幻の和解案

昨日の紫色先生の名誉毀損訴訟の追加編です。訴訟の結果は一審判決にさらにおっかぶせる様に新たな事実認定を加え、タブロイド紙集英社側の主張は粉砕されています。その判決前に行なわれた和解案を巡るお話です。民事訴訟は当事者の争いの仲介が裁判所の役割であり、裁判所も常に和解のタイミングを見計らっています。原告、被告からの提案だけではなく裁判所自ら和解を主導する時もあります。

和解の話が出る事自体は民事訴訟では何の不思議もないのですが、今回の訴訟では紫色先生の勝訴!毎日新聞記者らの破廉恥な和解案によれば、

相手側二審が結審した直後。和解を望んできました。

結審後の和解の提案がポピュラーかどうかは良く分からないのですが、当然と言うか訴訟の帰趨をかなり予想してのものだと考えます。簡単には勝てそうか、負けそうかです。タブロイド紙集英社側には弁護士が代理人を勤め、彼らも名誉毀損訴訟のプロでしょうから、一審からの流れ、二審の展開からかなりの精度で判決を予想していたかと考えます。

予想される結果は、

  1. 逆転でタブロイド紙集英社側の勝利
  2. タブロイド紙集英社側の主張もある程度認められ、賠償額が減額される痛み分け
  3. 一審のままのタブロイド紙集英社側の敗北
おおよそこの程度があると考えられますが、タブロイド紙集英社側はどの想定で和解を申し込んだかになります。常識的には不利と考えられる方が、判決と言う明確な結果が確定される事を避けるために提案する事が多いとは思います。結審まで進んでいるのですから、今さら訴訟費用が安くなるとか、訴訟への手間ひまが軽減されるわけではありませんから、勝てる見通しならタブロイド紙集英社側は和解など提案する理由はないと考えます。

また紫色先生側も「金のため」と言うより「名誉のため」の比重が重い訴訟です。本人訴訟とは言え、一審で認められている賠償額は80万円ですし、かける時間と手間を考えると、訴訟で大儲けなんて状態に程遠いのは誰が見ても分かります。訴訟と言う場でタブロイド紙集英社側に対しはっきり名誉を回復したいの考えが強いと思われます。

紫色先生が判決に対しどういう見通しを持っていたかは、ご本人に聞かないと知る由もありませんが、一審を踏まえると負ける可能性は低いと考えていたとしても不思議ありません。もちろん訴訟は水物の側面もありますから、一抹の不安はあったとは思います。判決結果を知っている時点で論じるのは少々難しい点がありますが、タブロイド紙集英社側からの和解案の提案は「和解してやる」ではなくて「和解して欲しい」のスタンスであったと状況から推測します。その辺の傍証として判決当日の様子を紫色先生が書かれており、

 そして何より、被告側が敗訴を予測していたことの表れは、弁論期日も、和解期日も弁護士2人、被告記者2人、毎日新聞社法務関係者、集英社関係者など毎回6-8人訴訟にかかわっていたのが、控訴審判決では法廷に現れませんでした。被告側席0人、原告側席1人。傍聴者席20人近くという状況で判決を聞きました。

少なくとも紫色先生は「和解してやる」のスタンスでタブロイド紙集英社側の和解案を読まれたと思うのですが、かなり意外の念を抱かれたようです。和解案は長くも無いのでリンク先を確認して欲しいのですが、サラッと読んでも法律文ですから素人にはピンと来ない点があります。そこでタブロイド紙集英社側、紫色先生さらには裁判所の3種の和解案がありますので、パーツに分解して比較対照してみたいと思います。

3つの和解案は内容は似ているのですが構成が若干異なるため、少々強引に該当部分を並べていきます。まずなんですが、和解の前提みたいなところです。

タブロイド集英社 裁判所 紫色先生
控訴人らは、本件書籍において、本件事故の原因として後の刑事事件の控訴審判決が認定した事実と異なる記述が存在すること及び被控訴人が無罪を主張していた事実について言及がないことを認め

控訴人らは、本件書籍において、本件事故の原因として後の確定した刑事事件の無罪判決が認定した事実と異なる記述が存在すること及び被控訴人が無罪を主張していた事実について言及がないことを認め 控訴人らは、本件書籍において、被控訴人が2003年8月までに主張していた事実、すなわち本件事故の原因として確定した刑事事件の無罪判決が認定した事実と異なる記述が存在すること、及び、専門家に対する取材が不十分であったことを認め


