足立政務官のお考え

ステトスコープ・チェロ・電鍵の足立信也議員の医療社会保障政策が面白かったので、私も二番煎じをやってみます。出所は足立政務官のHPで、「政策・理念」としてプロフィールに掲げられており、恒例の通り分割しながら引用して読んでいきます。

 なんと言っても私の専門分野である医療・社会保障制度の抜本的改革です。これだけといってもいいかもしれません。私は病院へ勤務する一人の臨床医として、与えられた制度の中で最善の努力をしてきましたが、患者さんひいては国民の皆さんが安心して治療を受けられる、また医師はじめ医療従事者が患者さんの求める医療に応えるには、今の医療制度や福祉制度を抜本的に改革するしかないと改めて痛感しました。私はケネディのいう 国が何をしてくれるかではなく、国に対して何ができるのかでもなく、何をするかが重要だと思っています。

まずですが、足立政務官の基本信念が開陳されています。

    今の医療制度や福祉制度を抜本的に改革するしかないと改めて痛感しました
社会保障制度まで話を広げると煩雑になりますが、医療制度の抜本的な改革を「痛感」されているそうです。抜本的と言うからには、現行の制度のかなりの部分を否定している事になります。否定して抜本的な改革が必要と提唱しても問題は無いのですが、「一人の臨床医」と言うからにはもう少し説明を加えるべきだと感じます。

つまり具体的に日本の医療のどこが否定すべき部分であるのかの説明です。改革を医師として提唱するのであれば、まず現行の体制の欠点を探り出す作業と、さらに読み手にわかりやすく提示する必要があるでしょう。ブログ程度なら「とにかく改革」ぐらいのスタンスで書かれても誰も問題にしませんが、議員であり厚労省の政務三役で手腕を揮える地位にいる政治家としては説明不足のように感じます。

私も足立政務官のサイトのすべてを読んだわけではありませんが、「政策・理念」とまで掲げているところは集大成のものであるはずです。探せば「どっか」他に書いてあるとのスタイルは少々不親切と思わざるを得ません。それでも具体的な説明らしきところは、あえて挙げればあります。

    患者さんひいては国民の皆さんが安心して治療を受けられる、また医師はじめ医療従事者が患者さんの求める医療に応える
ここは医師として趣旨に異論はありませんが、これも非常に抽象的な説明で、あくまでも現状の戦力で可能なものと不可能なものがある事をどれだけ認識しているか不安にさせるものです。言っちゃ悪いですが、地方議会選挙で「明るい○○市を作る」のスローガンとさして変わらないレベルに思えてなりません。

現行医療の問題点についての説明がないまま、どういう風に「抜本改革」するかの話に雪崩れ込んでいきます。

 政治の目的は国家の安全を保ち、国民に安心を与えることにあります。ですから、国家の安全を保障するための他国との協調や、災害時の対応力を備えた組織は欠くことができません。さらに犯罪やテロから国民を守ることは政府の責務です。安全のための組織の充実が必要と考えます。国民に安心感を与える最大の政策は医療・年金などの社会保障政策です。国の借金が雪ダルマ式に膨らんでいく中、これ以上将来世代に借金を付回しにすることは許されません。医療費を際限なく増やすことは出来ない中で、国民が必要とする医療をいかに提供するか、どのような医療制度・医療保険制度が望ましいか、を抜本的に見直すことが必要です。ここに私は現場の臨床医として生の声を生かしたいと思っています。私は国民の医療・介護・福祉・年金に対する不安を取り除きます。医療費のかからない、最も効率的なものは保健医療です。地域住民の健康状態のチェックをし、早期に発見する家庭医の養成が急務であると考えます。

ここで足立政務官は医療と同列に並べられるものとして、

  • 国家の安全を保障するための他国との協調
  • 災害時の対応力を備えた組織
  • 犯罪やテロから国民を守ること
多くの医療者もそう考えています。そこは良いとして、
    医療費のかからない、最も効率的なものは保健医療です
ここについてはnuttycellist氏もかなり辛辣で、

