久しぶりに事故調

事故調問題は刑事司法との関りの入口問題で暗礁に乗り上げてしまったのは御存知の通りですが、あえてその件は今日は回避します。2010年5月6日付MRICに事故調の話が書いてあったので、今日は入口の後の話を少し考えたいと思います。

■ 報告書が出来るまでに10ヶ月、一例当たりのコストは95万円

 モデル事業は平成17年から22年まで約4年間、厚労省補助金で日本内科学会を中心に行われた。事業の目的は解剖を前提に死因究明と診療行為の医学的評価を行い、診療行為の是非の判断と再発防止の二つを事業の目的としたという。現地調査には、病理医、法医、立会い医の三名が入り、解剖医、臨床評価医、法律家、総合調整医、解剖担当医など10名の委員からなる地域委員会が評価を行った。

 調査報告書が出るまで掛かる期間は平均10.4ヶ月、コストの内容が詳しく書かれているが、一例あたり合計で94.7万円かかったという。

この話の元は「医療版事故調査委員会設置法案に関わるモデル事業の報告」だそうです。探してみたのですが昨日の時点では見つかりませんでした。事故調がモデル事業をベースに設計されるのはまず間違いありませんから、モデル事業の調査メンバーの構成に注目して見ます。委員と言うか調査メンバーの構成ですが、

  • 解剖医
  • 臨床評価医
  • 総合調整医
  • 解剖担当医
どの役割が何名か不明なんですが、10名の委員のうち5人ぐらいは医師が必要そうに思えます。ここは5人としますが、それでもって調査期間は、
    調査報告書が出るまで掛かる期間は平均10.4ヶ月
結構時間がかかる事がわかります。ここも調査期間は平均10ヶ月として、この期間が事故調となって短縮できるかどうかですが、とりあえず解剖が立ち塞がります。これは2008.4.10に暴利医様から頂いたコメントですが、

モデル事業での剖検報告書作成にかかる時間については三上藤花さまのところでコメントしたことがあるのですが、昨年の段階で病理学会の支部会で聞いたところでは、「目標は六ヶ月ながら会合の日程調整が障壁となっていることもあり平均八ヶ月かかっている」とのことでした。別の会合で、最短でも三ヶ月という話を聞いたこともあります。(いずれも口頭のみで、文書化はされていないはず)

これは三上藤花様からも補足意見を頂いています。つまり事故調調査の要の一つである剖検報告書は、

  • 最短で3ヶ月
  • 平均で8ヶ月
  • 目標は6ヶ月
剖検報告書が出来上がらないと最終報告書は出来ないわけであり、また剖検報告書が無いと検討できない項目もあるでしょうから、調査報告書が出来上がる10ヶ月は容易に短縮できないと考えられます。Aiの話がかなり出ていましたが、Aiだけで解剖を行なわない選択は現在のところ想定されている気配はありません。さて解剖と言ってもどこの医療機関でも可能なわけではありません。これは三上藤花様からのコメントですが、

病理学会が学会認定施設・登録施設(ざっと数えて全479施設)に対して新制度の参加についてアンケートを行っているのですが、参加可能:61%、臨床立会医の対応可能(予想):31%、一施設あたり解剖可能な件数/年:2.5件、当番可能な日数/月:4.1日、他施設への出向可能62/205施設だそうです(ソース:http://jsp.umin.ac.jp/bulletin/pdf/KAIHO240_0208.pdf)。

これも2008年時点のコメントですが、病理医の現状からして、この数字が大きく変わっている可能性は低いと考えられます。そうなると解剖が出来る施設は300施設足らずになります。ここも単純化して300施設としておきます。


問題は事故調が年間に扱う件数です。これがまた不明です。2000件説は国会答弁において当時の外口崇医政局長が否定しなかった数字です。また別の説では800件と言うのもあります。私の知る限り、事故調論議で年間取扱い件数の想定数はほとんど出ていなかったと思われます。

