元外科医様より
ほとんど報道する価値のないニュースなのでは?
ご両親もことを荒立てることは希望しないでしょうし
冷静かつ適切な御意見だと思いますし、ツイッターでも「スルー推奨」のアドバイスが出ていましたが、御家族が刑事告発されただけではなく、テレビ出演もされているとの事なので、もう1回だけ分析してみます。ネット上の関連記事は昨日も取り上げた12/21付産経新聞と12/21付共同通信(47NEWS版)ぐらいしかないようです。
昨日はテレビも見る間がなかった(昨日に限らずあんまり見ないのですが・・・)ので、見られた方の追加情報を加えてみたいと思います。Hirn様からです。
情報提供者であるHirn様は信用が置ける方ですが、テレビ情報であるのと記憶に頼ってのものですから、その辺りの信憑性については各自でのリテラリシーお願いします。この事件の焦点は幾つか考えられますが、順番に検証しなおして見ます。
まず問題になるのは熱傷の前の呼吸不全と低体温症の発症です。そもそも論みたいになってしまいますが、呼吸不全と低体温症が無ければ熱傷事故もなかったので、因果関係は濃厚です。
もう少し言えば、呼吸不全と低体温症は密接に関係しており、低体温症は確実に呼吸不全を増悪させるのは説明の必要もないところです。これが回避できる可能性があったのかをまず考えてもよいと思われます。この点を持ち出せば、40歳で初産婦(どうもそうらしいの情報があります)が結果として自宅分娩となっており、この点についての議論も出てくるのですが、今日は煩雑になるので指摘するだけに留めておきます。
実はと言うほどのものではありませんが、出産時の状況が殆んど不明です。自宅であった事は記事情報から間違いないとしても、元気で生まれたのか、出産時から呼吸不全を伴っていたのかも判然としません。もうちょっと言えば、正期産かそうでなかったのかの情報もないのですが、助産師が関与する分娩と言う点で、正期産であり、低出生体重児みたいな条件もないであろうとぐらいにしても良さそうです。
他に呼吸不全を起す因子として、心奇形を含む先天異常の有無も考慮に入れる必要はありますが、これも情報はありませんが、現時点では「どうやら」無さそうだぐらいに判断して良さそうです。
分娩自体が難産であったのか、安産であったのかも情報としてありません。わかるのは5/27夕より陣痛が始まり、深夜になり陣痛が強まり、5/28の8:12に出生しただけです。出生時点で既に新生児仮死、それも重症のものがあったのではないかと言う説も唱えられていますが、これも情報はありません。
情報はありませんが、満期産で体重異常も無く、先天異常もないと仮定すれば、呼吸不全を起す原因として頻度の高いものはTTNかMASかになります。ただどちらも出生直後から呼吸症状は悪化します。呼吸不全の悪化の度合いは、低体温症の悪条件が重なったとは言え、準NICUの秦野日赤では手に負えず、茅ヶ崎市立病院に転送になっています。
かなり重度の呼吸不全を起していますから、ごく素直に考えて、出生時からそれなりの呼吸不全があったとするのが自然です。治療として軽度のTTNやMASであれば、クベースで保温しながら酸素を投与し、呼吸状態の改善を待つと言うのは、普通の産科医院でも行われますが、今回は自宅分娩ですから、この辺の対応は十分に行なえなかったと考えられます。
出生から最初の診療所に到着したのは1時間半後となっています。ここが大きな謎です。後の経過から考えて、診療所に到着した時点で呼吸不全も低体温症もかなり進行していたと考えても良さそうです。この1時間半の間の助産師の判断はどうであったかです。先ほどTTNなりMASが呼吸不全の原因として多いとしましたが、1時間半の間も自宅で経過観察が出来たと言う事は、生下時の呼吸状態はさして悪くなかった可能性も出ては来ます。
ただなんですが、他に障害がなければ、今度は呼吸不全の原因がすべて低体温症によるものとなり、1時間半の間、助産師は患児が冷えるにまかせていた事になります。助産師の仕事は褥婦への処置もあるにせよ、そこまで患児を冷やすような状況はちょっと想像し難いところです。
