3年続きのローカルなスノブネタですが、閑話としてお付き合い下さい。故郷のお祭りのお話ですが、2年前に大事件が発生します。故郷では「太鼓」とも「屋台」とも呼ぶ、祭りの主役である山車と言うか御輿みたいなものがあるのですが、これが失火で焼失するという椿事が起こります。写真が残っていますが、
再建費用は努力の結果、当初の半額ぐらいに押さえ込んだと聞きましたが、それでも大した物です。デザインは焼失した先代を踏襲したそうですが、
在りし日の先代屋台 | 新調屋台 |
撮影した私の腕が悪いのは申し訳ありませんが、確かに良く似ています。ただ写真ではわかり難いのですが、先代よりズングリした印象があります。これは印象だけでなく実際にもそうなっているそうです。この屋台の中心部には太鼓が設置されており、そこを泥台と地元では呼びます(由緒不明)。泥台の大きさに比例して設置できる太鼓の大きさが決まるのですが、当然ですが太鼓は大きい方が迫力のある音が鳴ります。
先代はこの泥台部分が小さく、従って太鼓の音も他の町の屋台より迫力が欠けるというのがありました。そこで泥台を大きくして、大きな太鼓を設置できるようにデザイン変更が行なわれたと言う事です。全体のバランスを変えない様にするには、泥台が大きくなった分だけ全高も高くする必要があるのですが、これは祭りの宿命である鳥居の高さの制限があり、結果としてややズングリになっています。
それとこれは確認していないのですが、高さは無理として屋根の幅を胴体部分を膨らませた分だけ大きくしたかどうかです。何とも言えないのですが、大きくなったような気が私にはします。確か先代屋台の梵天(屋根飾り)は焼失を逃れて使われているはずなのですが、先代の時より小さく見えます。胴体部分が膨らんだのに合わせて、屋根の幅もある程度広げないとバランスが悪くなりますから、幾分は大きくなったと思いたいところです。
胴体も屋根も広がって、高さが変わらないとなると、全体としてズングリと感じてもおかしくありません。重量も先代より2〜3割増し程度になったとも聞きますから、それぐらいの大型化は必要とも考えられます。
細かい違いはいろいろあるのですが、高欄金具も先代とかなり異なります。高欄とは泥台の上に柵を巡らしているところなのですが、かなり簡素になっています。先代は総金具とまで言いませんが、かなり金具で覆っていましたが、新調の方は白木が主体となっています。白木は来年までに漆か何かで塗ると聞きましたが、金具で覆うとは聞いていません。
この辺は予算の関係や、現在の町の趣味の問題もあり、部外者が口を出す事ではありませんが、個人的には気になったところです。金具は後から装着は可能ですから、これから長い歴史を歩んでいくだろう中で、また変わるかもしれませんし、このままで新たな伝統になり定着するかもしれません。
もう一つは地元の旧友から聞いていた屋根の布団の四隅に付けられている房です。故郷では屋根が布団形態になっているのですが、その布団の色は赤色です。これだけはどこの町も守っています。その布団屋根に取り付けられている房も白色が常識なのですが、なんと紫色になっています。これも評判がやや良くないらしく、やはり赤い布団には白い房が映えると言う意見を聞きました。
房にまつわる話題をもう一つ重ねれば、房がかなり大型化しています。大きくなった分だけ存在感があるのですが、一方で屋台が揺れ動くのに合わせての房の揺れが小さくなって、見栄えが悪いとの話も聞かされました。どうでも良いような、良くないようなこだわりですが、そういうところに小うるさいのもまた祭りとでも言うところでしょうか。
もう一つだけ話を追加すれば、梵天です。先代屋台は長い間、四面とも鯱を用いていました。ところが焼失する何年か前に安倍晴明の九尾の狐狩りの梵天を購入して前後に付けています。先代屋台の写真にも残されています。この梵天は火事にも生き残ったのですが、火事の後に町内にある噂が立ちます。火事はお狐さまの祟りではないかと言うものです。
祭りは故郷であっても伝統行事であり神事です。そのために由緒不明の言い伝えやしきたりがテンコモリあり、毎年それを守って「同じ事をする」側面があります。そこに新奇なものを持ち込んで災いが起これば、その原因を新奇な物にするというのはどこにでもあり得ることです。今回は屋台焼失と言う飛び切りの災いですから、新調した梵天に原因を求める心理も理解は出来ます。
個人的にも鯱の梵天に愛着があったので、狐の梵天を使わないという選択もそれで良いかとも思ったのですが、な〜んと見に行くと前後に飾られているのです。さすがに驚いて旧友に事情を聞いてみると、宵宮(1日目)は鯱だったそうなんですが、見に行った昼宮(2日目)に誰かが付け替えたと聞きました。
旧友も同い年ですから、町内ではそれなりの世話役の地位にあり、そういう地位にありながら一言の相談もなかったとちょっと憤慨していました。そう言えば紫の房も白色に変える話もあったはずだったそうですが、これも紫のままだったので「どうなっているか、ワシもわからん」とかボヤいていました。
もっともこれらの事は町内のスノブな話に過ぎず、祭りが終わればそういう出来事を肴に酒を飲むネタに過ぎないといえば、それだけの事です。肝心なのは屋台が新調再建されたことで、本当はそれに尽きます。たぶん死ぬまで新調屋台を見ることはないでしょうし、次に新調が必要になったときにはこの祭りがどうなっているかは誰にも予想が出来ません。それでも私が生きている間ぐらいは、今年新調された屋台が参加し続けるだろうと言う事です。
本当にローカルなお話で申し訳ありませんでしたが、こういうのも記録にしておくぐらいの価値はあるかと思いますので、御容赦下さい。