新型インフルエンザ対策の備忘録

元もと保健所長様から情報提供頂きましたので振り返ってみます。

新型インフルエンザ騒動はメキシコで「強毒性発見」の触れ込みで始まったのは説明も不要かと思います。WHOも「そうらしい」の報告したのを受けて日本も動き出します。日本が対策の根本としたのが平成19年3月26日付新型インフルエンザ専門家会議「医療体制に関するガイドライン」です。これは鳥インフルエンザを想定した対策であるのも言うまでも無いところです。

このガイドラインに従って展開されたのが水際作戦と封じ込め作戦です。この辺の経緯も今さらなんですが、当初順調と見られていた水際作戦が一挙に崩壊し、封じ込め作戦まで機能破綻したのが神戸・大阪です。神戸・大阪で大問題となったのは、ガイドラインでの封じ込め作戦と現状の乖離です。封じ込めるだけの物理的能力が消失したのです。

ガイドラインの大まかな展開は、

    第一段階:海外発生期
    第二段階:国内発生早期
    第三段階:感染拡大期 → まん延期 → 回復期(第三段階の変更は都道府県判断)
    第四段階:小康期
現実的に分かりやすく書き直せば
    第一段階:水際作戦
    第二段階:封じ込め作戦(発熱外来と発症者全員隔離)
    第三段階:一般医療機関で幅広く対応
この段階の宣言権限は厚労省にあり、厚労省が段階を変えない限り自治体や医療機関はそれに従わざるをえないものとなっています。神戸・大阪で起こった事態は第一段階を瞬時に第三段階にするような出来事でした。事態はそこまで急展開したにも係らず、厚労省サイドは第二段階の死守の方針を示します。これもまた渦中にあった者として記憶に新しいところです。

厚労省が第二段階を死守したいのは勝手ですが、神戸・大阪では第二段階を遵守できる状態でなくなっています。封じ込め作戦は物理的に破綻し、軽症者は自宅療養にせざるを得ない状態になっています。しかしそういう方針は厚労省が第三段階宣言を行なわないとできないのがガイドラインです。当然の事ですが現状を東京に報告し、善処を求めますが、元もと保健所長様の言葉を借りれば、

医系技官と府県の公衆衛生医師の話し合いでは埒があかず

頑として第二段階死守の姿勢を厚労省は示します。ここで「はい、そうですか」で引き下がろうにも現状がそれを許しません。医系技官レベルの話し合いでは立ち往生となったので、

橋下知事が舛添大臣と直談判

橋下知事だけではなく兵庫県知事や神戸市長も動いたと信じたいところですが、自治体首長と舛添前大臣の直接折衝は、

5月17日から22日までの間

知事が乗り出しても容易な交渉ではなかった事が窺われます。そこまでの折衝が行なわれた末に出てきたのは、

    まん延期直前宣言
今考えても珍妙な代物ですが、国が指定する地域に限り、第二段階でありながら、第三段階に準じた治療体制を容認すると言うものです。厚労省は名を取って第二段階死守の面子を守り、神戸や大阪は実を取った決着と言えなくもありません。しかし現在の状態とまでは言いませんが、当時であっても極めて不思議な妥協です。

指定地域になったからと言って、そこの住民が封鎖されるわけではありません。神戸も大阪も日本有数の大都市であり、人の行き来が非常に激しいところです。そういうところで感染が拡大すれば、当然ですが感染は周辺地域だけではなく全国に拡大します。そういう病気であるのがインフルエンザだからです。厚労省が名を取って何の意味があるというところです。

それでも厚労省は第二段階の死守に執着します。舛添前大臣もWHOがフェーズを上げても第二段階を死守します。舛添前大臣への個人的な評価は歴代厚労大臣の中でも上位に置いていますが、この第二段階への執着だけは釈然としないところが今でもあります。なぜあれほどに第二段階である事にこだわったのであろうかです。

これは舛添前大臣がこだわったのか、医系技官がこだわったのかで話が少々変わりますが、連動しているような気もしないではありません。。舛添前大臣は批判もありましたが、それまでの実績はあの状況の中でよくやったの評価が定着していました。舛添前大臣の最後の難問が新型インフルエンザ対策です。ここでも実績を重ねたいの願望はあってもなんら問題はありません。

