ヘリ怖い

個人的には怖い乗り物です。怖いと言っても乗ったのは、観光で一度きりですから大した経験ではないのですが、あんまり乗りたいものではありません。ですから医療費削減の大合唱の中でも、なぜか推進されてきたヘリ救急にも、まず縁がない開業医である事はラッキーと思っています。勤務医であれば乗らざるを得ないような状況にならないとは限らないからです。

個人的な好き嫌いはともかく、ヘリ救急が推進されるかは不思議に思っています。建前の救命率の向上はさておき、狭い日本でどれほど活躍場所があるのかどう考えても首をかしげてしまうからです。日本でも離島であるとか、北海道のような広大な面積に人と医療機関が点在するところならともかく、他の地域でも救急計画にセットのように「ヘリ救急の整備」があるのは不思議な光景です。

趣味で里山によく登りますが、山頂から見える風景でいつも感心する事があります。実に見事なぐらい平地は利用されている事です。田んぼになり、畑になり、住宅地になりです。おそらく有史以前から延々と開墾、開発された成果だと思っています。ど田舎であっても「空き地」なんてものは殆んど見当たりません。言い換えればヘリでも着陸できる土地は非常に少ないように見えます。


ところでヘリは安いものではありません。購入単価が高いだけではなく、維持費も半端じゃないぐらい必要です。また自動車の様にある程度誰でも操縦できるものではなく、専用のパイロットが必要とされます。またヘリ免許は合宿免許2週間で取得できるものではないと思っていますから、パイロット確保もタクシーの運転手みたいな費用での確保は難しいだろうと考えています。それでも推進整備が強力に行なわれています。それもさしたる反対も無しにです。

当然何か救急医療以外の目的もあると考えるのが自然です。少なくとも医療者だけが「ヘリ救急を整備せよ」と要求しても政府が動くはずもないからです。政府をも動かす事が出来る圧力団体が活動していると考えるのが妥当と考えます。どんな圧力団体が想定されるかといえば、救急ヘリ整備により利益を受ける立場の団体と考えるのがこれもまた妥当です。

救急ヘリ整備により利益を受けるのは、ヘリを販売する業界がもっとも関係すると考えます。もちろんヘリ救急整備の周辺事業(ヘリポートなどの整備)もメリットがあるでしょうが、まず販売する業界が一番有力でしょう。そこまで考えたたら日本のヘリの機数が気になります。この統計データが簡単には出て来ないのですが、日本ヘリコプタ協会の資料にこんなグラフがあります。

グラフを見ればお分かりのように1991年がピークでこの頃には約1200機あったそうです。ところがその時期から漸減傾向になり、2002年には868機になってます。10年で3割弱ヘリが減少している事がわかります。では2002年から後はどうかですが、今度はANA総合研究所の資料です。
2006年で778機ですから、現在は750機ぐらいと考えてもおかしな推測ではありません。そうなるとピークから3割以上減少して、6割強まで日本のヘリ市場は縮小している事になります。保有機数はヘリ市場と単純に考えても問題は少ないでしょうから、20年弱で日本のヘリ市場はそこまで小さくなっていると考えられます。販売製造に携わる業界が危機感を深めていても何の不思議もありません。

私はヘリ救急整備で、たとえば全都道府県に2機ずつ新たに配備しても全部で100機ほどですから、この程度が利権になるのかと思っていましたが、日本の全民間ヘリ保有機数が750機程度となれば、かなりのインパクトであることが良く理解できます。100機も増えればヘリ業界にとっては慈雨のような需要になります。もっと増えて150機にもなれば欣喜雀躍してもおかしくありません。

それとこれも日本ヘリコプター協会の資料でやや古いのですが、

国産機数の比率はこんなものです。ここに100機とか150機の新規需要が舞い込めばどれだけ効果があるかは一目瞭然のようにも思えます。この辺は日本の技術力でどうかとか、海外メーカーとの力関係はどうかとか、日本のヘリ生産メーカーは自衛隊用が主力であるとかありますが、主力の自衛隊用でも年間50〜60機ぐらいがどうやら需要みたいですから、1/3でも受注すれば大騒ぎぐらいの規模であるとも思われます。

もちろんヘリ業界が実際にどれほど活動したかなんて証拠があるわけではありませんが、状況証拠ぐらいはどうもあるとしても良さそうです。もっともヘリ業界自体がそんなに強力かと言われたらサッパリわからないところで、「ヘリ業界が」と言うより「ヘリ業界も」ぐらいが推理としては適切な様な気がします。