微妙に異なるのですが、ここのカギの前提は2003年7月から8月に掲載されたタブロイド紙連載記事の真実性への言及程度かと考えられます。これが間違っていた事、つまり名誉毀損の認識への表現ですが、該当部分をタブロイド紙集英社側から抜粋すれば
    本件事故の原因として後の刑事事件の控訴審判決が認定した事実と異なる記述が存在
裁判所と紫色先生の案と比較すればよくわかるのですが、「無罪判決」であったとの記述を飛ばしています。些細といえば些細な事ですが、この名誉毀損訴訟の判決構成は、3学会報告書が刑事訴訟の無罪判決に決定的な影響を及ぼしているのに、タブロイド紙はこの事を無視したのが問題点となっています。どれほど3学会報告書が大きかったのかの傍証が刑事事件の無罪判決であり、それほど大きな証拠を「知らなかった」は許されないとの判決です。

ところがタブロイド紙集英社側は無罪判決ではなく、判決の中に異なる記述があっただけとしてます。判決の和解文ですから、一字一句の有無は小さくありませんから、このタブロイド紙集英社側の和解案を受け入れると、タブロイド紙集英社側は「あの和解は無罪判決と無関係である」との主張も可能になるわけです。

次は「わび文句」みたいなところです。

タブロイド集英社 裁判所 紫色先生
控訴人が不快の念を抱いたことについて遺憾の意を表明する 控訴人が不快の念を抱き、迷惑損害を受けたことについて遺憾の意を表明する 控訴人が不快の念を抱き、迷惑損害を受けたことについて真摯に反省し謝罪する


ここも微妙な差なんですが、タブロイド紙集英社側は「遺憾」だけの表現で終わっています。遺憾という言葉はヌエみたいな言葉で、これは大辞林からですが「遺憾」の意味として、

思っているようにならなくて心残りであること。残念な、そのさま。

つまり「不快の念」を抱かせたことは「不本意」でしたぐらいの表現に留まっています。裁判所案は同じ遺憾を使うにしても「迷惑損害」を重ねて遺憾の意味の限定化を狙ってますし、紫色先生の案に至ってははっきり「反省」と「謝罪」の表現を求めています。

その次は「詫び文句」を表明した上での今後の態度です。

タブロイド集英社 裁判所 紫色先生
控訴人らは、被控訴人の刑事裁判における被控訴人の主張に関する取材が不十分だったという被控訴人の見解を真摯に受け止め、今後の取材・編集活動に生かすべく努める。 控訴人らは、被控訴人の刑事裁判における被控訴人の主張に関する取材等が不十分だったという被控訴人の見解を真摯に受け入れ、今後の取材・編集活動に生かすべく努める。 控訴人らは、被控訴人の刑事裁判における被控訴人の主張に関する取材を初めとした刑事裁判の取材が不十分だったことを真摯に受け入れる


ここはほぼ同じと解釈してよいのですが、ここまで来るまでの文脈がかなり異なっている事は注意しておく必要があります。その次が面白いところなんですが、あえてどんな事かと言えば「タブロイド紙集英社側の言い分」みたいなところです。


タブロイド集英社 裁判所 紫色先生
控訴人は、本件書籍執毎及び発行の目的が、医療事故における組織的・制度的な問題の究明にあり、被控訴人を含む医師個人の責任を追及したりその名誉を毀損することにはなかったことを理解する。 控訴人は、本件書籍執筆及び発行の目的は、医療事故における組織的・制度的な問題の究明であり、被控訴人を含む医師個人の責任を追及したりその名誉を毀損することにはなかったことを理解する。 言及なし


タブロイド紙集英社側、裁判所とも文面は同じなのですが、要は「悪気は無かった」と認めよです。紫色先生は黙殺で持って応じています。そんな事は決して同意しようと思わないと言えばよいのでしょうか。ここまでのタブロイド紙集英社側の和解案の趣旨をまとめると、
    ちょっとした間違いで、不快の念を抱かせたことは不本意であったが、悪気は無かったことは認めてもらう。
こういう感じで和解案の話は進んでいます。そういう展開の下に次の項目が出現します。

タブロイド集英社 裁判所 紫色先生
控訴人ら及び被控訴人は、本件訴訟が和解によって解決したという事実並びに本和解条項第1項及び第2項の内容を除き、本件訴訟の経緯並びに本件訴訟において提出された準備書面等及び証拠(但し、公刊物を除く。)を秘密として保持し、正当な理由なくこれを第三者に開示又は漏洩しない。 控訴人ら及び被控訴人は、本件訴訟が和解によって解決したという事実並びに本和解条項第1項及び第2項の内容を除き、秘密として保持し、正当な理由なく、これを第三者に開示又は漏洩しない。 本件訴訟で主張した準備書面と陳述書の全てを撤回


