公立病院完全黒字化の条件

本当は坂出市立病院に何の恨みもないのですが、サンプルとして格好と言うか、ここしか見つからないので使わせて頂きます。この病院の経営は優秀です。どれぐらい優秀かと言えば病院HPの院長あいさつに、

平成18年度も17年度と同様、市立病院事業への地方交付税からの繰入金はゼロのままで、黒字決算を達成いたしました。ちなみに、医療費削減政策の影響で、全国の病院の経営状態が悪化しているなか、繰入金ゼロで黒字を達成しているのは、約1000ある自治体病院の中で、当院も含めただ2つだけとなっています。

「当院も含めただ2つだけ」ですから立派なものです。もう一つがどこかは前にコメ欄でも話題になりましたが特定は困難となっています。こういう風に全国の公立病院の中で完全黒字の病院はたった2つしかなく、そのうえ特定できるのは坂出しかないので、モデルとして使わざるを得ない事を御理解下さい。

この完全黒字化ですが、実は市町村会計に疎いものでよく分からないのですが、とりあえず平成19年度の決算と言うのがあります。そこに病院事業会計は公営企業会計の法適用となっています。坂出市立病院事業財務規則と言うのもあるのですが読んでもよくわかりません。もうちょっと言えば平成21年度予算の概要もあるのですが、私ではどう読むかは難しいところです。

自治体会計を読み解くのは素人では難しすぎるそうですから、今日の完全黒字化の定義として、公立病院が自治体からの一切の経営補助を受けずに病院単体として黒字を達成しているものとします。誤解があれば陳謝しますし、宜しければ正しい定義を教えていただければ幸いです。私が想定している完全黒字化が間違っていたとしても、経営が優秀な傍証としてssd様が保存されている2009.5.8付読売記事にも、

「5年以上連続の黒字」が評価され、今月21日、社団法人「全国自治体病院協議会」(東京)から優良病院表彰される。

赤字公立病院の淘汰整理に血眼の総務省も表彰したい病院じゃないかと思います。とはいえ2/1000の完全黒字経営ですから、普通にやっていては達成不可能であるのは誰にもわかります。そんなに簡単に完全黒字化が達成できるのなら、どの公立病院も争って坂出モデルを直輸入して黒字化に励むはずだからです。

坂出モデルは門外不出の秘伝ではありませんし、坂出モデルを作り上げたカリスマ前院長は各地の講演会に招かれているとも聞きます。それでも他の公立病院は赤字に喘いでいます。私も坂出モデルの全貌を知るわけではありませんが、わかる範囲で考察してみます。とりあえずカリスマ前院長は救急受入を積極的に行ったのはわかります。前院長のお言葉ですが、

救急患者を断わるのは日常茶飯事、なぜ夜遅く搬送してきたかと救急隊員や患者にまで怒鳴る始末で、良質な医療とは無縁の、まさに無法地帯であった。

前院長の努力により坂出の救急の70%を受け入れられるようになったとされます。その数は年間に2500件程度と推測されます。ただ現在の医療経営では「救急受入数の増加 = 収益増加」ではありません。救急外来部門の赤字を入院部門で埋め合わせる必要があります。このために、

  • 救急外来部門


      極力人件費を節約して赤字幅を縮小する


  • 入院部門


    • 採算の悪い重症・長期入院患者を極力引き受けない(焦げ付きを作らない)
    • 入院患者数の増加に対する医師の人件費を極力節減する
坂出市立病院は216床の中規模病院ですから、純然たる二次救急病院です。スタッフ(医師)の陣容もあらゆる重症患者を引き受けられるだけのものはありません。さらに周辺には三次救急病院が豊富に存在するため、重症患者はそちらに送ることが可能な病院とも聞きます。引き受ける能力をわきまえた救急応需姿勢は悪くありませんが、そういう医療事情が可能な地にあるというのは大きなメリットであり、それを存分に活かしていると見ることはできます。

ただし坂出に類似した立地条件の公立病院は他にもあるはずです。そことの差は徹底した人件費抑制、経費節約にあると考えます。経費節約の一端は5/8付読売記事もあります。

約10年前の電子カルテ導入前には、安価なパソコンを量販店でまとめ買いし、LANケーブルは職員が張り巡らせるなど経費を節減。

他も考えうる限りの経費節約が行なわれているのだろう事は想像がつきます。ただなんですが、日常経費の節減は案外小さなものです。坂出市立病院クラスならあくまでも概算ですが、年間1000万円も搾り出せば偉大な成果であると考えます。そう簡単に何億円もの経費の節減は出来無いという事です。


