奈良救急不搬送事件が和解

この事件が報道されたのは2007.11.2の事です。様々な論点があったのですが、当時のマスコミ情報だけでは材料不足で、ある線からは藪の内になっていましたが、訴訟になったので事件は進んでいきます。一審判決が出たのがどうやら2009.4.27のようで、さらに2010.7.20に和解になったとの報道があります。まとめるほどのものではありませんが、

Date 事柄
2006.11.15 不搬送事件発生
2007.11.2 民事訴訟開始
2009.4.27 一審判決
2010.7.20 和解(たぶん高裁)


とりあえず気になるのは一審判決ですが、奈良の医療関係の報道では遺憾ながらタブロイド紙を引用せざるを得ません。2009.4.27付記事ですが、

<搬送拒否>消防に賠償命令 奈良地裁

 奈良県橿原市の中和広域消防組合の救急隊員が、同県大淀町の男性(44)が頭にけがをしていたのに病院に搬送しなかったため、意識不明の状態になったとして、男性と家族が同組合に治療費や慰謝料など計約2億5230万円の損害賠償を求めた訴訟で、奈良地裁(坂倉充信裁判長)は27日、同組合に計約1億3860万円の支払いを命じる判決を言い渡した。坂倉裁判長は「救急隊員は必要性の判断を誤り、搬送すべき義務に違反した。搬送していれば、(意識不明状態という)結果を避けることができた」と、男性側の主張を全面的に認めた。

 判決によると、男性は06年11月15日午前2時10分ごろ、橿原市の橿原警察署の敷地内を酔って歩いているところを同署に保護された。駆けつけた救急隊員は声をかけたり、顔に付いた血をふいたりしたが、緊急を要する症状ではないと判断、搬送先を探さなかった。

 駆け付けた家族は、同署の東隣にある県立医大付属病院への搬送を希望したが、隊員は「かかりつけじゃないと、なかなか診てくれない」「アルコールが入っているので、受け入れ先がない」などと説明。家族は、不搬送の承諾書に署名、男性を連れて帰宅した。ところが男性は帰宅後に容体が急変、午前11時ごろ県立医大付属病院に運ばれ、脳挫傷などと診断された。男性は現在も意識が回復しない状態が続く。

 判決では、搬送について「顔面や衣服に付着するほど出血し、発見当初と比べて意識障害の程度が重くなっていることを容易に認識できた」などと必要性を認めた。家族が不搬送承諾書に署名したことについては「依頼したのにできないとされた結果として、やむを得ずした対応」として、家族が搬送を拒否したとは認めず、救急隊員は搬送する義務を免れないとした。

 男性側の弁護士は「極めてまれな事例だが、よほどの理由がない限り搬送すべきだという当たり前の判決だ」と述べた。

 中和広域消防組合の橋本雅勇消防長は「主張が認められなかったことは誠に遺憾。今後の対応を慎重に検討したい」とのコメントを発表した。

事件の基本構図の説明は省略します。ご存じない方は冒頭のリンク先を御参照下さい。訴訟のポイントになったのは、駆けつけた救急隊員が患者を搬送しなかった理由になります。ここは「」付きの引用ですから最低限の信頼を置くとして、

  • 「かかりつけじゃないと、なかなか診てくれない」
  • 「アルコールが入っているので、受け入れ先がない」

救急隊員の心情はわかりますが、結果論で裁かれる部分が大きい医療関係の訴訟では、分が悪そうに素直に感じます。それでもって救急隊員の説得に同意し不搬送承諾書に署名した行為は、
    家族が不搬送承諾書に署名したことについては「依頼したのにできないとされた結果として、やむを得ずした対応」として、家族が搬送を拒否したとは認めず、救急隊員は搬送する義務を免れないとした。
医療訴訟ではもはや常識ですが、救急隊でも同様である事が訴訟で確認されたと言っても良いかもしれません。ところで記事では、
    男性側の主張を全面的に認めた
全面的とは「すべての方面にわたって」ぐらいの意味になるはずですが、賠償請求額2億5230万円に対して裁判所の認定額は1億3860万円と約半分に減っています。全面的であるのに半分に減るとは考えようによっては不思議です。民事訴訟での賠償請求額は見栄やハッタリではなく、弁護費用や訴訟費用に連動しますから、なんらかの理由によって減額された部分があるはずです。

タチの悪い弁護士ならわざと過剰な賠償請求を行なわせて弁護費用の水増しを行うこともあるそうですが、そういう可能性はとりあえず無いとします。そうなれば入手できる範囲の情報でありえるのは、