ようやく患児の状態が悪い事に気が付いた助産師ですが、次に取った行動が極めて不可解です。産経記事では「診療所」となっており、私は助産所の提携医療機関の産科であると考えていましたが、そうではなく普通の小児科開業医です。HPも拝見させて頂きましたが、診療内容はうちの診療所と似たりよったりとしても差し支えないと思われます。
患児の自宅は産経記事によると「神奈川県二宮町」、助産師が患児を運んだ診療所は「近くの診療所」となっています。この小児科診療所は地図上および航空写真から確認すると、いわゆるニュータウンの一角にあります。これは推測ですが患児の自宅もニュータウンの一角にあり、一番近い小児科診療所に助産師は患児を受診させたのではないかと考えられます。
医療関係者であるなら、この行為の珍妙さがすぐにわかるはずです。小児科診療所は確かに子供を相手にする診療所ですが、出生直後の呼吸不全や低体温症を相手にできる医療機関ではありません。これが無介助の自宅分娩での両親の判断であるのなら理解できますが、助産師の判断でこれを行ったのなら、ちょっと信じられない判断になります。
お門違いも良いところと評すればよいでしょうか。連れ込まれても正直なところ、殆んど何も出来ることはありません。せいぜいボンベによる酸素投与が行える程度で、それ以上の事はお手上げになります。
出生は8:12であり、5/28は金曜日です。助産師が搬送の判断を行なった時間帯であれば、どの医療機関も通常診療を開始しています。なぜに助産師は最初の搬送先に小児科診療所を選択したかです。理由を考えるのも大変なんですが、
ここで誰でも浮かんでくる疑問があります。助産所には提携医療機関があります。この提携医療機関もかつては医療機関であればどこでも良かったのが、法が改正されて必ず産科医療機関とするとなっています。こういう緊急事態の時には、まず提携医療機関に連絡しアドバイスをもらうのが優先順位として高い選択になるはずです。それをどうも行っていないフシが濃厚に見られます。産科の提携医療機関のアドバイスが「近くの小児科診療所を受診せよ」になるはずがないからです。患児の自宅から小児科診療所はかなり近いと判断されます。時間にして、どんなにかかっても10分程度とするのが妥当ですから、助産師が患児の状態を観察し、どこの医療機関が治療に適切であるかを考慮する時間は1時間以上あったはずです。
それと素朴な疑問ですが、助産師は小児科診療所を受診するにあたって、事前に連絡したかどうかも非常に疑われます。当たり前の話ですが、そんな電話があれば小児科診療所サイドであればNICUがある病院への受診を勧めます。受診されても時間の無駄に過ぎないからです。
推論として助産師は1時間半近く患児の状態を観察した上で、助産師の判断で最寄の小児科診療所を「ごく普通」に受診した可能性が高くなります。なぜにそういう行動に出たのかは一切不明です。
ここも情報不足でよく判らない行動になっています。産経記事では、
こう簡潔に表現されていますが、「対応しきれず」と書かれれば何か対応したように読めますが、実質として何も出来ることは殆んどありません。もしうちの診療所に、そんな状態で駆け込まれたら、とにもかくにも搬送先医療機関を探し、そちらに転送します。おそらくそこの小児科医療機関もそうする他はなかったと思うのですが、アングラ情報に
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秦野日赤へも助産師のクルマで運ばれた
ここで考えておいて良いのは、小児科診療所から秦野日赤への移動が救急車であったとしても、患児は搬送用クベースに収容されていた可能性は極めて低いと言う事です。基本は家族による抱っこによる移動だと言う事です。
相変わらず難解なところです。一部に低体温症による凍傷説も出ていますが、これについては置いておきたいと思います。産経記事及びその取材源である御両親は、秦野日赤をかなり疑っています。根拠は記事からですが、
だが、市立病院で乳児の右足などにやけどがあることが判明し、熱傷病棟がある大学病院に転送された
茅ヶ崎市立病院で発見されたと言う事は、その前段階の転送先である秦野日赤で熱傷が起こったはずだの考え方です。もちろんそうかもしれませんし、違う可能性もまたあると考えます。ここの問題は熱傷の原因が高温熱傷であるか、低温熱傷であるかでも変わります。