予防医学を盛んにし、それによって医療社会保障費を削減できるというのは、一種のドグマに過ぎない。医療経済学ではよく知られたことだ。

少し補足しておくと、いわゆる発展途上国と言うか、貧困国ではごく基本的な保健医療を行なうだけで大きな効果を収める事はあると思います。例えば清潔な飲料水を確保するだけで効果は上ります。下水道を整備すれば飛躍的に上ります。ただ日本のように医療が行き渡り、社会インフラがある程度整備された国では、保健医療で今からそんなに効果的なものは乏しいという事です。

あえて日本で予防医学として効果が出る余地があるのは予防接種とされていますが、これから尽力をされるのでしょうか。

 そして、保健・医療・福祉を総合的に行う包括的な医療体制の確立が重要で、そのシステム造りをしたいと考えています。すべてのことをばらばらにやっていては国の社会保障に対する考え方が見えてきません。家庭医・かかりつけ医・救急医療・保健・医療・介護について自治体には包括医療に対応するための施設が必要だと思います。その全体像が明確になっていれば国民の健康に対する安心、医療体制に対する信頼は増します。

まずなんですが、

    保健・医療・福祉を総合的に行う包括的な医療体制の確立
こう書かれれば正論ちっくではありますが、具体策が
    自治体には包括医療に対応するための施設が必要
ここに対するnuttycellist氏も辛辣で、

また地域社会保障充実のために、これ以上の「施設」が果たして必要なのだろうか。施設というと、箱物行政を連想してしまう。一体その施設で何をしようと言うのだろうか。

足立政務官は耳障りの良さそうな言葉は羅列されていますが、何をしたいのかよくわからない主張です。政治家が「総合的」とか「包括的」とか言い出すと、その殆んどは内容が空虚であることを示す指標になるのですが、足立政務官の主張でも、「包括的」とは何かの具体的な説明はほぼ無いと言って良く、その代わりにやけに具体的なものとして「施設」が飛び出してきます。

ここも言ったら悪いですが、「包括的」に行う事の具体的な内容を提示してから、そのために必要な「施設」と言う段取りが望ましいとは思うのですが、どうも「包括的」の内容は上述した「保健医療」と解釈しなければならないのかもしれません。つまり足立政務官の構想の保健医療には施設が必須であるとの趣旨です。

そう解釈してもどんな施設が必要か、何をするための施設かは見えてきません。これも判じ物みたいな解釈ですが、

    地域住民の健康状態のチェックをし、早期に発見する家庭医の養成
こういう医師が働く施設のことでしょうか。従来の保健所との相違がわかりにくいところです。

それと「保健・医療・福祉」と言っても、日常的にはそれぞれの分野、いやもっと具体的にはそれぞれの勤務場所で日々の業務を懸命にこなしています。もっと分かりやすく言えば、日常的に自分の仕事場を抜け出して他所で油を売る時間はそうそうは無いという事です。足立政務官の宣う「施設」なるものに誰が勤務すると言うのでしょうか。それでも足立政務官はこう主張します。

    家庭医・かかりつけ医・救急医療・保健・医療・介護について自治体には包括医療に対応するための施設
こういう方々を集める施設が各自治体ごとに必要としています。いったい「いつ」集まって「何をさせようか」が相変わらず見えてこない提言です。想像力の翼を広げると、「家庭医・かかりつけ医・救急医療・保健・医療・介護」をすべて集約した巨大医療機関を作ろうと言う事でしょうか。そこにその自治体のすべての「家庭医・かかりつけ医・救急医療・保健・医療・介護」をかき集めると言うわけです。

そうとでも考えないと施設を作っても、新たな会議室であるとか、新たなホールが出来るだけにしか私には思えません。

 そこで大事なのが先の総選挙のマニフェストの中で私が最も賛同できる 民主党の"5つの約束"の一つである「高速道路無料化」です。「高速道路無料化」は新しいライフスタイルを生み、車と人と物が活発に動き出して経済の活性化をもたらし、活力を地方に分散させ、物価の内内格差を縮小して購買力を増加させます。料金所がなくなり、高速道路へのアクセスが良くなります。このことは小児医療の充実や長距離介護を支援することに直結し、経済圏という考え方から医療圏を中心とした地方分権への進化を意味します。

