よほどきちんとした理屈

12/3付読売新聞より、

 鳩山首相は3日、行政刷新会議による事業仕分けの評価結果の一部を長妻厚生労働相が受け入れないと表明したことについて、「よほどきちんとした理屈をたてなければ、事業仕分けの努力が報われなくなる」と批判した。

あれだけ派手なパフォーマンスでしたから、やるだけやって根こそぎ覆すのは確かに問題だと思います。とはいえ個々の事業の仕分け作業が文句のつけようがないぐらい精緻なものであったかと言えば、これはこれで疑問符が付けられるものもあると思っています。そのための条件が

    よほどきちんとした理屈
こういう風に鳩山総理は仰られているわけです。事業仕分けのための「理屈」が存在するわけですから、それを論破する「理屈」が当然必要は誠にごもっともです。

ところで事業仕分けの理屈とは何かになります。外野から見れば財務省の理屈そのものにしか見えません。事業仕分け人のコメントに「財務省から渡された資料を勉強した」なんて言葉が誇らしげに報道されてましたからね。財務省の理屈とは金庫番の理屈です。国の金庫にあり余るお金が唸っているのなら、要求にハンコを押してオシマイですが、そんな財政事情ではありませんから、あらゆる予算要求に渋い顔をするのがお仕事といえます。

つまり今必要な銭以外、つまり短期的なメリット以外はトコトン軽視する理屈が基本かと思います。そうでないと金庫番は勤まりません。

一方で予算を要求する方は現場の理屈と考えます。目の前に必要な事業があり、その事業の遂行のために銭が必要と要求している事になります。現場の理屈としては、この事業を行う事による短期的メリットだけではなく、中長期的なメリットも含めて必要性を訴えるものと考えます。

予算を決める2つの理屈をまとめておくと、

  1. 金庫番の理屈:短期的メリットの重視
  2. 現場の理屈:短期的だけではなく中長期的なメリットの重視
国家予算ですから、金庫番の理屈だけですべてを決定するとバランスを失する気がします。現政権がどういう方向性で予算決定を行なうかはまだ分かりませんが、金庫番と現場の2つの理屈の調整は従来も行なわれていました。各省庁からの概算要求とそれに対する財務省の査定と、その後に展開する復活折衝です。事業仕分けに相当するものが財務省査定になるかと考えます。

次に行なわれるのは従来なら復活折衝にならなければなりません。現場の理屈に対する検討です。現政権も一応やる気みたいで、12/8付NIKKEI NETに、

「仕分け」結果、要望あれば公開議論も 行刷相

 仙谷由人行政刷新相は7日、2010年度予算の概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」の結果をめぐり、要求官庁などが要望すれば公開での議論の場を調整する考えを示した。「事業仕分けのプロセスの中で意見を言う機会がなかったなど、申し入れがあれば行政刷新会議、行政刷新相として場をつくる」と都内で記者団に語った。

 同日には仕分けを担当した作業グループ統括役の民主党枝野幸男政調会長ら仕分け人が行刷相と会談。11月に実施した事業仕分けの判定結果を要求官庁が誤解なく受け止めるよう行刷相に要請した。枝野氏はまた、今後の公開議論が開かれた場合に同席するかについて「我々の手を離れたからあり得ない」と語った。

いろいろ解釈がわかれそうな記事ですが、とりあえず事業仕分け同様に、仕分け結果の再検討も公開でする気はあるとはしているようです。どうも記事から受ける印象は前向きには感じないのですが、これは本来、非常に重要なもののはずです。金庫番の理屈だけで国家予算、すなわち国政を決めてよいか悪いかの問題になるからです。

どんな公開の再検討の場を考えているのか、果たして本気で行なうつもりはあるのかは置いといて、やるのならHome and awayでやるべきだと考えます。事業仕分けは金庫番が作った試合場で、金庫番の作ったルールの上で戦われ、ハンドボールの「中東の笛」ではありませんが、審判も金庫番サイドの人間で行なわれています。

ゴチゴチの金庫番のホームで事業仕分けが行なわれたのですから、今度は現場のホームで再検討を行う事でバランスが取れるかと思います。形式としては、事業仕分けと逆になりますから、金庫番が予算削減の理由を説明し、それに対して各省庁の大臣以下担当者が雨霰と質問を行なうスタイルです。もちろん「2位じゃダメなの」の主張は現場サイドが納得するまで「数字」でもって説明する必要があります。

事業仕分け人もホームだけではなく、アウェイでも貫き通せる理屈があるはずです。その理屈が鳩山総理の仰られる、

    よほどきちんとした理屈
これであるはずであり、アウェイであっても負けないはずと言うより、アウェイでも論破してこそ
    よほどきちんとした理屈
これになるはずです。アウェイであっても負ければ、事業仕分け人の理屈は必ずしも「きちんとした理屈」で無い事になるような気がしないでもありません。もちろん現場の理屈もアウェイ戦では既に負けているのですから、ホームで勝ってやっと五分です。その先の判定はそれこそ政治です。どういう理念、信念をもって決断を下すかになり、それをするために総理以下の政府が存在していると言えます。


現時点の情勢は総選挙のマニュフェストのうち、与党が「やりたい」と判断したものの実現と、景気対策の必要性に縛られて、金庫番の理屈のみで削り倒した予算を尊重している姿勢であることはわかります。つまりは聖域が先に鎮座し、聖域保護のために他の予算は金庫番の理屈で犠牲にする方針です。それもまた一つの政治の姿勢ではありますが、それでも予算は足らないように見えます。

それならば、もっと予算をひねり出すために、全体の15%ではなく、100%の事業仕分けを何故やらないかと思います。この苦しい財政事情で「子ども手当」とか「高校無償化」とか「高速道路無料化」を行なう必要性があるかどうか、またその予算を他の分野に使うのと、どちらが国として効果的な予算の使い方であるかどうかも、公開の事業仕分けで政府の主張と仕分け人の理屈を聞いておきたいものです。

まあ、最後は政治ですから、為政者が公開したいところだけ、見せたいところだけパフォーマンスをして、見せたくないところは頬かむりをするのはとくに奇異な風景ではありません。国民にとって重要なのは予算執行の結果です。結果が苦ければ鳩山政権への支持は急落しますし、甘ければ支持します。どこに反映されるかと言えば、とりあえず来夏の参議院選挙になります。

まだまだ民主党政権への御祝儀相場は続いているようですが、これが来夏にはどうなっているかは誰にもわかりません。