続・例の朝日記事検証

昨日の続編です。先週は多忙だったので情報収集が十分でなかったのと、10/15付朝日記事およびそれに関連するMRIC記事(主に東大医科研からの反論)だけで大ボリュームだったので、補足して記録に留めておきたい情報のアップとなんとか情報の整理を試みたいと思います。とりあえずの参考情報は、

書いていくうちに参考情報はドンドン増えたので、あとはエントリー中のリンクで行います。まずネットから消えていて読んでなかった10/16付朝日社説です。

東大医科研―研究者の良心が問われる

 新しい薬や治療法が効くのかどうか。その有効性や安全性について人の体を使って確かめるのが臨床試験だ。

 研究者は試験に参加する被験者に対し、予想されるリスクを十分に説明しなければいけない。被験者が自らの判断で研究や実験的な治療に参加、不参加を決められるようにするためだ。

 それが医学研究の大前提であることは、世界医師会の倫理規範「ヘルシンキ宣言」でもうたわれている。ナチス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたものだ。

 東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチン臨床試験をめぐり、そうした被験者の安全や人権を脅かしかねない問題が明らかになった。

 医科研付属病院で被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研は同種のペプチドを提供している他の大学病院には知らせていなかったのだ。

 医科研病院では出血のリスクがある患者を除くように臨床試験の実施計画を改め、被験者の同意をとるための説明文書にもその旨を書き加えた。

 被験者の選択基準を改めるのは重要な計画変更である。だが、連絡を受けなかった他の大学病院では、被験者は自発的参加の判断材料となる情報が得られなかったことになる。

 医科研はペプチドを提供した大学病院から有害事象の情報を集めていた。医科研は「報告義務を負わない」というが、被験者の安全と人権を守る観点に立てば、医科研の側からも情報を提供すべきだった。

 細川律夫厚生労働大臣は「事実関係をしっかり調査したい」としている。大学病院の被験者に事実が伝えられたのか確認を急いでもらいたい。

 国内では、薬の製造販売の承認に必要なデータ収集を目的とした臨床試験を特に「治験」と言い、薬事法などの法令で厳格に管理している。

 一方、今回のような研究者主導の臨床試験については厚労省の行政指針で対応している。指針に強制力や罰則はない。被験者の安全を守るためには、この二重基準を解消して、こうした臨床試験にも行政など外からの目でチェックする仕組みが必要だ。

 また今は臨床試験のデータをそのまま新薬開発には使えず、改めて治験が必要だ。研究者の負担は大きく、欧米との開発競争に後れをとることにもなりかねない。

 政府は大学の研究成果を画期的な医薬品の開発につなげることを、新成長戦略の一つの柱と位置づけている。

 法律によって統一的な研究審査システムを整え、治験以外の臨床試験で収集したデータも新薬の承認審査に使えるようにする。二重基準の解消は、被験者の安全を守り、研究成果の効果的な活用にもつながるはずだ。

やりだすとキリがないのですが、10/15朝日記事でも同じ出発点の問題です。

朝日社説 東大医科研の主張
医科研付属病院で被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研は同種のペプチドを提供している他の大学病院には知らせていなかったのだ。 まず、この臨床試験は難治性の膵臓がん患者さんを対象としたものであり、抗がん剤とがんワクチンを併用したものでした。難治性の膵臓癌で、消化管出血が生じることがあることは医学的常識です。当該患者さんも、膵臓がんの進行により、食道からの出血を来していました。あえて他の施設に消化管出血を報告することは通常行われません。また、別の施設(和歌山医大)で抗がん剤とがんワクチンを併用した患者さんで、消化管出血を起こしたことが既に報告されており、関係施設には情報が共有されていました。


このあたりの事は昨日もやったので、根本的に解釈が違う点の指摘で宜しいかと思います。でもってこの消化管出血はそもそもどの程度のものであったのかの情報が欲しいところです。これが驚くべき事にタブロイド紙に書かれています。10/15付記事より、

東大医科研病院:がんワクチン投与の1人が出血

 東京大医科学研究所(清木元治所長)は15日、医科研病院で08年に実施した「がんペプチドワクチン」の臨床試験で、ワクチンを投与した膵臓(すいぞう)がん患者1人が消化管から出血を起こしていたと発表した。医科研は出血を「重篤な有害事象」と判断して院内倫理委員会に報告したが、ワクチンを提供した国内約30の医療機関にこの事実を伝えていなかったという。