ここも面白い論旨です。高速道路無料化によって、

    車と人と物が活発に動き出して経済の活性化をもたらし、活力を地方に分散させ
ストロー現象にどう対応されるかが書かれていないのに苦笑します。地方と都市の交通の便が良くなれば、都市の活気が地方に波及すると考えるのは、地方から見た視点です。そうなると期待して交通網の整備が行なわれた結果がどうなったかを御存じないようです。地方の活気はものの見事に都市に吸収されます。この程度の知識は常識かと思うのですが、さらに、
    物価の内内格差を縮小して購買力を増加させます
ここも笑って良いのでしょうか。高速道路料金がなくなれば物価の是正には貢献するかも知れませんが、都市に活力を吸収された地方には、購買する商店の存在さえ難しくなります。地方都市のシャッター商店街がなぜ発生したかを考えた事もあまり無さそうです。消費者は色んな意味で、より良い商品を購入できる場所に流れていく事に説明の必要もないでしょう。
    料金所がなくなり、高速道路へのアクセスが良くなります。このことは小児医療の充実や長距離介護を支援することに直結し、経済圏という考え方から医療圏を中心とした地方分権への進化を意味します。
料金所がなくなれば高速道路へのアクセスは良くなるのはそうでしょう。ただ高速道路のアクセス向上が、
  • 小児医療の充実
  • 長距離介護を支援
これに「直結」するそうです。とりあえず理解が難しいのは「長距離介護」です。私は長距離介護なる言葉を初めて聞いたような気もするのですが、足立政務官は長距離介護を、医療政策の大きな位置付けとして考えているらしい事だけは察せられます。

それでもって長距離介護とは具体的にどんな内容を意味するんでしょうか。高速道路の延長線上で出てきた言葉ですから、おそらく介護者が高速道路を利用して被介護者の家に通う形態ではないかとは思われます。そういう形態で介護できる段階もあるかもしれませんが、そういう状態では果たして介護と言えるかどうかも少々疑問はあります。

それと誰が介護するかですが、業者によるヘルパーである事もあるでしょうが、国と言うか厚労省の基本方針である在宅介護の大方針からすれば、家族や肉親が該当する事が少なくないと考えられます。言っては悪いですが、長距離介護を行なうぐらいなら、その手間とヒマを考えれば同居による介護を考えそうなものだと思います。

一時的な形態として長距離介護が成立する時期もあるとは思いますが、それはどう考えても一時的であり、長距離介護が可能になる事が一大成果であり、国民のためになるという論法を理解するのは相当難儀です。本当に介護の事を知っているのか心配になります。

小児医療の充実も解釈が難解至極で、あえて好意的に考えると交通圏が拡大する事により、通院できる小児医療機関が増えると考えれば良いのでしょうか。これを「充実」と言う表現で為されても、ちょっとピンと来ないところです。

    経済圏という考え方から医療圏を中心とした地方分権への進化を意味します
ここもまた爽やかに「進化を意味します」と書かれておりますが、ゴメンナサイ、さっぱりわかりません。

ごく単純に考える事にしますが、経済活動が活発なところに人は集まり街を作ります。その住民のニーズに合わせて、医療体制も整備されます。住民の分布を無視して医療機関の整備は原則として行なわれません。巨大都市になれば複雑にはなりますが、ある程度の規模までは、経済圏も、生活圏も、医療圏も同じ分布をすると考えるのが妥当です。

あえて経済圏と医療圏を分けて考えるのであれば、経済圏と生活圏が異なるぐらいの規模の都市になるかと思われます。医療圏は住民の分布の方に副うと考えるのが妥当ですから、そういう状態であれば「経済圏 ≠ 医療圏」は成立するかもしれません。もちろん「生活圏 = 医療圏」状態です、

そこまではまあ良いとして、医療圏(生活圏)中心とした地方分権とは何ぞやになります。モノとカネが集まるところにヒトが集まります。この辺は人によって考え方が変わるかもしれませんが、理想は経済圏と生活圏が一致している状態と考えています。職住が近いところのほうが暮らしやすいと言う事です。職住が遠く離れて、長距離通勤を必要とし、経済圏と分離した生活圏が成立している形態は必ずしも望ましいとは言えないと思います。

