益田赤十字病院産科の明日

益田赤十字病院島根県の最西部にある益田医療圏(益田市、津和野町、吉賀町)の中核病院です。益田医療圏の人口としては院長挨拶に「約83,000人」とあります。そいでもって益田赤十字病院の規模は327床(一般病床315床、結核8床、感染4床)の14診療科がそろうとなっています。

ただし益田日赤も医師不足は顕在化しています。益田市HPにある益田圏域の地域医療の現状についてが参考になるのですが、


H.14 H.15 H.16 H.17 H.18 H.19 H.20 H.21.4
常勤医数 50 47 45 45 44 40 36 40
3月末に36人まで減少したのが4月に40人までは盛り返してはいるようです。ただ医局には5月人事も残っているところがありますから、6月にはどうなっているかは何とも言えないところです。その辺の医師数の見通しについても「益田赤十字病院 河野院長 益田医師会病院 狩野院長 からのメッセージ」として、

    今、病院の医師は、医師不足の中で昼も夜も日曜日も診療にあたり、過酷な労働実態となっています。
    今後も医師の増加は容易には見込めない状況です。
    このままの状況で、これ以上働き続けることはもう不可能です。
    市民の皆様の理解と協力が必要です。

苦しさが切々と伝わるメッセージと感じます。これは4/1付読売新聞・島根からですが、

 脳神経外科の常勤医2人が3月末、益田赤十字病院から引き揚げた。脳神経外科は閉鎖。同病院では引き続き、診断と内科治療を引き受けるものの、年間5件前後あった緊急手術はもうできない。

 常勤医の引き揚げは同科に限らず、くしの歯が欠けるように全体的に減っている。2002年から09年10月の間、益田赤十字病院は50人から40人へと2割減。救急病院の役割を果たしている六日市病院は、15人から6人へと半分以下に。津和野共存病院は12人から4人と激減した。それでも同病院は救急指定を取り下げた後も昼間の初期救急を受け入れ続けている。

脳神経外科が撤退消滅したのが確認できますが、たぶんこれは島根県資料と考えられるものには、県内病院の医師不足状況(常勤医)として益田日赤で、

消化器内科激減

 5名(H18)→1名(H20)

どうも消化器内科も機能不全を起しているようです。


さて話を産科に進めます。まず現状なんですが、これも4/1付読売新聞・島根からですが、

同病院での出産数は544件(2007年)。常勤産科医3人で担っており、産科医1人あたり181件と県内でも突出して多い。

産科医師数の推移のデータが見つからないのですが、分娩件数の年次推移が島根県の益田日赤医師募集ページにあります。これはNICU(11床)の入院患者数と合わせてみると興味深いのですが、

年度 2003 2004 2005 2006 2007
分娩件数 454 467 458 504 542
NICU入院数 1455 1449 1382 949 459


分娩件数はジワジワと増えています。これはおそらく益田日赤以外の分娩医療機関が減少した結果によるものと考えられます。それとNICU入院数の減少が気になります。2003年に1455人あった入院数が2007年に459人に減ったのは、益田医療圏の分娩数の減少と考えるより益田日赤の小児科ないし新生児科の戦力衰退を表していると考えるのが妥当です。

現在益田日赤は里帰り分娩の取扱いを中止しています。これは2008年から制限として始まったようですが、現在では

 当院産婦人科では、益田圏域及び隣接する山口県一部地域に渡る分娩を受け入れてまいりました。

 しかし、地域の分娩取り扱い医療機関がすべて無くなり、当院の分娩取り扱い件数が年々増加し安全なお産の管理に支障をきたす事が懸念される状況となってきました。

 不本意ではございますが、分娩取り扱い数制限のため、里帰り分娩等をお断りさせていただきます。

 ご不明な点などがございましたら、産婦人科外来までお問い合わせ下さい。

やはり地域の分娩医療機関として最後の砦になっているようです。今や日本各地で普通に見られる状況とも言えますが、こういう益田日赤産科に寄せられる地域の要望は何かになります。外野から見れば最後の砦の死守と思うのですが、少々違うようです。これもまた4/1付読売新聞・島根からですが、