そうなれば医療で最大の部分を占める人件費の抑制が焦点になります。具体的な額が5/8付読売記事にあります。

医師の平均月給122万円(2008年度)は、県内公立病院で下位だ。

これも多すぎるような気がしないでもありません。これなら年間で最低1464万円になり、もしボーナスが別ならもっと多くなります。もっとも医師の総数が23名ですから、病院幹部の給与が平均を引っ張り上げている可能性はあるかもしれません。とりあえず医師の人件費としては、

    県内公立病院で下位だ
こういう情報があるのが確認できます。それと黒字になるには忙しいがほぼイコールになるのですが、忙しさがどれほどであるかも5/8付読売記事に書かれています。

    大型連休中の一室で勤務医の50歳代の男性外科医が手帳を開いた。
    1月は平日すべてで手術の日程が入り、宿直5回、その明けにも執刀した。
    「36時間勤務は当然。365日、出勤した年もあった。支えているのはボランティア精神か、使命感か……」。

「宿直5回」は労基法41条3号に基づく宿直回数の条件を満たしているかと思いますが、内容は「医師の当直」であろう事は容易に推測されます。それはそれで違法なんですが、そういう事は坂出だけの例外例ではありませんから今日はとくに問題視しない事には一応しておきます。それと、

    365日、出勤した年もあった
これに近い状態が続いていると考えて良いかと思われます。そういう状態であれば、1ヶ月や年間の時間外勤務の労基法の上限をすぐに突破するのも目に見えていますが、それも今日はあえて問題にしません。そもそも36協定など存在しなかった病院ですし、そういう状態の病院もまた坂出だけの例外例で無いからです。

現在の水準でもっとも問題視されるのは、おそらく膨大であろう時間外手当がキチンと支払われているかどうかです。時間外手当の支払いは人件費の高騰を生み、それ故に労働条件が守られるという側面があります。労基署の労基法に則った指導もあるはずですが、その問題も置いておきます。これについての情報は8/1付四国新聞にあり、

1人当たりの平均残業時間は医師や事務員が月15時間程度、看護師が同9時間程度という。

これは医師が月間に15時間しか残業を行なわなかったわけではなく、15時間分しか残業手当の支払いを認められていなかったからと解釈するのが妥当です。1ヶ月5回の宿直とたった月間15時間の残業で、年間365日の出勤や

    支えているのはボランティア精神か、使命感か…
こういう声が出る余地が無いからです。つまりですが、人件費節約と医師の労働効率のアップのために、膨大な時間のサービス残業をさせていると考えられます。実はと言うほどでもないのですが、この程度のことは他の医療現場でも日常茶飯事なんですが、月間15時間上限はかなり厳しいような印象を持ちます。せめて40時間はあるところが多い印象があります。

とどの詰りとして黒字化のためには、

  1. 労基法41条3号に基づく当直を夜勤として働いてもらう
  2. 残業時間は上限15時間までしか支払わない
  3. 基本給以下も可能な限り低水準に抑制する
これらが必要条件として存在していると考えられます。あくまでもこれらは必要条件だけであって、これだけで黒字になるのなら多くの公立病院が黒字化するはずです。もちろんこれ以外にも人件費対策として大きいのは、技師、事務職員、看護師の給与と退職金問題がありますが、これらについては資料が無いのでわかりません。相当切り込まないといけないのも必要条件ですが、詳細は不明です。


簡単な検証ですが坂出モデルでやっている事はごく「普通の事」です。それでも完全黒字化するという事は、これに何らかの十分条件が存在しているはずです。考えられるのは一つで、普通でない規模の労働強化です。1人前以下の給与で3人前かそれ以上職員が働いてくれれば黒字の可能性が出てきます。3人前とかそれ以上と言っても、正規勤務時間だけでは不可能ですから、莫大どころでないサービス残業に依存していたと考える他はないと思われます。

そういう労働を職員に強いるためには、リーダーに強力な指導力が必要です。そうでないと職員は離散してしまいます。また他の公立病院で形だけ真似ても黒字化できないカギがそこにあったと思います。前院長の在任は平成3年9月から平成16年12月までとなっています。思えば時代的にも恵まれた時代で、医局人事がまだ健在の時代でしたから、医師に対してはどんな労働条件でも押し付けるのはさほど困難ではありません。

