偽陰性リスクと防衛的インフルエンザ治療

新型インフルエンザにおける簡易検査の精度は季節性より落ちるらしいの情報がある程度定着しています。具体的なデータとしてはまだまとまっていないと思うのですが、国立感染症研究所のCDC情報の新型H1N1インフルエンザウイルス(ブタインフルエンザ)集団発生におけるインフルエンザ様疾患の患者に対するインフルエンザ迅速診断検査の利用には「迅速インフルエンザ検査の信頼性と解釈」としてまず、

    迅速インフルエンザ診断検査の信頼性は、その使用される状態に大いに依存するものであり、また全て季節性インフルエンザでの経験に基づいている。
こう前置きした上で、

  • 季節性インフルエンザウイルス感染の検出に関して、迅速診断検査の感度はウイルス培養またはRT-PCRと比較するとおよそ50-70%であり、迅速診断検査のインフルエンザに対する特異度はおよそ90-95%である。新型インフルエンザH1N1ウイルスに対する感度と特異度は不明である。
  • 偽陽性(真の陰性)結果は、インフルエンザがコミュニティーの中であまり流行していない、アウトブレイクの初期、および最後の時期により多くみられやすくなる。
  • 偽陰性(真の陽性)結果は、インフルエンザがコミュニティーで流行している、アウトブレイクの真っ最中に多くみられる。
  • 検査の感度は疾患の経過中のどの段階で採取した検体かによって変化しうる。検査に関する呼吸器検体は、ウイルスの排出が最大となる発症後4-5日のあいだに採取されるべきである。
 これらの限界を考慮した上で、患者に迅速インフルエンザ検査診断を行うかどうかの決定は、患者の現在の症状、新型インフルエンザH1N1の症例の地域内発生の有無、及び/または患者の重症化または他の合併症に関するリスクに基づいて行われるべきである。

ここで

    検査に関する呼吸器検体は、ウイルスの排出が最大となる発症後4-5日のあいだに採取されるべきである
診断法としては正しい情報ですが、治療としては困る情報になります。発症後「4〜5日」も患者を待たせるのは日本では不可能ですし、インフルンエンザ治療薬は発症後48時間を過ぎれば効果が乏しいとなっています。つうか4〜5日もすれば治る患者は治っていますし、重症化する患者は大変な状態になっています。

偽陽性の話は今日は省略しますが、問題は偽陰性でこれをどう考えるかになりますが、CDCレポートでは、

 新型H1N1インフルエンザウイルスへの感染は、迅速抗原検査によりインフルエンザA陰性の結果であるだけでは除外できない。もし、患者が確定症例との疫学的リンクがある(すなわち、確定症例と濃厚に接触した)または新型H1N1症例を1症例以上確認したコミュニティーへの旅行または居住のいずれかがあれば、追加検査及び治療は、臨床的疑い、疾患の重症度、および合併症のリスクに基づいて行われるべきである。もし、疫学的リンクがなく、患者が軽症である場合、追加検査及び治療は推奨しない。

このCDCレポートは検査にかなり限定した内容のようで、追加の確認検査(PCR検査等)の必要性の有無しか論じてくれていません。疫学上の問題も重要ですが、臨床に携わる人間としては、検査と治療の連動に関心が及ぶ事になります。


インフルエンザ治療での大きなポイントはインフルエンザであるかないかで治療が大きく変わることです。大した話ではないのですが、インフルエンザであるならインフルエンザ治療薬の投与を考えるのですが、インフルエンザ治療薬はインフルエンザにしか有効でないのが問題です。インフルエンザの症状は一般に強い不快症状を伴う高熱があり、気管支炎の合併も多いので、とりあえず見た目は俗に言う「重症ぽい」ものです。

簡易検査で陽性となりインフルエンザの診断が付いたものは良いのですが、症状的に十分怪しまれても検査では陰性を示すものをどう考えるかが難しいところです。症状からインフルエンザと診断してインフルエンザ治療薬を投与して、もしインフルエンザでなければ治療をしていないのと同じ事になります。言われ方によっては「誤診による重症化」の批判も出てきます。

では検査を素直に信じてインフルエンザでないと診断し、抗生剤等の他の薬剤で治療した時、もしインフルエンザであればこれもまた何も治療していないのと同じになります。

両方のリスクを天秤にかけて考えるのですが、おそらく多くの医師は検査結果を優先しての治療判断を行なっているかと考えています。理由はインフルエンザであれば、殆んどは何もしなくても治るからです。今でこそ治療薬がありますが、出来たのはごく最近の事であり、それ以前は対症療法以外に何もすることが無かったからです。それでも「重症の風邪」ぐらいで、大部分はなんとかなるの経験を十分に持っているからです。

逆に発熱原因が細菌感染症であれば重症化の懸念は高くなります。検査結果の陰性を押しきってまで、あえてインフルエンザと診断し、他の病原菌による感染の可能性を否定するという選択は非常に慎重になります。バランスとしてインフルエンザであることを見逃した方が、患者の被害が少ないと言えば良いでしょうか。

もう少し言えば、検査陰性を押しきってのインフルエンザ診断が誤診であり、それによる結果が重大なものであるなら、釈明も弁明も非常に苦しくなるというのも本音であります。この辺はもちろんケース・バイ・ケースがテンコモリあり、時に混合感染の可能性まで念頭に置く必要がありますから、一概に言えない事はたくさんあります。私も外来で日々悩んでいる事でもあります。