 このため同病院は、全体の3割近くを占めていた関西などからの里帰り出産の受け入れを、08年9月から制限している。都会に出た妊婦は親元で出産できず、親は娘の元へ出向くための経済的負担が増えている。

これだけなら側面を伝えただけですのでさほど問題とは思いませんが、同じ読売新聞の4/21付記事に里帰り分娩問題を大きくクローズアップしています。

 益田医療圏への里帰り出産は、制限されるまで年間約160件。今、圏域外で産む妊婦と駆けつける親らが、その数だけいることになる。

 益田市高津、石田米治さん(66)、悦子さん(59)夫婦は昨年10月、福岡市東区に住む長男(37)夫婦の次男、道(わたる)君の出産の手伝いのため、駆けつけた。悦子さんは、長男夫婦宅に2週間泊まった。「お嫁さんも私に気をつかったろう」と言う。益田赤十字病院で産まれた初孫、晃太朗君(3)の時より、時間もお金も数倍かかった。

 米治さんは福岡まで車で7、8回往復。現地では、保育園まで晃太朗君を送り迎えし、買い出しもした。市議で、議会医療対策特別委の委員長を務めた米治さんは、かかった費用をメモ帳に記してみた。

 出産費、交通費、買い物代など、総額71万円。里帰り出産をしていたはずの160人で掛け算すると、計1億1360万円にもなる。「元々、地元で使われていたお金が今、ほかの街に落ちている」と米治さん。地域経済にとって無視できない金額だ。

インタビューに登場されている方は市会議員であり、議会医療対策特別委の委員長を務めた経験もあるとなっています。経歴からすれば市会議員の中でも医療に詳しい方の人物と考えるのが妥当です。その市議が問題にしたのが、

    地域経済にとって無視できない金額だ
この市議会議員の名誉のために付け加えておきますが、本当にこの市議会議員が地域経済の問題を強調したかどうかは誰にもわかりません。間違いないのは読売新聞が市議の発言を非常に強調した事です。この記事の全体の構成はリンク先を確認して欲しいのですが、主に3つのエピソードで出来ています。どれも里帰り分娩が出来なくて大変な目にあったの経験談です。

簡単に言えば益田日赤での里帰り分娩復活をひたすら求める記事です。市議のエピソードは最後に紹介されていますが、最初の二つは個人的な経験であり、市議のエピソードは、これに加えて地域経済まで影響があるとの構成です。さらに結論部にはこういうメッセージを組み込んでいます。

「出産期の娘や息子が圏域外にいる家族は困っているだろう。国策でも何でもいいから、里帰りして産めるように制度を整えてほしい」。米治さんはそう願っている。

これに対する病院側のコメントもさすがの構成で、

派遣元の大学病院などが「過剰な受け入れは安全管理上好ましくない」とした。

言ったら悪いですが、医師の都合だけで地域住民が願う里帰り分娩を阻んでいるように読めてしまいます。いやはや何とも言えない気持ちにさせられます。つくづく思うのはハコモノの偉大さです。立派な病院と言うハコモノがあれば、内容にはいかに関心が乏しいかです。「あんな立派な病院なのに里帰り分娩すら受け入れられないのはおかしい」の素朴な感情を綺麗に煽っている様に思えてなりません。

記事全体の印象ですが、とりあえず益田日赤からこれ以上産科医が減らないと言うのは絶対の前提にしているようです。私なんかからすると、最後の砦ですから、まずこれ以上産科医が減らない様にするのが緊急の課題であり、その上でなんとか産科医の数を増やして現在の勤務環境を改善する段取りが求められると思います。

産科医に限らず医師を集めるには勤務環境の改善は重要な要素であり、過酷な環境では集まるどころかさらに逃散が誘発されます。適切な勤務環境をまず整え、それを維持することが医師を集めるカギになると考えます。ところが益田日赤では今のままでも里帰り分娩再開圧力があり、仮に1人でも産科医が増えようものなら再開圧力は急上昇しそうな勢いです。

