お酒の雑談

医療ネタのストックを書こうとしていたのですが、どうにもやる気が起こらず雑談に逃避します。休日ですからいいですよね。お酒は好きです。日本酒、スコッチ、バーボン、ラム、紹興酒と幅広く飲んでいます。ビールはあまり好きではないのですが、ベルギービールは好きですし、ギネスのスタウトも飲みます。国産ならエビスかな。好きですが研究家ではありませんから、酒場のネタ用ぐらいのお話を雑談としてまとめておきます。雑談ですから専門的なツッコミはそれなりでお願いします。

酒には醸造酒と蒸留酒があります。当たり前ですが成立する過程は「醸造酒 → 蒸留酒」のはずです。蒸留酒とは醸造酒を蒸留しないと出来ないからです。醸造酒が出来た過程は伝説とか、神話の領域に遡ります。つまりいつ出来たかわからないぐらい古いと言う事です。おそらくですが、たまたま自然発酵したと考えるのがもっとも妥当と考えています。それこそ、さる酒の世界です。

自然発酵説の傍証としては、どこで読んだか思い出せないのですが、中国の酒(紹興酒だったと思う、たぶん)は、土に掘った穴の中で醸造させると聞きます。もちろん何世代も使い込んだ穴ですが、とにかく土の穴で醸造するそうです。これも今でもそうなのか、そうでないのかは存じません。

この穴の中を考えると自然発酵説がよくわかります。古代中国では、穀物の貯蔵のために、大きな穴を掘って貯えていました。楚漢戦争で勝負を分けたのは、劉邦が立て篭もった山が穀物の貯蔵庫であり、項羽がそうでなかったとためとされています。飢えに苦しんだ項羽軍が最後の決戦で敗れてしまったのです。この時の穀物の貯蔵庫は土を掘った穴です。

劉邦が利用したのは秦が作った国家規模の貯蔵庫でしたが、当然のように民間レベルでもそうであったと考えるのが妥当でしょう。そこに雨水が流れ込んだり、穴ですから水が湧き出たりして自然発酵したのが始まりであると考えます。だからその手法を今も受け継いでいると考えます。


ビールやワインもおそらく似たような過程で成立したと考えていますが、話は西方世界に絞ります。ビールやワインの成立も古くて、それこそ文明が成立する事にはあったとしか言い様がないのですが、古代ギリシャ・ローマ文明ではワインが愛用されます。実はギリシャはよく知らないのですが、ローマは間違い無くそうです。

ローマ人がいかにワインを愛用したかは、古代ローマ帝国の版図に従ってワインの名産地が分布する事でもわかります。古代ローマ人は領土を獲得すると植民政策を積極的に行いましたが、可能な限りブドウを植え、ワインを製造したのです。一方の雄であるビールはオリエント世界では広がっていたと思われますが、ローマ人は基本的に好まなかったようです。

この古代ローマ人が愛用したワインがどんなものかですが、wikipediaにそれを窺わせるものがあります。

現在はアルコール飲料であるワインも、当時は糖分があまりアルコールに転化されておらず、非常に甘い飲み物であった。固いパンを食べやすくするブドウのジュースを濃縮し長期保存できる形にした日常の食卓の飲料、硬水を飲みやすくするために水に加える飲料としての性格が強く、酔うためにそのまま飲むのは野蛮人の作法とされ、水で割って飲むのが文明人の作法とされていた(そもそもストレートで飲むとかなり甘い)。

なるほどで、アルコール風味のブドウ果汁の色合いが濃かったことがわかります。現代の感覚でのワインの位置付けではなく、水分を取る時の補助飲料みたいな役割も大きかった事も推察されます。そう言えばワインを海水で割るみたいな話もどこかにありましたが、あれは甘すぎるワインの調節であったとすれば話が通ります。

もう一つ、現代のイタリア人から想像し難いのですが、古代ローマ人質実剛健である事を非常に尊んだとなっています。現代の感覚でワインを飲むとは、ある程度以上酔っ払うのは避け難いですが、当時のワインで酔うために飲む行為は非常にみっともない行為であると見なされていた事もわかります。何代目かのローマ皇帝がストレートでワインを飲む行為を非常に貶されていた背景がよくわかります。