  1. 患者が保護されたのは警察署であり、救急隊が家族に説明を行なったのも警察署内と考えられます。承諾書の署名も広い意味で警官の前で行なわれてますから、幾分かの有効性を認めた。
  2. 家族が搬送を望んだ奈良医大病院は患者が保護された警察署に東隣です。家族は患者を歩いて連れて帰ったとは考えにくいですから、自家用車なりタクシーを利用したと考えられます。そうであれば、家族にその気があれば救急受診は十分に可能であったとの判断。
  3. 2.の延長線上ですが、救急受診が可能であったので結果責任を減じた判断。
まず橿原署と奈良医大病院の位置関係を地図で示しますが、
線路を挟んでの隣同士ですから、目に見えるところにあるのは間違いありません。直線距離は短いですが、線路で隔てられており、実際は少し回り道が必要だとは考えられますが、家族もこの近隣の住民であるのは間違い無さそうですから、その気さえあれば救急隊と押し問答をするよりも自力で運び込む方が早いと言える距離です。

ここで推測した自家用車やタクシーの利用ですが、実は微妙なところもあります。2007.11.2付読売新聞では、

 当初は意識があり、署員が名前や住所を聞き出したが、間もなく意識不明になり、署員が同組合橿原消防署に通報した。

 救急隊員3人は飲酒して軽傷を負ったと判断したが、駆けつけた家族は、昨年8月、大淀町大淀病院で意識不明になった妊婦が19病院で転院を断られ死亡した問題を挙げ、「(あの時は)18、19件目まで探して連れて行ったのに」と搬送を強く要請。

救急車を呼んだのは署員で、家族も呼んだようですが、救急隊員がいる間に駆けつけられたと事になります。患者も酩酊して帰宅途中であったとも言えますから、警察署の近くに自宅があっても不思議はありません。それだけ近ければ担いで帰るのも距離的には不可能ではありません。しかし警察署内で失った意識は未だに回復していませんから、意識の無い成人男性を担いで帰るのはかなり大変です。そうなれば近距離であっても、何らかの運搬手段を用いたと考えるのが妥当と思われます。

運搬手段があれば、目に見えるところにある奈良医大病院の救急まで行くのは容易であり、運搬手段がなくとも家に帰るより近かった可能性も高いとも考えられます。さらに救急隊に大淀事件の例を挙げて強く要請している事実もあり、さらにさらに再掲しますが一審判決記事に、

    家族が搬送を拒否したとは認めず
こういう風に家族はそのまま救急隊で搬送して欲しかった事を事実認定しているわけですから、賠償請求額が半分に減っている原因の一つとして候補に上げるのは不可能ではないと思われます。ここは訴訟としては本当は搬送して欲しかったのに、救急隊員に不本意ながら説得されたの事実認定が必要な部分です。家族も承諾書に本心から署名すれば、訴訟の行方は微妙に変わります。

ひょっとして、本心から納得していたが結果として不良であったので、そういう判断を行なった救急隊に注意義務責任が生じたの判断かもしれませんが、記事情報では「搬送を拒否したと認めず」になっていますから、やはり家族側の主張として承諾書への署名は極めて不本意であったと考える方が妥当そうです。そうなると不本意であったにも関らず目に見えるところにある奈良医大救急に「なぜ」駆け込まなかったかの矛盾が生じ、その分が賠償請求額からの削減分になったとの解釈も一応成立します。

これもちなみになんですが、橿原署の北隣に平成記念病院と言うのもあります。ここの病院長挨拶には、

平成5年9月に180床の救急医療を中心とする急性期病院として開設いたしました平成記念病院

さらに病院の概要には、

救急は24時間受付

どんな病院であるかHPだけではわかりませんが、こちらなら奈良医大病院よりさらに近かったとも見えます。

もちろん判決文があるわけではありませんから、あくまでもマスコミ報道に記載されていた部分からの推測です。どんな争点が実際の法廷で争われ、どんな事実認定と賠償額の認定が為されているかは記事情報以上は不明です。わかるのは請求額が半分に減り、救急隊訴訟とは言え医療訴訟類似のものと考えれば、何らかの救急隊の言い分を認めて請求額が減額されたとは考えられます。全然違う可能性ももちろんありますが、これ以上は推測も無理です。



それでもって訴訟は二審に進んだようです。つうか二審に進まないと和解出来ないのですが、和解記事は8/3付共同通信(神戸新聞版)しかウェブになかったので、8/4付神戸新聞(紙版)を引用してみます。

救急搬送拒否男性意識不明/解決金8000万円で和解

奈良の消防組合「改善」も約束

 救急搬送を拒否されたため、治療が遅れ意識不明になったとして、奈良県大淀町の男性(46)と両親が中和広域消防組合(同県橿原市)に損害賠償を求めた訴訟は3日までに、消防組合側が解決金8千万円を支払うことなどで大阪高裁で和解が成立した。訴訟関係者への取材で分かった。