 がんペプチドワクチンは、がん細胞だけを攻撃する特定のリンパ球を体内で活性化させる治療法。開発した医科研がワクチンを全国の医療機関に提供し、食道がん、大腸がんなどで臨床試験が実施されている。

 医科研によると、患者は投与開始から2カ月後の08年12月、消化管から出血したため中止。患者は小康状態となり退院したが、入院期間が約1週間延びたため、厚生労働省の臨床研究倫理指針に基づき院内の倫理委員会に「重篤な有害事象」として報告した。患者は退院の約1年後、がんで死亡。同じ試験に参加していた5人に異常は見られず、試験は昨年5月に終わった。

 ワクチン提供先の医療機関に知らせなかった理由について医科研は「医科研病院が単独で実施した臨床試験で(他施設に)報告義務はない。以前実施された共同研究で同様の症例があり、情報は既に共有されていると考えた」と説明する。

 消化管出血は膵臓がんに見られる症状で、医科研は「ワクチン投与と出血との因果関係を100%否定はできないが、出血はがんによるものとみられる」としている。厚労省は「被験者への説明がきちんと行われていたかなどを含め調査したい」と話している。【河内敏康、佐々木洋】

ビックリするほど冷静な記事(朝日記事の後だからとくに)なんですが、この記事も合わせての事実関係は、

  1. ペプチドワクチンと抗がん剤の併用療法であった
  2. 消化管出血のために入院が1週間延びて退院した
  3. この事実は厚生労働省の臨床研究倫理指針に基づき院内の倫理委員会に「重篤な有害事象」として報告した
  4. 消化管出血を起したのは6人の治験対象者のうち1人であった
  5. この時のペプチドワクチンの治験は、この6人が対象で終了した
  6. この時の治験は東大医科研単独の治験であり、共同研究の治験は別に行なわれていた
ちなみに「重篤な有害事象」の定義もMRICに書かれており、

重篤な有害事象」には、「治療のため入院または入院期間の延長が必要となるもの」が含まれており、具体的には、風邪をひいて入院期間が延長された場合でも「重篤な有害事象」に該当します。

つまり末期の膵臓がんの消化管出血と臨床的には判断したが、定義としての「重篤な有害事象」であるとは認め、倫理指針に基いて院内の倫理委員会に報告しています。これを他の施設に報せなかったのは、

  1. 単独研究であるので他の施設に報告義務はない
  2. 症状としてはワクチンによる副反応と判断しなかった
  3. ペプチドワクチン投与中でも、末期の膵臓がんには消化管出血が起こることは他の共同研究で報告済である事
ここも興味深かったのですが、記事と事実と考えられる事を較べます。

朝日記事 東大医科研の主張
しばらくして臨床試験をすべて中止した。 同じ試験に参加していた5人に異常は見られず、試験は昨年5月に終わった。


えらい違いで、朝日記事を読むと消化管出血に慌てふためいて治験が急遽中止されたかのような印象が植え付けられますが、実際は予定通り終了しています。社説のここも解釈によって相当イメージが変わってきます。

朝日社説 東大医科研の主張
医科研病院では出血のリスクがある患者を除くように臨床試験の実施計画を改め、被験者の同意をとるための説明文書にもその旨を書き加えた。 進行性すい臓がん患者の消化管出血のリスクは、本来はワクチン投与にかかわらず主治医から説明されるべきことです。


朝日の社説だけ読むと末期の膵臓がん患者に消化管出血が起こることが非常に珍しい症状と言うか、消化管出血がペプチドワクチンのみで起こる副反応であり、この消化管出血の報告を受けて急遽説明文書に書き加えた印象を与えます。ところが実際は末期の膵臓がんでは一般的に起こる症状であり、主治医が口頭なりで説明すれば良いレベルの物を、説明文書に加えただけと解釈するほうが正しそうです。

ここも繰り返しになりますが、

朝日社説 東大医科研の主張
被験者の選択基準を改めるのは重要な計画変更である。だが、連絡を受けなかった他の大学病院では、被験者は自発的参加の判断材料となる情報が得られなかったことになる。 以前実施された共同研究で同様の症例があり、情報は既に共有されていると考えた


共同研究時に和歌山医大から報告があり、当然の事ですがその時に消化管出血が起こることは情報共有されていますから、今回の医科研の報告の有無に関らず消化管出血の情報は既に共有されており被験者の判断材料に困る事にはなりません。従って、
    医科研はペプチドを提供した大学病院から有害事象の情報を集めていた。医科研は「報告義務を負わない」というが、被験者の安全と人権を守る観点に立てば、医科研の側からも情報を提供すべきだった。
医科研がペプチドワクチン開発に中心的な役割を果たしているのは誰も否定しませんが、消化管出血の報告は症状の重要度から積極的に提供するものではなく、さらに既に情報として共有されている程度のものであった事もわかります。この辺の事実関係が昨日の時点では曖昧だったので、確認できて非常に嬉しく思うところです。



