34分ルール

総務省消防庁が公表したとされる「心肺停止状態の患者の搬送・受け入れ実態調査」がまだWwb上に公表されていませんので、そこは予めお断りしておいて、ソースを2/16付ロハス・メディカルに頼ります。とりあえずの結論として、

消防庁は同日開いた救急搬送に関する有識者会議に、12月1日から14日の間に搬送された5020人に関する速報値を報告(左表)。搬送一カ月後の生存率は現場滞在時間が36分以上、社会復帰率は34分以上になるとそれぞれ0%となるものの、"エピソード"で言われるような、滞在時間の経過とともに社会復帰率や生存率が低下で推移していく様子を示すものではなかった。

つまりと言うほどのものではありませんが、現場滞在時間が34分以内であれば社会復帰率に差がないとのデータを示しています。調査対象はどんなものかと言うと、

消防庁は昨年12月、国内で救急搬送された心肺停止状態の患者

どういう調査と言うか統計処理を行なわれたかですが、

救急隊の現場滞在時間と搬送一カ月後の生存率、社会復帰率についての相関図

素直な疑問点を挙げてみたいと思います。救急搬送には次の時間があります。

  1. 患者が心配停止状態(CPA)になり誰かに発見され、救急隊に通報されるまでの時間
  2. 通報を受けた救急隊が現場医に到着するまでの時間
  3. 到着した救急隊が搬送先医療機関に向けて出発するまでの時間
  4. 救急隊が搬送先医療機関に到着するまでの時間
これを図にすると、

これが全部合わさって患者が搬送先医療機関に到着する時間となります。この4つの時間のうち現場滞在時間、すなわち「到着した救急隊が搬送先医療機関に向けて出発するまでの時間」と生存率、社会復帰率の関連を調べた事になります。正直なところ、なんのためのデータであろうと首を捻ります。ロハス記事では、

溝口達弘救急医療専門官は「一分でも早く搬送すればいいというものではなく、(搬送前の)処置の中身をきちんとしていくことも大事では」と述べ、医療界で言われる「救急救命士の医療行為がなければもっと早く搬送でき、患者も助かる」という"エピソード"に否定的な見解を示した。

救急隊の処置についての議論は必要でしょうが、わざわざ

今度の調査では、従来の「病院収容時間」に加えて「現場出発時間」を調べるため、救急隊の「現場滞在時間」が分かる。

こういう風に分けて調査する意味がどうしても理解できません。考えるべき時間は患者がCPAになってから医療機関に搬送されるまでの時間でしょうし、発症時間の特定が難しいのであれば、せめて通報を受けてから医療機関に収容される時間で評価すべきかと思います。現場滞在時間をわざわざ切り出してデータ化し、それでもって結論めいた話をしようとする発想がなんとも理解が難しいと感じます。

CPA患者の社会復帰率を左右するのは、脳内への酸素供給であり、酸素供給の遮断時間の長短がすべてかと私は考えます。そこにはCPA患者発見者の発見までの時間だけではなく、即座の処置の有無も大きなカギを握ります。つまりCPA出現から救命処置開始までの時間が、社会復帰率の大きなカギになるかと考えられます。ここが長引けば、後からリカバリー出来る部分が加速度的に小さくなります。

後はCPAになる原因、患者の年齢、基礎疾患の有無や重症度などの要因が絡み、それに伴うかと考えますが蘇生処置への反応も重要な要素です。消防庁のデータによると通報を受けてから、現場にたどり着くまでの平均時間は7.7分です。通報以前の発見までの時間、発見者が119番通報するまでの時間を考えると10分弱程度はあると考えます。CPAのままで10分経過するというのは、それだけで社会復帰率に深刻な影響を与えます。

7.7分なり10分はあくまでも平均ですから、救急隊員がそれより早く到着して蘇生処置を始めれば社会復帰率は向上します。もちろんそれ以前に現場に居合わせた人間が有効な蘇生処置を行なえば、これも社会復帰率は向上します。つまり社会復帰率の向上の鍵は現場滞在時間ではなく、蘇生処置の開始時刻のウェイトが高いと考えます。

