もう一度、治験のお話

土曜日は殆んどイチから治験の話を調べたので、膨大な基礎知識編となってしまい、あれじゃ余程根性がないと読めない代物になってしまいました。そこで土曜日のお話を踏まえた上で、もう少し簡略バージョンを書いてみます。それと話を出来るだけ単純にするために、薬剤にしぼって話を進めます。


新薬承認とICHとGCP

新薬の承認は基本的に国ごとに行なわれます。今でも基本的にそうです。しかし国ごとにイチから申請承認手続きをやっていたら膨大な手間とヒマと予算がかかりますし、その新薬の恩恵をミスミス受けられない悲劇も起こります。そこでどの国で行った治験であってもデータとして認めていこうと言う動きが生まれます。

そのために行われた国際会議がICHであり、ICHが決めた治験基準がGCPと考えてよいでしょう。国際共通基準であるGCPをクリアした治験データであるなら、これをどの国の申請承認でも認めようとするものです。もちろん外国のデータだけで即承認にはなりませんが、基本的な治験データとして使えれば、その国で必要な治験データはかなり小規模で済むと言う事です。

でもってなんですが、国際ルールとして出来たGCPは、どの国でも通用するという条件のため、大変厳格な内容になっています。おそらく一番厳しいところに合わせて作られたのじゃないかと考えています。厳しいのは必ずしも問題ではありませんが、厳しいが故に時間と手間と予算がかかる基準になっています。施設基準からして厳しいので、日本でもEUでも治験が出来る施設が半減するほどであったとされます。

もう一つ重要なポイントはGCPはあくまでも新薬の最終審査のための基準であると言う事です。もっとあからさまに言えば、完成品段階の新薬の販売の可否を決める審査基準であると言う事です。そのため基本的に製薬メーカーが申請するものであり(医師主導治験も2003年から認められているようです)、製薬メーカーがGCPを利用するメリットとして、

  1. 承認されれば販売が可能になり速やかに回収が期待できる
  2. 一度治験データがそろえば、多数の国での申請承認がラクになる
もっとも現在ではGCP基準をクリアしないと承認はされませんから、製薬メーカーはGCP基準による治験に勤しむ事になります。


GCP治験と非GCP治験

新薬と言っても、机上で化学式を書いていきなり完成するわけではありません。有望そうな薬剤を見つけ出し、動物実験を重ねて候補薬を作り上げます。この候補薬が完成品かと言えばそうではありません。いわば試作品であり、これを人間相手の治験で効能を確認します。動物実験で有効であった薬剤が人間にも同等と限らないからです。

また試作品たる候補薬も1種類とは限りません。最近の化学合成技術は物凄いですから、化学式の基本構造は同じであっても、微妙に違う薬を何種類も作成できます。これを人間相手に治験を行い、より有効で、副作用が少ないものを絞り込む作業が必要です。この時に問題になるのがGCPとの兼ね合いです。

GCPは上述した通り、完成品の販売前の最終審査を目的に作られていますから、莫大な事務作業が必要になります。また治験方法も非常に厳密な手法が定められています。要するに時間も手間も金もかかるわけです。完成品の審査には相応しくとも、試作品の候補薬の絞込みに使うには大層すぎる現実があります。言ってみれば「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」状態になります。

そこで非GCP治験が行われます。非GCPと言ってもGCPを全く無視したものではありません。被検対象者の保護やデータ管理についてはGCPにほぼ準じたものが行われますが、その他の事務作業を簡略化したものぐらいに理解すれば良いと思われます。GCP治験と非GCP治験の違いを簡単にまとめておくと、

GCP治験 GCP治験
目的 完成品の販売前の最終審査 試作品の候補薬の予備試験
治験基準 GCP全面適用 GCP部分適用
治験データの取扱い 国際承認 参考データ
時間、費用、手間 かなりかかる 事務作業が軽減
被験者保護 GCP基準 GCP基準
日本での法的位置づけ 薬事法(省令GCP) 医師法(倫理指針)