実績の考え方は色々ありますが、SARS同様に完全阻止の願望が生じたのかもしれません。当然の事ですが、対策の見通しを医系技官にされたとは思います。前大臣の意向をある程度まで察した医系技官は「不可能ではない」のニュアンスの返答をした可能性を考えています。前大臣の意向と医系技官の意向が一致すればその方向に向かって対策は驀進する事になります。

この辺はそのうち舛添氏が回顧録でも書いてくれない限り真相は明らかにはなりませんが、完封路線に舵を取ったと考えれば納得できる事はあります。当初の水際作戦の熱の入れようと、その成果の誇示です。舛添前大臣とて永久に完封は無理と考えても、在任中の完封ぐらいの色気を出したとしても、それほど不思議な政治状況ではなかったと考えます。

総選挙は時間の問題でしたし、民主党が勝てば辞職です。また自民が辛勝しても麻生政権の行方は不透明で、秋の総裁選には何が起こるかわからないとも予想できました。総選挙後の新内閣では実績を盾に厚労大臣以外の要職の目も考えられますし、サイコロの転がりようでは総理総裁の目さえないとは言えない状況です。政治家としては身の振りように熟慮を要する時期です。

なんにつけても新型対策での失点は避けたいところですし、それよりもさらに得点を重ねておくのが当面の課題になっていたと推測します。ここで水際作戦の滑り出しが快調であったので、医系技官の独走が出た可能性を考えます。完封作戦が厚労省の至上命題にすりかわりドグマ化した可能性です。

ドグマ化した完封作戦ですが、その一端が例の症例定義です。新型診断はPCR検査の必要性がありましたが、ここでハードルを設ければ発見の可能性が低下します。医系技官も永遠に完封は無理とは考えていたかもしれませんが、季節は夏に向っており、期待として季節的にインフルエンザの脅威は減退消滅するはずですから、そこまで粘れば後は秋から冬の本格シーズンに向かって新たに対策を考えれば良いぐらいの判断であったとも考えられます。


そういう思惑が危機に瀕したのが神戸・大阪での国内発見です。とりあえず完全完封作戦はあきらめざるを得なくなります。そうなると次の目標は国内完封、つまり第二段階死守です。全部推測である事は強くお断りしておきますが、そういう背景の下に神戸・大阪の担当者と厚労省との折衝があるとすれば話の筋が通ります。

公衆衛生の担当者と医系技官レベルの交渉では、至上課題の第二段階死守のために埒が開かない事になります。医系技官にとっては大臣の意向を無視して独断で至上課題を変更するなんて事はもっての他であったとも言えます。では意向を確かめようとしたかは藪の内ですが、完封作戦について甘い見通しを大臣に囁いていたとすれば、持って上れる話ではなかったんじゃないかとも推測できます。

結局首長クラスとのトップ折衝に持ち込まれるのですが、ここで舛添前大臣が第三段階突入の決断を下せなかった事が最大の謎です。どういう思惑であったのだろうと言う事です。考えられそうなのは、

  1. 第二段階死守に舛添前大臣自身があくまでもこだわった
  2. 第三段階宣言による社会的混乱を重視した
  3. 都議会選挙、総選挙への種々の影響を誰かから強くアドバイスされた
どれも決定的な証拠はありません。どれか一つと言うよりこれらが複合的に重なった可能性ももちろんあると思います。とにもかくにもあの時点で第三段階宣言を行なわなかった事は、その後の新型対策を迷走させる大きな要因になったとは考えています。

その後に何が起こったかといえば、モザイク上のまん延期直前地域の指定とか、失笑を買った症例定義の地域指定とかです。PCR検査条件の人数指定もなかなかのものです。あのあたりの迷走は、第二段階死守のための医系技官の奔走によるものと私は考えます。もう少し言えば、そういう小細工に舛添前大臣も乗ってしまった事です。主導権は医系技官が握ったと考えるのが妥当かと思います。

ひょっとするとこの時期の舛添前大臣の関心は、既に選挙に強く向けられてしまったのかもしれません。与党の命運をかけた政治決戦が目の前に迫っており、舛添前大臣も渦中の一人になっていたからです。もちろんもう一度お断りしておきますが、これらは推測であって何の証拠もありません。



ところでこれだけもめたガイドラインなんですが、そもそもの位置付けはどんなものであったのかが今になれば気になります。ガイドラインがあれだけ重かったから、厚労省の第二段階執着も起こり、珍妙なまん延期直前宣言も起こり、都道府県だけではなく医療機関も大きく動きを制約されたわけです。これに関しても元もと保健所長様から情報を頂きました。どうやらガイドラインの法的根拠は、