件数に関して言えば、2000件説の方が有力そうに思います。負担が無ければ「気軽」に申し出る遺族が増えると考えられるからです。2000件は多そうにも感じますが、年間死亡者が100万人としても0.2%、つまり500人に1件程度ですから無茶な数字とは思えません。年間の医療訴訟数が1000件程度であったはずですから、調査が2000件であっても過剰な見積もりとは言えないように思います。


モデル事業ではたぶん1施設で1件の解剖を請け負ったと思われますが、事故調が年間2000件体制で稼動すればどうなるかです。2000件であるとすると解剖が出来るのが300施設ですから年間6.7件になります。病理医であろうが法医であろうが日常業務の上にこの業務が圧し掛かる事になります。モデル事業ではたぶん1施設で1件の解剖を請け負ったと思われますが、事故調が年間2000件体制で稼動すれば平均で6.7倍に膨れ上がります。

この先は私ではわからない部分ですが、解剖した後の標本作製も300施設で行なうのでしょうか。それとも他の施設に送られてそこで調査されるのでしょうか。通常の病理解剖では、私の知る限り解剖を行なった医師が所見を書いていました。所見は標本からも分析されますが、解剖前の肉眼所見も重要ですから、分担作業は難しそうに思えます。

実際はどうなるかわかりませんが、今日は解剖を行なった施設が一貫して解剖の調査報告書を作成するとします。そうなるとモデル事業の平均8ヶ月としても、常に4.5件の事故調解剖調査が並行して行なわれる必要があります。もちろん日常業務が滞れば患者の生死に直結します。病理医が時間を持て余すほどヒマとは聞いた事がありませんから、事故調への剖検報告書はモデル事業よりさらに遅れる可能性は出てきます。

もうちょっと言えば三上藤花様のコメントにもあるように解剖の可能件数は、

    一施設あたり解剖可能な件数/年:2.5件
300施設で対応可能な年間の上限は750件となります。事故調が出来たからもっと協力しろと言われれば、300施設の通常業務の能力は著しく低下します。またマンパワーの問題も一朝一夕では解決しません。残念ながら病理は押すな押すなの人気診療科というわけではありませんし、むしろ必要性の割りに慢性的な人手不足に悩んでいる診療科であるからです。

おそらくですが、モデル事業では調査している剖検は施設あたり1件と考えられますから、負担が増えれば報告が遅れるのは当然と考えられます。遅れる程度を予想するのも難しいのですが、小さめに見ても平均10ヶ月を超えるでしょうし、そうなると調査報告書の作成までが1年を超えてもさして過大な予想とは言えません。もっともっと遅れても何の不思議もありません。


仮に調査報告書提出まで1年が平均となれば、年間2000件として常に1万人の医師が事故調調査に従事している事になります。1万人は延べ数ですから、実数は減るとは思いますが、これに従事する医師は中堅以上の医師になるのがかなりのネックになります。解剖報告書の作成に当たる医師の負担は論外に膨大ですが、そうでない医師にもそれなりの負担が生じます。

この数は調査件数が増えても増えますし、調査期間が伸びても増えます。事故調問題は入口問題も極めて重要なのですが、一方で入口問題を何らかの方法でクリアしても、今度は実際の技術的問題の壁が立ち塞がります。解剖に従事することにならざるを得ない病理医や法医のマンパワーの問題は致命的なほど深刻ですし、まだ負担が比較的軽そうなその他の委員医師も、これを調達するのは容易ではない数です。

入口問題は非常に重要なのは説明の必要もありませんが、現在構想されている調査方式では、始まった途端にシステムがパンクしそうでなりません。まさか事故調が始まっても先着順で残りは取り扱わないとは言えないでしょうし、事故調優先で通常業務をなおざりにすれば、今度はその分だけ事故調の仕事がさらに増える悪循環さえ予想されます。

解剖医の負担軽減を真剣に考えておかないといけないのですが、何か考えておられるのでしょうか。私はあまり聞いた記憶がありません。