ここも常識的な判断を踏まえて考えますが、高温熱傷が秦野日赤で発生していれば見れば判ります。見れば判る上に、次の医療機関に転送しているわけですから、黙って転送しても必ずバレます。そんなミエミエの隠蔽を行うメリットが秦野日赤には乏しいと言う事です。
これが低温熱傷であれば気がつきにくい時があります。低温熱傷は通常は長時間の熱源との接触を必要としますが、熱傷形成までの時間は熱源の温度により変わります。44℃なら6〜10時間程度で発生するとなっていますが、これが50度程度になるとかなり短い時間でも発生するとなっています。ここは知見がないのですが、今回のような状況ならさらに時間が短縮する可能性は高いと考えます。
どれぐらいのケースがあるかと言えば、蓮様のコメントがわかりやすいのですが、
数年前TTNで新生児搬送したら後でNICUのドクターから電話があり、児の体温が42度以上あり背中に?度の熱傷があるとのこと。
新米助産師が搬送用クベースにかなり温度の高い温枕を敷いていたのが原因でした。
それと低温熱傷の特徴として、見た目より熱傷の深部到達が強く、重症度が強いというのがあります。あくまでも可能性ですが、秦野日赤到着の時点で既に低温熱傷が発生しており、さらに秦野日赤の時点では他の緊急の症状である呼吸不全や低体温症が優先されたのではないかと考えられます。もう少し言えば熱傷の治療と低体温症の治療は初期では矛盾します。
熱傷の治療ではまず「冷やす」がありますが、低体温症の治療はとにかく「温める」です。どちらが優先されるかと言えば、命がかかっている「温める」になります。あえて言えば、秦野日赤段階では熱傷治療については軽視ないし無視に近かったかもしれません。熱傷が重症であったのは結果から明らかですが、どちらも並立させる治療は初期段階では、それこそ高度の技量と判断が必要になります。
それでは秦野日赤到着までに低温熱傷が発生する可能性があったかなかったかです。秦野日赤までの行程は、
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自宅 → 小児科診療所 → 秦野日赤
こういう時に医療関係者は古風ですが湯たんぽを愛用します。湯たんぽと言ってもゴム式のものです。患児の自宅にはなくとも、助産師なら持参していても不思議ありませんし、不思議無いというより七つ道具のように持って行っているはずと考えます。
低体温症と連動して考えると、助産師は分娩後ですから、お湯の用意を家族に頼んだと考えられます。それで患児を温めたのですが、これが不十分な結果になったのは判っています。そうなった時にもっと熱い湯たんぽを要求した可能性はあります。とくに小児科診療所に駆け込む前には、最後の手段としてかなり熱いものにしたと考えるのは如何でしょうか。
ここは考え方を広げて、自宅から小児科診療所に移動するのに際して、それまでより熱い湯たんぽを準備させた可能性も考えられます。5月末とは言え、外はそれなりに冷えますし、クルマの中も冷え切っているはずだからです。クルマでの移動は助産師の運転ですから、患児は家族に抱っこされていたと考えるのが妥当でしょう。誰だって普通はそうします。抱っこした上で、湯たんぽで温めていたんじゃないかと考えます。
ここで熱傷の範囲が不明なのですが、現時点の情報では下肢が中心となっている様子です。移動時の患児ですが、やはり産着は着ていたと考えますが、下肢は素足のままで湯たんぽに接触していたのではないでしょうか。そのため湯たんぽに接触していた部位のうち、肌に直接熱源が接触した下肢が症状が強く、他の部位は比較的マイルドであったのかもしれません。
もちろん低体温症による末梢循環不全の関係もあって、とくに下肢が強くやられたのかもしれません。
昨日より情報が増えた分で推測を広げてみましたが、あくまでも推理推論であり、肝心なところのパーツが不明です。可能性として家族が主張する秦野日赤での医療過誤も現時点では否定できません。個人的に欲しいパーツをあげておくと、
- 出生後から小児科診療所に至るまでの患児の状態はどうであったか
- その間に助産師は何をしていたか
- 自宅からの移動時の保温は実際にはどういう方法で行われていたのか
- 秦野日赤で確認されたという発赤水泡がいつの時点で判ったものなのか
- 秦野日赤で家族が聞いたと言う「ドライヤー」は、具体的には何であり、実際にはどう使われたのか