大雑把ですがこんな感じです。ポイントは、治験データとして国際承認を取り付けるためにはGCPを全面適用しなければならないことです。つまりは、
    GCPを全面適用していない治験はすべて非GCP治験となり国際承認されない
GCP審査は完成品のためには適しているかもしれませんが、試作品段階で用いるには時間と手間と金が余りにも必要になります。多大の時間と手間と金が必要なGCP治験を、すべての段階で行うための力が日本の医療現場には無いというのも現実です。

試作品の治験段階ではGCP基準のうち必要な部分を適用した非GCP基準のデータで必要にして十分であり、これによって完成品が出来上がってからGCP治験に移行するのが現実的と言う事になります。確かに非GCP治験のデータは国際承認はされませんが、実際のところ候補薬の殆んどはふるい落とされるので、全面適用のための事務作業代は殆んど無駄になるからです。

もうちょっと言えば試作品の候補薬をすべてを試してみて、結局ダメであったも新薬開発現場ではしばしばあると聞きます。新薬の完成ステップとして、

    新薬研究 → 試作品 → 非GCP治験 → 完成品 → GCP治験 → 承認販売
もう一度念を押しておきますが、非GCP治験と言っても、内容は新薬申請承認のための事務作業を簡略化したものであり、被験者の取扱い、データの管理に於てはGCPと同等として良いかと考えます。「非」GCP治験としているのは、GCP基準には部分適用と言う運用がなく、全面適用されないとGCP基準に適合した事にならないからです。


一元化問題

このGCP治験と非GCP治験を一元化できないかの問題提起はあります。必ずしも悪い提案とは言えないのですが、一元化は十分な配慮の上で行う必要性があります。日本の事情もかなり疎いのは白状しておきますが、海外の事情となればもっと疎いのもさらに白状しておきます。これまで以上に曖昧な情報に基いてのものになりますが、アメリカは一元化されているようです。

これについては、現在のGCPそのものがアメリカ基準にほぼ等しいとの話があります。アメリカの医療費が高額なのは周知の事ですが、高額であるが故に治療を受けられない患者も半端な数ではありません。日本の皆保険の感覚からすると別次元の医療体制が組まれています。ただそれ故に治験対象者を得るのが容易であるという一面があります。

アメリカがすべての治験に、GCPを適用しているのかそうでないのかまで私は存じません。全部適用しているかもしれませんし、非GCP治験も並存しているのかもしれません。ただどうやら治験管理としては一元化されているらしいとはなっています。これは長年の経緯により形成されたシステムであり、それに耐えうる設備・人員・予算などが整備されてのものと考えます。

ではアメリカ以外でもそうかと言えば、そうではなさそうです。イギリスも日本のようにGCPを後から取り入れた国の一つのようです。イギリスはGCPを治験に大幅に取り入れた結果、すべての治験がGCP準拠に傾いたそうです。ただそれに耐えうる設備・人員・予算が無いところに取り入れたため、治験自体が大幅に縮小する事態が惹起されています。

一度GCPが入り込むと、たとえ非GCP治験が認められていたとしても、内容がドンドンGCPそのものに近づいていく現象をイギリスは如実に示しています。一元化管理の管理主は国であり、具体的にはお役人です。お役人が好きなのは書類仕事であり、書類仕事がタップリあるGCPの全適用に親和性が非常に高いと解釈しています。例の「望ましい」とか「出来るだけ」とか「可能な限り」で誘導されたら、管理される方は抗う術がなくなると見ています。