圧力により里帰り分娩を再開することは可能かもしれませんが、圧力により医師が逃散するのは防げません。益田日赤もこれ以上産科医が減れば、里帰り分娩だけでなく、地域の分娩まで制限が行なわれる事を少しでも考えた事があるのかどうかが非常に疑問です。現在は3人ですが、これが2人になる事などいつでも起こりうるのが今の医療です。2人に減るどころか、一斉消滅さえ驚くような話ではなくなっています。


また2009.9.8付山陰中央日報にはこうあります。

 益田市の福原慎太郎市長は8日、施設の老朽化に伴う益田赤十字病院(同市乙吉町)の新病院建設計画について、病院側と現在地での建て替えを視野に協議を進めていることを明らかにした。

・・・・・(中略)・・・・・

 総事業費は医療機器を含めて60億〜100億円を見込む。

総事業費は記事の内容からすると「建設費や用地買収などの支援策」の金額の様に思われますがやや微妙です。いずれにしろ、また立派なハコモノが出来るようですから、立派になればなお一層「里帰り分娩」圧力は高まりそうな気がします。益田日赤の産科に明日はあるんでしょうか、他人事にするにはチト重い問題です。やはり行くところまで行かないと、どうにも変わらないのかもしれません。



最後に蛇足です。分娩件数のデータは私が調べた範囲で2007年度までしかありません。里帰り分娩の制限が始まったのは2008年9月からとなっていますかが、確認できるのは2007年時点の里帰り分娩も受け入れていた時のデータになります。その辺の経緯を4/21付記事は、

益田赤十字病院は2008年11月から、益田医療圏外の妊婦の受け入れを制限中。年間約100件の出産を扱っていた益田市内の診療所の取り扱い休止から、同病院に集中するのを防ぐため。同病院は常勤産科医3人で07年に544件を扱い、このうち“里帰り”は155件。

ちょっと年度が前後しますから概数ですが、おそらく2007年時点の分娩数は、

  • 益田日赤が544件(別ソースで542件)
  • 当時あった別の分娩医療機関が約100件
  • 益田日赤の里帰り分娩数が155件
まず益田医療圏の里帰りも含めた分娩数が650件ぐらいと考えても良いと思います。里帰り分娩の総数が170件ぐらいともなっていますから、
    里帰り分娩数:170件
    地元の分娩数:480件
現在益田日赤は里帰り分娩を制限し、なおかつ益田日赤しか分娩医療機関が無い事になっていますから、地元の480件程度を取り扱っていると考えられます。そうなると産科医は3人ですから、1人当たりの年間分娩数は、

分娩総数 産科医1人当り
里帰りなし(現行) 480 160
里帰りあり(要望) 650 217


現在でもそんなに変わりはないと思われます。医療機関の性格からして相当程度のリスク分娩も引き受けていると考えられますから、160件であってもかなりの負担とは考えられますし、200件を越えると過酷であると言っても良いとはおもいます。

そういう点も問題なのですが、それより非常に不思議なのは益田日赤の分娩数が2008年も2009年もデータとして記事に存在しない事です。記事は一種の特集物ですから、いわゆる丹念な取材が行なわれたはずのもので、事件の速報記事とは性格を別にします。里帰り分娩が出来なかった経験者の取材をこれだけ行なったのであれば、当然のように益田日赤の事情も丹念に取材しなければならないはずです。

益田日赤への取材の中には、これまた当然のように里帰り分娩制限後の分娩数がどうなっているかの質問は含まれるはずです。年間分娩数は公表できる情報ですから、取材があれば益田日赤側は答えるはずです。別に隠さなければならないデータでは無いからです。益田日赤側にすれば里帰り分娩の制限を行なって「迷惑をかけている」立場ですから、丁寧に答えて理解を求める姿勢になるのが自然と考えられるからです。

ところが4月にある読売記事の年間分娩数のデータは2007年度までです。4/1付記事では、

同病院での出産数は544件(2007年)

4/21付記事では、

同病院は常勤産科医3人で07年に544件を扱い

2007年度までのデータはネットでも検索できますから、ひょっとして読売は益田日赤への取材を殆んど行なっていない可能性を考えます。行なったのはあちこちに公表されている病院側のコメントをかき集めただけの疑念です。そうでも考えないと2008年からの益田日赤の分娩数がどこにも書かれていない事が説明しにくい様に思います。