研修医の質に御意見ください

前フリは6/18付Asahi.comより、

【医師の研修制度はいま】臨床研修6年目 競争激化、質も向上

 大学医学部を卒業し、医師国家試験合格後に受ける臨床研修が必修化されて、6年目に入った。この医師臨床研修制度について、国は医師不足を加速させたなどとして、来年度から制度を大幅に変えることを決めた。しかし、医療関係者からは「新しい制度のメリットはあった」「見直しは時期尚早」との声も上がる。新制度で何がどう変わったのか。(長谷川美怜)

 県主導による初めての臨床研修病院の合同説明会が、5月中旬に長野市で開かれた。医師不足が続く中、少しでも多くの医学部生を獲得しようと、病院間だけでなく都道府県同士の競争が激しくなっているのが背景だ。研修内容だけでなく、地元の野菜を配ったり、スキーやカヌーなどのレジャーの充実度を宣伝したり、どの病院も必死だ。

 参加したのは、県内に28あるすべての臨床研修指定病院臨床研修が必修化される前の03年度までは、研修は卒業した大学病院で受けるのが一般的だった。研修を実施する病院も県内では90年代まで数病院に限られていたが、新制度に伴って急増した。

 実際、必修化前までは信州大医学部卒業生の約7割が信大付属病院で研修を受けていたが、今では3割ほどにとどまる。ただ、採用実績が何年間もゼロの病院があるなど、一部の「勝ち組」を除いて多くの病院が学生獲得に苦労しているのが実態だ。

 説明会では、県内外から訪れた学生ら約70人が、各病院のブースをくまなく回っているようだった。群馬大6年の男子学生は「研修先はプログラムの内容で決める。現段階では大学病院に行きたい」と話した。信大6年の女子学生は「大学以外の病院で救急を重点的に学びたい」。母校の病院であっても、他の病院と同じ「選択肢の一つ」に過ぎないようだ。

 病院間による競争は、大学も含めて研修の質を上げた、と好意的に受け止める医療関係者は多い。

 信大卒後臨床研修センターの天野直二センター長は「各医師が研修内容を真剣に考えるようになった」と認める。臨床研修が必修化された当時、信大付属病院長を務めていた勝山努・県病院事業局長も、「教育より研究に重きを置きがちな大学が、教育に力を入れざるを得なくなった」と指摘する。「『教授の喜ぶ医師』ではなく、『患者の喜ぶ医師』を育成すべきだという臨床研修制度の最大の眼目が浸透しつつあるのではないか」と現状をみている。

実は微妙な内容の記事で例えば見出しにある

    質も向上
これを読めば研修医の医師としての「質」が向上したと受け取れそうなものです。ここもまたどういう「質」かになりますが、医師にすれば「技量」とすぐに思ってしまうのですが、隅から隅まで読んでも研修医の技量が向上したとは一言も書いていません。上った「質」を抜き出してみると、
  1. 少しでも多くの医学部生を獲得しようと、病院間だけでなく都道府県同士の競争が激しくなっている(従来は医局からの配給を待つだけ)
  2. 研修内容だけでなく、地元の野菜を配ったり、スキーやカヌーなどのレジャーの充実度を宣伝(従来は聞いた事もない)
  3. 説明会(そんなものあったっけ?)
とりあえず研修医勧誘のメソドの「質」は向上したのは間違いありません。メソドの質の中には「研修プログラムの充実」も当然含まれているかと思います。今春に医師になられたコメンテーターの方も盛んにプログラムの充実は口にされていましたから、かつての書いてあるだけとか、ドンブリ勘定とか、一山いくらみたいな研修プログラムとは一線を画すものに充実しているのだろう事は想像できます。

一言で乱暴にまとめると研修医の待遇や環境の質は間違い無く向上しているとして良いかと思います。ここで勘違いして欲しくないのは、そういう現状に決して嫌味を言っているのではなく、単純に羨ましいだけの事です。そういう点は決して「昔は良かった」とは思いません。書いとかないと皮肉と受け取る方が少なくないのでちゃんと明記しておきます。

その他の質については識者のコメントが引用されています。

勝山努・県病院事業局長も、「教育より研究に重きを置きがちな大学が、教育に力を入れざるを得なくなった」と指摘する。「『教授の喜ぶ医師』ではなく、『患者の喜ぶ医師』を育成すべきだという臨床研修制度の最大の眼目が浸透しつつあるのではないか」

これも実は微妙なコメントで前半部の大学が教育に力を入れることには異存はないにしろ、その分他の二分野である研究、臨床が疎かになっているに通じます。理想は三分野に力が十分に注がれれば良いのですが、一定の力しかありませんから、どこかに力点が傾けば他の分野の手が抜かれるのはあたり前です。