この新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザ等に関する関係省庁対策会議なんですが、興味深いのはメキシコで4月に発見された当時に行なわれた第20回の議事次第です。今から読むと興味深い内容が幾つかあります。そういう中で新型インフルエンザ発生時等における対処要領(案)の冒頭に、

 政府は、新型インフルエンザが国内外で発生し又はその疑いがある場合に、事態を的確に把握するとともに、国民の安全を確保するため、緊急かつ総合的な対応を行うため、「新型インフルエンザ対策に関する政府の対応について」(平成19年10月26日閣議決定)、「新型インフルエンザ対策行動計画」(平成19年10月26日新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザに関する関係省庁対策会議)、「新型インフルエンザ対策ガイドライン」(平成19年3月26日新型インフルエンザ専門家会議)及び「緊急事態に対する政府の初動対処体制について」(平成15年11月21日閣議決定)等を踏まえ、以下を標準として対処する。対処に当たっては、事態の状況に応じて、事態の変化に柔軟かつ的確に対応する。

ここに準拠するとしている対策が挙げられています。

  1. 「新型インフルエンザ対策に関する政府の対応について」(平成19年10月26日閣議決定)
  2. 「新型インフルエンザ対策行動計画」(平成19年10月26日新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザに関する関係省庁対策会議)
  3. 「新型インフルエンザ対策ガイドライン」(平成19年3月26日新型インフルエンザ専門家会議)
  4. 「緊急事態に対する政府の初動対処体制について」(平成15年11月21日閣議決定)・・・原文は見つかりませんでした
どうやらここにガイドラインが含まれるようです。ここでややこしいのは新型インフルエンザ及び鳥インフルエンザ等に関する関係省庁対策会議の位置付けは
明記されている通り
    関係省庁申し合わせ
これに過ぎないのですが、他の閣議決定の対策と合わせ技で位置付けが重くなっているのではないかと思われます。ただこの辺の行政的な位置付けはサッパリわかりませんから、詳しい方がおられましたら教えてください。と言うのも「新型インフルエンザ発生時等における対処要領(案)」には、

内閣危機管理監は、内閣官房副長官補及び関係省庁の局長等の幹部と、事態について緊急に分析・協議を行い、その結果を内閣総理大臣等に報告する。また、内閣官房副長官補(内政)は、必要に応じ、関係省庁対策会議を開催し、情報の共有を図るとともに、政府としての対策について協議を行う。

こう書かれてはいます。しかしあくまでも個人的な印象ですが、そんな立派なものが動いていた実感が感じ難いところがあります。それとも新型インフルエンザ対策推進本部がそれに該当するんでしょうか。また閣議決定である「新型インフルエンザ対策に関する政府の対応について」には、

2.対策本部の設置等

 政府は、新型インフルエンザが発生し、政府としての対策を総合的かつ強力に推進する必要がある場合には、内閣総理大臣の判断により、内閣に、内閣総理大臣を本部長とし、内閣官房長官及び厚生労働大臣を副本部長とする対策本部を速やかに設置する。対策本部の構成員及び運用については、別紙のとおりとする。

こうともなっています。もっとも対策本部のメンバーは錚々すぎる肩書きですから、実質は連絡会議であり、実務は厚労省内の新型インフルエンザ対策推進本部の形式であったのかもしれません。実務は厚労省が担うのは何の不思議もありませんが、形式的には上部機関になりそうな「対策本部」からはウンともスンとも声が聞こえなかった気もしないでもありません。ここも私の調査不足があり、よくわからないところです。


それはともかく4つの対策の中ではガイドラインより新型インフルエンザ対策行動計画の方が実際には重視されたと考えられます。傍証としてその16ページに見慣れた図が提示されています。

73ページもある対策ですから全部は読みきれないのですが、成立時期からしガイドラインを参考にして作られたと考えるのが妥当です。それと閣議決定された「新型インフルエンザ対策に関する政府の対応について」と同じ日の成立ですから、閣議決定には何ひとつ書かれていませんが、実際に対策を行なうのなら行動計画に準じる意図があったと考えるのが妥当かもしれません。



どうにも話が拡散してしまいましたが、覚えているうちの備忘録程度に受け取ってもらえれば幸いです。