話を書いておけば、当時の住居は電気こそ早期に復旧したものの、ガスと水道の復旧は月単位で必要でした。ガスも困ったのですが、水は本当に困りました。給水車なんてものは1ヶ月以上してからようやくお出ましになられましたし、断水しているのは我が家だけでなくその地区全部ですから、どこかから調達しなければなりません。

水を運ぶためのポリタンク一つの調達さえ難儀しましたが、市外に水を調達しに行くのも大変な作業でした。道路が大渋滞状態だったからです。そうやって調達した水を住居の10階まで運びあげるのも、エレベーター停止中のため半端な作業ではありません。そこまでして調達した水は、それこそ貴重なもので、いかに無駄なく節約するかが、日々のテーマでありました。

それこそ1滴の無駄も無いように使われ、歯を磨くとか、顔を洗うのも、夫婦で「どうしよう」と深刻に協議した末に、「医療者だから今日はそろそろ洗っておかないと・・・」みたいな状態で日々過ごしていたと言う事です。あの状態で風邪でもひこうものなら、さらに大変になるのですが、うがい一つするのに困るという感じです。


別に阪神大震災の状況にすべて習えと言う気はサラサラありません。阪神大震災のときには、なにぶん初体験に近かったので、援助する側も不手際がテンコモリありました。お蔭で耐乏生活が長くなったのですが、そういうトコトン困る状況が早期に解消されるのは本当に良い事です。震災時の状況として、

Stage 状態 不満の程度
第一段階 何にもなくて生き抜くのに必死の時期 なんでもあれば満足する
第二段階 それなりに食糧供給が行き渡った時期 食べものの内容に文句が出る
第三段階 かなり充足した時期 食べもの以外にも文句が出る


たいした段階分けではありませんが、確実にこういうステップは踏むと考えています。物資の充実に従って不満が増えるのは不思議ではなく当たり前であり、いつまでも第一段階の「モノがあれば感謝」の時期は続きません。ですから、配給物資の乾パンに不満が出ると言うのは、段階として救援体制が充実した指標と見ることが可能です。

まあ状況として、ある程度充実してからが、長期で見る震災援助の本当に難しい時期になるのですが、これを書き始めると長くなるので、今年はここまでにさせて頂きます