ここで9/7付CBニュース(Yahoo !版)より、

 一方、勤務医の男性は「(簡易検査で)陽性が出ればタミフルを処方するが、陰性で翌日にまた来てもらっても、再び陰性になることもある。統一基準を出してもらうことはできないのか」と質問。これについて正林室長は、「今回のインフルエンザの場合、発症2、3日目でも(簡易検査で)陽性にならない場合がある」とした上で、「(検査結果が陰性でも)状況から考えて新型インフルエンザの可能性が高い場合、個々の先生の判断で新型インフルエンザとして診療することもあると思う。その状況によって対応が全く異なるため、何らかの基準をつくるのは非常に難しい」との考えを示した。

ここ以外のところは中間管理職様が「新型発生初期の「症例定義」は必要だったのか」 ”海外渡航”とか”濃厚接触”とかでまとめられていますし、私も何度か触れたのであえて触れません。私が注目したのは正林督章・新型インフルエンザ対策推進室長の、

    「(検査結果が陰性でも)状況から考えて新型インフルエンザの可能性が高い場合、個々の先生の判断で新型インフルエンザとして診療することもあると思う。その状況によって対応が全く異なるため、何らかの基準をつくるのは非常に難しい」
正林室長も別に妙な事を言っているわけではなく、判断が微妙な物に統一基準を作れるわけがないというのは理解できます。インフルエンザ症状と言っても、とくに小児科の場合、他の病原菌での発熱症状とほとんど区別がつかない事が少なくないからです。ただ厚労省のインフルエンザ担当者として、
    「今回のインフルエンザの場合、発症2、3日目でも(簡易検査で)陽性にならない場合がある」
こう前置きされた上の発言ですから、取り様が難しくなります。あんまり悪意で取ると申し訳ないのですが、偽陰性であっても見逃しは困ると聞こえてしまうからです。そこまでの悪意はないと信じたいところですが、こういう発言を後で増幅される方が少なからずおられるのはだけは間違いないと思うからです。

そうなると偽陰性対応は例年以上にシビアに考えておく必要があるかもしれません。検査陰性の時に考えられるシミュレーションは、

  1. 実はインフルエンザである
  2. インフルエンザ以外の感染症である
  3. インフルエンザと他の感染症の混合感染
もちろん「その他」もありますが、煩雑になるのでこの3つのケースが存在する事にします。追加検査をもし行ったとしても、CBCCRP程度が診療所クラスでは速報(診察中と言う意味)で手に入る精一杯の情報であり、これではせいぜい純粋のインフルエンザ感染でないのが否定できるだけです。こういう状況下で取りうる治療手段としては、
  1. インフルエンザと診断しインフルエンザ治療薬のみを投与する
  2. インフルエンザを否定し抗生剤等を投与する。
  3. 混合感染もしくは、どっちが外れても良い様に、インフルエンザ治療薬と抗生剤等を併用で投与する。
今日は抗生剤投与の有用性についての議論は控えさせて頂きます。ここでの選択となると、薬剤の副作用リスクの問題はありますが、治療として一番ハズレが少ないのは併用療法です。インフルエンザであれば有効ですし、抗生剤が有効なものであれば効果が期待でき、それ以外のものなら最初から何も効きません。

その上でなんですが、もう少し考えれば検査陽性であっても混合感染の可能性はやはり否定できません。検査陽性とはインフルエンザ感染はある事を示しているだけです。混合感染の事を念頭に置き、現在でもインフルエンザ治療に際して、インフルエンザ治療薬と抗生剤の併用投与をルチーンとされている医師もおられます。もちろん混合感染自体は発生する確率は低いですが、ある一定の確率では発生し、さらに混合感染の有無は診察での鑑別は非常に難しいところがあります。


自分の導いてきた論理に、どうも無理がありそうな気もするのですが、偽陰性での見逃しリスクを高く取れば、インフルエンザ簡易検査は不要となります。不要とは疫学的にではなく、臨床的に治療を行なう上でです。現実にはインフルエンザ検査を行わないとインフルエンザ治療薬を処方できないという診療報酬上の縛りがありますが、治療方針の決定にはさほど関係しないという事です。

どういう事かと言えば、インフルエンザであることをある程度以上疑って検査した場合、

    検査陽性:混合感染のリスクを考え併用療法
    検査陰性:偽陰性のリスクを考え併用療法
こうなれば検査結果ではなく、医師が症状を疑うか疑わないかの比重が高くなります。医師の判断と言っても、それなりに症状があり、さらに偽陰性での見逃しリスクを高く取られれば、治療方針は無難な併用療法に流れてしまう可能性が低くないと見ます。

医療は近年「ゼロリスク」を強く求められています。「ゼロリスク」と言っても、結果からのゼロリスクです。さらに言えばシチュエーションによるゼロリスクです。併用療法は薬剤の副作用と言う面からだけでも全然ゼロではないのですが、現時点のインフルエンザ治療でのゼロリスクとは、インフルエンザであることを見逃さないゼロリスクになると考えています。

検査は上述した様にある一定の確率で見逃しが発生します。そこでゼロリスクを強く求められると治療段階でのリカバリーが必要になり、併用療法と言う選択枝に流れざるを得なくなります。とくに今後のマスコミ報道で、偽陰性による見逃しを強く非難する報道でもされようものなら、一斉に靡く可能性も十分あります。

もっともなんですがゼロリスク要求がもう一歩進めば、「不要な薬を服用するリスク」も出てくるのは十分考えられます。つまり検査陰性であっても「常に正しく診断せよ」の要求です。患者側の心情としてわかりますし、副作用リスクの減少や、インフルエンザ治療薬や抗生剤の濫用を控えるという意味でも正論ではあります。ただそこまで求められれば、神の手以外の医師は裸足で逃げ出したくなります。


考えすぎと言われるかもしれませんが、当分は新型も含めたインフルエンザ報道は続くとみていますし、国民的関心も続くと思われます。これからのインフルエンザ流行で、インフルエンザの診断治療方針がどう変っていくか、嫌でも体験させられそうです。