地方分権も一種のマジックワードで様々に便利使いされますが、方向性の一つとして、大都市に集中しすぎたヒト、モノ、カネを地方に分散させるというのがあったはずです。そうして出来た地方は、経済圏、生活圏が一致した適度な規模の街を形成させ、国土の均衡な発展を促すみたいな感じです。

足立政務官の主張は、頭から経済圏と医療圏(生活圏)を別個のものとしてお考えのようです。まったく別の圏として日本中に成立していて、これまでは経済圏中心で物事を考えていたのを医療圏(生活圏)中心に組み変わる事こそ地方分権だとしていると解釈するのが妥当のようです。そしてそうなるのが「進化」であり、そのための必須アイテムが「高速道路無料化」になるそうです。



かなり頑張ってみましたがやっぱり「???」です。地方分権の進化だけではなく、他の主張についても私如きでは真意を理解するのが不可能である事だけはよくわかりました。これは足立政務官のウェブサイトに書かれているとの事ですから、書くときに端折ったり、マスコミバイアスなどが存在しない状態である事は言っておいて良いでしょう。

もう少し付け加えておくと、これは足立政務官の政治家としての持論であり、信念とも受け取る事ができるので、それを読んでも一体何をしたいのか理解するのが難しいと言うのは少々問題であるかと思います。とくに勤務医であった事を「売り」にされるのであれば、とにかく「抜本的改革」と得体の知れない「施設」の建設、理解が非常に困難な高速道路無料化のメリットしか引っかかりません。

最後にもう一度nuttycellist氏の言葉を引用させて頂きます。

この社会保障政策の提言を読んでの感想。足立議員は、あまり現状を良く分かっておられないのではないか、臨床をしていたということだけで医療政策担当になったのではないか、ということだ。失礼ながら、これで医療政策の舵を取られては、現場はますます困窮する。診療所を潰すというのであれば、その影響はどのようなことが考えられ、それにどのように対応するのか、予めよく考えてもらいたい。

nuttycellist氏の意見に同意なんですが、少し補足というか評価としての余地を探してみます。

  1. 実は文章表現力に難のある方である


       文章を書いて自分の考えを表現する作業は案外難しいもので、直接の会話で真意を伝えるのとは違う能力を必要とします。口下手であっても暢達した文章が書ける人が少なくないように、その逆も結構おられます。足立政務官も会話で真意を伝えるのは優れていても、文章になると難があるタイプの可能性は十分あります。

       もっともなんですが、私は足立政務官と言われても実は現政権が発足して初めて耳にした方であって、本当の信念がウェブサイトに書かれたものであるのか、それとも文章下手で誤解を招いているだけかを判定する事は無理です。もし真意と相違しているのであれば、私のように誤解して受け取る人物が存在しますから、それこそ秘書なりゴーストライターに手直ししてもらう事をお勧めします。


  2. 政務三役になって変わられた可能性


       いつ「政策・理念」を書かれたのか確かめる術が無いのですが、野党時代に書いたものであれば、実際に厚労行政の中枢に携われる様になってから考え方・見方が変わった可能性はあります。外野から理想論を唱えるのと、実際の様子を知ってからで考え方が変わっても非難される事ではありません。これは変節と言うより、勉強しての進歩と取る事はできます。微妙なときも多いのですけどね。

       もし変わったのであるなら、政務官としての業務は多忙でしょうが、なんとか時間を見つけて書き直された方が宜しかろうと存じます。これも秘書なりゴーストライターを活用する手法はあるのですから、早期に考えられる事をお勧めします。


  3. 秘書なりゴーストライターが足立政務官の真意を曲解・誤解した


       ここまでは「政策・理念」を足立政務官が自ら書かれた前提としていましたが、実は秘書なりゴーストライターが書いたものである可能性があります。つまり足立政務官の話を聞いてこれを誰かが代筆したものである可能性です。代筆であっても公表される前にチェックぐらいしそうなものですが、某現役厚労官僚が本を出版した時にも「著者」と明記されながら、タイトルも内容もみていなかった先例がありますから、そういう事が無いとは言えません。

       もしそうであるなら、広く公表されているウェブサイトですからチェックをされ、その上で御自身で書かれるなり、御自身でチェックの上で改訂される事をお勧めします。