この辺は研究を充実させる大学と教育を充実させる大学に特色として分けられても良い気がしますが、いずれにしても研修医が来ないと話が進みませんから、一部の余裕の大学を除き、全国右へ倣え状態になっていくのも現状と考えます。それで良いのか悪いのか、大学とは本来何に力を入れるべきなのかみたいな話は複雑になるので今日はこの辺にしておきます。

後半部でやっと研修医個人の質の問題が出てきます。多分ここだけが研修医個人の質を掲載している部分と思われますが、

    『教授の喜ぶ医師』ではなく、『患者の喜ぶ医師』を育成すべきだという臨床研修制度の最大の眼目が浸透しつつあるのではないか
この「患者の喜ぶ医師」なる表現がわかったような、わからないような表現ですが、どんな医師を定義しているかもう一つよくわかりません。私のような旧制度で育成された医師からすると、まるで「患者の喜ばない医師」と酷評されているようで余り気持ちの良い表現ではありません。嫌味を言っておけば、研修医を指導しているのは旧制度で育った「患者の喜ばない医師」ですから、そういう連中に指導されても「患者の喜ぶ医師」が育成できる優秀なプログラムが全国で展開している事になります。

もう一つ嫌でも気になるのは「患者の喜ぶ医師」の否定表現の比喩として挙げられている「教授の喜ぶ医師」です。教授は言うまでも無く大学の診療科のトップに君臨される医師のことです。当然ですが大学で研修を受ければ研修プログラムのトップに位置されている方と表現しても良いかもしれません。教授と言っても千差万別、玉石混交で変人奇人もゴマンといますが、一方で非常な人格者であり、その人柄と優れた力量、指導力から敬愛されている方もまた少なからずおられます。

十把一絡げで「教授の喜ぶ医師」を否定表現の比喩に無造作に使うのは、少々失礼のような気もするのですが、まあこの話も百家争鳴状態になりそうですから、この辺にしておきます。実は「患者の喜ぶ医師」も、もうちょっと突っ込みたいのですが、今日はわざと控えておきます。


つまりですが記事が紹介した研修医の質の向上は、

  1. 研修医の待遇が向上した
  2. 「患者の喜ぶ医師」が増えた
この2点が新研修医制度のメリットとしています。向上して何も悪い事はないのですが、やはり医師は職人的な側面が強いですから、技量の点の評価はどうかも気になるところです。いくら人柄(医師としての基本姿勢)が良くても技量(医療技術)が伴わないと医師としては物の役には立ちません。人柄は重要な点ですが、医師であるならすべては技量があって上の話になります。

旧制度が技量偏重に偏りすぎていたのではないかの批判もありますが、人柄と技量はどちらかではなく、あくまでも両方を求められるのが医師です。研修医制度の改革と言うのなら、当然ですが技量は従来通りであり、旧制度で不足していた人柄面の教育を充実させると言う二兎を追うでなければなりません。人柄偏重で技量を軽視しては本末転倒とまで言わなくとも重大な制度上の欠点と言えます。

あたり前ですが「患者の喜ぶ医師」であるからには、必要条件はあくまでも医師としての技量であり、十分条件として医師としての人柄になるかと思われます。現状は非常に厳しいですから、どちらの条件も満たせないとJBMの地雷原を歩む医師生活は危ういものになります。



記事にもあるように新研修医制度も6年になるそうです。6年といえば後期研修も終わっている事になりますし、医師不足でマスコミや「有識者」などが盛んに喧伝する、「医師が一人前になるには医学部6年と研修4年(主張によっては前期研修の2年)の計10年(ないし8年)」が終わった「一人前」の医師が出現している事になります。

改めて書くほどの事ではありませんが、私は開業医であり、こういう新研修医制度で育った医師を見る機会に乏しい環境にいます。またとくに技量については一緒に仕事をしないと見えるものでもありません。記事は新研修医制度礼賛記事でさしたる内容ではありませんが、現場の医師としての新制度の医師の評価を聞かせてもらえれば嬉しいと考えています。

もちろん新制度と旧制度では目的としている医師像に少々違いがあり、一概には論じられない点は多々あるとは思います。希望する論点としては医師個人としての技量と人柄がどうであるかをお聞きしたいところです。評価できる点もあるでしょうし、評価できない点もあって当然と考えていますが、決して新研修医制度を根こそぎ非難するためのものでない事もお願いしたいところです。

それとあくまでも希望ですが、話として新研修医制度による医療崩壊に広げたいのは心情として理解できますが、できればソコソコに留めて頂ければ幸いです。その話題はやりだすと止め処もなく広がる可能性があるからです。こんな片隅のブログではありますが、今の時点の現状レポートの記録として残しておく意義ぐらいはあると考えています。

それとあくまでも御注意ですが、どうしても「私の若い頃は・・・」式の基準で判定してしまいます。これはこれしか判定基準が無く、不可避ではあるのですが、これはどの世代でも言われ続けているバイアスです。その点は賢明なるコメンテーターの方々の配慮があるものと信じています。

よろしければ御協力ください。