朝日は何を目指しているのか

朝日が治験の一元化を主張しているのは辛うじて理解できます。ただどんな一元化を目指しているのか意図不明です。一元化に当たっての選択枝は、

  1. すべての治験をGCP治験にする
  2. GCP治験も国家管理にする
ここまでの朝日の主張を読む限り、非GCP治験を極力貶めています。この貶める目的が、
  1. GCP治験そのものの否定
  2. GCP治験が国家管理でない事への非難
どちらも取り様がありますが、私が読む限り非GCP治験の否定の色合いが非常に濃いと感じられます。それを窺わせる端的なものとして、非GCP治験では国際承認が得られない点を強調しているからです。国家による一元管理であっても、GCPを全面適用しない限り、それは非GCP治験であり国際承認は得られません。国際承認のメリットを強調している限り、朝日の一元化への基本姿勢は、
    すべての治験をGCP治験にすべし
こう解釈せざるを得なくなります。そうしない限り治験の国際承認は得られないからです。すべての治験をGCP治験にせよとの主張は一理あります。時間と手間と金がふんだんにあれば一つの理想論かもしれません。しかし日本の医療だけではなく、日本の科学技術開発の現場で最も不足しているのが時間と手間と金です。

理想論は傾聴しても、理想論を現実化する裏付けが無いと空理空論になると考えられます。朝日の主張通りにGCP治験による一元化が行われたら、日本の臨床研究はほぼ息の根を止められます。GCP治験を行うだけの基盤が日本に全くと言って良いほど無いからです。極論すれば日本発の新薬開発は壊滅するとして良いかもしれません。


疑問なのはそうなる事を十分に理解してキャンペインを行っているのか、そうでないのかです。十分に理解してなら、このキャンペインの黒幕は誰かみたいな陰謀論が展開するのですが、ここまでの朝日の段取りがビックリするぐらい杜撰です。朝日が取った手法は、

    煽動段階:東大医科研のアラとも言えない出来事を、致命的な失策の様にひたすらアピール
    断定段階:一事が万事方式で非GCP治験は危険なトンデモ治験であると決め付ける
    誘導段階:解決方法は国家一元管理によるGCP治験以外には無い
こういう展開を見せようとしています。朝日の煽動段階の粗雑さについては前に論じたので簡単にしますが、煽動段階で「確かな取材」のボロが噴出しています。まさに火のないところに煙どころか放火したような惨状を呈しています。ここについての炎上を放置したまま、断定段階の特集記事まで掲載しています。

断定段階の記事に登場した有識者の意見を分析しようと思いましたが、やめています。だって、本当にそういう趣旨で話したかどうかなんて誰にも確認できないからです。わかっているのは、編集された記事が朝日の主張であると言うだけです。朝日の今回の件での編集の酷さは患者団体の声明の引用でも良くわかります。あれぐらい強い意思で編集権を行使していると言う事です。


さてここでなんですが、誘導段階に当たるはずの第3弾特集がもうすぐ出されるというアングラ情報があります。流れからして不思議ではないのですが、内容としてはペプチドワクチンそのものへの攻撃であるという噂があります。もしこの噂が本当であるなら、見かたは二つになります。

  1. 煽動段階の補強の必要に迫られた
  2. 本当の攻撃目標は治験問題ではなくペプチドワクチンであった
後は記事が出てみないと何とも言えませんが、治験問題が真の攻撃目標で無くペプチドワクチンがそうであったとすれば、この朝日のキャンペインは一遍に矮小化します。真の攻撃目標がペプチドワクチンであるとすれば、これはこれで筋が通る部分は多くあります。治験問題を攻撃するにしては、中村教授への個人攻撃やオンコセラピー・サイエンス社への攻撃は激しすぎたからです。


これはウォッチャーとしての漠然たる感想なんですが、このキャンペインには朝日はかなり時間をかけています。当初は治験問題を取り上げるつもりだったのかもしれません。しかし治験問題そのものは医師ですら難解なものであり、一般受けする様に東大医科研のミスらしきものを執拗に追いかけたと考えています。追いかけているうちに取材目的自体が変質した可能性を考えています。

この取材には編集委員論説委員まで加担していますから、記事にする段階で一般受けしやすい東大医科研のペプチドワクチン攻撃に変えた可能性です。もっとも治験問題ももともとの攻撃目標ですから、ペプチドワクチンを攻撃するついでに一緒に粉砕みたいな方向性でしょうか。いずれにしても次の朝日の打つ手を注目しておきましょう。