さてなんですが10/24付朝日記事を紹介しておきます。

医科研記事、癌学会など抗議 朝日新聞「確かな取材」

 日本癌(がん)学会の野田哲生理事長と日本がん免疫学会の今井浩三理事長は、東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンを使った付属病院の臨床試験で起きた有害事象が、ペプチドの提供先である他の医療機関に伝えられていなかったことを報じた15、16日付朝日新聞朝刊の記事への抗議声明を両学会のホームページに掲載した。「大きな事実誤認に基づいて情報をゆがめ、読者を誤った理解へと誘導する」としている。

 朝日新聞社広報部の話 記事は、薬事法の規制を受けない臨床試験には被験者保護の観点から問題があることを、医科研病院の事例を通じて指摘したものです。抗議声明はどの点が「大きな事実誤認」か具体的に言及していませんが、記事は確かな取材に基づくものです。

とりあえず日本癌学会「朝日新聞の記事(10月15・16日)に関して-- がん関連二学会からの抗議声明 --」日本がん免疫学会「朝日新聞の記事(10月15・16日)に関して-- がん関連二学会からの抗議声明 --」は内容が同じなので引用しておきます。

朝日新聞の「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事(2010年10月15日、16日)には、東京大学医科学研究所で開発した「がんワクチン」を用いて同附属病院で行われた臨床試験に関して、大きな事実誤認に基づいて情報をゆがめ、読者を誤った理解へと誘導する内容が掲載されました。

その結果、ワクチン治療を受けておられる全国のがん患者さんに無用なご心配をおかけするとともに、今後の新たながん治療開発に向けた臨床試験に参加を希望される、多くのがん患者の皆様にも、多大なご迷惑をおかけする事態となっております。また、この記事は、がん患者さんに、より有効な治療を提供するべく懸命に努力している医療関係者、研究者、学生の意欲を大きく削ぐものであり、この分野での我が国の進歩に大きなブレーキをかける結果を招きかねません。

より良いがん治療の提供を最大の目的として設立され、活動を続けている学会としては、このような記事を容認することはできません。ここに朝日新聞に対して強く抗議するとともに、速やかな記事の訂正と患者さんや関係者に対する謝罪を含めた釈明を求めます。

なるほど朝日の反論通り、

    抗議声明はどの点が「大きな事実誤認」か具体的に言及していません
これは間違っていません。ほいじゃ
    記事は確かな取材に基づくものです
こちらを考えて見ます。朝日の取材がどれぐらい時間をかけて行われたものかですが、BTJ /HEADLINE/NEWS 2010/10/22 THE PRIME MAIL 第1495号にありますから引用しておきます。

 医科研の関係者に話を聞くと、朝日新聞の取材は1年以上前に始まっています。取材の過程で医科研は何度も上記のような点を説明し、対応に問題はなかったと主張したといいます。しかし、朝日新聞が医科研に送付した質問ファクスと記事を見比べると、最初に記者が立てたストーリーを全く見直していないことが分かります。

1年以上もかけた入念なものであった事が確認できます。満を持してのキャンペインに打って出たとの表現が相応しいと思います。そこでここまでで判明した事実関係を改めて整理しておきます。

項目 朝日の主張 東大医科研の主張
消化管出血の捉え方 消化管出血はペプチドワクチン治験に関する重大な事象である 末期の膵臓がんで消化管出血はありふれた合併症状である
報告の考え方 医科研は「報告義務を負わない」というが、被験者の安全と人権を守る観点に立てば、医科研の側からも情報を提供すべきだった。 ありふれた症状である上に既に報告済みの症状である
報告の影響 連絡を受けなかった他の大学病院では、被験者は自発的参加の判断材料となる情報が得られなかったことになる。 先立って行われた共同研究で報告され、情報共有はなされている
治験の行方 しばらくして臨床試験をすべて中止した。 同じ試験に参加していた5人に異常は見られず、試験は昨年5月に終わった。
ワクチンの開発者 今回の治験に使われたペプチドワクチンは東大医科研の中村教授が開発した 中村教授はペプチドワクチンの権威ではあるが、今回のワクチンは別の研究者が作成した
医科研の役割 国の先端医療開発特区では医科研はペプチドワクチン臨床試験の全体統括を担う 特区としてペプチド供給元となる責任者の立場
消化管出血の説明 医科研病院では出血のリスクがある患者を除くように臨床試験の実施計画を改め、被験者の同意をとるための説明文書にもその旨を書き加えた。 進行性すい臓がん患者の消化管出血のリスクは、本来はワクチン投与にかかわらず主治医から説明されるべきことです。