 和解は7月20日付。関係者によると、和解条項では消防組合側が「今後、患者の適切な搬送に向けてなお一層努力する」と改善を約束。男性側に、重い障害が残ったことに「遺憾の意」を表すことも条件に盛り込んだ。

 男性側の弁護士は「救急隊員の怠慢もあるが、搬送システム自体の不備にメスを入れなければいけない問題。和解をきっかけに改善に取り組んでほしい」と話している。

 一審奈良地裁判決によると、男性は2006年11月15日未明、奈良県警橿原署の敷地内で、顔や衣服に血が付いた状態で保護された。

 突然吐いたり、問い掛けに反応しなかったりしたが、救急隊員は緊急性がないと判断。家族は、この年の8月に奈良県の妊婦が複数の病院に受け入れを拒否され、その後死亡した事例を挙げて「搬送してくれないか」と詰め寄ったが、聞き入れられなかった。

 帰宅後、同日朝に家族が異変に気付き、男性は病院へ搬送されたが、昏睡状態で、脳挫傷、急性硬膜下血腫と診断された。意識は今も回復していないという。昨年4月の一審判決は、1億3千万円の支払いを命じていた。

緑の字の部分が神戸新聞(紙版)にあるところで、前半部分は共同通信版で各社が共通に引用しているところです。後半部分は神戸新聞オリジナルの可能性もありますが、個人的には共同通信版のフルバージョンではないかと考えています。ただフルバージョンの割には、各社が一斉に後半部分をウェブ版で省略していますから、「なぜだろう」と思わないでもありません。

記事はともかく、8000万円で和解したになっています。民事訴訟で和解になるのは一般的に良いことなんですが、一審判決で1億3960万円が認められてますから、8000万円で妥結した点は少々気にはなります。やはり、

  • 「今後、患者の適切な搬送に向けてなお一層努力する」と改善を約束
  • 「遺憾の意」を表すことも条件に盛り込んだ

これを重視したんでしょうか、それとも二審の訴訟の展開は一審と異なるものがあったのでしょうか。これ以上は情報不足でわかりません。



さてなんですが、この事件の背景には急性アルコール中毒による救急搬送の問題があります。もうちょっと砕けて言えば泥酔救急の問題です。確かに厄介な問題で、医療機関も非常に嫌がるのは間違いありません。訴訟報道があった時のエントリーへのコメントでも、

    酔っぱらいは受けないよと言っています。
    もし連れてきたら、関係を切る。

    救急指定病院は、この手は使えないか。
    救急現場がどれほど迷惑しているか、酒飲みは、それとその家族は少しは理解しろと言いたいです。

ちょっと言い方がきついと感じられる方もおられるかもしれませんが、私も勤務医時代に内科当直をやらされた時に「かなわんなぁ」と感じたものです。泥酔と言っても色々あるのですが、大トラは本当に往生します。これは救急救命士たちの待機室-パラメディック119ブログ-様の経験談にあるのですが、

 とは言え酩酊者を受け入れると…、以前こんなことがありました。

    救急隊員「救急隊です、患者さんの受け入れ要請なのですが」
    看護師「今、先ほど○救急隊が搬送してきた酔っ払いの患者さんが暴れているの、医師も看護師もみんなそちらにかかっています、受け入れはできません、私も電話に出ている場合じゃないのよ!」
 ガチャ…ツーツー…電話が切れた。酔っ払いを受け入れた場合、こんなことがたいへん多く、この病院の受け入れはストップしてしまいます。それどころか、他の患者さんの診察もストップしてしまいます。私たち救急隊が一部の奉仕者でないのと同じように、医療機関だって一部の患者のためにある訳ではありません。診察を求めるものがいる場合、診察を拒むことはできないという原則を守るためには、一部の酔っ払いにかかりきりになるなんて許されないことなのです。ただ、現実はかかりきりにならざるを得なくなってしまう…。アルコールが入った人はなかなか受け入れることができないずです。

もちろん泥酔患者とて今回の様な事がありますし、今回が稀と言う訳ではなく、救急に従事している医師であれば、そういう事がある一定の確率で存在している事も知っています。ですからどこかで治療が必要になりますし、どこかがなんのかんのと言いながら引き受けています。

そういう訳で今日は捻りも何もなく、

    お酒はホドホドに♪
これぐらいはお願いしたいところです。「甘い、甘すぎる」の御批判のコーラスが聞こえてくるような・・・。