ここはタブロイド紙集英社側の上述した和解案趣旨を踏まえると分かりやすくなります。和解すれば判決文は出ませんが、準備書面や証拠は公判ですから公開可能です。しかしあくまでも「ちょっとした間違い」ですし「悪気も無い」ので、準備書面や証拠は非公開にせよとの提案です。好意的に受け取れば公開する事により新たな紛争を防ぐとも受け取れますが、準備書面や証拠は公開したくないのだと紫色先生は受け取られています。


和解が成立すればお互いに債務が無いことを確認するのは和解案の必須条項ですから置いといて、気になるところがあります。金銭に関するところです。和解案なんて初めて読むので分からないところですが、タブロイド紙集英社側はいくら和解金を支払うか明記していないのです。該当部分を抜粋すると、

タブロイド集英社 裁判所 紫色先生
訴訟費用及び和解費用は、第一審、控訴審とも各自の負担とする 金銭支払い項目:和解金100万円

訴訟費用及び和解費用は、第一審、控訴審とも各自の負担とする
和解金600万円と2003年12月23日から完済に至るまで年5分の割合による金員および第一審、控訴審ともに全ての訴訟費用を被控訴人に支払う


裁判所の100万円は一審判決80万円プラス、年5分の利率が5年積み重なった額かと思われます。紫色先生は和解するならこれだけ払ってもらうの条件を出しています。しかしタブロイド紙集英社側は「和解費用」と記しているだけで、誰が誰にいくら支払うかをどこにも明記していないのです。金銭に関る訴訟ではこの点は重要な点だと考えるのですが、不思議な点です。

もっとも全然書かれていないわけではなく、タブロイド紙集英社側の和解案のオリジナルを見ると欄外に走り書きで、

「金銭支払い項目 和解金100万円」と書かれている事は確認できます。この和解案のオリジナルは、変というか何と言うか、まるで草稿か下書き状態の様相になっています。最初は紫色先生がこの和解案を下に作戦を練ったかと思ったのですが、よく考えればオリジナルに書入れをするとは思えません。公式書類ですから、書入れをするならコピーなりを取って行なうはずです。つまりこの書き込みは正式の和解案そのものであることになります。つまり書き込みも含めて正式と言う意味です。

では誰が書き込んだかになります。ここでヒントになるのが、

また、裁判官もあきれて、修正しました。

書き込みがあっても正式になるのは、書き込んだ人間が書き込んでも正式になる人間だけです。そういう立場の人間は裁判官のみであろうと考えます。良く確かめて欲しいのですが、書き込みにより訂正された和解案は裁判所案と同じになります。考えられるやり取りとして、

  1. タブロイド紙集英社側が裁判官に和解案を提示
  2. 裁判官が「いくらなんでも」と手書きで修正
手書きで修正がオリジナルを紫色先生が見た後か、その前かは分かりませんが、どうやら裁判官が手を加えたもの、すなわち裁判所案がタブロイド紙集英社側の和解案と言う形式になっている気がします。つまりもともとのタブロイド紙集英社案には和解金の具体的な金額は書かれていなかったと言う事になります。

その前提からすると確認できるところがあります。もう一度見て欲しいところなんでそこだけ引用しますが、準備書面と証拠に関するところです。タブロイド紙集英社側のもともとの和解案では、

    控訴人ら及び被控訴人は、本件訴訟が和解によって解決したという事実並びに本和解条項第1項及び第2項の内容を除き、本件訴訟の経緯並びに本件訴訟において提出された準備書面等及び証拠(但し、公刊物を除く。)を秘密として保持し、正当な理由なくこれを第三者に開示又は漏洩しない。
これに対して裁判官の修正は、
見ればお分かりのように
    本件訴訟の経緯並びに本件訴訟において提出された準備書面等及び証拠(但し、公刊物を除く。)を
この部分を裁判官はバッサリ切り落としています。裁判官は和解条項として準備書面や証拠(陳述書)の非公開に対してどういう見解であったかに興味がもたれます。この辺は法律知識に薄いのですが、そもそも公判であるのに和解条項だからと準備書面や証拠を秘密に出来るのかに疑問さえ抱いています。もちろん公式にはどうかは知識不足でわかりません。


和解案はいろいろ興味深い点が多いのですが、この訴訟が和解に至らず判決まで進んだ事は昨日示した通りで、タブロイド紙集英社側がひた隠そうとした準備書面や証拠の公開の権利は紫色先生が握っている事になります。お時間が出来れば公開され、解説が書ける日を心待ちにさせて頂きます。