独創的な紙面づくり

まず1/28付タブロイド紙(旧毎日)より、

<三重大病院>過失認定 国に6千万円賠償命令

 病院が適切な治療を怠ったため長男(当時3歳)が手術後に低酸素脳症になり5年後に死亡したとして、三重県松阪市の父親(36)らが、三重大医学部付属病院を当時運営していた国を相手取り、長男が生きていれば稼いだであろう収入や慰謝料計約1億2600万円を支払うよう求めた訴訟の判決が28日、津地裁であった。堀内照美裁判長は、約6000万円を支払うよう国に命じた。

 堀内裁判長は「医師の注意義務違反による酸素供給の低下が低酸素脳症を招いた」と指摘。その後遺症による肺炎を併発し5年後に死亡したことについての因果関係も認めた。

 長男は1997年3月、同病院で、大動脈が食道や気管を取り囲んで圧迫する疾患「血管輪」と診断され、99年9月に手術を受けた。術後、脳に障害が残る低酸素脳症に陥り、四肢が動かない寝たきりの状態になった。2004年5月には肺炎を併発し、死亡した。

 父親らは、手術で人工呼吸器を気管に入れるのに手間取ったため低酸素血症になり、さらに採血したことで脳への酸素運搬能力を低下させたと病院側の過失を主張していた。

 国側は「医師の医療行為に過失はなかった」と反論していた。【福泉亮、大野友嘉子】

亡くなられた男児の御冥福を謹んでお祈りします。事件の経緯の医学的考察は今日は基本的にしません。この記事でわかるのは、

  1. 患児は血管輪であった
  2. 術後に低酸素脳症になった
  3. 原因は「人工呼吸器を気管に入れるのに手間取ったため」「採血したことで脳への酸素運搬能力を低下させた」と原告は訴えていた
  4. 原告の賠償請求1億2600万円に対し約6000万円を津地裁であった
どう読んでも同じ裁判を伝えていると考えられる1/28付読売新聞です。

医療ミスで死亡、三重大に5900万円支払い命令

 三重大学病院(津市)で心臓血管の手術を受けた男児(当時3歳)が低酸素脳症に陥って重い障害が残り、その後死亡したのは、担当医らの過失が原因だとして、男児の両親が三重大と国を相手取り、約1億2600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、津地裁であった。

 堀内照美裁判長は「医師は手術中、脳へ十分に酸素を供給させる措置を取らなかった注意義務違反があった」として、約5900万円の支払いを命じた。

 訴えたのは、三重県松阪市の父親(36)と母親(36)。男児は左肺動脈が気管を圧迫する疾患があり、1999年9月、同病院で動脈を切断し、正常な位置でつなぎ直す手術を行った。8時間半に及ぶ手術後、脳細胞の酸素不足で起こる「低酸素脳症」と診断され、寝たきりの状態となり、退院後の2004年、7歳の時に後遺症による中枢性呼吸不全が原因の肺炎で死亡した。

 手術中は、補液で薄めた血液を人工心肺装置で循環させ、さらに術後に輸血するため、男児から250ミリ・リットルを採血していた。判決は、血液の濃さを示す「ヘマトクリット値」が、手術中に13・1〜11・9%まで低下(幼児の正常値は35〜40%)していたとして、「血液の酸素運搬能力の安全限界値を下回っていた」と認定。さらに、酸素の消費量を減らすために、男児の体温を下げる努力も怠ったと指摘し、「男児低酸素脳症は、医師らの注意義務違反によるもの」と結論づけた。

 三重大は「院長や弁護士と検討したうえで、今後の対応を決めたい」とコメントした。

この記事からわかるのは、

  1. 患児は左肺動脈が気管を圧迫する疾患があった
  2. 術後に低酸素脳症になった
  3. 原因は


    • 術中のHt値が「血液の酸素運搬能力の安全限界値を下回っていた」と認定
    • 男児の体温を下げる努力も怠った


  4. 原告の賠償請求1億2600万円に対し約5900万円を津地裁であった
同じ裁判の結果を伝えているのですから、似ているのは当たり前なんですが、全く異なる点があるのがわかります。患児が低酸素脳症になった原因です。該当部分を比較すると、

タブロイド紙 読売新聞
父親らは、手術で人工呼吸器を気管に入れるのに手間取ったため低酸素血症になり、さらに採血したことで脳への酸素運搬能力を低下させたと病院側の過失を主張していた。 手術中は、補液で薄めた血液を人工心肺装置で循環させ、さらに術後に輸血するため、男児から250ミリ・リットルを採血していた。判決は、血液の濃さを示す「ヘマトクリット値」が、手術中に13・1〜11・9%まで低下(幼児の正常値は35〜40%)していたとして、「血液の酸素運搬能力の安全限界値を下回っていた」と認定。さらに、酸素の消費量を減らすために、男児の体温を下げる努力も怠ったと指摘し、「男児低酸素脳症は、医師らの注意義務違反によるもの」と結論づけた。


二つの記事ですが、並べてみるとわかってくる事があります。タブロイド紙が書いている
    さらに採血したこと
これだけでは一体何の事やら見当もつかないのですが、読売記事を読むと
    術後に輸血するため、男児から250ミリ・リットルを採血していた
私は人工心肺を用いる手術なんて、横目で見た事ぐらいしかないのですが、どうも手術前に自己血輸血用の採血を行なっていたようです。原告はこれも注意義務違反であると訴えていたとタブロイド紙は伝えます。もう一つは術前の挿管の不手際と解釈しても良さそうです。まあ、患児の頭より確実に大きい人工呼吸器を気管に挿入しようとは、医療関係者でなくとも思いつかないだろうからです。