さらにの記事がどうもあるようです。10/21付記事で「がんワクチン臨床試験問題 患者団体「研究の適正化を」」と題した記事があるらしい事がわかります。ストーリー的には患者団体からの不安の声みたいなプロットです。この元記事が見つからなかったのが遺憾ですが、10/22付の東大医科研「大丈夫か朝日新聞の報道姿勢」に厳しい指摘が掲載されています。朝日が引用したのは10/20付がん患者団体有志一同「がん臨床研究の適切な推進に関する声明文」のようですが、

朝日記事 がん患者団体
有害事象などの報道では,がん患者も含む一般国民の視点を考え,事実を分かりやすく伝えることを求めている。 臨床試験による有害事象などの報道に関しては,がん患者も含む一般国民の視点を考え,誤解を与えるような不適切な報道ではなく,事実を分かりやすく伝えるよう,冷静な報道を求めます。


実に見事な「編集権」の行使で、
    誤解を与えるような不適切な報道ではなく
これを見事に削除されています。もう一つ元記事の箇所が不明だったのですが、朝日新聞社に対する抗議文提出のお知らせの中に、

第2 掲載記事にねつ造の疑いがあること

 また、掲載記事には「記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチド臨床試験を行っているある大学病院の関係者」に取材した旨の記載がございます。

 東京大学医科学研究所で、改めて独自に調査を行い、「複数のがんを対象にペプチド臨床試験を行っている大学病院」に該当するすべての大学病院に問い合わせを行ったところ、今年の7月に記者から取材を受けたのは大阪大学のみということが判明した、と連絡がありました。ところが、大阪大学で取材を受けた関係者は掲載記事に記載されているような回答は全くしておらず、取材をした記者に対して電話で抗議したとのことでした。

 このように、掲載記事は十分な取材活動に基づいておらず誤りがあるうえ、ねつ造の可能性が極めて高いと思われます。

ここは著作権に関る「高度の創作性」に該当する部分でしょうか。さすがに1年以上かけて練り上げた代物で、

    記事は確かな取材に基づくものです
ここまで言い切れる自信が凄いと思います。1年かけて何を取材していたか首を捻るばかりです。現在までの朝日記事を巡る構図は、

1st Stage 朝日がスクープと判断し報道
2nd Stage 東大医科研が抗議、学会も連動
3rd Stage 朝日は「記事は確かな取材に基づくものです」と抗議を一蹴


ここでトバッチリ食ったのが、ペプチドワクチンの製造元のオンコセラピー・サイエンス株式会社のようです。この会社は東証マザーズに上場しているのですが、朝日新聞社に対する抗議文提出のお知らせの中に、

第3 損害について

 掲載記事により当社の名誉や社会的信用は大いに毀損され、のみならず有形無形の損害や影響が発生しております。当社株価は一時ストップ安となり、当社の企業価値として約83億円の損失となりました。

 当社の株価以上に、重要な影響を受け、我々として最も我慢できなかったのは臨床試験に参加くださっているがん患者さんに対しての影響です。貴社の報道で不用意に不安を煽りたてられ、問い合わせが殺到いたしました。患者さん・治験施行施設・医師の対応に忙殺され、小さなベンチャー企業である当社は大変混乱し、業務に甚大な支障がありました。

金銭に換算できる実害が生じていますから、扱いはどうなっていくのでしょうか。下手すると風評被害の可能性も出てくると思うのですが、この辺の法的対抗措置については残念ながら詳しくありません。ただオンコセラピー・サイエンス社は、

当社としては、貴社に対する法的措置をとるべく弁護士と協議中であることを念のため申し添えます。

「4th Stage」以降はあるのでしょうか。一つ言えるのは朝日はこの事件で先導しましたが、現在のところ追随するメディアはあまり出ていないようです。つうか私の目には余り止りません。その点は朝日の誤算になっているかもしれません。形勢不利と見てダンマリ作戦に転じるのか、それとも1年以上の取材成果を発揮して東大医科研の抗議を粉砕するのかも見所になりそうです。