対マスコミ防衛策

岩田健太郎氏の「楽園はこちら側」の重要な提案(朝日記事に対して)より、

  1. 今、朝日新聞を購読している人は、やめましょう。


      ただし、700万人以上の購読者のいる朝日新聞の読者が少し減ったくらい、蚊が刺した程度のものである。だから、1はあくまで前振りである。


  2. 医療者は朝日新聞社からの取材依頼をすべて断りましょう。


      こっちはインパクトがある。そもそも東大医科研の問題のきっかけは朝日新聞社の取材に医療者が安易に応じてしまったことにある。

基本的には不同意です。

不買運動は岩田氏自身も指摘されていますが、効果は極めて微弱です。これまでの朝日の姿勢に疑問を呈した人間は購読していないでしょうし、今さらながら朝日の姿勢に驚いて購読をやめようなんて思う人間の数はたかが知れています。前に変態記事事件で不買運動の話がでましたが、不買も何も周囲で購読している人間がそもそもいなかったなんて笑い話が残っています。

不買運動については、わざわざ運動をしなくとも、社会現象で勝手に自然減少しますから、今回の朝日記事の様に構図が煩雑な事件で角を立てる必要は乏しいと考えます。不買運動の言葉だけで別の反応をする人間も少なからず出てきますから、「あくまでも前振り」でも持ち出したのはチト拙かった様な気がします。

朝日からの取材拒否も問題はあります。朝日を拒否するのは信条として自由ですが、朝日を拒否しても他の既製マスコミが果たして信用できるかの命題があります。朝日だけが特別悪質とはとても思えず、朝日だけを拒否しても問題の解決にはあまりならないと考えます。岩田氏とて朝日以外は無条件に信用できるみたいな妄想は決して抱かれていないと思います。一罰百戒的な効果についても疑問です。

岩田氏の提案は失礼ながら少々視野の狭すぎるものと感じます。まるで子供の喧嘩で「あいつとは絶交する」みたいな感じでです。子供の喧嘩の「絶交」が、その後にどういう経過をたどるかの説明は不要でしょう。


ただなんですが、岩田氏の提案はもっと視野を広げれば有意義なものになります。対朝日なんて狭いことを考えるので話が矮小化するのであって、対マスコミ対策全般と話を広げれば建設的な提案になりうると思います。

マスコミ取材による被害者は少なからずおられます。パターンとして「言ってもいない事を書かれた」「真意と違う」みたいなものが多くなっています。こういう事が生じる原因にマスコミ側のシナリオ取材があります。マスコミ人側からはシナリオ取材の費用対効果とか能率性を論じたものがどこかにありましたが、とにかくシナリオ取材は厳然と存在します。

シナリオ取材からの記事の作成過程は、

    第一段階:記事の企画(シナリオ)を決める
    第二段階:シナリオに必要なパーツを取材する
    第三段階:パーツをはめ込んだ記事の作成、情報発信
シナリオに基いての取材ですから、取材目標が明確になります。そりゃ、取ってくる情報がシナリオで予め決まっているのですから無駄足や、余計な取材を避けられる能率的な取材が行えます。また取材した情報の価値判断、取捨選択もシナリオと言う明瞭な判断基準がありますから、非常に容易になります。

能率や効率でマスコミ側には評価されているシナリオ取材ですが、問題は第一段階にあります。記事内容は第一段階の時点で決定されます。決定されたシナリオは以後の取材で変更される余地は非常に乏しいですから、この段階で記事は取材される側(被取材者)にとって、

  1. 邪悪な意図を持つ取材
  2. 誠実な姿勢の取材
取材目的はこうなります。理想論では予断を持たずに真摯な姿勢で取材して事の善悪を判断するべきなのでしょうが、そういう取材は手間ヒマがかかり過ぎて現実的ではないとされます。もちろんマスコミの建前は真摯な取材の上で善悪を判断したとはなっていますが、現実的にはシナリオ段階で決定された善悪に基いて取材は進められ、記事は作成されます。

ここでシナリオについては被取材者には知らされないブラックボックスになります。被取材者は取材目的が自分を貶める意図を持った邪悪なものなのか、自分を本当に評価してくれる誠実な意図なのかを確実に察知する手段を持ちません。直面する記者に誠実さを感じたとしても、記事なったら開けてビックリなんて事は椿事でなく、日常茶飯事です。つまり取材を受けるときには、

    記者は邪悪な意図を持って取材に来ている可能性が常にある
邪悪な意図の下に作成された記事が発信されると社会的な被害は極めて甚大です。最悪社会的に抹殺されても不思議ありませんし、抹殺は免れても被害の回復は容易じゃない事も多々あります。取材を受けて記事にされると言う事は、
    マスコミに社会的生命の生殺与奪権を預けている
これぐらいの心構えが必要と考えます。そういう強権を情報発信者は持っており、いつでもそれを自由に行使でき、行使しても発信者側はほぼ安全圏に居ると言う事です。強権は情報発信力が強いほど強力で、既製マスコミの情報発信力の強大さは今なお非常に強いものがありますから、事実上の社会的屠殺者の地位に君臨している事になります。マスコミ権力の源泉の一つとしてよいでしょう。

