タブロイド屋

これは個人的に受けました。ネタ元はうろうろドクター様の腎臓移植が普及しないのは医師の説明不足? at 宮城県議会なんですが、申し訳ありませんが、エントリーではなくコメ欄の方です。 rad*o1*09*様のコメントですが、

愚劣なゴミ記事です。
この議員やタブロイド屋は移植を希望すると言えば腎臓がどこかから湧いて出るとでも思っているのでしょうか。

タブロイド屋はなんとも言えないおかしみがあって、個人的には受けました。うろうろドクター様がエントリーに引用されたタブロイド屋の記事は、

本文を引用するほどのものでは無いので、URLのみの引用に留めます。記事の内容は宮城県議会でのひとコマのようです。医療費の削減問題はどこでも槍玉に上る昨今ですが、宮城県議会で槍玉に挙がったのは人工透析だったようです。人工透析も一時は透析専門病院が次々に建設されるほど儲かった時代があったようですが、御多分に漏れずこれも締め上げられ、我が世の春ではなくなっているのは周知の事です。

それでも医療費の絶対的な金額としては大きいのは間違いありませんから、これを「なんとかせい」の追及があったようです。「なんとかせい」と言われても、人工透析を行う患者の殆んどは慢性の腎不全、平たく言えば腎臓の機能が低下し、人工透析と言うサポートがないと生きていけない方に行われるものですから、「なんとかせい」と言われたところで中止すれば患者は死亡します。

さすがに人工透析を減らして患者を減らせみたいな無謀な議論にはならなかったようですが、議会側が主張した節約法も相当無謀です。慢性の腎不全患者への現在の究極の治療法は腎移植です。議会側の主張は腎移植を行ったほうが医療費が節約できるのに、何故にこれを行わないかの主張です。

何故にと言われても困るのですが、腎移植を行なわない理由は移植する腎臓が不足しているからです。この辺は小児科医なので知識が薄弱な部分なのはある程度御容赦頂きたいのですが、知識元は東京女子医大腎臓外科HPからです。腎移植は骨髄移植に較べると拒絶反応の壁はかなり低いようです。骨髄移植ならHLAの一致が前提ですが、腎移植なら誰の腎臓でも移植可能なようです。

ただし腎臓移植は提供者から摘出した後、短時間で移植する必要があります。摘出した腎臓を冷凍にして何年も保存するなんて芸当はたぶん無理だと思われます。もっとも日本には約18万人の透析を必要とする腎不全患者おられ、そのうち1万3000人が献腎登録をされているとなっています。献腎登録とは死亡時に腎臓を提供しても良いと合意されている方からの腎提供を受ける人の登録ぐらいに理解しています。

それでもって実際に腎移植(死体腎)を受けられる人は年間に700人程度とされています。13000人の登録希望者がいて、700人分程度の腎移植しか行われない現状ですから、冷凍保存技術の開発は必要性が極度に低いとしてよいでしょう。それこそ奪い合いの世界です。そういう腎移植の現状で「腎移植を増やせ」と言われたところで、何の事やらミカンやらしか正直なところ反応できません。



記事を読めばそれぐらいの反論がすぐに並ぶのですが、実際の議会がそんな低レベルの議論をしていたかどうかが極めて疑問です。個人的にはもうちょっとだけマシな議論をしていたような気がしています。腎移植の提供源は2ルートで、

  1. 死体腎(臓器移植提供者より)
  2. 生体腎(家族親族より)
どうもなんですが、死体腎、生体腎あわせると年間1000件ぐらいの腎移植が行われているようです。そうなると生体腎移植は年間300件程度行なわれている事になります。生体腎の親族の範囲なんですが、変わっていなければ血族6親等、姻族3親等までが提供可能だったはずです。

議員だって腎臓が宮城にあり余っていない現状ぐらいは知っているはずですから、病院関係者がいかに努力しようが、腎移植が急に増えようもないのは知っているはずです。とにもかくにも腎移植件数を増やすには、提供される腎臓を増やさなければなりません。つまり議論の焦点は、いかにして移植できる腎臓を増やせるかだったと考えます。

移植腎を増やすために考えられる方法は、

  1. 臓器提供登録者を増やす
  2. 生体移植を家族に説得する
  3. 病院での死亡患者の臓器提供を家族に説得する
1.はともかく、2.と3.について議会側は病院に努力を要請したと推測します。確かにそれが出来れば移植腎は現在より増えます。増えますが、この説得は大変な手間と時間が必要なのは自明の事です。

まず2.ですが、いかに家族のためとは言え、自分の腎臓を提供するのは躊躇します。躊躇しない方は既に提供しているわけですから、躊躇している方を説得するのですから骨が折れます。それと生体腎提供の説得はどう考えても微妙です。そりゃ「愛する家族のために提供せよ」と言われたら、なかなか正面切って反論し難いのですが、それでも嫌なものは嫌の感情は自然に湧きあがります。

3.についてもはたまた微妙です。どこで説得を開始するかのタイミングが問題になります。なんつうても死後に出来るだけ素早く腎臓を摘出し、なおかつ移植する必要がありますから、理想的には死亡前に本人なり、家族に同意を得なければなりません。理想的と言うか、予め想定して病院も準備をしておかないと、移植手続きがスムーズに進めないところがあります。

ただ死亡前に死後の相談を行なう事はかなり厄介な物になります。私も父が亡くなったのでわかるのですが、どんなに死が時間の問題であっても、死亡するまでは死後の話を避けるというのがあります。人が死ぬと言うのは大変なことで、葬儀屋の手配や親族への連絡、さらには本人名義の通帳の扱いなどテンコモリ配慮しなければならないことがあるのですが、事実上、死亡してからヨ〜イドンで行われることが多いと思っています。

生体腎の提供増加も、死亡腎の提供増加も実際のところ、これを行う手間もヒマも病院には殆んどありません。なんとなく議会側の意見として、家族からの生体腎の提供増加を病院側に求めたような気もしていますが、実務上はかなりどころでない手強さです。病院側も「できない」と言い切ってしまうと角が立つので、参考人としての答弁は「ご無理ごもっとも」ぐらいで終始した一幕ではなかったかと推測します。


ここで簡単な対照表を作っておきます。

項目 記事を読んだ印象 記事から考えた推測
問題点 人工透析費用が県の医療費を圧迫している
改善法 腎移植を増やすべきだ
議会の指摘 病院が腎移植への推進を怠っている 生体腎移植の推進がもう少し出来ないものか
病院の答弁 ご無理ごもっとも


真相がどこにあるかは残念ながら確認する術はありません。それにしても「タブロイド屋」の表現は秀逸でした。