また医師もネット普及前夜ですから、その労働条件が常識ハズレなのかそうでないのかも判断する材料に乏しい時代です。もちろん労基法なんて言葉は勤務医の辞書に見つけるのは非常に困難な時代です。また坂出がいかにきつくても、そこを我慢しないと次の医局人事がなかったでしょうし、坂出を耐え忍ぶ事で次の人事に期待すると言う時代でもあります。

そういう医師を極限まで酷使して、さらに文句を言わせなかったのがカリスマ手腕であり、完全黒字化の十分条件であったと考えます。そこから考えると、坂出に「診療科部長」や「年齢部長」が存在しなかった理由がよくわかります。部長職量産手法は、役職手当を支払う代わりに「名ばかり管理職」にして時間外手当を抹殺する手法です。

ところが坂出では月に15時間程度しか時間外を支払いませんから、部長にすることによる役職手当の方が「もったいない」感覚であったかと考えられます。医師を医長として扱おうが、部長にしようが医局人事で医師は供給されますから、人件費が安い医長で十分と判断したと考えられます。


現院長は前院長の愛弟子と考えます。当然のように前院長の路線を金科玉条のように崇めていると考えます。ただしカリスマの後継者は辛いところがあります。カリスマは滅多にいないからカリスマであり、形や路線を真似ても、求心力は必然的に下がります。下がれば黒字の原動力であった労働力強化路線に綻びが出てきます。

具体的には、5/8付読売記事にある、

だが、医師不足は深刻で、02年、32人だった常勤医の退職が相次ぎ、今年4月には研修医を含め23人になった。

これは現院長の求心力だけではなく、新研修医制度を発端として急速に表面化した医師不足、さらに医療崩壊問題による医師の意識の急激な変化もあります。医師の意識の変化には労基法と言う意識も含まれ、そのため8/1付四国新聞に報じられたように、

坂出市立病院も結ばず/残業の労使協定

 高松市民病院が労使協定を結ばず医師に残業させていた問題で、坂出市立病院(香川県坂出市文京町、砂川正彦院長)でも、医師を含む全職員と残業に関する協定を結んでいなかったことが31日、市立病院への取材で分かった。残業代は支払われており、市立病院庶務課は「公務員であるため、協定自体が免除されると思っていた。認識不足。早急に対応したい」としている。

 市立病院によると、2月に坂出労働基準監督署から指摘を受けて判明。過重労働回避のため労働基準法で必要とされている残業の労使協定を、医師をはじめ、看護師や事務員、医療技術員らすべての職員が結んでいなかった。

ご存知のように労基署は自分で能動的にこういう動きをすることは稀です。ほとんどが職員からの相談を発端としています。現在の院長の求心力ではそういう動きを止められない状態になっている事と考えて良さそうです。労基署も腰は重いですが、動けば指導項目の是正はかなりキチンとやります。病院側が姑息な隠蔽工作をやり、さらにそれを相談されたら指導はさらに厳しくなります。

残業時間は坂出モデル成立の重要な条件ですから、死守しないと黒字路線が崩壊します。ここで初めて「時間外手当 > 役職手当」状態が坂出にも出現し、他の公立病院の後を追う「名ばかり管理職量産による時間外手当隠蔽」手法が展開したと見ています。ここも坂出らしく一人当たり年間30万円ぐらいでこれをやろうとしているのもわかります。



まとまりが悪いのは申し訳ありませんが、公立病院が黒字になる条件は、

  1. 利益率の良い患者だけを入院させる事が出来る立地条件
  2. 職員が膨大なサービス残業を行なう
  3. サービス残業による極度の労働強化に不満を言わせないカリスマリーダーの存在
この3つが必要と考えます。そしてこの3つがそろって完全黒字化したのは現院長の言葉にあるように、全国1000の公立病院のうち、わずかに2ヶ所だけと言う事です。ここで思うのは、この3つの条件を満たさないと黒字化しない産業と言うのは、既に終わっているんじゃないでしょうか。とくに医療に限らずカリスマリーダーなんてそうは得られるものではありません。

大辞泉によればカリスマとは、

ギリシア語で、神の賜物の意》超自然的、超人間的な力をもつ資質。預言者・呪術(じゅじゅつ)者・軍事的英雄などにみられる、天与の非日常的な力。この資質をもつ者

何が怖ろしいと言っても、「天与の非日常的な力」があっても、それだけでは黒字化するとは限らないほど厳しいのが公立病院経営と考えられます。