さてヨーロッパの醸造酒の勢力範囲で面白いのは、古代ローマ帝国の版図の中ではワインが主流になる一方で、それ以外の北方地域ではビールが主流になった事です。この辺は、ブドウの北限の関係もあったでしょうが、ドイツぐらいが一つの境目の様に思っています。ドイツといえばビールなんですが、一方でモーゼルに代表されるワインも有名です。ちょうどその辺りが、古代ローマゲルマン民族の勢力圏の境目であったとも見れるからです。

実はビールもワインも古代シュメール人が発明したとも言われているそうです。ワインは古代ローマ帝国が取り入れて大繁栄しましたが、ビールは非ローマ世界である古代ケルト人や、ゲルマン人が好んだようです。ここで面白いのは、古代世界ではアルコール濃度が、

    ビール > ワイン
こうであった事です。古代ローマの製法ではワインの糖分のアルコールへの変換が不十分で、現代とは位置付けが違ったようです。また酒の用い方もwikipediaにあるように、
  • ローマ人は水を取る時の補助飲料として日常の飲み物
  • ゲルマン人は祝祭日に大いに飲んで酔っ払うもの
スタンスがかなり違う事もわかります。おそらく古代ローマ人が「酔っ払う」から下品とビールを見なした様に、古代ゲルマン人はワインじゃ甘ったるいし、酔っ払うのも大変みたいに見なしていた可能性があります。


ヨーロッパを二分して対峙していたビールとワインですが、やがてローマ帝国は滅亡します。滅亡した後を支配したのはゲルマン人であり、ケルト人であったと考えても良いかと思います。古代ローマ人は帝国の拡張とともに広く薄く広がってしまい、滅亡時には原古代ローマ人は実質としていなくなったんじゃないかと考えています。

そういう状況の下でワインが進化します。これはワインが進化したというより、支配民族であるゲルマン人ケルト人の風習が色濃く反映されたと考えています。ゲルマン人が飲みたいのはアルコール風味のブドウ果汁ではなく、酔っ払うための酒だからです。飲み手の需要が変わったので、ワインの糖分がより分解される醸造法に改良され、甘くないアルコール度の高いワイン(現在のイメージ近いかもしれません)に変わって行きます。

そうなると次に起こる現象は、アルコール度の逆転です。

    ワイン > ビール
考えようによっては、これによりワインが現在まで生き残ったのかもしれません。古代ローマ人が愛した甘いワインのままでは、ローマ帝国滅亡と同時にワインも衰退していたかもしれません。ここでなんですが、酔っ払うためによりアルコール度が高い飲料を欲するゲルマン人ですから、ワインのアルコール度が上れば靡きそうなものです。

ゲルマン人がワインに完全に靡かなかったのは誰でも知っています。現代でもワインもビールも普通にどこでもあります。これは慣れ親しんだ味の問題があると思っています。ワインは甘さが減ったとは言え、元がブドウですからどこまで行ってもビールより甘いのだけは確かです。これに対してビールは、様々な変遷がありますが、最終的にホップを加えた苦味のある飲料です。

ゲルマン人はビールの味を捨てきれなかったと考えています。とは言え、製法の進化したワインに較べてアルコール度はどうしても及びません。そこで取り入れられたのが、蒸留技術ではないかと考えています。


蒸留技術の源流は、これもまた無茶苦茶古いそうです。資料的には紀元前3500年前から存在した技術とも言われています。もちろん酒を蒸留するために生み出された技術ではなく、香料を抽出する技術としてあったようです。香料は花や葉から集めますが、含まれている成分はほんの微量です。これを濃縮するために、蒸留技術が古くから使われています。

