7/11エントリーの焼き直しと言うか、まとめ直しと言うか、タイトル通りの雑感編です。引用元は新聞協会HPにある1978(昭和53)年5月11日第351回編集委員会「新聞著作権に関する日本新聞協会編集委員会の見解」です。
この見解によれば新聞記事の著作権は3つに大別されるそうです。
新聞に掲載される記事を現行著作権法の規定に基づき分類すると以下の三点に大別される。
2.と3.も細かい点はいといろと意見したくなる点もあるのですが、今日の焦点は
これについて考えてみます。最初に言っておきますが、新聞記事全般に著作権があったとしても、その事自体はとくに否定的に考えていません。いろんな意見があるにしろ、金をかけて情報を集め発信しているのですから、その情報に著作権があってもおかしいとは思いません。ただ日本の著作権法では新聞記事の一部に著作権を認めていないものがあります。そういう定義がどういう経緯で出来上がったのかまで知る由もありませんが、法は法ですから「そういうもの」としなければやむを得ません。医師だって医師法19条や21条の解釈と運用に困惑させられる事は実態としてあります。医師法は置いといて著作権法は1971年に大きな改正が行なわれたようです。旧著作権法の著作権のない新聞記事の定義は見解にあるように、
新聞紙又ハ雑誌ニ掲載シタル雑報及時事ヲ報道スル記事
「雑報及時事ヲ報道スル記事」はほぼ無条件で著作権がないとされていたようです。これが1971年の改正により著作権法第10条第2項になるのですが、1項も合わせて見てもらいます。
第十条 この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。
一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
2 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号に掲げる著作物に該当しない。
二 音楽の著作物
三 舞踊又は無言劇の著作物
四 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
五 建築の著作物
六 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
七 映画の著作物
八 写真の著作物
九 プログラムの著作物
ここの条文の解釈として字句どおりに解釈すると、「前項第一号」とは「小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物」であり、「雑報及び時事の報道」はこれに該当せず著作権はないとしています。問題の一文は
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事実の伝達にすぎない
新法では「事実の伝達にすぎない」という限定句が加わっており、自由に利用できるニュース記事の内容をより狭く制限していると考えるのが妥当である
「妥当である」との主張は明確な根拠がないとも受け取れそうですが、見解では文化庁の見解を引用してこの主張を補強しています。
「『事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道』とは、いわゆる人事往来、死亡記事、火事、交通事故に関する日々のニュース等、そのものが著作物性を有しないものをいうのであって、一般報道記事や報道写真はこれに該当せず、著作物として保護されるべきものである」(1976(昭和51)年6月『新しい著作権法の概要』)
この文化庁の見解では、
これを根拠に新聞協会は殆んどの記事に著作権があるとの見解を示しています。見解を引用しておくと、この文化庁の考え方を適用すると、自由に利用できるニュース・報道記事は、極言すれば単純なストレートニュースにおける事実関係を追った記事だけに限定され、当該事件を構成する要因、背景または取材過程で見聞した事実などを伴った報道記事は、当然著作権の保護を受ける対象になると解釈するのが妥当である
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そのものが著作物性を有しないもの
「だれが、いつ、どこで、どんな死因で、死去した。何歳だった」というだけの死亡記事や、「いつ、どこで、だれの車が、だれそれの車と衝突し、だれそれは重傷」といった簡単な交通事故の記事は、公式に発表された事実関係だけを記述しただけですから、だれが書いても、あるいはどの新聞社が記事にしても、記事の書き方にはほとんど差がありません。しかし、死亡記事であっても、故人がどんな人で、どのような業績があったのかに触れたり故人を追悼する気持ちを出そうとしたものや、交通事故でも、事故の背景や周辺の様子などを記述していれば、単なる事実の伝達を超え、記者ごとの特徴を反映した記事になります。著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義(第2条の1号)しており、記者によって表現に差が出るような記事は、著作物の条件に当てはまると言えます。
ここで著作権のない記事として、
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いつ、どこで、だれの車が、だれそれの車と衝突し、だれそれは重傷」といった簡単な交通事故の記事は、公式に発表された事実関係だけを記述しただけ
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死亡記事であっても、故人がどんな人で、どのような業績があったのかに触れたり故人を追悼する気持ちを出そうとしたものや、交通事故でも、事故の背景や周辺の様子などを記述していれば、単なる事実の伝達を超え、記者ごとの特徴を反映した記事になります
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著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義(第2条の1号)
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
新聞協会は条文の前半部分を引用していますが、条文にはさらに後半部分がある事がわかります。つまり著作性は
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必要条件:思想又は感情を創作的に表現したもの
十分条件:文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの
- 文芸
- 学術
- 美術
- 音楽
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「雑報及び時事の報道」のうち、たんなる事実の伝達だけでない、思想や感情が創作的に表現されたものは、文芸であるから著作性がある
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
ここにはっきりと、
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記者個人の立場や信条に左右されてはならない
- それまでなかったものを初めてつくりだすこと。
- 翻訳などに対して、作家の主体的創造力によって芸術作品をつくりだすこと。また、その作品。
- 事実でなく想像によってつくりだすこと。また、その話など。
どういう意味の「創作」であるか興味深いところです。せめて「事実でなく想像によってつくりだすこと。また、その話など。」だけは堪忍して欲しいところです。最後に「雑報及び時事の報道」に著作権があるとした見解の一部を引用します。
最近の紙面における記事は背景説明の伴った解説的なもの、あるいは記者の主観、感情等を織り込んだ記事が多く、紙面構成上も高度な創意・工夫がはかられており、独創的な紙面づくりが行われているのが実情である
結論ではありませんが、
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記者の主観、感情等を織り込んだ記事
それとこういう見解と実運用では乖離している事は多々あります。建前と本音みたいな感じです。ただ私が感じる限り、建前と本音の距離は非常に近い運用が行なわれている印象が強いように思います。あくまでも印象ですけどね。