さてヘリ救急の方ですが、かなり危険とは言われています。こういう時にはヘリ救急の先進国であるアメリカのデータを参考にするのが良いでしょう。HEM-Net(調査報告書9)第2部 アメリカ篇 第2章 救急ヘリコプターの安全にかなり手際よくまとめられています。ここに有名なセリフがまずあります。

ジョンズ・ホプキンス医科大学の調査結果では「1983年から2005年4月までの救急ヘリコプターの事故を分析調査したところ、乗員の危険度は事故率から見て、米国で最も危険な職業になった。ごく普通の職業についている人の6倍も危険である。また鉱山で働く人の2倍に及び、戦場を飛ぶ戦闘機のパイロットと同じくらい危険」になったという。

相当な危険であるようで、

    戦場を飛ぶ戦闘機のパイロットと同じくらい危険
これはジョンズ・ホプキンス医科大学の調査結果であるとを初めて知りました。もう少し具体的には

1980〜88年の救急ヘリコプターの事故は59件であった。飛行10万時間あたり12.34件の事故率で、これは普通のヘリコプター事故の2倍に近い。また死亡事故率は10万時間あたり5.4件で、通常の3.5倍に近い。このように救急ヘリコプターの事故率は他のヘリコプターにくらべて著しく高いのが実態である。

 つまり、救急機が急増する以前から、事故率は高かった。ということは、ヘリコプターの救急飛行それ自体に危険な要素が潜んでいることを示すものかもしれない。

データだけ取り出すとやや古い(1980〜1988年)ですが、

  • 飛行10万時間あたり12.34件の事故率
  • 普通のヘリコプター事故の2倍に近い
  • 死亡事故率は10万時間あたり5.4件
  • 通常の3.5倍に近い
この危険率の高さは戦場の戦闘機のパイロット並と言う事になります。次におもしろい視点の死亡率の比較がまとめられています。


死亡原因


10万人あたり死亡率


全原因、全年齢


848


心臓病


246



194


医療過誤


131-292


救急ヘリ乗員


102


脳卒中


57


全事故


36


交通事故


15


転落


5


毒物


5


救急ヘリ患者


0.65



これはシカゴ大学航空医療部門の責任者、アイラ・ブルーメン教授のまとめたデータですが、1980〜2007年の28年間のデータ分析の結果だそうです。病院で医療過誤をされるよりも安全そうですが、交通事故の7倍弱はヘリに乗る者として嬉しくない数字です。


問題は日本とアメリカの環境で同じ結果が出るかですが、これは専門家で無いので難しいところです。素人考えとして、アメリカより日本が事故が減る要素はさほどないように思います。とくに日本のそこそこの都市部で運用しようものなら、ヘリ事故による巻き添えは多くなると考えるのが妥当で、大きな差はあまり生じないと考えます。少なくとも日本がアメリカより極端に少なくなる理由は見出し難いと考えます。

でもそんな事は気にせずにヘリ救急の整備の進軍ラッパは鳴り響いているようです。7/29付タブロイド紙地方版より、

ドクターヘリ:県が新たな運用開始 夜間も待機、24時間体制に /埼玉

 県は28日、防災ヘリに医療スタッフを乗せ、夜間から早朝にかけて「ドクターヘリ」として救急現場に派遣する新たな運用を始めた。既に専用のドクターヘリ1機があるが、医療スタッフやパイロットの確保に膨大な費用がかかるため、日中の運用に限られていた。夜間も待機する防災ヘリを活用することで、24時間体制となった。

 県医療整備課によると、防災ヘリのドクターヘリとしての運用は、日没30分前から翌午前8時半まで。要請を受けると、川島町の県防災航空センターを出発し、日高市埼玉医大国際医療センターで医療スタッフを乗せて目的地に向かう。夜間の着陸可能場所は両センターを含め12カ所。ドクターヘリは、08年度は137回、今年度は今月27日までに52回出動している。【山崎征克】

    医療スタッフやパイロットの確保に膨大な費用がかかる
この程度のことはヘリ救急ではさしての障害にもならず、夜間も含めた24時間運用、つまりアメリカ並みの「戦場の戦闘機のパイロット」の危険率での運用に嬉々として進んでいる事になります。ヘリ怖いの私としては、埼玉に住んでおらず、勤務医でもない幸せを噛みしめる事にします。もちろん「ヘリ大好き」「夜間飛行はロマンだ」「ホイスト降下もバッチリ」と言う医師の方が参加されるのは「どうぞ、どうぞ」です。あくまでも私が「ヘリ怖い」だけのお話です。