ヨーロッパでも蒸留酒が出現するのはそんなに古くなく、諸説はあるようですが7〜8世紀ぐらいから出現したと言われています。これはよりアルコール度の強い酒が欲しいというゲルマン人の欲求の産物の様な気がします。最初はスペインでワインを蒸留することから始まったようで、これが現在のブランデーに通じているかどうかまで確認できませんでしたが、13世紀には現在のブランデーの原型が出来ていたの記録があるそうです。

ワインが蒸留できるのなら、ビールも蒸留できると考えてもおかしくはなく、ついに蒸留技術がアイルランドからスコットランドに伝わる事になります。ウイスキー(スコッチ)の誕生です。これが11〜13世紀と言われています。蒸留技術は当時の最先端科学者でもあった錬金術師によって研究され、さらに広がります。北欧の酒アクアビットやロシアのウオッカもそうやって作り出されとも言われています。


さてなんですが、生の出来たばかりのウイスキーを見た事があるでしょうか。私は山崎に行って見せてもらった事があるのですが、はっきり言ってただのアルコールです。あれを飲めといわれた相当な根性が必要です。おそらくなんですがブランデーは出来たててでもそれなりにブランデーの様な気がしています。熟成させたらより美味しくなりますが、新酒であっても飲むのは不可能ではないような気がします。

そんな生のウイスキーですが、当初はそれでも生のままで飲んでいたんじゃないかと考えています。話はややずれますが、西部劇でガンマンが酒場でバーボンを飲むシーンがありますが、西部開拓時代のバーボンもそんなに熟成させていなかったそうで、現代人なら飲むに耐えないだろうと行きつけのバーのマスターは言っていました。

ウイスキーも当初はアルコール度が高いという一点で受け入れられたとは思いますが、それこそ飲めるだけで「男の証明」として称賛されたような気もしています。それが樽熟成に移行できたのは何故だろうです。当初のウイスキーは生産量も少なく、それこそ作っただけすぐに飲み干してしまったんじゃないかと思います。

それが生産量が増えてくると、飲みきれない分は樽に貯蔵することになったと思います。そうやって古くなったウイスキーを飲んでみると、新酒よりはるかに飲みやすくなったのを発見したんじゃないかと思います。とくにウイスキーに課税される時代がやってくると、課税をのがれる為に密造され、さらに作ったウイスキーを隠匿する必要が出てきます。

隠すのは見つかりにくい地下室とか洞窟が利用されたと考えるのが自然で、なおかつ大っぴらに飲むわけにもいきません。取り締まりも当然ありますから、隠したものの何年も経ってからようやく飲める様になる事もあったと考えておかしくありません。何年も隠したウイスキーを期待もせずに飲んでみると、驚くほど味が変わっているのを発見したと思っています。

そんな事でもなければ、作った酒を何年も貯蔵するなんて発想はなかなか出てこないと思います。ウイスキーは早い時期に換金商品として位置を獲得していたようですが、換金商品でも売らなきゃ金にならないからです。売らずに5年も10年も抱え込むには、そうせざるを得ない事情が無い限り普通はしません。



最後は日本の蒸留酒への素朴な疑問です。日本の蒸留酒といえば泡盛もありますが、やはり焼酎になります。日本の蒸留酒作りも蒸留技術の伝来とともに作られたようです。それは良いのですが、私は焼酎を余り飲まないで知らないだけかもしりませんが、あんまり年代ものの焼酎は聞いた事がありません。基本は出来たらすぐ飲むです。

これも行きつけのバーのマスターと話したことがあるのですが、マスターの返答は「なんででしょうね」で終ってしまいました。これじゃマスターが可哀そうなので、たぶん熟成させなくとも、生のままで十分美味しかったからではないかとの結論になっています。ほいじゃ、これだけの焼酎ブームですから10年単位で熟成させた焼酎をウイスキーみたいに出したら面白いんじゃないかで話は終っています。

まあ、そこのバーには焼酎は置いていませんから、マスターの知識不足は笑わないで下さい。もし年代ものの焼酎があるのなら、最後のところは与太話と思ってください。もっとも今日のお話全体もそれほど基礎知識になるような水準ではありませんから、全部を与太話とされてもまったく差し支えありません。では、今日はこの辺で。