重要なファクターはわかってもらえると思いますが、CPA状態になってから蘇生処置の開始までの時間です。救急隊員に求められる事は、蘇生処置と言う時間稼ぎをしている間に、一刻も早く医療機関に搬送する事であり、救急隊到着以前にCPAからの社会復帰率はかなり決まってしまっていると言う事です。この前提を無視して、現場滞在時間からの社会復帰率云々を論じる感覚がなんとも言えないものがあります。

それとCPA患者への医療機関での蘇生処置ですが、これも時間が早いほど有効な手段が増えます。医療機関とて初期の蘇生処置の影響が多大ではありますが、わずかな可能性を追求するのなら救急車内ではなく、医療機関の方が可能性が高くなるのは自明の事かと思います。

ちょっと煩雑になったのでまとめると、社会復帰率の因子を考えると、

    第一段階:一番重要なのはCPA状態になった時に、いかに早く有効な蘇生処置を施せるかである
    第二段階:蘇生処置で脳血流(酸素供給)が確保されたら、搬送時間は稼ぐ事が出来る
    第三段階:時間が稼げれば一刻も早く医療機関に搬送する事である
消防庁の発表したデータが示すものは、強いて言えば第二段階の限界調査みたいなものです。非常に読み取り難いのですが、ロハス記事にあるグラフを参考にすると、対象となったCPA患者は全部で4857例です。表からの読み取りになりますが、ここから社会復帰した人数は123例となり、全体の社会復帰率は2.5%ぐらいになります。

そもそもが100人のCPA患者がいれば、97人以上は社会復帰しないのがCPAなのです。それぐらい厳しい治療を要求されるものであると言う事がわかるかと思います。消防庁のデータは、頑張って蘇生処置を続ければ「案外時間が稼げる」と言う事を示したに過ぎず、それにも関らず現場待機時間が34分以内であればいつ搬送しても変わりはないと結論するのは、97.5%も社会復帰できないCPAの救急方針として如何なものかと思います。

せいぜい

    そういうデータもあるから、あきらめずに蘇生処置を続けて搬送しよう
この程度の位置付け以上のものはないんじゃないでしょうか。何か議論の方向性が間違っているように感じてなりません。


ちょっと蛇足ですが、34分と言う時間はもう少し延びる可能性はあります。社会復帰率が2.5%と言う事は、nの数が25人以上いないと社会復帰者が出ない可能性が高まります。ロハス記事の表からの読み取りなので正確さに欠ける事はもう一度お断りしておいてから、現場待機時間28分以降のnの数と、社会復帰者を示して見ます。

待機時間 n 社会復帰者
28分 59 2
30分 32 1
32分 18 1
34分 15 0
36分 9 0
38分 10 0


32分以降のnの数は18、15、9、10です。ここもnの数が増えれば社会復帰者が出てくる可能性はあります。あるとは言うものの、そんな人間の生命力の限界を試すような調査が何に必要なのかが、やはり理解できません。もう一度、溝口達弘救急医療専門官のコメントを引用しますが、
    「一分でも早く搬送すればいいというものではなく、(搬送前の)処置の中身をきちんとしていくことも大事では」
搬送前の処置を検討するのに異論はありませんが、もし34分ルールを盾に搬送前の処置時間が確保されるみたいな議論に導こうというのなら強い違和感を感じざるを得ません。社会復帰率2.5%が決まるのは救急隊の処置ではなく、救急隊が到着するまでにかなり決まっていると考えるべき問題と思われます。救急隊の処置によって左右される部分が少ないのは消防庁が発表したデータでも確認されます。

搬送前の救急隊の処置について、救急医との間に確執があるらしいことはロハス記事から窺えますが、救急隊の処置時間を確保するためのデータ提示をしているようにしか見えません。議論しなければならないのは、救急隊が処置する時間がある事の主張ではなく、医療機関が処置する前に救急隊が本当にやるべき事の検討だと考えます。

救急隊がやるべき事の検討の前に、まず救急隊が処置する時間を確保しようとする手順は本末転倒と感じてしまいます。