「朝日 vs医科研」問題の少し不思議な点

この問題の本当の根っ子とも言える治験問題は今日は棚上げにします。何回か触れましたが、正直なところ「よく判らない」です。棚上げにすると言いながら触れるのも変ですが、問題を提起した側の朝日も根っ子であるはずの治験問題への理解はかなり消化不良の感じは持っています。もうちょっと言えば、朝日の提起した治験問題に論じている方も、確実な知識で論じている方がどれほどおられるか疑問を持っています。それぐらい難解と感じています。

そのためかどうかは判りませんが、問題は治験問題を遠く離れた誤報問題が天王山と化しています。朝日に好意的に書けば、治験問題の前振りのはずであった医科研のペプチドワクチン治験問題に対する記述が、朝日と医科研のプライドをかけた決戦の場になってしまっていると言う事です。物事にはそういう事はしばしばあって、主張全体ではなく、主張の中の枝葉末節が大問題になってしまう事はよくありますから、なってしまったものは仕方がないでしょう。

今日の趣旨は朝日と医科研のどちらが間違っているかの問題も基本的に回避しておきたいと思います。問題がこれだけこじれると、あらぬ方向に問題が波及して連動しますから、事の是非の捉え方だけで大紛糾する可能性があるからです。なんつうても双方の主張が、

  • 朝日:正確な取材に基くもので間違いない
  • 医科研:自分の調査で誤報であると確信
どちらの調査の根拠も、自らが行った調査であり、自らの調査を根拠として、双方を非難しあっている状態と言えます。その上で、どちらが正しいかの決定的な証拠を提示しきれない状態とも見えます。


この問題は背景事情を色々含まして考えると煩雑になるのですが、現時点の焦点はかなり単純化できると思います。構図を単純化すると、

  1. ある影響力の大きいマスコミが、ある機関に対し批判的な記事を大々的に報道した
  2. 機関側は批判記事の中の事実関係に誤りがあるとネットを使って反論、報道した
  3. 大マスコミは誤りはないと再反論
  4. 機関側は訴訟に踏み切り、大マスコミ側も訴訟をちらつかせる
背景をすべて除去して、現在の問題点だけを抜き出せばこれだけの事と理解するのが妥当と考えます。双方とも「相手が間違っている」と主張しあっている状態ですが、間違っている点の主張方法は、
    大マスコミ:自分が発行する新聞および附随するメディア
    機関:主にネットと言うメディア
ここでどちらの方が声が大きくなるかと言えば、通常の感覚では、
    大マスコミ > 機関
こういう力関係になるはずです。大マスコミ側は700万部とも言われる新聞を持ち、機関側の主武器であるネットに於ても、非常に影響力の強いサイトを有しています。純粋に声の大きさを考えると大マスコミ側が圧倒的に有利と考えられます。私にはそう見えます。ところが誤報問題は「自分こそが正しい」とひとしきり主張が終れば訴訟合戦の様相を呈しています。

訴訟戦術は情報発信弱者側の戦術のような気がしてならないのです。従来、大マスコミの様な情報発信強者に戦いを挑まれたら、これに対抗するのは容易ではありませんでした。それこそ大マスコミ側の天地を覆うような情報発信に対し、街角でメガホン一つで対抗するような状況に陥らざるを得なくなったからです。情報発信強者の発信力は、それほど巨大で世論そのものに化してしまうからです。

世論と言うか、公論の裁定に委ねると勝負にならないので、情報発信弱者は裁判官と言うただ1人の判定者が勝負を決める訴訟戦術を選択せざるを得なくなる構図です。法廷内での情報発信なら互角の勝負に持ち込めるの計算とすれば良いでしょうか。

逆に言えば情報発信強者にとって法廷闘争はさして有利とは言えない気がします。情報発信強者の最大の武器は、強大な情報発信により世論を味方に付けることです。訴訟に依らずとも世論の判定により勝利を収めるのが有利な戦術だと思われます。戦略的にも世論の判定での勝利を収めておけば、時間のかかる訴訟で結論が出る頃には問題について世論の関心は低下し、たとえ負けてもさしての傷を負わない計算も成立します。