一般的になんですが、民事訴訟については「原告の主張 ≒ 争点」と考えます。原告が「あれがミスであった」主張し、それが本当にミスであるかどうかを訴訟で争うわけです。争点は必ずしも一つと限りません。原告側は幾つ挙げても良いらしく、7つとか、8つとか並べられている事も判決文を読むと良くあります。

さてタブロイド紙を注意してみると、

    父親らは・・・(中略)・・・病院側の過失を主張していた。
これを読む限り原告は挿管と自己血採血も争点にしていたのであろう事は推測できます。しかし読売記事を読むと、タブロイド紙が取り上げた原告側の争点は判断されなかった、もしくは注意義務責任にされなかった可能性が高そうな気がします。賠償額は減額されていますから、すべての争点について裁判所が判断を下していないとは思えないのですが、そういうケースもあるかもしれないぐらいにしておきます。

読売記事が伝える部分は、これも読む限り実際に判決文から引用していると考えられます。これも記事により端折る裁判所判断があったりもしますが、ある程度主要な過失判断部分を報じます。簡潔なので判断が微妙なところもありますが、自己血採血については、再掲になりますが、

    さらに術後に輸血するため、男児から250ミリ・リットルを採血していた。判決は、血液の濃さを示す「ヘマトクリット値」が、手術中に13・1〜11・9%まで低下(幼児の正常値は35〜40%)していた
自己血採血の事実は認めていますが、この記載は自己血採血が低酸素脳症に直接の因果関係がないと裁判所が判断したと考えられます。注意義務違反としておそらく認定されたのは、人工心肺を動かすために血液を薄めすぎたと考えるのが妥当かと思われます。原告側は自己血採血が多すぎたために薄まりすぎたと主張したと思われますが、それについての注意義務違反を裁判所は認定しなかったと推測されます。

もう一点の挿管トラブルですが、読売記事には影も形もありません。挿管は当然ですが執刀前に行なわれます。その時期にそこまでのトラブルがあれば、手術どころではなくなるでしょうし、また現場は手術室であり、挿管トラブルによる応援を呼びやすい環境でもあります。術前の患児の状態について情報はありませんが、挿管作業自体はイチかバチかとは考えられず、細かなトラブルがあったとしても致命的な状態になりにくいと考えます。

これもおそらくですが、患児への挿管はやや手間取ったのだと考えます。ひょっとすると一時的に食道内挿管が行なわれたのかもしれません。これに対し原告側は「あれが原因だ」と主張したと考えられますが、その点について裁判所は因果関係を認定しなかったと思われます。

因果関係を認定しなかったと理由としては、執刀前の挿管トラブルで低酸素脳症の因果関係を認定していたのたら、他の争点の判断は不要となります。挿管トラブルは執刀前であり、以後に何が起こっても低酸素脳症とは無関係になるからです。術中の注意義務違反を争点として裁判所が判断している点から、挿管トラブルは注意義務違反に認定されなかった可能性が高いと考えられます。


しかしながらタブロイド紙もウソは書いていないとは思います。おそらく原告自身が一番力を入れた主張は、自己血採血と挿管トラブルであったと推測する事は可能だからです。しかし読売記事を併せて読む限り、原告が力を入れた主張は、どうも原告側に思わしい判断が出ていない可能性が高そうです。タブロイド紙の記事の構成で興味深いのは、

    堀内裁判長は「医師の注意義務違反による酸素供給の低下が低酸素脳症を招いた」と指摘
こうして裁判長の言葉を「」付で引用しながら、判決で何が具体的に注意義務違反であると指摘されたか書かれていないことです。書かれているのは原告である父親の主張だけです。記事だけ読むと原告側の主張が認められたと思い込みそうですが、読売記事からするとそうではない可能性がかなり高そうです。

本当のところは判決文でも入手しないと「真実」はわかりませんが、もし読売記事の方が正しければ、新聞協会が主張する、

最近の紙面における記事は背景説明の伴った解説的なもの、あるいは記者の主観、感情等を織り込んだ記事が多く、紙面構成上も高度な創意・工夫がはかられており、独創的な紙面づくりが行われているのが実情である

これを忠実に体現しているのがタブロイド紙であると考えて良さそうです。確かに非常に独創的な紙面構成だからです。



いけませんね、これでは評価が偏りすぎています。上述した様に私の手許に判決文があるわけではないので、タブロイド紙が正しいのか、読売記事が正しいのかは「まったく不明」です。タブロイド紙の信用性もアレですが、読売に全幅の信用が置けるかと言うと、タブロイド紙よりマシ程度です。そんな信用性で読売記事を信用しすぎても痛い目にあいそうです。

それでも注意義務違反についての記載が二紙の間で異なるのは事実ですから、可能性としては3つある事になります。

  1. タブロイド紙が独創的な紙面づくりをしている
  2. 読売がより独創的な紙面づくりをしている
  3. 真実は、二紙があげた注意義務違反はいづれも認定されている
ここでなんですが、読売が「より独創的な紙面づくり」をしているのなら批判します。ただタブロイド紙が「独創的な紙面づくり」をしているのなら批判でなく感想になります。批判はその対象が批判により少しでも是正される事を期待する時に行なわれるもので、まったく期待できないものには批判は成立しないと考えるからです。じゃ、3番目のケースならどうなるかですが、裁判の結果ぐらい正確に報じられないかの怒りになります。

では皆様、良い週末を。