取材を受けると言うのは、社会的生命を抹殺しかねない程の力を持ち、どういう意図で訪れたか不明の相手と対峙すると言う事になります。そういう事実をしっかりと頭に叩き込んで取材に対応しなければならないと言うことです。



そういうマスコミ対策の基本は「君子、危うきに近寄らず」です。朝日だけではなく、いかなる既製マスコミの取材でも危険性は似たようなものですから、あえて近づく必要性はありません。

まあ、殆んどの人間はマスコミと接触を持つことすら稀ですから通常は心配する必要もありません。例えば私のリアルの実態はどこにでも居る町医者です。まかり間違って何らかの取材の申し込みがあったとしても、丁重にお断りすれば話は済みます。私程度のリアルの存在価値なら、取材を断られても「代わりは幾らでもいる」であり、逆恨みされて悪意を抱かれるほどのものでもありません。マスコミもそこまでヒマじゃないでしょう。

しかし「君子、危うきに近寄らず」で済まされない方も確実におられます。既製マスコミの強大な情報発信力を利用したい、もしくは利用せざるを得ない立場の方々です。広い意味で岩田氏もそういう立場にあるとは思います。

マスコミの情報発信力は劇薬みたいなもので、うまく利用できれば大きな効果も得られます。しかし一つ間違えば上述したように社会的抹殺さえ招きかねません。うまく利用しても毒性はしっかり残されると考えています。そういう劇薬の特性を踏まえての対策を講じなければならないと考えます。

対策としての戦略は、シナリオ取材の段階に対して

    第一段階:タッチしようがない
    第二段階:主戦場
    第三段階:第二段階の戦果を踏まえての間接的影響力の行使
主戦場である第二段階ですが、ここでの問題は取材内容に対する情報発信力の不均衡が根っ子だと考えます。取材において「記録」を取るのは記者であり、被取材者は「記憶」しかありません。こういう状況で言葉の断片を切り取られて不本意な記事を作成されても、
    マスコミ:「正確な取材に基いたものです」
    被取材者:「そんな真意ではない」
水掛け論でもマスコミ側が放水車、被取材者側はバケツで水をかけるぐらいの力関係になってしまいます。つまるところ何を言っても引かれ者の小唄状態に陥ってしまう訳です。であるならこの関係を改めるのが主戦場への戦術になります。用いる戦術は、
    取材の可視化
堀江元社長の提案の方法が基本戦術になります。最近のAV機器の発達は目覚しいものがありますから、取材内容を録音するだけでなく、録画する事も大した手間と費用ではありません。まずこれを確実に行うことです。

ただ録音や録画をしただけでは大した抑止力にはなりません。ネット時代の前は録音や録画を行っても、個人の力でこれを世間に広く公開する手段は事実上なかったと思います。しかしネット時代になり、これが非常に容易になりました。もっともお手軽にはYouTubeがありますし、自前のHPで公開するのもありです。

ここでさらにの提案があります。録音や録画を公開するだけでなく、取材内容を記事にして先手を打って情報発信をしてしまう戦術です。情報ソースに録音や録画ありますから、そういうソースに基いて、

  1. 記者はどういう意図で取材に訪れたか
  2. 記者の質問の内容と、それに対する回答の真意
これを情報発信しておけば、記事段階で真意を捻じ曲げられるリスクの軽減につながります。それとこの対策は可能な限り記事が発信される事前に行なうことが望ましいと考えます。事後戦術として行なっても無効ではありませんが、情報発信力にかなりの力の差があり、事後戦術ではマスコミ側の強大な一撃を受けてからの反撃になり、大きな損害が生じる上に、リカバリーも容易じゃないからです。

事前戦術でも相当な被害を蒙りますが、それこそ「回答の真意はこうであると書いているのに捻じ曲げられた」の反論はまだ効果があると私は考えています。甘い判断かもしれませんが、事前に情報発信されると、マスコミとてこれを完全に無視するのが難しくなる効果も期待しています。つまり第三段階への間接的影響力の行使です。

対マスコミ防衛策をもう一度まとめておくと、

  1. 断れるものは「君子、危うきに近寄らず」で無難に断る
  2. マスコミ取材の劇薬効果を知った上で利用したいときには


    • 取材光景を録画して可能な限り早くYouTube等にアップする
    • 記事より早くブログなりホームページに自分で取材された内容をできるだけ詳しく記事にして発表する

これぐらいの防衛策は必要でしょう。これだけの防衛策を施しても十分とは言えませんが、これすら行わずに取材を受ける行為は、自らの社会的生命をロシアン・ルーレットで「もてあそんでいる」としても良いかと思います。皆様におかれましても十分な御注意をされるようにとさせて頂きます。