もうちょっと言えば、大マスコミ側が訴訟戦術を取っても構わないですが、訴訟に行く前の情報発信合戦で勝利を収めておくのが重要とも思います。ここで勝つ事の重要性は、上述したように訴訟での負けがあってもカバーできるからです。大マスコミは情報発信合戦で圧倒的有利な立場にあり、有利な戦場での勝利はそれほどの戦果を期待できると言う事です。



ところが今回の問題では医科研側が早期に訴訟戦術に打って出るのは理解できても、朝日側もまた早期に訴訟戦術をちらつかせる点が不可解です。医科研側は現在も断続的に情報発信を続けていますが、これに対して朝日側が積極的に再反論している印象が非常に乏しい気がします。見ようによっては、朝日にもやましい点があって、訴訟と言う「人の噂も75日作戦」に逃げこもうとしているようにも勘ぐられます。

これをどう理解するかです。朝日もやましい説は今日は置いておきます。朝日がやましいかどうかを判定する根拠が無いからです。そこでやましい説以外の可能性を考えて見たいと思います。

朝日が医科研の反論に有効に再反論しないのは、指摘された個所の根拠が「取材源の秘匿」に関る部分になっているのはあるとは思います。個人的には、あまりに「取材源の秘匿」に寄りかかりすぎた情報発信は好ましくないとも思いますし、今回の一連の報道の主目的が本当に治験問題であるなら、前振りに過ぎない医科研ペプチドワクチン問題の批判が殆んど「取材源の秘匿」情報に頼るのは戦術的に如何なものかと思うのはあります。

取材源の秘匿はともかくとしても、ペプチドワクチン問題で医科研に噛み付かれても、本当に治験問題を俎上にあげたいのであれば、怒涛のように治験問題のポイントを報道して、ペプチドワクチン問題を相対的に小さな問題にしてしまう戦術もあったはずです。問題のポイントをその情報発信力により「本来」の問題点に目を向けさせる手法です。全体の主張が正論であると認識させれば、ペプチドワクチン問題は相対的に枝葉末節の問題に出来るとも思われるからです。


しかし朝日は医科研との抗争に主力を置いています。そうなるとこれは全然違う見方をした方が良いのかもしれません。思い浮かべるのは旧毎日の変態記事事件です。あの時に旧毎日は変態記事の指摘に対し、安易にもみ消そうの方針を強硬に打ち出していました。旧毎日の安易にもみ消せるの方針は、動けば動くほどに傷口を広げていき、最後は収拾のつかない状態に陥った事は記憶に新しいところです。

旧毎日が曝した醜態は、

    攻撃能力は強大だが、防御能力は無残なほど貧弱だ
こういう評価を得ています。どうもなんですが、旧毎日にしろ、今回の朝日にしろ、反論・反撃されるという状況に不慣れな様な気がしています。思えば既製メディアにとっての情報発信とは、一方的に押し付けるものであり、押し付けたらそれでオシマイみたいな感覚があったと考えています。たとえ反論・反撃されてもこれを握りつぶせば「無かった事」になる寸法です。

ところがたとえネットであっても、それなりの規模で反論・反撃をやられると非常に狼狽するんじゃないかと言う事です。

朝日も旧毎日の惨状を知っていますから、これを参考にして対応法を考えたとは思いますが、結局のところ「どうやれば良いかわからない」状態になっている可能性を考えます。だから問題が険悪化と言うか、複雑化しそうになった段階で、正面からの情報発信合戦で勝負すると言うより、早期の幕引きに走っているのが今ではないかと感じるのです。

とにかく「口を塞げ」の方針が今の朝日のように感じられてなりません。その方針が実を結ぶのか、それとも傷口を広げる結果になるかを密かに注目しています。それにしてもどうなるんでしょうね。朝日側が腰を据えての再反論を行なうのでしょうか、それともこのまま、訴訟合戦から法廷闘争に持ち込まれてしまうのでしょうか。そういう意味の興味は今でも持っています。